2017-06-12(Mon)

君が代判決系


【目次】
最判平成19年2月27日民集61巻1号291頁
最判平成23年5月30日民集65巻4号1780頁
最判平成23年6月6日民集65巻4号1855頁
最判平成23年6月14日民集65巻4号2148頁
最判平成23年6月21日判タ1354号51頁
最決平成23年6月21日
東京高判平成23年3月17日
最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁①
最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁②
最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁③

【最判平成19年2月27日民集61巻1号291頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 1 本件は,市立小学校の音楽専科の教諭である上告人が,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由に被上告人から戒告処分を受けたため,上記命令は憲法19条に違反し,上記処分は違法であるなどとして,被上告人に対し,上記処分の取消しを求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1)上告人は,平成11年4月1日から日野市立A小学校に音楽専科の教諭として勤務していた。
 (2)A小学校では,同7年3月以降,卒業式及び入学式において,音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきており,同校の校長(以下「校長」という。)は,同11年4月6日に行われる入学式(以下「本件入学式」という。)においても,式次第に「国歌斉唱」を入れて音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」を斉唱することとした。
 (3)同月5日,A小学校において本件入学式の最終打合せのための職員会議が開かれた際,上告人は,事前に校長から国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう言われたが,自分の思想,信条上,また音楽の教師としても,これを行うことはできない旨発言した。校長は,上告人に対し,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じたが,上告人は,これに応じない旨返答した。
 (4)校長は,同月6日午前8時20分過ぎころ,校長室において,上告人に対し,改めて,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じた(以下,校長の上記(3)及び(4)の命令を「本件職務命令」という。)が,上告人は,これに応じない旨返答した。
 (5)同日午前10時,本件入学式が開始された。司会者は,開式の言葉を述べ,続いて「国歌斉唱」と言ったが,上告人はピアノの椅子に座ったままであった。校長は,上告人がピアノを弾き始める様子がなかったことから,約5ないし10秒間待った後,あらかじめ用意しておいた「君が代」の録音テープにより伴奏を行うよう指示し,これによって国歌斉唱が行われた。
 (6)被上告人は,上告人に対し,同年6月11日付けで,上告人が本件職務命令に従わなかったことが地方公務員法32条及び33条に違反するとして,地方公務員法(平成11年法律第107号による改正前のもの)29条1項1号ないし3号に基づき,戒告処分をした。
 3 上告代理人吉峯啓晴ほかの上告理由第2のうち本件職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 (1)上告人は,「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており,これを公然と歌ったり,伴奏することはできない,また,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ,このような考えは,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできず,上告人に対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が,直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべきである。
 (2)他方において,本件職務命令当時,公立小学校における入学式や卒業式において,国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,特に,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといわざるを得ない。
 本件職務命令は,上記のように,公立小学校における儀式的行事において広く行われ,A小学校でも従前から入学式等において行われていた国歌斉唱に際し,音楽専科の教諭にそのピアノ伴奏を命ずるものであって,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。
 (3)さらに,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかんがみ,地方公務員法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し,同法32条は,上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定するところ,上告人は,A小学校の音楽専科の教諭であって,法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にあり,校長から同校の学校行事である入学式に関して本件職務命令を受けたものである。そして,学校教育法18条2号は,小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと。」を規定し,学校教育法(平成11年法律第87号による改正前のもの)20条,学校教育法施行規則(平成12年文部省令第53号による改正前のもの)25条に基づいて定められた小学校学習指導要領(平成元年文部省告示第24号)第4章第2D(1)は,学校行事のうち儀式的行事について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めるところ,同章第3の3は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは,これらの規定の趣旨にかなうものであり,A小学校では従来から入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきたことに照らしても,本件職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできないというべきである。
 (4)以上の諸点にかんがみると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である。
 なお,上告人は,雅楽を基本にしながらドイツ和声を付けているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想及び良心を有するとも主張するが,以上に説示したところによれば,上告人がこのような考えを有することから本件職務命令が憲法19条に反することとなるといえないことも明らかである。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁及び最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 4 その余の上告理由について
 論旨は,違憲及び理由の不備をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官藤田宙靖の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平の補足意見がある。

 >>>裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見にくみするものであるが,その理由とするところについては,以下のとおり若干の補足をする必要があると考える。
 1 学校の儀式的行事において国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,一般的には上告人の有する「君が代」に関する特定の歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものということはできず,国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする職務命令を発しても,その歴史観ないし世界観を否定することにはならないこと(理由3(1)),客観的に見ても,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,その伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することが困難であること(同3(2))は,多数意見のとおりである。
 しかし,本件の核心問題は,「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりであるとしても,上告人の場合はこれが当てはまらないと上告人自身が考える点にある。上告人の立場からすると,職務命令により入学式における「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,上告人の前記歴史観や世界観を否定されることであり,さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなるものではないかと思われる。
 この点,本件で問題とされているピアノ伴奏は,外形的な手足の作動だけでこれを行うことは困難であって,伴奏者が内面に有する音楽的な感覚・感情や知識・技能の働きを動員することによってはじめて演奏可能となり,意味のあるものになると考えられる。上告人のような信念を有する人々が学校の儀式的行事において信念に反して「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,演奏のために動員される上記のような音楽的な内心の働きと,そのような行動をすることに反発し演奏をしたくない,できればやめたいという心情との間に心理的な矛盾・葛藤を引き起こし,結果として伴奏者に精神的苦痛を与えることがあることも,容易に理解できることである。
 本件職務命令は,上告人に対し上述の意味で心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点で,同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ,ひいては思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。したがって,本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては,上告人が上記のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提として,これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷えんして述べる必要があると考える。
 2 上記の点について,多数意見が挙げる憲法15条2項(「全体の奉仕者」),地方公務員法30条(「全体の奉仕者」として「公共の利益」のために勤務),32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)等の規定と,上告人のような「君が代」斉唱に批判的な信念を持つ教師の思想・良心の自由との関係については,以下のとおり理解することができる。
 第1に,入学式におけるピアノ伴奏は,一方において演奏者の内心の自由たる「思想及び良心」の問題に深く関わる内面性を持つと同時に,他方で入学式の進行において参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する行為である。その内面性に着目すれば,演奏者の「思想及び良心の自由」の保障の対象に含まれ得るが,外部性に着目すれば学校行事の一環としての「君が代」斉唱をより円滑かつ効果的なものにするに必要な行為にほかならず,音楽専科の教諭の職務の一つとして校長の職務命令の対象となり得る性質のものである。
 このような両面性を持った行為が,「思想及び良心の自由」を理由にして,学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されたり,あるいは各教師の個人的な裁量にゆだねられたりするのでは,学校教育の均質性や組織としての学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こし,ひいては良質な教育活動の実現にも影響を与えかねない。
 なお,学校の教師は専門的な知識と技能を有し,高い見識を備えた専門性を有するものではあるが,個別具体的な教育活動がすべて教師の専門性に依拠して各教師の裁量にゆだねられるということでは,学校教育は成り立たない面がある。少なくとも,入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動(必ずしも参加者の画一的・一律の行動を要求するものではないが,少なくとも無秩序に流れることにより学校行事の意義を損ねることのない態様のものであること)が必要とされる面があって,学校行事に関する校長の教職員に対する職務命令を含む監督権もこの目的に資するところが大きい。
 第2に,入学式における「君が代」の斉唱については,学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが,他方で斉唱することに積極的な意義を見いだす人々の立場をも十分に尊重する必要がある。そのような多元的な価値の併存を可能とするような運営をすることが学校としては最も望ましいことであり,これが「全体の奉仕者」としての公務員の本質(憲法15条2項)にも合致し,また「公の性質」を有する学校における「全体の奉仕者」としての教員の在り方(平成18年法律第120号による全部改正前の教育基本法6条1項及び2項)にも調和するものであることは明らかである。
 他面において,学校行事としての教育活動を適時・適切に実践する必要上,上記のような多元性の尊重だけではこと足りず,学校としての統一的な意思決定と,その確実な遂行が必要な場合も少なくなく,この場合には,校長の監督権(学校教育法28条3項)や,公務員が上司の職務上の命令に従う義務(地方公務員法32条)の規定に基づく校長の指導力が重要な役割を果たすことになる。そこで,前記のような両面性を持った行為についても,行事の目的を達成するために必要な範囲内では,学校単位での統一性を重視し,校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。
 3 本件職務命令は,小学校における入学式に際し,その式典の一環として従前の例に従い「君が代」を斉唱することを学校の方針として決定し,これを実施するために発せられたものである。そして,入学式において,「君が代」を斉唱させることが義務的なものかどうかについてはともかく,少なくとも本件当時における市立小学校においては,学校現場の責任者である校長が最終的な裁量権を行使して斉唱を行うことを決定することまで否定することは,上記校長の権限との関係から見ても,困難である。そうしてみると,学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めたからには,これを効果的に実施するために音楽専科の教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択であり,その反面として,これに代わる措置としてのテープ演奏では,伴奏の必要性を十分に満たすものとはいえないことから,指示を受けた教諭が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務としてこれを行わせる形を採ることも,必要な措置として憲法上許されると解する。
 この場合,職務命令を受けた教諭の中には,上告人と同様な理由で伴奏することに消極的な信条・信念を持つ者がいることも想定されるところであるが,そうであるからといって思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することを許していては,職場の秩序が保持できないばかりか,子どもたちが入学式に参加し国歌を斉唱することを通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め,学習意欲を高めるための格好の機会を奪ったり損ねたりすることにもなり,結果的に集団活動を通じ子どもたちが修得すべき教育上の諸利益を害することとなる。
 入学式において「君が代」の斉唱を行うことに対する上告人の消極的な意見は,これが内面の信念にとどまる限り思想・良心の自由の観点から十分に保障されるべきものではあるが,この意見を他に押しつけたり,学校が組織として決定した斉唱を困難にさせたり,あるいは学校が定めた入学式の円滑な実施に支障を生じさせたりすることまでが認められるものではない。
 4 上告人は,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま,「君が代」を歌わせることは,教師としての職業的「思想・良心」に反するとも主張する。上告人の主張にかかる上記職業的な思想・良心も,それが内面における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが,学校教育の実践の場における問題としては,各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認められるにしても,すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく,それぞれの学校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い,総合的統一的に整然と実施されなければ,教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理である。殊に,入学式や卒業式等の行事は,通常教員が単独で担当する各クラス単位での授業と異なり,学校全体で実施するもので,その実施方法についても全校的に統一性をもって整然と実施される必要があり,本件職務命令もこの観点から事前にしかも複数回にわたって校長から上告人に発出されたものであった。
 したがって,A小学校において,入学式における国歌斉唱を行うことが組織として決定された後は,上記のような思想・良心を有する上告人もこれに協力する義務を負うに至ったというべきであり,本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した措置であって,これを違憲,違法とする理由は見いだし難い。

 >>>裁判官藤田宙靖の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告人に対し,その意に反して入学式における「君が代」斉唱のピアノ伴奏を命ずる校長の本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないとする多数意見に対しては,なお疑問を抱くものであって,にわかに賛成することはできない。その理由は,以下のとおりである。
 1 多数意見は,本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を,上告人の有する「歴史観ないし世界観」(すなわち,「君が代」が過去において果たして来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であるととらえ,このような理解を前提とした上で,本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,この歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできないとして,上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が,直ちに,上告人のこの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないとし,また,このようなピアノ伴奏を命じることが,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,特定の思想の有無について告白することを強要するものであるということはできないとする。これはすなわち,憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には(例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものということができよう。しかし,私には,まず,本件における真の問題は,校長の職務命令によってピアノの伴奏を命じることが,上告人に「『君が代』に対する否定的評価」それ自体を禁じたり,あるいは一定の「歴史観ないし世界観」の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるのではなく(上告人が,多数意見のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っていること自体は,既に本人自身が明らかにしていることである。そして,「踏み絵」の場合のように,このような告白をしたからといって,そのこと自体によって,処罰されたり懲戒されたりする恐れがあるわけではない。),むしろ,入学式においてピアノ伴奏をすることは,自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり,それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるように思われる。そうであるとすると,本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」としては,このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って,また,このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても,改めて検討する必要があるものといわなければならない。このことは,例えば,「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く,従って,例えばオリンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること自体については抵抗感が無くとも,一方で「君が代」に対する評価に関し国民の中に大きな分かれが現に存在する以上,公的儀式においてその斉唱を強制することについては,そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし,また現にこのような考え方を採る者も少なからず存在するということからも,いえるところである。この考え方は,それ自体,上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信念・信条そのものに対する直接的抑圧となることは,明白であるといわなければならない。そしてまた,こういった信念・信条が,例えば「およそ法秩序に従った行動をすべきではない」というような,国民一般に到底受け入れられないようなものであるのではなく,自由主義・個人主義の見地から,それなりに評価し得るものであることも,にわかに否定することはできない。本件における,上告人に対してピアノ伴奏を命じる職務命令と上告人の思想・良心の自由との関係については,こういった見地から更に慎重な検討が加えられるべきものと考える。
 2 多数意見は,また,本件職務命令が憲法19条に違反するものではないことの理由として,憲法15条2項及び地方公務員法30条,32条等の規定を引き合いに出し,現行法上,公務員には法令及び上司の命令に忠実に従う義務があることを挙げている。ところで,公務員が全体の奉仕者であることから,その基本的人権にそれなりの内在的制約が伴うこと自体は,いうまでもなくこれを否定することができないが,ただ,逆に,「全体の奉仕者」であるということからして当然に,公務員はその基本的人権につき如何なる制限をも甘受すべきである,といったレヴェルの一般論により,具体的なケースにおける権利制限の可否を決めることができないことも,また明らかである。本件の場合にも,ピアノ伴奏を命じる校長の職務命令によって達せられようとしている公共の利益の具体的な内容は何かが問われなければならず,そのような利益と上記に見たようなものとしての上告人の「思想及び良心」の保護の必要との間で,慎重な考量がなされなければならないものと考える。
 ところで,学校行政の究極的目的が「子供の教育を受ける利益の達成」でなければならないことは,自明の事柄であって,それ自体は極めて重要な公共の利益であるが,そのことから直接に,音楽教師に対し入学式において「君が代」のピアノ伴奏をすることを強制しなければならないという結論が導き出せるわけではない。本件の場合,「公共の利益の達成」は,いわば,「子供の教育を受ける利益の達成」という究極の(一般的・抽象的な)目的のために,「入学式における『君が代』斉唱の指導」という中間目的が(学習指導要領により)設定され,それを実現するために,いわば,「入学式進行における秩序・紀律」及び「(組織決定を遂行するための)校長の指揮権の確保」を具体的な目的とした「『君が代』のピアノ伴奏をすること」という職務命令が発せられるという構造によって行われることとされているのである。そして,仮に上記の中間目的が承認されたとしても,そのことが当然に「『君が代』のピアノ伴奏を強制すること」の不可欠性を導くものでもない。公務員の基本的人権の制約要因たり得る公共の福祉ないし公共の利益が認められるか否かについては,この重層構造のそれぞれの位相に対応して慎重に検討されるべきであると考えるのであって,本件の場合,何よりも,上記の①「入学式進行における秩序・紀律」及び②「校長の指揮権の確保」という具体的な目的との関係において考量されることが必要であるというべきである。このうち上記①については,本件の場合,上告人は,当日になって突如ピアノ伴奏を拒否したわけではなく,また実力をもって式進行を阻止しようとしていたものでもなく,ただ,以前から繰り返し述べていた希望のとおりの不作為を行おうとしていたものにすぎなかった。従って,校長は,このような不作為を充分に予測できたのであり,現にそのような事態に備えて用意しておいたテープによる伴奏が行われることによって,基本的には問題無く式は進行している。ただ,確かに,それ以外の曲については伴奏をする上告人が,「君が代」に限って伴奏しないということが,参列者に一種の違和感を与えるかもしれないことは,想定できないではないが,問題は,仮に,上記1において見たように,本件のピアノ伴奏拒否が,上告人の思想・良心の直接的な表現であるとして位置付けられるとしたとき,このような「違和感」が,これを制約するのに充分な公共の福祉ないし公共の利益であるといえるか否かにある(なお,仮にテープを用いた伴奏が吹奏楽等によるものであった場合,生のピアノ伴奏と比して,どちらがより厳粛・荘厳な印象を与えるものであるかには,にわかには判断できないものがあるように思われる。)。また,上記②については,仮にこういった目的のために校長が発した職務命令が,公務員の基本的人権を制限するような内容のものであるとき,人権の重みよりもなおこの意味での校長の指揮権行使の方が重要なのか,が問われなければならないことになる。原審は,「思想・良心の自由も,公教育に携わる教育公務員としての職務の公共性に由来する内在的制約を受けることからすれば,本件職務命令が,教育公務員である控訴人の思想・良心の自由を制約するものであっても,控訴人においてこれを受忍すべきものであり,受忍を強いられたからといってそのことが憲法19条に違反するとはいえない。」というのであるが,基本的人権の制約要因たる公共の利益の本件における上記具体的構造を充分に踏まえた上での議論であるようには思われない。また,原審及び多数意見は,本件職務命令は,教育公務員それも音楽専科の教諭である上告人に対し,学校行事におけるピアノ伴奏を命じるものであることを重視するものと思われるが,入学式におけるピアノ伴奏が,音楽担当の教諭の職務にとって少なくとも付随的な業務であることは否定できないにしても,他者をもって代えることのできない職務の中枢を成すものであるといえるか否かには,なお疑問が残るところであり(付随的な業務であるからこそ,本件の場合テープによる代替が可能であったのではないか,ともいえよう。ちなみに,上告人は,本来的な職務である音楽の授業においては,「君が代」を適切に教えていたことを主張している。),多数意見等の上記の思考は,余りにも観念的・抽象的に過ぎるもののように思われる。これは,基本的に「入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動が必要とされる」という理由から本件において上告人にピアノ伴奏を命じた校長の職務命令の合憲性を根拠付けようとする補足意見についても同様である。
 3 以上見たように,本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて,更に詳細な検討を加える必要があり,また,そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については,本件事案の内容に即した,より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。このような作業を行ない,その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につき改めて検討させるべく,原判決を破棄し,本件を原審に差し戻す必要があるものと考える。
 (裁判長裁判官・那須弘平,裁判官・上田豊三,裁判官・藤田宙靖,裁判官・堀籠幸男,裁判官・田原睦夫)



【最判平成23年5月30日民集65巻4号1780頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 第1 上告代理人津田玄児ほかの上告理由第2のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 1 本件は,都立高等学校の教諭であった上告人が,卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,その後,定年退職に先立ち申し込んだ非常勤の嘱託員及び常時勤務を要する職又は短時間勤務の職の採用選考において,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,上記不起立行為が職務命令違反等に当たることを理由に不合格とされたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上告人を不合格としたことは違法であるなどと主張して,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償等を求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)57条の2の規定に基づく高等学校学習指導要領(平成11年文部省告示第58号。平成21年文部科学省告示第38号による特例の適用前のもの。以下「高等学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。
 (2) 都教委の教育長は,平成15年10月23日付けで,都立高等学校等の各校長宛てに,「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台壇上正面に国旗を掲揚し,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
 (3) 上告人は,平成16年3月当時,都立A高等学校に勤務する教諭であったところ,同月1日,同校の校長から,本件通達を踏まえ,同月5日に行われる卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令(以下「本件職務命令」という。)を受けた。しかし,上告人は,本件職務命令に従わず,上記卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった。そのため,都教委は,同月31日,上告人に対し,上記不起立行為が職務命令に違反し,全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であるなどとし,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号に該当するとして,戒告処分をした。
 (4) 定年退職等により一旦退職した教職員等について,都教委は,特別職に属する非常勤の嘱託員(地方公務員法3条3項3号)として新たに任用する制度を実施するとともに,常時勤務を要する職(同法28条の4)又は短時間勤務の職(同法28条の5)として再任用する制度を実施している。
 上告人は,平成19年3月31日付けで定年退職するに先立ち,平成18年10月,上記各制度に係る採用選考の申込みをしたが,都教委は,上記不起立行為は職務命令違反等に当たる非違行為であることを理由として,いずれも不合格とした。
 3(1) 上告人は,卒業式における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について,日本の侵略戦争の歴史を学ぶ在日朝鮮人,在日中国人の生徒に対し,「日の丸」や「君が代」を卒業式に組み入れて強制することは,教師としての良心が許さないという考えを有している旨主張する。このような考えは,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人自身の歴史観ないし世界観から生ずる社会生活上ないし教育上の信念等ということができる
 しかしながら,本件職務命令当時,≪1≫公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,≪3≫そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって,上記の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。また,上記の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,本件職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると,本件職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
 (2) もっとも,上記の起立斉唱行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,その限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
 なお,上告人は,個人の歴史観ないし世界観との関係に加えて,学校の卒業式のような式典において一律の行動を強制されるべきではないという信条それ自体との関係でも個人の思想及び良心の自由が侵される旨主張するが,そのような信条との関係における制約の有無が問題となり得るとしても,それは,上記のような外部的行為が求められる場面においては,個人の歴史観ないし世界観との関係における間接的な制約の有無に包摂される事柄というべきであって,これとは別途の検討を要するものとは解されない。
 そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 (3) これを本件についてみるに,本件職務命令に係る起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人の歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人にとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為となるものである。この点に照らすと,本件職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法42条1号,36条1号,18条2号),同法43条及び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立高等学校の教諭である上告人は,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあるところ,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて,その勤務する当該学校の校長から学校行事である卒業式に関して本件職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,本件職務命令は,公立高等学校の教諭である上告人に対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い,かつ,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件職務命令については,前記のように外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 (4) 以上の諸点に鑑みると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官竹内行夫,同須藤正彦,同千葉勝美の各補足意見がある。

 >>>裁判官竹内行夫の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることを前提とした上で,このような制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が本件職務命令に認められるか否かの点について,これを肯定的に解するものとする法廷意見のアプローチ及び結論に賛同するものであるが,若干の意見を記しておきたい。
 1 間接的な制約の存在を前提とするアプローチ
 思想及び良心の自由は個人の内心の領域に係るものであり,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人のような個人の歴史観ないし世界観は,内心にとどまる限り,絶対的に自由であり法的に保護されなければならない。そして,一般的,客観的に見た場合には,卒業式における起立斉唱行為は儀礼的な所作であって,上記のような個人の歴史観等を否定するものではなく,また,そのような個人の歴史観等を直ちに露顕させるものであるとも解されないとしても,そのようないわば第三者的な見地だけから本件職務命令が思想及び良心の自由についての制約に当たらないとの結論に到達し得るものではない。思想及び良心の自由は本来個人の内心の領域に係るものであるから,当該本人自身において起立斉唱行為が敬意の表明の要素を含む点において自己の歴史観等に由来する行動と相反する外部的行為であるとして心理的矛盾や精神的な痛みを感じるのであれば,そのような状態は思想及び良心の自由についての制約の問題が事実上生じている状態であるといわざるを得ない。そして,そのような間接的な制約が許容されるか否か,許容される場合があるとすればなぜ許容されるかということについて,審査が行われなければならない(この点において,私はいわゆるピアノ伴奏事件判決(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁)における那須弘平裁判官の補足意見の基本的視点に共感するものである。)。
 2 外部的行動に対する規制
 個人の歴史観ないし世界観が,内心にとどまる限り,社会規範等と異なるところがあっても,その間の抵触が問題とされることはない。他方,人がその歴史観ないし世界観に基づいて行動する場合には,その外部的行動が社会による客観的評価の対象となり社会規範等に抵触することがあり得るのであり,そのような場面においては,外部的行動が社会規範等により制限されることがある。この場合において,制限の対象はあくまでも外部的行動であるが,そのような外部的行動に対する制限を介して,結果として,歴史観ないし世界観についての間接的な制約となることはあり得るところである。本件はそのようなケースであり,本件職務命令により制限の対象とされるのは,上告人の卒業式において起立斉唱をしないという行動であって,その歴史観ないし世界観ではない。
 このような場合に,表見的には外部的行動に対する制限であるが,実はその趣旨,目的が,個人に対して特定の歴史観等を強制したり,あるいは,歴史観等の告白を強制したりするものであると解される場合には,直ちに,思想及び良心の自由についての制約の問題が生ずることになるが,本件職務命令がそのようなものであるとは考えられない。
 なお,以上に述べたような外部的行動に対する制限を介しての間接的な制約となる面があると認められる場合においては,そのような外部的行動に対する制限について,個人の内心に関わりを持つものとして,思想及び良心の自由についての事実上の影響を最小限にとどめるように慎重な配慮がなされるべきことは当然であろう。
 また,本件のような思想及び良心の自由についての間接的な制約に関して,その必要性,合理性を審査するに当たっては,具体的な状況を踏まえて,特に慎重に較量した上での総合的判断が求められることはいうまでもない。このこととの関連で,一言触れておくと,思想信条等に由来する外部的行動について,当該行動と核となる思想信条等との間の関連性の程度には差異があるとの見方を採用した上で,本件上告人の起立斉唱行為の拒否は本人の歴史観等と不可分一体なものとまではいえないと解し,そのような解釈に立って合憲性の審査を進めるという見解があるが,そのようなアプローチは私の採るところではない。人の外部的行動が歴史観等に基づいたものである場合に,当該行動と歴史観等との関連性の程度というものはおよそ個人の内心の領域に属するものであり,外部の者が立ち入るべき領域ではないのみならず,そのような関連性の程度を量る基準を一般的,客観的に定めることもできない。あえてこれを量ろうとするならば,それは個人の内心に立ち入った恣意的な判断となる危険を免れないこととなろう。本件上告人があえて起立斉唱をしないという行動を採ったのは,それが自己の歴史観等に基づく行動と両立するものではないと確信しているからであると解されるのであり,私は,本件上告人の起立斉唱行為の拒否が,その内心の状態に照らして,上告人の歴史観等と不可分一体なものではないとの判断を下す何らの根拠も有していない。
 3 国旗,国歌に対する敬意
 法廷意見が本件職務命令による上告人に係る制約が許容され得るとした判断に賛同するに当たり,次の二つの点を特記しておきたい。
 第一は,国旗及び国歌に対する敬意に関することである。一般に,卒業式,国際スポーツ競技の開会式などの種々の行事や式典において国旗が掲揚されたり,国歌が演奏されたりするが,そのような際に,一般の人々の対応としては,通常,慣例上の儀礼的な所作としてごく自然に国旗や国歌に対する敬意の表明を示しているものと考えられる。そして,国際社会においては,他国の国旗,国歌に対する敬意の表明は国際常識,国際マナーとされ,これに反するような行動は国際礼譲の上で好ましくないこととされている。先年,ある外国における国際サッカー試合の前に慣例により「君が代」が演奏されたとき,その国の観客が起立をしなかったということがあり,これが国際マナーに反するとして我が国を含め国際世論から強く批判されたことがあったのは記憶に新しい。他の国の国旗,国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも,まず自分の国の国旗,国歌に対する敬意が必要であり,学校教育においてかかる点についての配慮がされることはいわば当然であると考える。
 第二に,上告人は教員であり,学校行事を含めて生徒を指導する義務を負う立場にあるという点が重要である。国旗,国歌に対する敬意や儀礼を生徒に指導する機会としては種々あるであろうが,卒業式や入学式などの学校行事は重要な機会である。そのような学校行事において,教員が起立斉唱行為を拒否する行動をとることは,国旗,国歌に対する敬意や儀礼について指導し,生徒の模範となるべき教員としての職務に抵触するものといわざるを得ないであろう。本件職務命令による上告人に係る制約の必要性,合理性を較量するに当たっては,このような観点も一つの事情として考慮される必要があると考える。

 >>>裁判官須藤正彦の補足意見は,次のとおりである。
 私は,法廷意見に同調するものであるが,その理由について以下のとおり補足する。
 1 基本的視点
 (1) 特定の思想の強制や禁止,特定の思想を理由とする不利益の付与は,憲法19条で保障された思想及び良心の自由を侵すものとして絶対に許されない。また,この趣旨から,特定の歴史観ないし世界観(以下「歴史観等」という。)又はその否定と不可分に結び付く行為の強制も,特定の思想又はその否定を外部に表明する行為であると評価される行動や特定の思想の有無についての告白の強制も,いずれも許されない(この点につき,最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁参照)。
 (2) この意味で,内心における思想及び良心の自由の保障は絶対であるが,特定の思想が内心にとどまらない場合は,外部的行動との関わりにおいて他の利益と抵触するため,それは常に絶対というわけではない面がある。例えば一夫多妻制や一妻多夫制が正しいとの歴史観等を有することは絶対に自由であるが,これに従って重婚に及んだ者は処罰される(刑法184条)。この場合,国家はその者の歴史観等に対する否定的評価を刑法に取り込んでいるとみることも可能であるように思われ,そうすると,その疑いもなく少数の者は外部的行為の介在によって思想及び良心の自由につきいわば直接的制約を受ける(以下では,このような直接的制約を「いわゆる直接的制約」と呼ぶことがある。)こととなるが,憲法19条は明らかに刑法184条を許容しているといえる。
 (3) 一般に,外部的行為を,社会一般の規範等が個人に要求する場合,それが元来ある歴史観等や信条などについて否定的評価をするものではなく,その趣旨,目的が別にあるにもかかわらず,ないしは,その外部的行為の要求が一般的,客観的にも歴史観等や信条などを否定するような意図を含んでいるとはみられないにもかかわらず,その外部的行為が,個人の歴史観等やそれに基づく信条などに由来する外部的行動と異なり,その者はそれには応じ難いというときがあり得る。この場合,外部的行為を要求することを通じて,結果として個人の思想及び良心の自由(内心の自由)についての制約を生じさせることになる。これは,前記のいわゆる直接的制約に対して,間接的制約と呼ぶことができるが,本件は主として社会一般の規範等に当たる本件職務命令による間接的制約の問題といえる。
 もっとも,このように一般的,客観的観点からは間接的制約と評価されても,それを受ける者にとっては,当該外部的行為を要求されることで,自己の歴史観等の核心部分を否定されたものと,あるいはその外部的行為を自己が否定する歴史観等を外部に表明する行為と評価されるものと受け止めて,精神的葛藤を生じることがある(直接的か間接的かという区別は,当人自身の主観としては無意味であろう。)。
 また,外部的行為の要求が一律に強制される場合,当該要求が一律に強制されるべきではないという信条を有する者にとっては,その信条の直接的な否定となり,これはそのような信条に係るいわば直接的制約ともいえる。その信条に賛否が分かれているような問題が含まれる場合は,特に精神的葛藤を避けられないのであるが,本件はその信条に係る制約の問題をも付随的に含む(以下では,このような信条に係る制約を「信条の制約」と呼ぶことがある。)。
 もとより,憲法における思想及び良心の自由の保障は,個人の尊厳の観点からして,あるいは,多様な思想,多元的な価値観の併存こそが民主主義社会成立のための前提基盤であるとの観点からして,まずもってその当人の主観を中心にして考えられるものであり,このような憲法的価値の性質からすると,間接的制約や信条の制約の場面でも,憲法19条の保障の趣旨は及ぶというべきである。思想及び良心の自由は,少数者のものであるとの理由で制限することは許されないものであり,多数者の恣意から少数者のそれを護ることが司法の役割でもある。思想及び良心の自由の保障が戦前に歩んだ苦難の歴史を踏まえて,諸外国の憲法とは異なり,独自に日本国憲法に規定されたという立法の経緯からしても,そのことは強調されるべきことであろう。
 (4) しかしながら,外部的行為が介在する場面での思想及び良心の自由の保障は,必ずしも絶対不可侵のものとしての意味のそれではない。けだし,社会一般の規範等に基づく外部的行為の要求が間接的制約を生ずるがゆえに絶対的に許されないのであれば,結局社会が成り立たなくなってしまうと思われ,憲法は社会が成り立たなくなってしまう事態まで求めるものとは思われないからである。したがって,このような外部的行為を介しての間接的制約の場面では,その規範等に間接的制約を許容し得る程度の必要性,合理性がある場合には,憲法自身が,それを内在的制約としてなお容認しているものとみるのが相当であると考える。信条の制約の場合も同様であり,その信条が歴史観等に由来するものであればそれとその信条とが不可分一体であるという意味において,また,それが単なる社会生活上の信条であれば正にそのことのゆえに,間接的制約に準じて,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性がある場合には,なお容認しているものと思われる(以下では,「間接的制約等」を間接的制約と信条の制約とを併せた意味で用いる。)。なお,この制約を許容し得る程度の必要性や合理性は飽くまで憲法論におけるそれである以上,その必要性,合理性の根拠はできるだけ憲法自体に求められるのが望ましいと思われる。同時に,必要性や合理性は広い意味に捉え得るので,特に外部的行為の方法,態様などの点に関しては,憲法論で捉えるよりも,裁量統制の観点から,当該外部的行為の拒否を理由とする不利益処分が裁量の範囲を逸脱するものとして違法と評価されるか否かとの判断方法で捉える方が適切であるという場合も現実には多いと思われ,その意味で一種の棲み分けがなされることになろう。もっとも,例えば,対象となる当人の歴史観等に係る間接的制約等が容易に予見される状況であるのに,これを最小限にとどめるような慎重な配慮を著しく欠くという場合や,違反に対する制裁が初めから過度に重いものしか定められていないような場合などは,憲法的価値そのものを否定するものとして,制約を許容し得る程度の必要性,合理性は認められないといえよう。
 (5) 上記の判断枠組みについていえば,それは,思想及び良心の自由が外部的行為の介在によって社会一般の規範等と抵触する場合の調整の在り方として,一般的,客観的な見地の下に,その規範等の趣旨,目的や思想及び良心の自由についての制約の有無に加え,制約の直接性,間接性,思想及び良心の核心部分との遠近,制約の程度等をも検討し,それらを前提とした上で,間接的制約等についての必要性,合理性を考量すべきものとする考え方である。これについては,思想及び良心の自由の保障が元来当人の主観を中心にして考えられることとの整合性が一見問題となるように思われないでないが,この判断は,飽くまで法的判断として主観を前提とした上での客観的な評価を行う作用であって,その判断方法自体は異とするに足りない。思想及び良心の自由につき,外部的行為の介在による規範等との抵触の場合の調整の在り方としては,前記のいわゆる直接的制約のような場合には,いわゆる厳格な基準などによるべきことと思われるが,間接的制約等の場合には,上記の判断枠組みは,必要性,合理性の考量が安易になされないことを必須の条件として,適切な方法と考える。この場合の制約は,憲法自身が容認する内在的制約であるが,憲法13条の公共の福祉による制約と趣旨において共通するといえよう。今後は,その必要性及び合理性の内容について深く掘り下げていくことが現実的であると思われる。
 2 本件の間接的制約該当性
 本件の起立斉唱行為は,一般的,客観的にみて,卒業式等の式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであるが,国旗,国歌への敬意の表明の要素を含むものであることから,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人の歴史観等に由来する外部的行動(国旗,国歌への敬意の表明の拒否)と矛盾抵触し,その歴史観等の核心部分を否定されるものと,あるいは自己が否定する歴史観等を外部に表明する行為と評価されるものと受け止められるであろうから,精神的葛藤を生じ,上告人の歴史観等に係る制約となる面があるところ,社会一般の規範等である本件職務命令は,後にも述べるが,特定の歴史観等は前提とせず,いわんやこれを否定するようなことは予定されておらず,一般にそのようにみられるものでもないから,上記の制約は,結果としての間接的制約となるものである。また,「日の丸」,「君が代」は賛否が分かれている問題を含むのであり,学校の卒業式における起立斉唱は本来一律の強制でなされるべきでなく,したがって起立斉唱してはならないという信条を有しているということで,その信条の制約ということも考えられる。そうすると,本件職務命令が憲法に違反するか否かは,これらの間接的制約等を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かによって定まることとなる。
 3 必要性及び合理性
 (1) まず,本件職務命令の趣旨,目的は,高校生徒が,起立斉唱という国旗,国歌への敬意の表明の要素を含む行為を契機として,日常の意識の中で自国のことに注意を向けるようにすることにあり,そのために,卒業式典という重要な儀式的行事の機会に指導者たる教員に,いわば率先垂範してこれを行わしめるものといえる。けだし,「日の丸」,「君が代」は国旗,国歌であるので(国旗及び国歌に関する法律。以下「国旗国歌法」という。),それが日本国(以下,適宜,「国」又は「自国」と称する。)をメッセージしているからである。
 制約を許容し得る程度の必要性,合理性の根拠はできれば憲法自体に求められることが望ましいという前述の視座から検討するに,我々は,「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持」(憲法前文)しなければならないが,益々国際化が進展している今日こそ,自国の伝統や文化に対して正しい理解をした上で,他国を尊重し,柔軟な国際協調の精神を培って国際社会の平和と発展に寄与することがあるべき姿であろう。教育基本法(平成18年法律第120号による改正前のもの。以下同じ。)1条は,教育は,「平和的な国家及び社会の形成者として」の国民育成を期して行わなければならないと規定し,学校教育法18条2号は,小学校教育の目標として,「郷土及び国家の現状について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと」と,同法36条1号及び42条1号は,それぞれ,中学校教育,高校教育の目標として,小学校,中学校の教育の基礎の上に,「国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと」,「国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」と規定しているところである。実際,高校生は,やがて,国の主権者としての権利を行使し社会的責務を負う立場になるのであり,また,自らの生活や人生を国によって規定されることは避けられない。公共の最たるものが国であり,国は何をする存在なのかを知り,国が自分のために何をしてくれるのかを問いかけることも,自分が国のために何をなし得るのかを問いかけることも,大切なことと思われる。そして,そのためには,自国の歴史の正と負の両面を虚心坦懐に直視しなければならない。そうすると,職務命令において,高校生徒に対していわば率先垂範的立場にある教員に日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機を与える行為を行わしめることは当然のことともいえる。他方,国民は普通教育を受けさせる義務(責務)を負うところ(憲法26条2項),上告人が従事していた高校教育も,その段階の一つである(学校教育法50条)。そして大切なことは,その義務(責務)を果たすことの前提として,国民は,教育を受ける権利を基本的人権として保障され(憲法26条1項),法律に定められた内容において普通教育,専門教育についての高校教育の提供を要求する権利を有するものである。そうすると,国民は,日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機を与える教育について,その提供を受ける権利を有するということができ,国はこれに対応してそのような教育の提供をする義務があるともいえるのであるから,教育関係者がその実践に及ぶことはその観点からしても当然のことといえる。さらに,都立高校の教諭たる上告人は,公務員として,また,教員として,「全体の奉仕者」であるところ(憲法15条2項,地方公務員法30条,教育基本法6条2項),平和的な国家及び社会の形成者として新しい世代を育成し,国民の教育を受ける権利を実現する上での上記の契機を与えるための教育は,国民全体の関心事でもあるから,そのような教育を行うことは,全体の奉仕者としての当然の責務であるともいえる。そうすると,特定の国家観を前提とせず,普通教育の従事者たる教員に,自国のことに注意を向けるための契機を与えようとする教育を行わしめることは,教育を受ける権利や全体の奉仕者という観点においても,憲法上の要請ということも可能である。
 以上のように,本件職務命令は,その趣旨,目的自体において,十分に必要性や合理性が認められるというべきである。
 (2) 上記の契機を与えるための教育の手段としては,様々なものがあり得るから,「日の丸」や「君が代」を用いてこれに対して敬意の表明の要素を含む行為をさせることは唯一の選択肢ではないものの,これらは,国旗,国歌として国を象徴するものであるがゆえに,直截で分かりやすく,これに敬意の表明の要素を含む行為をすることが,日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機となるものと思われる。教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の中であれば,他にも様々な方法が考えられるが,進行上のめり張り,厳粛性,統一性などが要求される卒業式などの全校的な統一的集団行事としての儀式的行事において,みるべき代替案あるいは拮抗する対案が提唱されていることもうかがわれない。のみならず,自国の国旗,国歌に敬意の表明の要素を含む行為をすることは,他国の国旗,国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為を行うことにつながり,他国の国旗,国歌を尊重することは他国を尊重することを含意すると思われるところ,さきに述べたところからして他国を尊重するように教育をすることは大切なことである。以上によれば,本件の卒業式において,「国」のことに注意を向ける契機を与えるための教育の手段として,「日の丸」や「君が代」を用い,教員をして,いわば率先垂範してこれに対する敬意の表明の要素を含む行為をさせることには,必要性及び合理性が認められるといえる。
 しかして,仮にこの「日の丸」,「君が代」が特定の歴史観等や反憲法的国家像を前提とするのであれば,本件のような職務命令は,公権力が思想教育ないしは特定の思想について一定の価値判断を教員に教え込ませようとするものとして許されないことになろうが,国旗国歌法上,国旗たる「日の丸」も国歌たる「君が代」も,特定の歴史観等や反憲法的国家像が前提とされているわけではないから,本件職務命令はそのような前提には立っていないというべきである。仮に,このような職務命令によって,実は一定の歴史観等を有する者の思想を抑圧することを狙っているというのであるならば,公権力が特定の思想を禁止するものであって,前記のとおり憲法19条に直接反するものとして許されないことになろうが,本件職務命令はそのような意図を有しているものとも認められない。
 もっとも,「日の丸」,「君が代」については,かねて国民の間に少なからぬ議論のあるところであり,様々な考え方があるのも現実である。「日の丸」,「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人の歴史観等からすれば,「日の丸」,「君が代」がメッセージしているのは,その過去の「国」であるということなのであろう。しかし,他方において,それは,負の歴史をも踏まえた上での現在の「国」,つまり,国民主権主義,基本的人権尊重主義,平和主義といった基本原理を有する日本国憲法の秩序の下にある国である,あるいはそのような国であるべきだとの考え方もあり得るところであろう。むしろ,一般的には,「日の丸」,「君が代」がメッセージしているのは,特定の国家像などが前提とされていない国であり,したがって,本件におけるような卒業式典における起立斉唱も,慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものと捉えられるといえる。
 (3) 以上のとおり,本件職務命令は,その趣旨,目的において,必要性,合理性の根拠を憲法上に求めることができる。ところで,間接的制約等を許容し得る程度の必要性,合理性が認められるためには,進んで具体的な方法,態様においても,必要性,合理性が要求されるものであるので(その方法,態様自体が憲法的価値そのものを否定するものであれば,必要性,合理性を認めることができない。),この観点から更に考察するに,起立斉唱という方法は,国旗,国歌への敬意の表明の要素を含む行為としては,唯一の選択肢ではないであろうが,それが直截的であり,これに代替し又は拮抗する方法は容易に見いだし難いように思われ,この方法を採ることには必要性,合理性が認められる。また,卒業式典は,全校的な統一的集団行事であり,教育的観点から重要な儀式的行事として位置付けられるという性格からして,厳粛かつ効果的に執り行われるべきことが要求されるので,会場の雰囲気を損なってその円滑な進行に水を差したり,生徒をして日常の意識の中で自国に注意を向ける契機を与えるという教育の効果を一部減殺するなどの事態を招かないようにするために,いわば率先垂範的な立場にある教員に一律に強制し,そのための制裁手段としての懲戒処分(過度に重いものしか定められていないというものではない。)を設けるという方法を採ることも必要性,合理性が認められるというべきである。そして,本件職務命令の対象たる起立斉唱の形式,内容,進行方法,所要時間,頻度等をみても,起立斉唱に付加して,例えば,国家への忠誠文言の朗誦とか,愛国心を謳った誓約書への署名などの行為を求めるものではなく,しかも,短時間で終了し,日を置かずして反復されるようなものでもなく,その結果,慣例上の儀礼的な所作の域にとどまるといえる。また,上記の点よりすると,本件職務命令は,少なくとも,その間接的制約等を最小限にとどめるような慎重な配慮を著しく欠いているとはいえない。そうすると,本件職務命令は,その態様においても,必要性,合理性が認められる(これらの方法,態様自体は憲法的価値そのものを否定するものとも思われない。)。
 (4) ところで,上告人が起立斉唱拒否行為(不起立)を行うことは,「日の丸」,「君が代」にまつわる前記歴史観等が正しいとの強い確信を基にして,起立斉唱はなすべきではないとする信条を,結果的にであるにせよ,表示することになる一面も否定できない。自己の良心に忠実かつ真摯な態度との側面もあるといい得るし,上告人がそのような歴史観等や信条を有するのは絶対に自由であるが,他方で,上告人の歴史観等とは異なる考え方などもあり得ると思われる。高校生活の目標は,歴史認識を含め,物事には多様な考え方,正反対の見方があることを知り,自主独立の精神の下に自分自身の価値観,人格を形成させ,主体的に判断する能力を身に付けることであり,教育はそれを支援することであろう。ところが,卒業式という学校にとって最も重要でしかもやや劇的な場面で,上告人が,そのことを特に意図するものではないにせよ,強固な信条を表示するのであれば,それは,結局,対立する考え方を公平かつ平等に紹介するというよりも,自己が絶対視した価値観を一方的に教育の場に持ち込むということになろう。その結果,担任クラス,担当教科,クラブ活動などで緊密な信頼関係で結ばれている生徒らを中心に,上記の考え方が一義的に正しいものとして受け取られるなどで強い影響力,支配力を及ぼすことにもなり得ると思われる。しかし,高校生徒の側では,学校や教員を選択する自由も乏しく,また,大学生などとは異なり,一般に教員の教授内容について批判する能力がいまだ十分備わっているとはいい難いことに照らすと,それは,高校生徒の自由な思想の形成を損なうことになりはしないかと懸念されるのである。上告人は,地方公務員として全体の奉仕者であり(憲法15条2項,地方公務員法30条),かつ法律で定める学校の教員として全体の奉仕者であって(教育基本法6条2項),そのことからすると,公立学校の教員として生徒への教育において公正中立でなければならないと思われるが,それに反することになるようにも思われるのである。また,国民の教育(普通教育)を受ける権利は特定の価値観ではなく,国民が一般に共通に願う基礎的かつ均質な内容の教育の提供を要求できる権利であろう。そのような意味においては,憲法上の疑念も生ずるところである。職務命令による要求が一律であることには,上記の点からも必要性,合理性が基礎付けられよう。
 (5) なお,前記のような歴史観等とは離れて,単に一律の強制で起立斉唱するというような方法で行うべきではないという社会生活上の信条もあり得るところである。上告人は,卒業式は生徒と教師が作り上げるべきであり,他者から一律に強制されるべきではない旨の主張をしているところであり,本件職務命令はこのような信条の制約である旨を主張するものとも理解し得る。もとより,そのように考えることは全く自由であるし,また,起立斉唱を強制されることにより,精神的葛藤を生じるであろう。この信条の制約の場合,間接的制約の場合と同様にその制約を許容し得る程度の必要性,合理性があるかどうかという判断枠組みがなお用いられるべきであるということは,既に述べたとおりであるが,その比較考量においては,前記の歴史観等に係る間接的制約の場合と異なり,特段の事情がある場合は別として,その許容性が一般に容易に肯定されるであろう。もちろん,思想内容に立ち入ってその価値の軽重について外から序列を付けることは適切でないとしても,そのような社会生活上の信条は歴史観等の核心部分からやや隔たるといえるし,また,その種の社会生活上の信条は甚だ広範にわたるのであって,特に公教育にあっては,自己の社会生活上の信条に反するからという一事で,一般に拒否する自由が認められれば,公教育(特に普通教育)そのものが成り立たなくなり得るし,教育公務員が全体の奉仕者であることと端的に矛盾することになると思われるからである。本件の社会生活上の信条に関しては,特段の事情は認められず,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められるといえよう。
 (6) なお念のために付言すれば,以上は飽くまで憲法論であって,職務命令違反を理由とする不利益処分に係る裁量論の領域で,日常の意識の中で国のことに注意を向ける契機を与えるために,起立斉唱がどれほど必要なのか,卒業式はその性格からしてそれを行う機会としてふさわしいのかなどの方法論や,不起立によってどのような影響が生じその程度はいかほどか,不利益処分を行うこととその程度は行き過ぎではないかといった点を考量した上で,当該処分の適法性を基礎付ける必要性,合理性を欠くがゆえに,当該処分が裁量の範囲を逸脱するとして違法となるということはあり得る。
 このことに関連して更にいえば,最も肝腎なことは,物理的,形式的に画一化された教育ではなく,熱意と意欲に満ちた教師により,しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が,教育現場を疑心暗鬼とさせ,無用な混乱を生じさせ,教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば,かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。その意味で,強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。のみならず,卒業式などの儀式的行事において,「日の丸」,「君が代」の起立斉唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると,たとえ,裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。

 >>>裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。
 私は,法廷意見に補足して,本件職務命令に対する合憲性審査の視点について,また,本件のような国旗及び国歌をめぐる教育現場での対立の解消に向けて,私見を述べておきたい。
 1 本件職務命令に対する合憲性審査の視点について
 (1) 憲法19条が保障する「思想及び良心の自由」の意味については,広く人の内心の活動全般をいうとする見解がある。そこでは,各人のライフスタイル,社会生活上の考えや嗜好,常識的な物事の是非の判断や好悪の感情まで広く含まれることになろう。もちろん,このような内心の活動が社会生活において一般に尊重されるべきものであることは了解できるところではあるが,これにも憲法19条の保障が及ぶとなると,これに反する行為を求めることは個人の思想及び良心の自由の制約になり,許されないということになる。しかしながら,これでは自分が嫌だと考えていることは強制されることはないということになり,社会秩序が成り立たなくなることにもなりかねない。したがって,ここでは,基本的には,信仰に準ずる確固たる世界観,主義,思想等,個人の人格形成の核心を成す内心の活動をいうものと解すべきであろう。本件の上告人についていえば,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人自身の歴史観ないし世界観(以下「上告人の歴史観等」という。)がこれに当たるであろう。そして,このような思想及び良心の自由は,内心の領域の問題であるので,外部からこれを直接制約することを許さない絶対的な人権であるとされている。これを直接制約する行為というのは,性質上余り想定し難いところではあるが,例を挙げれば,個人の思想を強制的に変えさせるために思想教育を行うことなどがあろう。
 このように,個人の思想及び良心の自由としての歴史観ないし世界観は,内心の領域の問題ではあるが,現実には,それにとどまらず,歴史観等に根ざす様々な外部的な行動となって現れるところである。その中には,各人の歴史観等とは切り離すことができない不可分一体の関係にあるものがあり,これも歴史観等とともに憲法上の保障の対象となり,これを直接的に制約しあるいはこれに直接反する行為を命ずること(例えば,本件では上告人の歴史観等を否定しあるいはこれに直接反する見解の表明行為に参加することを命ずることなど)も,同様に憲法19条により禁止されると解してよいであろう。
 そうすると,この歴史観等及びこれと不可分一体の行動(以下これらを「核となる思想信条等」という。)が憲法19条による直接的,絶対的な保障の対象となるのである。
 (2) 次に,核となる思想信条等に由来するものではあるが,それと不可分一体とまではいえない種々の考えないし行動というものが現実にはあり(以下,これが外部に現れることから「外部的行動」という。),これが他の規範との関係で,何らかの形で制限されあるいはこれに反する行為を命ぜられることがあろう。このような制限をする行為(以下「制限的行為」という。)がどのような場合に許されるのかが次に問題になる。
 本件において,上告人の起立斉唱行為の拒否という外部的行動は,特に在日朝鮮人・在日中国人の生徒に対し,「日の丸」・「君が代」を卒業式に組み入れて強制するべきでないと考え,教師の信念として起立斉唱行為を拒否する考えないし行動であるところ,これは,上告人の「日の丸」・「君が代」に関する歴史観等そのもの,あるいはそれと不可分一体のものとまではいえないが,それに由来するものである(仮に,これも不可分一体であるとなると,それはおよそ制限を許さない不可侵なものということになるものと考える。)。他方,本件職務命令は外部的行動に反する制限的行為となるから,その許否が検討されることになる。
 (3) 一般に,核となる思想信条等に由来する外部的行動には様々なものがあるが,本人にとっては,そのような外部的行動も,すべて核となる思想信条等と不可分一体であると考え,信じていることが多いであろう。そのような主観的な考え等も一般に十分に尊重しなければならないものであり,この内心の領域に踏み込んで,その当否,評価等をすべきでないことは当然である。もっとも,憲法19条にいう思想及び良心の自由の保障の範囲をどのように考えるかに際しては,このような外部的行動を憲法論的な観点から客観的,一般的に捉え,核となる思想信条等との間でどの程度の関連性があるのかを検討する必要があるというべきである。これが客観的,一般的に見て不可分一体なものであれば,もはや外部的行動というよりも核となる思想信条等に属し,前述のとおり,憲法19条の直接的,絶対的な保障の対象となるが,そこまでのものでないものもあり,その意味で関連性の程度には差異が認められることになる。これを概念的に説明すれば,この外部的行動(核となる思想信条等に属するものを除いたもの)は,いわば,核となる思想信条等が絶対的保障を受ける核心部分とすれば,それの外側に存在する同心円の中に位置し,核心部分との遠近によって,関連性の程度に差異が生ずるという性質のものである。そして,この外部的行動は,内側の同心円に属するもの(核となる思想信条等)ではないので,憲法19条の保障の対象そのものではなく,その制限をおよそ許さないというものではない。また,それについて制限的行為の許容性・合憲性の審査については,精神的自由としての基本的人権を制約する行為の合憲性の審査基準であるいわゆる「厳格な基準」による必要もない。しかしながら,この外部的行動は核となる思想信条等との関連性が存在するのであるから,制限的行為によりその間接的な制約となる面が生ずるのであって,制限的行為の許容性等については,これを正当化し得る必要性,合理性がなければならないというべきである。さらに,当該外部的行動が核心部分に近くなり関連性が強くなるほど間接的な制約の程度も強くなる関係にあるので,制限的行為に求められる必要性,合理性の程度は,それに応じて高度なもの,厳しいものが求められる。他方,核心部分から遠く関連性が強くないものについては,要求される必要性,合理性の程度は前者の場合よりは緩やかに解することになる。そして,このような必要性,合理性の程度等の判断に際しては,制限される外部的行動の内容及び性質並びに当該制限的行為の態様等の諸事情を勘案した上で,核となる思想信条等についての間接的な制約となる面がどの程度あるのか,制限的行為の目的・内容,それにより得られる利益がどのようなものか等を,比較考量の観点から検討し判断していくことになる。
 なお,さきに述べたように,このような比較考量は,本人の内心の領域に立ち入って,本人が主観的に思想として確信しているものについて思想としての濃淡を付けたり,ランク付けしたりするものではなく,飽くまでも外部的行動が核となる思想信条等とどの程度の関連性が認められるかという憲法論的観点からの客観的,一般的な判断に基づくものにとどまるものである。例を挙げれば,最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁における事案のように,本件の上告人と同様の歴史観等(核となる思想信条等)を有する市立小学校のピアノ教師が,自己の信念として卒業式等で「君が代」のピアノ伴奏をすべきではないとし,それを拒否するという外部的行動と,本件の起立斉唱行為の拒否という外部的行動を比べると,各人の内心における信念としては,いずれも各人の歴史観等と不可分一体のものと考えているものと思われ,そのこと自体は,十分に尊重に値するが,核となる思想信条等としての歴史観等との憲法論的な観点からの客観的,一般的な関連性については,本件起立斉唱行為の拒否の方が,後述のとおり,「日の丸」・「君が代」に対する敬意の表明という要素が含まれている行為を拒否するという意味合いを有することなどからみて,関連性がより強くなるものということになろう。
 (4) 本件の上告人の上記の「日の丸」等に関する外部的行動(起立斉唱行為の拒否)は,上告人の歴史観等(核となる思想信条等)に由来するものであるが,上記(3)で述べた趣旨において,それとの関連性は強いが不可分一体とまではいえないというべきである(なお,この外部的行動は,上告人の内心において,起立斉唱行為をすべきでないし,しないという強い信念となっているとしても,この内心の信念と起立斉唱行為の拒否とは表裏の関係にあり,前者は不可侵の領域で後者は外部的な事象,というように両者を分けて憲法上の意味を考えることはできないところであると考える。)。
 また,上告人は,儀式的行事において行われる「日の丸」・「君が代」に係る起立斉唱行為のように,公的な式典において本人が意図せぬ一定の行為を他の公的機関から強制されるのは自己の信念に反し苦痛であるという趣旨の主張もしているが,これは,いわゆる反強制的信条(前記最高裁判決における藤田裁判官の反対意見参照)というべきものの一つであろう。このような反強制的信条は,それが,上告人の個人的な卒業式の在り方についての観念や,そもそも教育の場で教師として一定の行動を他から強制されることへの強い嫌悪感ないし否定的な心情のようなものである場合もあろう。そうであれば,これらは,前記のとおり,個人の内心の活動に属する問題であり,一教師としてあるいは個人としての立場から尊重され得る事柄ではあるが,憲法上の絶対的な保障の対象となる思想及び良心の自由の領域そのものの問題ではない。もっとも,このような観念等は,上告人の歴史観等の核となる思想信条等と関連性があり,それに由来するものであると解する余地がある。その場合には,上告人の起立斉唱行為の拒否という外部的行動と同じ観点から制約の許容性が検討され,その結果,同様の判断となるのである。
 (5) ところで,本件職務命令が求める起立斉唱行為は,国旗・国歌である「日の丸」・「君が代」に対し多かれ少なかれ敬意を表する意味合いが含まれており,その点において,本件職務命令は,上告人の歴史観等それ自体を否定するような直接的な制約となるものとはいえないが,その間接的な制約となる面があり,また,その限りにおいて上告人の上記の反強制的信条ともそごする可能性があるものである。しかしながら,法廷意見の述べるとおり,起立斉唱行為は,学校行事における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有し,外部から見ても上告人の歴史観等自体を否定するような思想の表明として認識されるものではなく,他方,起立斉唱行為の教育現場における意義等は十分認められるのであって,本件職務命令は,憲法上これを許容し得る程度の必要性,合理性が認められるものと解される。
 2 本件のような国旗及び国歌をめぐる教育現場での対立の解消に向けて
 (1) 職務命令として起立斉唱行為を命ずることが違憲・無効とはいえない以上,これに従わない教員が懲戒処分を受けるのは,それが過大なものであったり手続的な瑕疵があった場合等でない限り,正当・適法なものである。しかしながら,教員としては,起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため,司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが,必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない。
 (2) 一般に,国旗及び国歌は,国家を象徴するものとして,国際的礼譲の対象とされ,また,式典等の場における儀礼の対象とされる。我が国では,以前は慣習により,平成11年以降は法律により,「日の丸」を国旗と定め,「君が代」を国歌と定めている。入学式や卒業式のような学校の式典においては,当然のことながら,国旗及び国歌がその意義にふさわしい儀礼をもって尊重されるのが望まれるところである。しかしながら,我が国においては,「日の丸」・「君が代」がそのような取扱いを受けることについて,歴史的な経緯等から様々な考えが存在するのが現実である。
 国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって,国民が心から敬愛するものであってこそ,国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである。そうすると,この問題についての最終解決としては,国旗及び国歌が,強制的にではなく,自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要であるということを付言しておきたい。
(裁判長裁判官 須藤正彦 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫 裁判官 千葉勝美)


【最判平成23年6月6日民集65巻4号1855頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

第1 上告代理人尾山宏ほかの上告理由第1点のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
1 本件は,都立高等学校の教職員であった上告人らが,卒業式等の式典における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,その後,退職に先立ち申し込んだ非常勤の嘱託員の採用選考において,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,上記不起立行為が職務命令違反等に当たることを理由に不合格とされたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上告人らを不合格としたことは違法であるなどと主張して,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めている事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)57条の2の規定に基づく高等学校学習指導要領(平成11年文部省告示第58号。平成21年文部科学省告示第38号による特例の適用前のもの。以下「高等学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。
(2) 都教委の教育長は,平成15年10月23日付けで,都立高等学校等の各校長宛てに,「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台壇上正面に国旗を掲揚し,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
(3) 第1審判決添付別紙一覧表「職務命令の日」欄記載の日の当時,X1を除く上告人らは同表「学校名」欄記載の各都立高等学校に勤務する教員であり,X1は都立A高等学校に勤務する学校司書であったところ,上告人らは,それぞれ,同表「校長」欄記載の各校長から,本件通達を踏まえ,同表「行事」欄記載の卒業式又は創立記念式典に際し,平成15年11月5日から同17年3月7日にかけての同表「職務命令の日」欄記載の日に,同表「職務命令の内容」欄記載のとおり上記各式典の国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の各職務命令(以下「本件各職務命令」という。)を受けた。しかし,上告人らは,本件各職務命令に従わず,上記各式典における国歌斉唱の際に起立しなかった。
(4) 都教委は,平成16年2月17日にX1及びX2に対し,同年3月31日にX3,X4,X5,X6,X7,X8,X9,X10及びX11に対し,同17年3月31日にX12に対し,上記卒業式又は創立記念式典における上記不起立行為は地方公務員法32条及び33条に違反するとして,それぞれ戒告処分をし,また,同16年及び同17年の各3月31日にX13に対し,同様の理由で,戒告処分等をした。
(5) 定年退職等により一旦退職した教職員等について,都教委は,特別職に属する非常勤の嘱託員(地方公務員法3条3項3号)として新たに任用する制度を実施している。
 X3,X4,X5及びX6は平成17年3月31日付けで定年退職し,X7は同日付けで定年前に勧奨退職したところ,同上告人らは,これに先立ち,平成16年10月ころ又は同17年1月ころ,上記制度に係る平成16年度東京都公立学校再雇用職員(教育職員)の採用選考の申込みをしたが,都教委は,上記不起立行為は職務命令違反等に当たる非違行為であり,東京都公立学校再雇用職員設置要綱が選考要件として掲げる「正規職員を退職・・する前の勤務成績が良好であること」の要件を欠くとして,いずれも不合格とした。
 また,X8,X9,X2,X10,X12,X11及びX1は平成18年3月31日付けで定年退職し,X13は同日付けで定年前に勧奨退職したところ,同上告人らは,これに先立ち,平成17年10月ころ又は同18年1月ころ,上記制度に係る平成17年度東京都公立学校再雇用職員(教育職員)の採用選考の申込みをしたが,都教委は,同様の理由で,いずれも不合格とした。
(6) 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する前提として,大別して,① 戦前の日本の軍国主義やアジア諸国への侵略戦争とこれに加功した「日の丸」や「君が代」に対する反省に立ち,平和を志向するという考え,② 国民主権,平等主義等の理念から天皇という特定個人又は国家神道の象徴を賛美することに反対するという考え,③ 個人の尊重の理念から,多様な価値観を認めない一律強制や国家主権に反対するという考え,④ 教育の自主性を尊重し,教え子たちを戦場に送り出してしまった戦前教育と同様に教育現場に画一的統制や過剰な国家の関与を持ち込むことに反対するという教育者としての考え,⑤ これまで人権の尊重や自主的思考及び自主的判断の大切さを強調する教育実践を続けてきたことと矛盾する行動はできないという教育者としての考え,⑥ 多様な国籍,民族,信仰,家庭的背景等から生まれた生徒の信仰や思想を守らなければならないという教育者としての考え等を有している。
3(1) 上記のような考えは,「日の丸」や「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができるところ,上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,「日の丸」や「君が代」に尊重の意を表するものであって,上告人らの考えとは根本的に相容れないものであるから,このような考えを有する上告人らに対して職務命令によってこれを強制することは,個人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反する旨主張する。
 しかしながら,本件各職務命令の発出当時,≪1≫公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,≪3≫そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人らの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,上告人らに対して上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。また,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定の思想又はこれに反対する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,本件各職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反対する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると,本件各職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
(2) もっとも,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い
 そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,社会一般の規範等と抵触する場面において,当該外部的行動に対する制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限によってもたらされる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなる限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,これによってもたらされる上記の制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 これを本件についてみるに,本件各職務命令に係る国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むことから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法42条1号,36条1号,18条2号),同法43条及び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立高等学校の教職員である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである
 これらの点に照らすと,公立高等学校の教職員である上告人らに対して当該学校の卒業式や創立記念式典という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
(3) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 多数意見に賛成する立場から,若干の意見を付加しておきたい。
1 本件において,まず問題になるのは,思想及び良心の自由を侵害する強制があったというためには,一般的,客観的に侵害と評価される行為の強制でなければならないか,それとも,本人の主観において,思想・良心と行為との関連性があり,強制されることに精神的苦痛を感じる場合であれば足りるかという点である。一般的,客観的には,特定の思想,信条等を否定するものとは認められない言動が,一部の人にとっては,その思想,経験等から,本人らの思想等の否定を意味したり,精神的苦痛を与える行為となることは,間々あるが,思想,信条等は,人によって様々であり,それに対してどのような外部的行動が否定的意味を持ち,その人に対し精神的苦痛を与えるかも,人によって違いがあり得るから,仮にこれらの点に関する決定を当該思想等の保有者の主観的判断に委ねるとすれば,そうした主観的判断に基づいて,社会的に必要とされる多くの行為が思想及び良心の自由を侵害するものとして制限を受けたり,他の者の表現の自由を著しく制限することになりかねない。こうした事態は,法の客観性を阻害するものというべきであろう。
 したがって,内心の思想・良心と外部的行動との関連性,すなわち,特定の外部的行動を強制することがその人の内心の思想・良心の表明を強いたり,否定したりすることになるかどうかについては,当該外部的行動が一般的,客観的に意味するところに従って判断すべきであると考える。権利の「侵害」があるかどうかを判断する場合に,こうした一般的,客観的評価に従うという考え方は,法的判断としては,通常のことであると思われる。所論は,本人の内心において,「真摯な」関連性があれば足りる旨主張するが,この見解は,本人の主観的判断に委ねてしまうという問題点を,少しも解決していないといわざるを得ない。
 また,所論は,一般性,客観性を要求することは,少数者の思想・信条を保護しないことになるとも主張するが,ここでの問題は,どのような行為の強制を「侵害」と考えるかの問題であって,どのような思想・信条を保護するかの問題ではない。
2 職務命令をもって起立斉唱を命ずることは,一般的,客観的見地から,上告人らの歴史観,世界観等に関わる思想及び良心の自由を侵害するものではないが,起立斉唱行為が,国旗・国歌に対する敬意の表明という要素を含んでおり,その限りにおいて,本件各職務命令が,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面を有すること,しかし,起立斉唱行為の性質,本件各職務命令の目的,内容,制約の態様等を総合的に較量すれば,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められることは,多数意見の判示するとおりである。ここで,私が,念のため強調しておきたいのは,上告人らは,教職員であって,法令やそれに基づく職務命令に従って学校行事を含む教育活動に従事する義務を負っている者であることが,こうした制約を正当化し得る重要な要素になっているという点である。この点で,児童・生徒に対し,不利益処分の制裁をもって起立斉唱行為を強制する場合とは,憲法上の評価において,基本的に異なると考えられる。もっとも,教職員に対する職務命令に起因する対立であっても,これが教育環境の悪化を招くなどした場合には,児童・生徒も影響を受けざるを得ないであろう。そうした観点からも,全ての教育関係者の慎重かつ賢明な配慮が必要とされることはいうまでもない。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 本件は少数者の思想及び良心の自由に深く関わる問題であると思われる。憲法は個人の多様な思想及び生き方を尊重し,我が国社会が寛容な開かれた社会であることをその理念としている。そして,憲法は少数者の思想及び良心を多数者のそれと等しく尊重し,その思想及び良心の核心に反する行為を行うことを強制することは許容していないと考えられる。このような視点で本件を検討すると,私は多数意見に同意することはできない。まず,1において私の反対意見の要諦を述べ,2以下においてそれを敷衍する。
1 国旗に対する敬礼や国歌を斉唱する行為は,私もその一員であるところの多くの人々にとっては心情から自然に,自発的に行う行為であり,式典における起立斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。しかし,そうではない人々が我が国には相当数存在している。それらの人々は「日の丸」や「君が代」を軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルであるとみなし,平和主義や国民主権とは相容れないと考えている。そうした思いはそれらの人々の心に深く在り,人格的アイデンティティをも形成し,思想及び良心として昇華されている。少数ではあっても,そうした人々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけているとみることができる。
 上告人らが起立斉唱行為を拒否する前提として有している考えについては原審の適法に確定した事実関係の概要中において6点に要約されている。多数意見も,この考えは,「『日の丸』や『君が代』が過去の我が国において果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる」としており,多数意見は上告人らが有している考えが思想及び良心の内容となっていること,ないしこれらと関連するものであることは承認しているものと思われる。
 上告人らが起立斉唱しないのは,式典において「日の丸」や「君が代」に関わる自らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念を表明しようとする意図からではないであろう。その理由は,第1に,上告人らにとって「日の丸」に向かって起立し「君が代」を斉唱する行為は,慣例上の儀礼的な所作ではなく,上告人ら自身の歴史観ないし世界観等にとって譲れない一線を越える行動であり,上告人らの思想及び良心の核心を動揺させるからであると思われる。第2に,これまで人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として,その魂というべき教育上の信念を否定することになると考えたからであると思われる。そのように真摯なものであれば,本件各職務命令に服することなく起立せず斉唱しないという行為は上告人らの思想及び良心の核心の表出であるとみることができ,少なくともこれと密接に関連しているとみることができる。
 上告人らは東京都立高等学校の教職員であるところ,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するということもあり得るであろう。その場合は,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。しかし,それ以上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては(式典もその一つであるといえる。),自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められるということはないというべきである。なお,音楽教師が式典において「君が代」斉唱のピアノ伴奏を求められる場合に関しても同様に考えることができる。
 国旗及び国歌に関する法律の制定に関しては,国論は分かれていたが,政府の国会答弁では,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加えるものではないことが示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものとして成立したものといえるであろう。しかしながら,本件通達は,校長の職務命令に従わない場合は服務上の責任を問うとして,都立高等学校の教職員に対し,式典において指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを求めており,その意図するところは,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する否定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制しようとすることにあるとみることができる。本件各職務命令はこうした本件通達に基づいている。
 本件各職務命令は,直接には,上告人らに対し前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を持つことを禁止したり,これに反対する思想等を持つことを強制したりするものではないので,一見明白に憲法19条に違反するとはいえない。しかしながら,上告人らの不起立不斉唱という外部的行動は上告人らの思想及び良心の核心の表出であるか,少なくともこれと密接に関連している可能性があるので,これを許容せず上告人らに起立斉唱行為を命ずる本件各職務命令は憲法審査の対象となる。そして,上告人らの行動が式典において前記歴史観等を積極的に表明する意図を持ってなされたものでない限りは,その審査はいわゆる厳格な基準によって本件事案の内容に即して具体的になされるべきであると思われる。本件は,原判決を破棄し差し戻すことを相当とする。
2 上告人らの主張の中心は,起立斉唱行為を強制されることは上告人らの有する歴史観ないし世界観及び教育上の信念を否定することと結び付いており,上告人らの思想及び良心を直接に侵害するものであるというにあると理解できるところ,多数意見は,式典において国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為は慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,その性質の点から見て,上告人らの有する歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではないとしている。多数意見は,式典における起立斉唱行為を,一般的,客観的な視点で,いわば多数者の視点でそのようなものであると評価しているとみることができる。およそ精神的自由権に関する問題を,一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当でないと思われる。なお,多数意見が指摘するとおり式典において国旗の掲揚と国歌の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であるが,少数者の人権の問題であるという視点からは,そのことは本件合憲性の判断にはいささかも関係しない。
 前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する者でも,その内面における深さの程度は様々であろう。割り切って起立し斉唱する者もいるであろう。面従腹背する者もいるであろう。起立はするが,声を出して斉唱しないという者もいよう(なお,本件各職務命令では起立と斉唱は一体であり,これを分けて考える意味はない。不起立行為は視覚的に明瞭であるだけに,行為者にとっては内心の動揺は大きいとみることもできる。他方,職務命令を発する側にとっても斉唱よりもむしろ起立させることが重要であると考えているように思われる。)。しかし,思想及び良心として深く根付き,人格的アイデンティティそのものとなっており,深刻に悩んだ結果として,あるいは信念として,そのように行動することを潔しとしなかった場合,そういった人達の心情や行動を一般的ではないからとして,過小評価することは相当でないと思われる。
3 本件では,上告人らが抱いている歴史観ないし世界観及び教育上の信念が真摯なものであり,思想及び良心として昇華していると評価し得るものであるかについて,また,上告人らの不起立不斉唱行為が上告人らの思想及び良心の核心と少なくとも密接に関連する真摯なものであるかについて(不利益処分を受容する覚悟での行動であることを考えるとおおむね疑問はないと思われるが),本件各職務命令によって上告人らの内面において現実に生じた矛盾,葛藤,精神的苦痛等を踏まえ,まず,審査が行われる必要がある。
 こうした真摯性に関する審査が肯定されれば,これを制約する本件各職務命令について,後述のとおりいわゆる厳格な基準によって本件事案の内容に即して具体的に合憲性審査を行うこととなる。
4 平成11年8月に公布,施行された国旗及び国歌に関する法律は僅か2条の定義法にすぎないが,この制定に関しては,国論は分かれた。政府の国会答弁では,繰り返し,国旗の掲揚及び国歌の斉唱に関し義務付けを行うことは考えていないこと,学校行事の式典における不起立不斉唱の自由を否定するものではないこと,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加えるものではないこと等が示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものとして成立したものといえるであろう。その限りにおいて,同法は,憲法と適合する。
 これより先,平成11年3月告示の高等学校学習指導要領は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定しているが,この規定を高等学校の教職員に対し起立斉唱行為を職務命令として強制することの根拠とするのは無理であろう。そもそも,学習指導要領は,教育の機会均等を確保し全国的に一定の水準を維持するという目的のための大綱的基準であり,教師による創造的かつ弾力的な教育や地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分にあるものであって(最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参照),学習指導要領のこのような性格にも照らすと,上記根拠となるものではないことは明白であると思われる。
 国旗及び国歌に関する法律施行後,東京都立高等学校において,少なからぬ学校の校長は内心の自由告知(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に不起立不斉唱行為があったとしても支障なく進行していた。
 こうした事態を,本件通達は一変させた。本件通達が何を企図したものかに関しては記録中の東京都関連の各会議議事録等の証拠によれば歴然としているように思われるが,原判決はこれを認定していない。しかし,原判決認定の事実によっても,都教委は教職員に起立斉唱させるために職務命令についてその出し方を含め細かな指示をしていること,内心の自由を説明しないことを求めていること,形から入り形に心を入れればよい,形式的であっても立てば一歩前進だなどと説明していること,不起立行為を把握するための方法等について入念な指導をしていること,不起立行為等があった場合,速やかに東京都人事部に電話で連絡するとともに事故報告書を提出することを求めていること等の事実が認められるのであり,卒業式等にはそれぞれ職員を派遣し式の状況を監視していることや,その後の戒告処分の状況をみると,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができると思われる。本件通達は校長に対して発せられたものではあるが,本件各職務命令は本件通達に基づいているのであり,上告人らが,本件各職務命令が上告人らの有する前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念に対し否定的評価をしているものと受け止めるのは自然なことであると思われる。
 本件各職務命令の合憲性の判断に当たっては,本件通達やこれに基づく本件各職務命令をめぐる諸事情を的確に把握することが不可欠であると考えられる。
5 本件各職務命令の合憲性の判断に関しては,いわゆる厳格な基準により,本件事案の内容に即して,具体的に,目的・手段・目的と手段との関係をそれぞれ審査することとなる。目的は真にやむを得ない利益であるか,手段は必要最小限度の制限であるか,関係は必要不可欠であるかということをみていくこととなる。結局,具体的目的である「教育上の特に重要な節目となる儀式的行事」における「生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ること」が真にやむを得ない利益といい得るか,不起立不斉唱行為がその目的にとって実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白で,害悪が極めて重大であるか(式典が妨害され,運営上重大な支障をもたらすか)を検討することになる。その上で,本件各職務命令がそれを避けるために必要不可欠であるか,より制限的でない他の選び得る手段が存在するか(受付を担当させる等,会場の外における役割を与え,不起立不斉唱行為を回避させることができないか)を検討することとなろう。
6 以上,原判決を破棄し,第1に前記3の真摯性,第2に前記5の本件各職務命令の憲法適合性に関し,改めて検討させるため,本件を原審に差し戻すことを相当とする。
(裁判長裁判官 白木勇 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官 横田尤孝)


【最判平成23年6月14日民集65巻4号2148頁】

       主   文

 本件上告のうち,東京都人事委員会がした裁決の取消請求に関する部分を却下し,その余の部分を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 第1 上告代理人飯田美弥子ほかの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 1 本件は,東京都八王子市又は町田市の市立中学校の教諭であった上告人らが,卒業式又は入学式において国旗掲揚の下で国歌斉唱の際に起立して斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,事情聴取をされ,戒告処分を受け,服務事故再発防止研修を受講させられるとともに,東京都人事委員会から,上記戒告処分の取消しを求める審査請求を棄却する旨の裁決を受けたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上記事情聴取,戒告処分,服務事故再発防止研修及び裁決は違法であるなどと主張して,被上告人に対し,上記戒告処分及び裁決の各取消し並びに国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)38条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)54条の2の規定に基づく中学校学習指導要領(平成10年文部省告示第176号。平成20年文部科学省告示第99号による特例の適用前のもの。以下「中学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。
 (2) 八王子市教育委員会の教育長は,平成15年9月22日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「卒業式及び入学式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱について(通達)」(以下「本件八王子市通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台正面中央に国旗を掲揚し,全員が起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
 町田市教育委員会の教育長は,同年10月29日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「入学式,卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件町田市通達」といい,本件八王子市通達と併せて「本件各通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,上記①及び②と同様の事項(ただし,所定の実施指針には,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することも含まれていた。)等を通達するものであった。
 (3) X1は,平成16年3月当時,町田市立A中学校に勤務する教諭であったところ,同月15日,同校の校長から,本件町田市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を,同校長の命を受けた教頭から文書で受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 X2は,平成15年9月ないし同16年3月当時,八王子市立B中学校に勤務する教諭であったところ,同15年9月3日,同16年1月14日及び同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 X3は,平成16年3月ないし同年4月当時,同市立C中学校に勤務する教諭であったところ,同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成16年度入学式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた(以下,上告人らに対するこれらの職務命令を併せて「本件各職務命令」という。)。しかし,X3は,同上告人に対する上記職務命令に従わず,同年4月7日に行われた同校の入学式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 (4) X1は,平成16年3月24日に約20分間,X2は,同月25日に約1時間,X3は,同年4月16日に約10分間,それぞれ都教委から上記不起立行為に関する事情聴取を受けた。
 (5) 都教委は,上記不起立行為がそれぞれ職務命令違反に当たり,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号に該当するとして,平成16年4月6日,X1及びX2に対し,同年5月25日,X3に対し,それぞれ戒告処分をした。また,都教委は,同年8月,上記戒告処分を受けたことを理由として,上告人らにそれぞれ服務事故再発防止研修を受講させた。
 (6) X1及びX2は,平成16年5月31日,X3は,同年7月22日,それぞれ東京都人事委員会に対し,上記戒告処分の取消しを求めて審査請求をしたが,同19年4月26日,同人事委員会から,いずれもこれを棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受けた。
 3(1)ア 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について,天皇主権と統帥権が暴威を振るい,侵略戦争と植民地支配によって内外に多大な惨禍をもたらした歴史的事実から,「君が代」や「日の丸」に対し,戦前の軍国主義と天皇主義を象徴するという否定的評価を有しているので,「君が代」や「日の丸」に対する尊崇,敬意の念の表明にほかならない国歌斉唱の際の起立斉唱行為をすることはできない旨主張する。
 上記のような考えは,我が国において「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義や国家体制等との関係で果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる。
 イ しかしながら,本件各職務命令当時,公立中学校における卒業式等の式典において,≪1≫国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であり,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上記の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものということはできない。したがって,上告人らに対して学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,直ちに上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできないというべきである。
 ウ また,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況は上記イのとおりであり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作として外部から認識されるものというべきであって,それ自体が特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である。なお,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるともいえる。
 したがって,本件各職務命令は,上告人らに対して,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものともいえない
 エ そうすると,本件各職務命令は,上記イ及びウの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
 (2) もっとも,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり,そのように外部から認識されるものであるということができる(なお,例えば音楽専科の教諭が上記国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする行為であれば,音楽専科の教諭としての教科指導に準ずる性質を有するものであって,敬意の表明としての要素の希薄な行為であり,そのように外部から認識されるものであるといえる。)。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,それが心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼすものと考えられるのであって,これを求められる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
 (3)ア そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 イ これを本件についてみるに,本件職務命令に係る国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含み,そのように外部から認識されるものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となり,心理的葛藤を生じさせるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての前記(2)の間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,中学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法36条1号,18条2号),同法38条及び学校教育法施行規則54条の2の規定に基づき中学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた中学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立中学校の教諭である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,中学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件各通達を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,公立中学校の教諭である上告人らに対して当該学校の卒業式又は入学式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,中学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 (4) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 なお,上告人らは本件上告のうち本件裁決の取消請求に関する部分について上告理由を記載した書面を提出しないから,本件上告のうち同部分を却下することとする。
 よって,裁判官田原睦夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同岡部喜代子,同大谷剛彦の各補足意見がある。

 >>>裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
 1 私は,本件と関連する事柄が問題となった最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)において,ピアノ伴奏を命ずる校長の職務命令を合憲とする多数意見を支持する立場を採りつつ,補足意見の中で,同職務命令が音楽専科の教諭の有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を生じさせ,ひいては思想及び良心の自由についての制約の問題を生じさせる可能性があることを指摘した。本件においては教諭の起立斉唱が問題となっており,ピアノ伴奏とは異なる面もあるので,その点については後に詳述するが,上記補足意見で述べた基本的な考え方については,以下のとおり,これを維持するものである。
 (1) ピアノ伴奏事件判決の多数意見は,音楽専科の教諭が,市立小学校の入学式における国歌斉唱の際に,校長の職務命令により「君が代」のピアノ伴奏を行うことを命じられたことにつき,同職務命令が,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる同教諭の歴史観ないし世界観自体を直ちに否定するものとは認められず,同教諭が特定の思想を持つことを強制したりこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない旨判示している(理由3(1)及び(2))。これは,「君が代」の伴奏を命じる職務命令がそもそも憲法19条の保障する思想及び良心の自由についての制約に当たらないという見解を基本とするものであると解されるが,同判決では,さらに,職務命令が思想及び良心の自由についての制約に当たる可能性もあり得ることをも考慮して,憲法15条2項(公務員が全体の奉仕者である旨の規定),地方公務員法30条(同),32条(法令等に従い,上司の職務上の命令に忠実に従うべき旨の規定),学校教育法18条2号(当時。小学校教育の目標)及び小学校学習指導要領の趣旨をも検討し,職務命令がその規定の趣旨にかなうものであり,その目的及び内容において不合理であるとはいえない旨判示している(同3(3))。
 私の補足意見も,多数意見がこのような二段の構造を採っていることを前提として,多数意見の理由3(3)を補足し,ピアノ伴奏を命じる職務命令が憲法19条に違反するものではないことを述べたものである。
 (2) 私は,本件についても,結論としては,入学式及び卒業式等における上告人らに対する起立斉唱行為を命ずる職務命令は憲法19条に違反するとはいえないと考える。もっとも,ピアノ伴奏事件判決の事案が,音楽専科の教諭に対するピアノ伴奏を命じる職務命令を対象とするものであったのに対し,本件は一般の教諭に対する起立斉唱行為を命ずる職務命令の憲法適合性が問題になっている点で,ピアノ伴奏事件判決における理由3(3)の論点の重要性が増していると考えられる。以下,項を改めて,この点について敷えんして検討する。
 2(1) 入学式及び卒業式等の儀式において「君が代」のピアノ伴奏をする行為と起立斉唱をする行為との間には,以下のとおり,外形的相違を超えた相違点がある。
 ア ピアノ伴奏は,音楽専科の教諭が有する特殊な音楽的技能に依拠するところが大きく,他教科担当者が担当することは通常予定されていないことから,儀式実施のための職務命令も特定の1人の教諭を名宛人とすることになる。これに対し,「君が代」の起立斉唱は普通の歌唱能力さえあれば実行に困難はないため,職務命令という形式をとるか否かは別として,出席教諭全員に一律に要請されるのが一般的である。
 イ 職務行為として行う「君が代」のピアノ伴奏は,行為自体として特に国旗・国歌に対する敬意を表するという要素が強いわけではなく,他の参加者が「君が代」を適切に斉唱するために必要とされる補助的作業である。他方,起立斉唱は,その起立という行為態様及び「君が代」の言語的内容とも関連して,その行為自体が自らの敬意を表明する意味を有するとともに,公立学校の教諭として,参加生徒らに模範を示すという側面も持つ。
 ウ ピアノ伴奏は伴奏を行うか行わないかという単純な選択肢しかないが,起立斉唱については,起立して国旗に正対して斉唱する,起立斉唱はするが正対はしない,起立・正対はするが斉唱はしない,起立も斉唱もせずに式場に座ったままでいる等,多様な対応が想定できる。
 (2) 上記相違点を考慮すると,ピアノ伴奏の方が,起立斉唱よりも命令を受ける者の職務との関連性が強い一方で,思想及び良心の核心的部分又は周辺部への侵襲の程度は全くないか,あっても軽微なものにとどまり,職務命令の目的となる外形的行為としても単純で,それだけ職務命令の対象になじみやすいという評価が可能である。これに対し,起立斉唱は,命令を受ける者の職務との関連性がピアノ伴奏ほど単純・明白なものではなく,それが国旗・国歌に対する敬意の表明という意味を含むことも否定し難いことから,職務命令と思想及び良心の自由との関係もそれだけ複雑で法的に難しい問題を孕むものとなると考えられる。
 他方で,いずれも入学式等の儀式において公立学校の教諭としての職務の一つとして求められている行為であること,その職務として行う行為の中に,濃淡,直接・間接の差はあっても,一定の敬意表明の要素が含まれるか,少なくともそう解される可能性が存在することなど,重要な共通点も存在する。
 3(1) 公立中学校等の入学式及び卒業式等における国歌の斉唱に際し,教諭ないしその他の教員(以下単に「教員」という。)が起立斉唱する趣旨には,以下の二つのものが含まれると考えられる。
 ア 教員が,起立斉唱することによって,国旗及び国歌に対し,参加者の一員として自らの敬意を表明しあるいは礼譲の姿勢を示すこと。
 イ 教員が,起立斉唱することによって,生徒らの国旗及び国歌への敬意の表明ないし礼譲の姿勢を示すための模範となり,生徒らを指導すること。
 上記二つの趣旨のうち,どちらに重点が置かれるかは,起立斉唱する教員それぞれの考え方によって異なる(それ以外の趣旨が存在する可能性もある)。しかし,いずれにしても,起立斉唱に関わる問題を検討するについては,上記二つの趣旨のものが含まれることを前提にして検討する必要がある。そして,国歌斉唱に際し,校長が教員に対して起立斉唱を求める場合にも,上記で述べたことを当然の前提とするものであり,この点については,教員に対し職務命令を発して起立斉唱を求める場合と,教員に自発的に起立斉唱することを要請する場合とで特に差異がないと考えられる。
 (2) 校長の職務命令ないし要請に従わず,入学式ないし卒業式等において起立斉唱をしない教員の行動に対する評価についても,上記(1)で述べたことを前提とすることが必要であると考える。すなわち,これらの教員は,上記起立斉唱の二つの趣旨のいずれか一方ないし双方について否定的な意見を有し,校長の職務命令ないし要請等に従うことがその思想ないし良心に由来する行動と両立しないと考えるからこそ,起立斉唱をしないという選択をするものと理解できる。
 このうち,敬意の表明に関する点は,正に個人としての思想及び良心の自由に関する問題であって,多数意見の理由第1,3(2)及び(3)で詳しく論じられているとおり,これが上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに制約の態様等を総合的に較量すれば,その必要性及び合理性が認められるということになる。
 (3) 他方で,入学式ないし卒業式等における国歌斉唱に際し,生徒らに対し模範を示し指導することに関する点は,個人としての思想及び良心の自由というよりも,教師ないし教育者の在り方に関わる,いわば教師という専門的職業における思想・良心の問題とも考えられる。自らは国歌斉唱の際に起立して斉唱することに特に抵抗感はないが,多様な考え方を現に持ち,あるいはこれから持つに至るであろう生徒らに対し,一律に起立させ斉唱させることについては教師という専門的職業に携わる者として賛同できないという思想ないし教育上の意見がその典型例である。しかし,この職業上の思想・良心は,教育の在り方や教育の方法に関するものである点で,教員という職業と密接な関係を有し,これに随伴するものであることから,公共の利益等により外部的な制約を受けざるを得ない点においては,個人としての思想及び良心の自由よりも一層その度合いが強いと考えられる。したがって,生徒らに対して模範を示して指導するという点からも,制約の必要性と合理性は是認できるというべきである。
 (4) 国歌斉唱に際しての起立と斉唱とを区別し,後者については,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者にとっては,その歴史観や世界観と対立する行為であることを理由として,音楽専科以外の教員について,斉唱することまでは職務上期待されていないとする反対意見には賛成し難い。私は,学校が,組織として入学式ないし卒業式等において国歌を斉唱することを決定したからには,これを効果的に実施するために,教員が自ら起立斉唱して模範を示し,これによって生徒らに対する指導の徹底を図るという選択肢も十分にあり得るところである,と考える。本件において各校長が発した職務命令が憲法19条に違反するか否かを検討するについては,このような視点を欠かすことはできない。
 また,学校教育においては,教室における各教科の学習が教育活動の中核となるのは当然であるが,入学式や卒業式等,教室外での儀式等も極めて重要な教育活動であって,これが,その性質上,校長を中心として学校全体で統一のとれた形で実施されなければならず,これに各教員が協力する職務上の義務があることは論をまたない。教室における授業の際には,授業の内容及び進め方等について,一定の範囲で,担当教員の裁量に委ねられる部分があるが,これはその担当する教科に関する限りのものであって,入学式や卒業式等の学校全体の行事については前述のとおり校長を中心として組織的・統一的に実施することが必要であり,各教員の上記裁量権等によって影響を受けるものではないことも多言を要しないところであろう。
 4 国歌斉唱をめぐる以上の検討結果によれば,上告人らが起立斉唱の職務命令を受けることは当然にあり得るところであって,この点については多数意見が詳しく判示するとおりである。これによって,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となることがあるとしても,これは,入学式ないし卒業式等という学校教育にとって重要な教育活動を効果的に実施し,その成果を教育の受け手である生徒らに十分に享受させるという公共の利益に沿うものである。その目的と効果とを比較考量しても,その制約に合理性がないとはいえず,上告人らはこれを甘受すべきものであると考える。

 >>>裁判官岡部喜代子の補足意見は,次のとおりである。
 多数意見の述べるとおり,起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いものであり,思想及び良心の自由が憲法上の保障であるところからすると,その命令が憲法に違反するとまではいえないとしても,その命令の不履行に対して不利益処分を課すに当たっては慎重な衡量が求められるというべきである。その命令の不履行としての不起立が個人の思想及び良心に由来する真摯なものであって,その命令に従って起立することが当該個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある場合には,①当該命令の必要性の程度,②不履行の程度,態様,③不履行による損害など影響の程度,④代替措置の有無と適否,⑤課せられた不利益の程度とその影響など諸般の事情を勘案した結果,当該不利益処分を課すことが裁量権の逸脱又は濫用に該当する場合があり得るというべきである。本件においてはその旨の主張はなされていないので,付言するにとどめる。

 >>>裁判官大谷剛彦の補足意見は,次のとおりである。
 1 本件は,東京都内の市立の中学校の教諭らが,卒業式又は入学式における国歌斉唱の際の不起立行為が職務命令に反するなどとして戒告処分を受けたため,職務命令が憲法19条に違反するなどとしてその処分の取消し等を求める訴訟であり,私を含め多数意見は職務命令が憲法に違反しないとして都教委の処分を是認している。
 ところで,当第三小法廷は,東京都内の市立の小学校の音楽専科の教諭が,入学式における国歌斉唱の際のピアノ伴奏を命ずる職務命令に応じなかったことを理由に戒告処分を受け,その処分の取消しを求めた事案について,平成19年2月27日判決において,その職務命令が憲法19条に違反しないとし,都教委の処分を是認した(最高裁平成16年(行ツ)第328号,戒告処分取消請求事件。以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)。
 私は,ピアノ伴奏事件判決に関わってはいないものの,事案は類似するが異なる面も持つ本件の判決に当たり,私なりに当小法廷のピアノ伴奏事件判決を理解し,事案の相違と結論を導く理由の異同に焦点を当てて意見を補足したい。
 なお,本件訴訟は,教諭らが校長からの国歌斉唱の際の起立斉唱行為の職務命令に反して起立しなかったことが処分の対象とされた事案におけるその処分の取消し等を求める訴訟であり,以下本件の職務命令はこの起立斉唱行為の職務命令をいうが,処分の対象との関係では斉唱の際の起立を命ずる点を中心に論ずることとなる。
 2(1) ピアノ伴奏事件判決における職務命令の憲法判断の枠組みは,改めて要約すると,まず,「君が代」に対する教諭の持つ否定的な評価は,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる教諭自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができるとした上,① 第1に,しかしながら,ピアノ伴奏の拒否は,当該教諭にとってはその歴史観ないし世界観に基づく一つの選択であろうが,一般的には,この歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものではなく,ピアノ伴奏を求める職務命令が直ちにそれ自体を否定するものということはできず,② 第2に,他方において,客観的に見て,ピアノ伴奏をするという行為自体は音楽専科の教諭にとって通常想定され期待されるものであり,伴奏を行う教諭が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,ピアノ伴奏の職務命令は,音楽専科の教諭に特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,③ 第3に,公立学校教諭の地方公務員としての全体の奉仕者性や,学校教育法に基づく学習指導要領において入学式等で国歌を斉唱するよう指導すると定めていることから,ピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことはこれらの規定の趣旨にかなっており,その職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできず,以上の諸点にかんがみると,職務命令は,当該教諭の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である,としている。
 (2) この多数意見について,反対意見の立場にあった藤田宙靖裁判官は,「憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には(例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものということができよう。」と評している。
 ピアノ伴奏の拒否が,音楽専科の教諭にとって歴史観ないし世界観からの派生的ないし付随的行為というかどうかはともかく,私も,この多数意見は,憲法19条による思想及び良心の自由として絶対的保障の対象となる内心の中核ないし核心に歴史観ないし世界観を据え,ピアノ伴奏拒否の行為はこのような中核としての歴史観ないし世界観から由来する(又は歴史観ないし世界観に由来する「君が代」の否定的評価から更に由来する)行動として捉えていると理解される。
 このような内心の中核としての歴史観ないし世界観とそれに由来する外部的行動との関係に関し,ある外部的行動を求めること(又は制限すること)が,当該個人の内心の中核としての歴史観ないし世界観に働きかけ,その否定や侵襲になるか否かについて,多数意見は次のような判断の枠組みを設けていると理解される。
 第1に,ある外部的行動を求めることが,直接的に内心の中核に働きかけ,その否定になるか否かについて,両者が不可分に結び付いているか否かを判断要素とする。たとえば,特定の思想教育を施すことなどが典型となろう。
 第2に,直接的な内心の中核への働きかけではなくとも,内心の中核に由来する行動と反する外部的行動を求めるような場合に関し,その求めに応じ,又は拒む行動が外部においてどのように評価されるかを介して内心の中核へ働きかけ,その否定につながることがあり得るところ,その点では,求められる外部的行動が特定の思想を有することの表明と評価されるかどうかを判断要素としている。
 これが特定の思想の表明と評価されるならば,思想及び良心を「持つ」自由とともに憲法上保障の対象とされる思想及び良心を「告白(暴露)」しない自由を直接的に否定することになろう。
 ところで,個人の内心の思想及び良心は多種多様であり,また個人の置かれた立場も多様である。ある外部的行動を求める目的や場面も多様である。一般的,客観的には求められる外部的行動が内心の思想と不可分に結び付くものではなく,また特定の思想の表明と評価されるものではなく,したがって直ちに内心の中核の否定にはならないと考えられても,(内心の思想に由来する行動と反する)外部的行動を求められた個人によっては,特に外部的な評価との関係で,内心の中核たる歴史観ないし世界観に由来する様々な内心の主張,意見,評価,感情などと抵触が生じ,これが心理的葛藤となって,ひいては内心の中核へ影響を及ぼすことがあり得よう(ピアノ伴奏事件判決における那須弘平裁判官の補足意見参照)。このような内心領域は,憲法19条の絶対的な保障の対象とはなり得なくとも,例えば求められる外部的行動の目的,内容から,これを求めることの合理性が乏しいような場合は,同条の保障の趣旨が及んでその制約が許容されなくなることも考えられよう。
 ピアノ伴奏事件判決は第3として,このような観点も踏まえて求められる外部的行動の目的,内容を検討し,そこに不合理はないと判断した上,第1,第2,第3を総合考慮し,ピアノ伴奏の職務命令は音楽専科の教諭の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するものとはいえない,としたものと考えられる。
 3 私は,ピアノ伴奏事件判決のこの判断の枠組みは,基本的に合理性を有すると考える。
 (1) そこで,ピアノ伴奏事件判決の判断枠組みに沿って,国歌斉唱の際の音楽専科の教諭のピアノ伴奏拒否と本件の教諭らの不起立行為とを対照しながら,内心の中核とこれに由来する外部的行動の関係,求められる外部的行動と内心の中核への働きかけの関係を見ていきたい。
 まず,内心の中核となる歴史観ないし世界観については,音楽専科の教諭と本件の教諭らとは共通のものを持つと理解される。
 次に,ピアノ伴奏事件判決における第1の点,求められる外部的行動が,内心の中核と不可分に結び付くか否かに関しては,多数意見の判示のとおり,本件の国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的には式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を持ち,このような点からは内心の中核と不可分に結び付くものではないと考えられ,したがって,この点で直ちに個人の歴史観ないし世界観を否定するものではないといえる。
 次に第2の点,求められる行為の外部における評価を介しての働きかけ,すなわち特定の思想の表明との関係についても,やはり国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的には式典における慣例上の儀礼的な所作として外部からも認識されているところであるから,本件で求められる起立行為は特定の思想の表明とは認識され難いのであって,直ちに歴史観ないし世界観を「持つ」自由を否定したり,「告白(暴露)」を強要するものではないといえよう。
 (2) ここまでの第1のテスト,第2のテストでは,ピアノ伴奏を命ずる職務命令とその拒否,及び本件の起立斉唱行為の職務命令と不起立とは,ほぼ同様の判定がなされるところであるが,両者は,教諭らの持つ歴史観ないし世界観との関係では次の点で異なる面を有するに至るといわざるを得ない。
 一点は,国歌斉唱の際の起立行為は,国歌を歌う者の国家に対する敬意という要素を含む点である。もとより起立は,例えば合唱の際に起立して歌うのはマナーという面もあるが,客観的に見ても,敬礼や辞儀には至らぬとも対象への敬意という要素を持ち合わせるといわざるを得ないと考えられる。本件の教諭らの歴史観ないし世界観に由来する「君が代」への否定的評価とは相容れない面を持つことになろう。かたやピアノ伴奏は国歌に限らず斉唱の際の補助行為として常に求められる行為であり,客観的にみて,対象への敬意という要素は希薄である。
 もう一点は,小学校の音楽専科の教諭にとってピアノ伴奏は本人の奉ずる職務行為そのものであり,学校行事において本来求められなくとも当然に従事すべき事柄であるのに対し,中学校の一般教諭の場合,学校行事に参加し,式次第に従うのは広く教諭の職務に含まれる面もあるが,なお国歌斉唱の際の起立行為は必ずしも当然に職務行為に含まれるといえないところもあり,本件の教諭らの「君が代」への否定的評価と相容れない行動を職務命令により求められるという面がある。
 そうすると,国歌斉唱の際の起立行為を求める職務命令にあえて従わず,不起立のまま座していることは,「君が代」への否定的な評価を持つことの外部への表明との評価をされかねない。また,そのような「君が代」への否定的評価を持つ者にとって国歌斉唱の際の起立行為は,自らの奉ずる職務行為であるとして,信念と切り離して割り切ることもできないところもある。
 このような点からすると,ピアノ伴奏行為を求められる場合とは事情が異なり,国歌斉唱の際の起立行為を求められることは,その求めに従うにしても拒否するにしても,この敬意という要素を含むがゆえに,本人に心理的葛藤を生じさせ,ひいては内心の中核の歴史観ないし世界観へ影響を及ぼし,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いといえよう。本件の多数意見の第1,3(2)はその趣旨を述べるものであり,私も賛同するところである。
 4 以上のように本件の国歌斉唱の際の起立行為を命ずる職務命令は,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるが,憲法19条との関係で,なおその制約が許容される場合があるか,その判断基準などについては,多数意見の第1,3(3)において詳しく説示されているとおりと考える。
 結局,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容,制約の態様等を総合的に較量して,職務命令に制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められるか否かという観点から判断されることになる。
 この点は,ピアノ伴奏事件判決の第3の点と重なる面を持つが,ピアノ伴奏の場合は,思想及び良心の自由についての間接的な制約の面には触れず,それゆえに求められる行動が合理性に乏しい場合に憲法19条の趣旨が及んでその制約が許容されなくなるかという観点からの職務命令の不合理性の検討といえよう。一方,本件の不起立の場合は,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面を有する職務命令について,なお憲法上許容できる場合のその許容性の判断となるから,職務命令が目的及び内容において不合理ではないということでは足りず,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められなければならないということになろう。
 なお,本件の多数意見は,平成11年に「君が代」が国歌として法定されたことも職務行為の必要性,合理性の一つの事情として掲げている。ピアノ伴奏事件判決は,国歌として法定される以前の行為に関するものである一方,本件の不起立は,国歌として法定された後に生じた事件である。国歌としての法定は,国歌斉唱の強制を肯定するものではなく,それ自体で職務命令の必要性を導くものではないが,その目的,内容の必要性,合理性を検討する際の一事情として考慮することは認められよう。
 5 本件は,公立学校教諭らの卒業式又は入学式における国歌斉唱の際の職務命令違反としての不起立行為を捉えた懲戒処分の取消し等を求める訴訟であり,多数意見はこの事案に即し,上告の論旨に応えて憲法19条に係る合憲性について判断を示したものであり,私は当第三小法廷のピアノ伴奏事件判決との対比に焦点を当てて意見を補足した。
 学校儀式における国歌斉唱の意義,公立学校教諭の公務員としての責務,これらと個人の内心としての「君が代」についての評価,教諭としての信念等との関係について憲法問題は判示のとおりであるが,このような法的な解決もさることながら,儀式における国歌斉唱などは,国歌への敬愛や斉唱の意義の理解に基づき自然に,また自発的になされることこそ望ましいに違いない。国の次代を担う生徒への学校教育の場であればなおさらであろう。過度の不利益処分をもってする強制や,他方で殊更に示威的な拒否行動があって教育関係者間に対立が深まれば,教育現場は混乱し,生徒への悪影響もまた懸念されよう。全体で行う学校行事における国歌斉唱の在るべき姿への理解も要するであろうし,また一方で個人の内心の思想信条に関わりを持つ事柄として慎重な配慮も要するであろう。教育関係者の相互の理解と慎重な対応が期待されるところである。

 >>>裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見が本件上告のうち,東京都人事委員会がした裁決の取消請求に関する部分を却下するとの点については異論はない。しかし,多数意見が,本件各職務命令は上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるとして,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当であるとして,上告人らのその余の上告を棄却するとする点については,以下に述べるとおり,賛成し難く,本件は更に審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのが相当であると考える。
 第1 本件各職務命令と憲法19条との関係について
 1 本件各職務命令の内容
 上告人らに対して各学校長からなされた本件各職務命令の内容は,入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に「起立して斉唱すること」というものである(多数意見は,本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」を命ずる旨の職務命令として,起立行為と斉唱行為とを一括りにしているが,私は,次項以下に述べるとおり,本件各職務命令と憲法19条との関係を検討するに当たっては,「起立行為」と「斉唱行為」とを分けてそれぞれにつき検討すべきものと考えるので,多数意見のように本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」として一括りにして論ずるのは相当ではないと考える。)。なお,多数意見にても指摘されているとおり,本件町田市通達には「教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」も含まれていたが,X1に対する職務命令には,「国旗に向かって」の部分は含まれていない。
 この「起立して斉唱すること」という本件各職務命令の内容をなす「起立行為」と「斉唱行為」とは,社会的事実としてはそれぞれ別個の行為であるが,原判決の認定した事実関係によれば,本件各職務命令は,それら二つの行為を一体として命じているように見える。
 しかし,上記のとおり起立行為と斉唱行為とは別個の行為であって,国歌斉唱時に「起立すること」(以下「起立命令」という。)と「斉唱すること」(以下「斉唱命令」という。)の二つの職務命令が同時に発令されたものであると解することもできる。
 そして,本件各職務命令に違反する行為としては,①起立も斉唱もしない行為,②起立はするが斉唱しない行為(これには,口を開けて唱っている恰好はするが,実際には唱わない行為も含まれる。),③起立はしないが斉唱する行為,がそれぞれあり得るところ,本件の各懲戒処分(以下「本件各懲戒処分」という。)では,上告人らが本件各職務命令に反して国歌斉唱時に起立しなかった点のみが処分理由として取り上げられ,上告人らが国歌を斉唱したか否かという点は,記録によっても,本件各懲戒処分手続の過程において,事実認定もなされていないのである。
 そこで以下では,本件各職務命令を「起立命令」部分と「斉唱命令」部分とに分けて,その憲法19条との関係について検討するとともに,本件各職務命令における両命令の関係について見てみることとする。
 2 起立命令について
 私は,多数意見が述べるとおり,公立中学校における儀式的行事である卒業式等の式典における,国歌斉唱の際の教職員等の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上告人らの主張する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものではなく,したがって,上告人らに対して,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際に起立を求めることを内容とする職務命令を発することは,直ちに上告人らの歴史観ないし世界観を否定するものではないと考える。
 また,「起立命令」に限っていえば,多数意見が述べるとおり,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,なお,若干の疑念は存するものの,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性を有することを肯認できると考える。
 しかし,後に検討する本件各職務命令における起立命令と斉唱命令との関係からすれば,本件各職務命令の内容をなす起立命令の点のみを捉えて,その憲法19条との関係を論議することは相当ではなく,本件各職務命令の他の内容をなす斉唱命令との関係を踏まえて論ずべきものと考える。
 3 斉唱命令について
 (1) 斉唱命令と内心の核心的部分に対する侵害
 国歌斉唱は,今日,各種の公的式典の際に広く行われており,かかる式典の参加者が国歌斉唱をなすこと自体が,斉唱者の思想,信条の告白という意義まで有するものでないことは,前項で述べた起立の場合と同様である。また,多数意見が指摘するように,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典において国歌斉唱が広く行われていたことが認められる。
 しかし,「斉唱」は,斉唱者が積極的に声を出して「唱う」ものであるから,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者にとっては,その歴史観,世界観と真っ向から対立する行為をなすことに他ならず,同人らにとっては,各種の公的式典への参加に伴う儀礼的行為と評価することができないものであるといわざるを得ない。
 また,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱時に「斉唱」することは,その職務上当然に期待されている行為であると解することもできないものである。なお,多数意見の指摘するとおり,学習指導要領では,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めているが,その故をもって,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,入学式や卒業式における国歌斉唱時に,自ら国歌を「唱う」こと迄が職務上求められているということはできない。
 以上の点よりすれば,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者に対し,国歌を「唱う」ことを職務命令をもって強制することは,それらの者の思想,信条に係る内心の核心的部分を侵害するものであると評価され得るということができる。
 (2) 斉唱命令と内心の核心的部分の外縁との関係
 憲法19条が保障する思想及び良心の自由には,内心の核心的部分を形成する思想や信条に反する行為を強制されない自由が含まれることは当然である。
 また,それには,自らの思想,信条に反する行為を他者に求めることを強制されない自由も含まれると解すべきものと思われる。そして,その延長として,第三者が他者に対して,その思想,信条に反する行為を強制的に求めることは許されるべきではなく,その求めている行為が自らの思想,信条と一致するか否かにかかわらず,その強制的行為に加担する行為(加担すると外部から捉えられる行為を含む。)はしないとする強い考え,あるいは信条を有することがあり得る。
 上記のような強い考え,あるいは信条は,憲法19条が保障する思想,信条に係る内心の核心的部分そのものを形成するものではないが,その外縁を形成するものとして位置付けることができるのであり,かかる強い考え,あるいは信条を抱く者における,その確信の内容を含む,上記外縁におけるその位置付けの如何によっては,憲法19条の保障の範囲に含まれることもあり得るということができると考える(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)における藤田宙靖裁判官の反対意見参照)。
 ところで本件では,「斉唱命令」と憲法19条との関係が問われているのであり,(1)で論じたとおり,「斉唱命令」は上告人らの内心の核心的部分を侵害するものと評価し得るものと考えるが,仮に,本件各職務命令の対象者が,国歌については価値中立的な見解を有していても,国歌の法的評価を巡り学説や世論が対立している下で(国旗及び国歌に関する法律の制定過程における国会での議論の際の関係大臣等の答弁等から明らかなとおり,同法は慣習であるものを法文化したものにすぎず,また,同法の制定によって,国旗国歌を強制するものではないとされている。),公的機関が一定の価値観を強制することは許されないとの信条を有している場合には,かかる信条も思想及び良心の自由の外縁を成すものとして憲法19条の保障の範囲に含まれ得ると考える。
 4 本件各職務命令と起立命令,斉唱命令との関係
 1に述べたとおり,本件各職務命令は,「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令が同時に発令され,本件各懲戒処分では,「斉唱命令」違反の点は一切問われていないことからして,そのうちの「起立命令」違反のみを捉えてなされたものと解し得る余地が一応存する。
 しかし,原判決が認定する本件各職務命令が発令されるに至った経緯からすると,本件各職務命令は「起立して斉唱すること」を不可分一体の行為と捉えて発せられたものであることがうかがわれ,また,上告人らもそのようなものとして捉えていたものと推認される。
 そして,上告人らにとっては,2,3において検討したとおり,上告人らの思想,信条に係る内心の核心的部分との関係においては,「起立命令」と「斉唱命令」とは明らかに異なった位置を占めると解されるところ,本件各職務命令が,上記のとおり「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして発せられたものであると上告人らが解しているときに,その命令を受けた上告人らとしては,「斉唱命令」に服することによる上告人らの信条に係る内心の核心的部分に対する侵害を回避すべく,その職務命令の一部を構成する起立を命ずる部分についても従わなかったと解し得る余地がある(本件では,上告人らが,国歌を「斉唱」する行為につき如何なる考えを抱いていたか,国歌斉唱の際の起立行為と斉唱行為との関係をどのように関係付けていたかについて,原審までに審理が尽くされていない。)。
 また,仮に本件各職務命令が「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令を合体して発令されたものであり,二つの職務命令を別々に評価することが論理的に可能であるとしても,本件各職務命令が発令された経緯からして,上告人らが本件各職務命令が「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして命じたものと捉えたとしても無理からぬものがあり,本件上告人らとの関係において,本件各職務命令違反の有無の検討に当たって,本件各職務命令を「起立命令」と「斉唱命令」とに分けることは相当ではないといわなければならない。
 5 小括
 以上検討したとおり,本件各職務命令は,「起立して斉唱すること」を一体不可分のものとして発せられたものと解されるところ,上告人らの主張する歴史観ないし世界観に基づく信条との関係においては,本件各職務命令のうち「起立」を求める部分については,その職務命令の合理性を肯認することができるが,「斉唱」を求める部分については上告人らの信条に係る内心の核心的部分を侵害し,あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分を侵害する可能性が存するものであるといわざるを得ない。
 本件において,上告人らが本件各職務命令にかかわらず,入学式又は卒業式の国歌斉唱の際に起立しないという行為(不作為)を行った理由が,国歌斉唱行為により上告人らの信条に係る内心の核心的部分(あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分)に対する侵害を回避する趣旨でなされたものであるとするならば,かかる行為(不作為)の,憲法19条により保障される思想及び良心の自由を守るための行為としての相当性の有無が問われることとなる。
 しかし,原審までの審理においては,「起立命令」,「斉唱命令」と上告人らの主張する信条との関係につきそれぞれを分けて検討することはなく,殊に「斉唱命令」と上告人らの信条との関係について殆ど審理されていないのであり,また,本件各職務命令と「起立命令」,「斉唱命令」との関係や,「斉唱命令」に従わないこと(不作為)と「起立命令」との関係,更には,上告人らの主張する信条に係る内心の核心的部分(あるいはその外縁部分)の侵害を回避するための行為として,上告人らとして如何なる行為(不作為)をなすことが許されるのかについての審理は,全くなされていないといわざるを得ない。
 第2 本件における職務命令とピアノ伴奏事件判決における職務命令との関係について
 私は,本件に係る先例としてしばしば論議される,市立小学校の校長が音楽専科の教諭に対し,入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを命じた職務命令が憲法19条に違反するか否かが問われた前記ピアノ伴奏事件判決において,同職務命令は憲法に違反するものではないとした多数意見に同調しているところから,同事件の多数意見につき私が理解するところと,本件における私の反対意見との関係につき,以下に両事件の相違点を踏まえて,若干の説明をすることとする。
 1 ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者
 ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者は,公立小学校の音楽専科の教諭である。小学校における音楽専科の教諭は,音楽を学習する各クラスの児童に対して専科として音楽の授業を行うほか,クラブ活動の指導や,学校行事として行われる入学式,卒業式,運動会,音楽会等の諸行事において,ピアノの伴奏をなし,あるいは,歌唱の指導を行うこと等が求められる。音楽専科の教諭に対して各クラスに対する音楽の授業以外に,学校の行事等に関連して音楽専科の教諭としての技能の行使が求められる上記の職務の内容は,小学校における教育課程の一環として行われるものである以上,それらの職務の遂行は音楽専科の教諭としての本来的な職務に含まれると解される。したがって,同事件において,校長が音楽専科の教諭である同事件の上告人に対して,入学式において参列者一同による歌唱の際にその伴奏を命じることは,音楽専科の教諭としてなすべき当然の職務の遂行を命じるものにすぎない。
 2 音楽専科の教諭の職務
 同事件の論点は,ピアノ伴奏の対象が「君が代」であり,同事件の上告人が「君が代」を唱ったり,ピアノ伴奏したりすることが,同上告人の思想及び良心の自由を侵害するとの理由でそのピアノ伴奏を拒否することができるかという点であった。
 ところで,公立小学校の音楽専科の教諭は,小学校の教科書に採択されている曲目はもちろんのこと,教科書に採択されていなくとも,一般に公立小学校において諸行事の施行等の際に演奏がなされ又は歌唱される曲目について,そのピアノ演奏やピアノ伴奏をなすことは,通常の職務の範囲に属するものといえる。そして,音楽専科の教諭が,その行事の式次第においてかかる曲目の歌唱をなすことが定められた場合に,そのピアノ伴奏を求められれば,それをなすべきものであり,そのピアノ伴奏につき職務命令まで発令された場合には,その命令に従うべき義務を負うものというべきものである。
 3 音楽専科の教諭と思想及び良心の自由
 ピアノ伴奏事件判決において,同事件の上告人は,「君が代」を公然と唱ったり,ピアノ伴奏することは,同上告人の歴史観ないし世界観に反し,そのピアノ伴奏をなすことは同上告人の思想及び良心の自由を侵害するものである旨主張したが,同判決の多数意見が述べるとおり,公立小学校における入学式や卒業式において国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭として通常想定され,期待される行為であって,その伴奏行為自体が当該教諭が特定の思想を有することを外部に表明する行為であると評価され得る類のものではなく,殊に職務上の命令に従ってなされる場合には,当該教諭が特定の思想を有することの外部への表明と評価することは困難なものであり,したがって,かかる伴奏行為については,憲法19条により保障されるべき行為であるとはいえないものというべきである。
 また,公立小学校の音楽専科の教諭は,前記のとおり,教科書に採択され,あるいは,一般に小学校の行事等で広く演奏され,又は唱われている曲目については,たとえその音曲の演奏をなすことが音楽家としての信条に反し,そのピアノ演奏をなすこと自体が心理的苦痛を伴うものであったとしても,そのピアノ演奏は職務としての演奏であって芸術としての演奏ではないから,その演奏行為をもって,当該教諭の思想及び良心の自由についての制約に当たるものと評価されるべきものではなく,したがって,憲法19条により保障される範囲に含まれるとはいえないのである。
 4 本件とピアノ伴奏事件判決との相違点
 ピアノ伴奏事件判決は,上記のとおり公立小学校の音楽専科の教諭に対し,本来の職務に属するピアノ伴奏をなすことを求めて職務命令が発せられたものであるのに対し,本件各職務命令は,入学式や卒業式に出席するという公立中学校の教諭としての本来の職務を滞りなく遂行しようとしていた上告人らに対して,更にその職務に付随して発せられた命令であり,その職務命令に服従しない行為と憲法19条による保障との関係が問われている点において,事情を大きく異にするのである。
 第3 裁量権の濫用について
 本件では,論旨においては,専ら本件各職務命令の合憲性の有無のみが主張の対象とされ,本件における各学校長が本件各職務命令を発令したことが学校長に認められる裁量権の濫用に当たるか否か,また,都教委が上告人らに対してなした本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かという点は論旨に含まれていない。
 もっとも,本件においては,本件各職務命令と上告人らの思想及び良心の自由との関係が問われているのであるから,本件各職務命令が憲法19条との関係においてその合憲性が肯定される場合であっても,同条との関係において本件各職務命令及び本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かが問題となり得るのであって,本件においては,かかる観点からの検討を加える余地も存したのではないかと考えるので,それ自体が法令違反の有無として当審の審判の対象となるものではないものの,以下その点について若干付言する。
 1 職務命令の発令と裁量権の濫用
 公立中学校の校長が,その学校に所属する教諭や職員に対して,学校教育法等の法令に基づいて職務命令を発することができる場合において,その職務命令には,その内容に応じて質的に様々の段階のものがある。例えば,学校における校務運営上教職員が職務命令に従って行為することが不可欠であり,その違反は校務運営に著しい支障を来すところから,その違反に対しては,懲戒処分による制裁をもって臨まざるを得ない性質を有するものから,その職務命令に係る対象行為それ自体の校務運営上の重要性や必要性の程度,あるいはその行為を職務命令の相手方自身によって遂行させる必要性の有無等からすれば,通常は指導としてなされ,また,それをもって足りるものであるが,指導に代えて職務命令を発令しても違法とはいえない程度にとどまるものまで様々のものがあり得る。
 そして,公立中学校の校長が,通常は相手方に対する指導をもって対応すれば足りる行為につき職務命令を発令したときには,裁量権の濫用が問題となり得る。殊に,職務命令の対象とされる行為が,その相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,職務命令を発令すること自体,より慎重になされるべきである。
 2 職務命令違反と制裁
 公立中学校の校長が,学校における校務運営上発令することができる職務命令のうち,通常は,教職員に対する指導をもって十分に対応することができるものの,職務命令を発令しても違法ではないという程度の職務命令に対する違反行為については,その違反の内容がその質において著しく到底座視するに耐えないものであるとか,その違反行為の結果,校務運営に相当程度の支障を生じさせるものであるなどの事情が認められない限り,かかる職務命令に違反したとの一事をもって懲戒処分をなすことは,原則として裁量権の濫用に当たるものといえよう。殊に,職務命令の対象行為が,職務命令を発する相手方の思想及び良心の自由に関わる場合には,なおさらであろう。
 次に,その職務命令を発令することは適法であり,その発令の必要性が肯定される場合であっても,その職務命令の内容が相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,懲戒処分の発令はより慎重になされるべきであり,かかる場合に職務命令の必要性やその程度,職務命令違反者が違反行為をなすに至った理由,その違反の態様,程度,その違反がもたらした影響等を考慮することなく,職務命令に違反したことのみを理由として懲戒処分をなすことは,裁量権の濫用が問われ得るといえよう。
 ところで,本件各職務命令との関係についていえば,第1にて検討したとおり,本件各職務命令は起立行為と斉唱行為とを不可分一体のものとしてなされており,斉唱行為を命じる点は,上告人らの思想,信条に関わるところから,裁量権の濫用以前の問題である。しかし,その点は別として,多数意見の立場に立ってみるに,本件各職務命令のうち国歌斉唱時における「起立命令」のみを取り上げれば,入学式あるいは卒業式の式典の進行を,あらかじめ定められた式次第に従い秩序立って運営することを目的とするものであると解され,かかる行事が,式次第に従って秩序立って進行が保たれることが望ましいことであり,その必要性,相当性が認められる。しかし,式典の進行に係る秩序が完全に保持されることがなくとも,その秩序が大きく乱されない限り,通常は,校務運営に支障を来すものとはいえないものであり,他方,上告人らがその職務命令に反する行為をなすに至った理由が,上告人らの思想及び良心の自由に関わるものであることからすれば,懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かにつき判断するには,上告人らの職務命令違反行為の具体的態様如何という質の問題とともに,その職務命令違反によって校務運営に如何なる支障を来したかという結果の重大性の有無が問われるべきものと考える。
 第4 結論
 以上第1において詳述したとおり,原審は,本件各職務命令が入学式又は卒業式等の式典における国歌斉唱の際に「起立すること」と「斉唱すること」を不可分一体のものとして命じているものであるか否か,また,国歌の「斉唱命令」が上告人らの信条に係る内心の核心的部分と直接対峙し,侵害し得る関係に立つものであるのか否か,あるいは内心の核心的部分との直接対峙関係には立たないものの,その核心的部分に近接する外縁を成し,その侵害は,なお憲法19条によって保障されるべき範囲に属するといえるか否かという諸点について審理し,判断をなすべきところ,かかる諸点について十分な審理を尽くすことなく判決をなすに至ったものといわざるを得ない。
 よって,本件は,原判決を破棄の上,更に上記諸点について審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのを相当と思料する次第である。
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 那須弘平 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)


【最判平成23年6月21日判タ1354号51頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 第1 上告代理人外山佳昌,同山田延廣,同藤井裕の上告理由第4の1について
 1 本件は,広島県立学校の教職員であった上告人ら(X1,X2,X3及びX4については,訴訟承継前の第1審原告Aを指す。後記3(2)を除き,以下同じ。)が,卒業式又は入学式において国旗掲揚の下で国歌斉唱の際に起立すること(以下「起立行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,被上告人から戒告処分を受けたため,上記職務命令は憲法19条に違反するなどと主張して,被上告人に対し,上記戒告処分の取消しを求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの)57条の2の規定に基づく高等学校学習指導要領(平成11年文部省告示第58号。平成21年文部科学省告示第38号による特例の適用前のもの。以下「高等学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。また,学校教育法(平成18年法律第80号による改正前のもの)73条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第5号による改正前のもの)73条の10の規定に基づく「盲学校,聾学校及び養護学校高等部学習指導要領」(平成11年文部省告示第62号。平成19年文部科学省告示第46号による改正前のもの。以下「高等部学習指導要領」という。)第4章は,「特別活動の目標,内容及び指導計画の作成と内容の取扱いについては,高等学校学習指導要領第4章に示すものに準ずる」と定めている。
 (2) 被上告人の教育部長は,平成12年12月26日付けで,広島県立学校の各校長宛てに,「卒業式及び入学式における国旗及び国歌に係る指導について(通知)」を発した。その内容は,上記各校長に対し,卒業式及び入学式において学習指導要領に基づき国旗掲揚及び国歌斉唱を整然と実施することなどを求めるものであった。また,被上告人は,同日に開かれた臨時県立学校長会議において,上記各校長に対し,学校の卒業式等の式典に関し,① 国旗は,式場内において,出席者の目に自然に留まるように掲揚すること,② 式次第に国歌斉唱を位置付け,国歌斉唱に際しては教職員は起立することなどを求めた(以下,上記通知とこの求めを併せて「本件通知等」という。)。
 (3) 第1審判決添付別表1ないし4の「日時」欄記載の日の当時,X5は同別表1「当時の所属校」欄記載の広島県立高等学校に勤務する養護教諭であり,X6,X7,X8及びX9並びに第1審原告Aは同欄ないし同別表3「当時の所属校」欄記載の各広島県立高等学校に勤務する実習助手であり(なお,同第1審原告は,第1審係属中の平成18年▲月▲日に死亡し,X1,X2,X3及びX4がその地位を承継した。),その余の上告人らは上記各別表「当時の所属校」欄記載の各広島県立の高等学校ないしろう学校(以下「高等学校等」という。)に勤務する教諭であったところ,上告人らは,それぞれ,同各別表「校長」欄記載の各校長から,本件通知等を踏まえ,同別表1記載の上告人らは平成13年度入学式(上記ろう学校については同年度高等部入学式)に際し,同別表2記載の上告人らは同年度卒業式に際し,同別表3記載の上告人らは同14年度入学式に際し,同別表4記載の上告人は同15年度卒業式に際し,平成13年4月3日から同16年3月1日にかけての同各別表「日時」欄記載の日に,同各別表「発言内容」欄記載のとおり,上記卒業式又は入学式における国歌斉唱の際に起立行為を命ずる旨の各職務命令(以下「本件各職務命令」という。)を受けた。しかし,上告人らは,本件各職務命令に従わず,上記卒業式又は入学式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 (4) 被上告人は,平成13年5月11日付けで上記別表1記載の上告人らに対し,同14年3月28日付けで上記別表2記載の上告人らに対し,同年5月10日付けで上記別表3記載の上告人らに対し,同16年3月30日付けで上記別表4記載の上告人に対し,上記卒業式又は入学式における上記不起立行為は地方公務員法32条及び33条に違反し,同法29条1号,2号及び3号に該当するとして,それぞれ戒告処分をした。
 3(1)ア 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為を拒否する理由について,① 「君が代」が天皇制を讃えるための歌であり,大日本帝国が他国を侵略するに当たり超国家主義の思想を徹底させる必要から学校教育を通じて普及させられたものであるという歴史観,② 「君が代」は皇国史観又は身分差別につながるものとして現行憲法下では排斥される必要があるという思想を有している旨主張する。
 上記のような考えは,我が国において「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義や皇国史観等との関係で果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる
 イ しかしながら,本件各職務命令当時,≪1≫公立高等学校等における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であり,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上記の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものということはできない。したがって,上告人らに対して学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,直ちに上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできないというべきである。
 ウ また,本件各職務命令当時,公立高等学校等の卒業式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況は上記イのとおりであり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作として外部から認識されるものというべきであって,それ自体が特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である。なお,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるともいえる。
 したがって,本件各職務命令は,上告人らに対して,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものともいえず,生徒に対して一方的な理想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない
 エ そうすると,本件各職務命令は,上記イ及びウの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
 (2) もっとも,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり,そのように外部から認識されるものであるということができる(なお,例えば音楽専科の教諭が上記国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする行為であれば,音楽専科の教諭としての教科指導に準ずる性質を有するものであって,敬意の表明としての要素の希薄な行為であり,そのように外部から認識されるものであるといえる。)。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,それが心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼすものと考えられるのであって,これを求められる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
 なお,上告人らは,学校の卒業式等のような式典において公的機関が参加者に一律の行動を強制することに対する否定的評価及びこのような行動に自分は参加してはならないという信条との関係でも個人の思想及び良心の自由が侵される旨主張するところ,この点も「君が代」に対する歴史観ないし世界観と密接に関連するものとして主張されているのであり,上記の式典において上記のような外部的行動を求められる場面における個人の思想及び良心の自由についての制約の有無は,これを求められる個人の歴史観ないし世界観との関係における間接的な制約の有無によって判断されるべき事柄であって,これとは別途の検討を要するものとは解されない。
 (3)ア そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 イ これを本件についてみるに,本件各職務命令に係る国歌斉唱の際の起立行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含み,そのように外部から認識されるものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となり,心理的葛藤を生じさせるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての前記(2)の間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法(平成19年法律第96号による改正前のもの)42条1号,36条1号,18条2号),同法(同改正前のもの)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの)57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり(高等部学習指導要領もこれに準ずるものとされている。),また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立高等学校等の教職員である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領ないし高等部学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通知等を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,公立高等学校等の教職員である上告人らに対して当該学校の卒業式又は入学式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 (4) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号登載予定,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官田原睦夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同岡部喜代子,同大谷剛彦の各補足意見がある。

 >>>裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
 1 私は,本件と論点の多くを共通にする,多数意見の引用する最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決(以下「起立斉唱東京事件判決」という。)において,補足意見を述べた。本件についても,同補足意見で示したところが基本的に当てはまると考えられるので,これを引用する。
 2 本件において,上告人らは,学校の卒業式等の式典において公的機関が参加者に一律の行動を強制することに対する否定的評価及びこのような行動に自分は参加してはならないという信条との関係でも上告人らの思想及び良心の自由が侵される旨主張している。この点についても,基本的に多数意見の理由第1,3(2)の判示するところが相当であると考えるが,事案に鑑み,補足して,生徒らとの関係における「一律の行動」の「強制」の意味等を中心に,以下のとおり私の見解を示しておきたい。
 (1) この問題については,まず,上告人らのいう参加者への「強制」とは何を指すのかということから検討を始めるのが適切であろう。原判決は,生徒を含む参加者に一律の行動の強制がされたと認められるかどうかにつき,要旨以下のとおり指摘している(事実及び理由第3,6(2)。ただし,生徒らの思想及び良心の自由の侵害の有無を検討する部分である。)。
 ア 被上告人が,各学校長を通じ,上告人らに対し,入学式及び卒業式の国歌斉唱時の起立を命じたのは,教職員が率先して起立することにより,儀式的行事における儀礼を示し,間接的に生徒に働きかける効果を期待したものである。
 イ 保護者や学校外の関係者も出席する儀式的行事の場面においては,生徒の内心に対する一定程度の働きかけを伴うことは不可避である。このような間接的な働きかけは,方法としても穏当なものであって,これを直ちに生徒に対する強制ということはできない。その際,一律に起立斉唱するよう号令をかけ,これとともに教職員が起立する場合であっても,この結論は変わらない。
 原審の上記の判断はまことに当を得たものであり,これによれば,生徒らとの関係では,「公的機関が参加者に一律の行動を強制する」という事実の存在自体が認められないことになる。そうすると,強制に対する「否定的評価」及び「このような行動に自分は参加してはならないという信条」に関する主張も,生徒らとの関係では,前提を欠くことになる。
 (2) もっとも,上告人らの主張の趣旨は,それが「強制」に当たるかどうかを問題にしているのではなく,生徒らに対し「一律の行動」を求めること自体を問題にしていると善解できないでもない。しかし,その場合には,生徒らに対し一律に起立斉唱を求めることが,なぜ上告人らの思想及び良心の自由を侵害することになるのか,更に踏み込んだ検討が必要となる。
 この点につき,上告人らは,上告理由書(5頁)において,「働きかけ」の状況・態様が,個々の生徒が自らの自由な意思決定に従って起立・不起立を選択する余地の存するものでない限りは「強制」に当たると主張し,また,参加者全員に対して一律に起立斉唱するよう教職員から号令がかけられるとともに,教職員らが全員一律に起立斉唱するという状況が作出されれば,個々の生徒・児童が自らの自由な意思に基づいて不起立を選択することも困難となるとも主張する。
 しかしながら,学校教育において生徒に一律の行動をとることを求める必要があることは,教室の内外を問わず,日常広く認められるところである。それだけでなく,程度の問題はあれ,集団行動への順応性を高めることを積極的に評価する面さえあることは,教育関係者だけでなく,社会一般に広く認識され,容認されてもいる。学校教育におけるこのような側面を直視することなくしては,学校教育そのものが成り立たないか,そうでなくても重要な部分に深刻な欠落が生じる懸念があることは否定し難い。そうすると,入学式及び卒業式等の式典において生徒らに一律の起立斉唱を求めても,これに応じない生徒らに対する懲罰等の不利益を伴う場合は別として,厳密な意味での強制に当たるともいえない本件のような場合に関する限り,教育上,特に禁止される違法・不当な性質のものと認めることもできない。したがって,この点について生徒らに対する「強制」を問題とする上告人らの主張には理由がないというべきである。
 (3) さらに,上告人らの主張は,儀式一般における「一律の行動」を問題とするのではなく,「君が代」の斉唱という,国民あるいは教育に携わる関係者の中で意見が大きく分かれる問題について,公立学校が参加者に対し「一律の行動」を求めることが公的機関としての中立性を害する可能性があることを問題とし,これに加担することが思想及び良心の自由に反する旨をいうものと理解する余地がないでもない。
 学校教育一般について,公的機関としての中立性の要請が働くことはあり得ることである。しかし,本件のように厳密な意味での「強制」には当たらないが,卒業式等の式典での慣例上の儀礼的な所作として生徒らに対して一律の行動を求める場合についてまで,公的機関としての中立性の要請が及ぶかどうか,あるいは及ぶとしてもこれに対抗して考慮されなければならない教育上の諸事情とのかね合いをどう判断すべきかについてはなお慎重な検討が必要であろう。上記(2)で述べたように,学校教育の本質から見て,生徒らに一律の行動をとることを求める必要性があることは否定できず,これを無視しては学校教育そのものが成り立たず,あるいは重要な部分に欠落が生じる懸念がある。この点を重要な要素の一つとして勘案すれば,公的機関としての中立性の問題を視野に入れても,なお上記(2)の結論は変わらないし,変えるべきでもないと考える。
 3 公立学校の教員が,入学式ないし卒業式等において起立斉唱する行為は,国旗・国歌に対する敬意の表明や礼譲の姿勢を示す趣旨にとどまらず,教員自らが起立斉唱することによって,生徒らに模範を示して指導する趣旨を含むものである。これが教員としての職務の一環である点については,起立斉唱東京事件判決の補足意見において指摘したとおりである。
 上告人らに起立斉唱を命じる職務命令が上告人らの思想及び良心の自由についての間接的にせよ制約となる面があるにしても,入学式ないし卒業式等という学校教育にとって重要な教育活動を効果的に実施し,その成果を教育の受け手である生徒らに十分に享受させるという公共の利益との比較考量の結果からすれば,その制約に合理性がないとはいえない。原審も同様の趣旨をいうものとして,是認できる。

 >>>裁判官岡部喜代子の補足意見は,次のとおりである。
 多数意見の述べるとおり,起立行為を命ずる旨の職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いものであり,思想及び良心の自由が憲法上の保障であるところからすると,その命令が憲法に違反するとまではいえないとしても,その命令の不履行に対して不利益処分を課すに当たっては慎重な衡量が求められるというべきである。その命令の不履行としての不起立が個人の思想及び良心に由来する真摯なものであって,その命令に従って起立することが当該個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある場合には,①当該命令の必要性の程度,②不履行の程度,態様,③不履行による損害など影響の程度,④代替措置の有無と適否,⑤課せられた不利益の程度とその影響など諸般の事情を勘案した結果,当該不利益処分を課すことが裁量権の逸脱又は濫用に該当する場合があり得るというべきである。本件においてはその旨の主張はなされていないので,付言するにとどめる。

 >>>裁判官大谷剛彦の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件各職務命令は,これによって求められる国歌斉唱の際の起立行為に敬意という要素が含まれるがゆえに,本人に心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼし,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いが,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるので,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと考えるものであり,その趣旨を述べる多数意見に賛同するものであるところ,本件については,市立小学校の音楽専科の教諭に対し入学式における国歌斉唱の際のピアノ伴奏を命ずる職務命令が憲法19条に違反しないとした当第三小法廷の判決(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁)の事案との異同に焦点を当てて意見を補足したい点がある。この点については,多数意見の引用する最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決における私の補足意見の中で述べたとおりであるので,これを引用する。

 >>>裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告人らのうち,単なる「起立命令」のみを受けた者らについては,多数意見に賛成し,その上告は棄却すべきものであると考えるが,上告人らのうち「起立斉唱命令」を受けた者らについては,原判決を破棄して原審において更に審議を尽くさせるべく原審に差し戻すべきものと考える。以下,その理由を述べる。
 1 起立命令について
 私は,公立高等学校等の校長が,入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に,その式に参列する教職員に対して,本件のような職務命令をもって起立行為を命ずることは,その教職員らの思想及び良心の自由を直ちに制約するものとはいえず,また,かかる命令は思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約等を総合的に較量すれば,なお若干の疑念は存するものの,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性を有することを肯認することができるとする多数意見の考え方に同調するものである。
 したがって,本件の各高等学校等の校長がなした,本件の各入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に起立行為を命じる旨の各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するものとはいえないと解するのが相当であると考える。
 2 起立斉唱命令について
 原審の確定した事実関係によれば,第1審判決添付別表1の番号14ないし23,28,同別表2の番号33,37,同別表3の番号欄空欄(亡A)の各上告人らに対しては,同上告人らの当時の所属校の校長は,本件の入学式又は卒業式において,国歌斉唱の際に起立して斉唱することを求めており,これは「起立して斉唱する行為」を命ずる旨の職務命令を発したものと解し得るところ,同職務命令は起立命令と斉唱命令とが截然と区別されておらず,不可分一体のものとしてなされたものと解し得る余地がある。
 私は,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者に対し,国歌を「唱う」ことを職務命令をもって強制することは,それらの者の思想・信条に係る内心の核心的部分を侵害するものであると評価され得るものであり,また,公的機関が思想・信条に関わる領域について一定の価値観を強制することは許されないとの信条を有している者においては,かかる信条も思想及び良心の自由の外縁を成すものとして憲法19条の保障の範囲に含まれると考えるものであるが,それらの点及び起立命令と斉唱命令との関係については,多数意見の引用する最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決の反対意見において詳述しているので,それをここに引用する。
 3 起立斉唱命令を受けた上告人らの不起立について
 上記上告人らに対してなされた国歌斉唱時に「起立して斉唱すること」との本件各職務命令が,起立行為と斉唱行為とを不可分一体のものとしてなされたものである場合には,上記反対意見にて述べたとおり,「斉唱を求める」部分については同上告人らの思想・信条に係る内心の核心的部分を侵害し,あるいは内心の核心的部分に近接する外縁部分を侵害する可能性があるものであるといわざるを得ない。
 同上告人らが本件各職務命令に従わず,国歌斉唱の際に起立しない行為(不作為)を行った理由が,国歌斉唱行為により同上告人らの思想・信条に係る内心の核心的部分(あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分)に対する侵害を回避する趣旨でなされたものであるとするならば,かかる行為(不作為)の,憲法19条により保障される思想及び良心の自由を守るための行為としての相当性の有無が問われることになる。
 また,上記「起立して斉唱すること」との本件各職務命令が,「起立命令」と「斉唱命令」とに分けることができ,両命令が併行してなされたものであるとしても,同上告人らが,両命令を不可分一体のものとして捉え,かつそのように解したことに不合理な点が存しないと認められる場合には,上記に述べたところがそのまま妥当するといえる。
 ところが,原審までの審理においては,同上告人らは,起立命令について,第1審判決添付別表1の番号21のX8が具体的に主張し一定の立証をなしている以外には,具体的な主張,立証がなされているとはいい難く,また,原判決はその点について判断していない。
 4 裁量権の濫用について
 私は,前記最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決の反対意見において付言したとおり,思想及び良心の自由に関わる職務命令違反に対する懲戒処分の発令は,慎重になされるべきであり,具体的事案に応じてその濫用が問われ得る余地があることを指摘している。
 本件では,上告人らは,原審までは本件の各懲戒処分について裁量権の濫用を主張していたが,当審の論旨では主張していない。もっとも,起立斉唱命令を受けた上告人らについて,原審に差し戻して審理を尽くした上で,起立命令に従わなかった行為(不起立)が,憲法19条との関係でその侵害を回避する行為としての相当性が認められない場合であっても,なお同上告人らのその不起立の理由など具体的事情の如何によっては,裁量権の濫用が問われる余地があるといえよう。
 5 まとめ
 以上述べたとおり,本件上告人ら中,本件の各校長から起立斉唱の各職務命令を受けた2掲記の各上告人らについては,同上告人らが起立命令に従わなかった理由につき,原審にて更に審理を尽くさせるのが相当であると思料するので,同上告人らについては,原判決を破棄して差し戻すべきものというべきである。
(裁判長裁判官 大谷剛彦 裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫 裁判官 岡部喜代子 裁判官 寺田逸郎)


【最決平成23年6月21日】

 上記当事者間の東京高等裁判所平成21年(行コ)第284号国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件について,同裁判所が平成22年3月17日に言い渡した判決に対し,上告人兼申立人らから上告及び上告受理の申立てがあった。よって,当裁判所は,次のとおり決定する。

       主   文

 本件上告を棄却する。
 本件を上告審として受理しない。
 上告費用及び申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。

       理   由

 1 上告について
 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは,民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,本件上告理由は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
 2 上告受理申立てについて
 本件申立ての理由によれば,本件は,民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
  平成23年6月21日
  最高裁判所第三小法廷
    裁判長裁判官  那須弘平
        裁判官  田原睦夫
        裁判官  岡部喜代子
        裁判官  大谷剛彦
        裁判官  寺田逸郎

【東京高判平成23年3月17日】

       主   文

 原判決を取り消す。
 控訴人らの請求に係る訴えをいずれも却下する。
 訴訟費用は第1,第2審とも控訴人らの負担とする。

       事実及び理由

第1 当事者の求める裁判
 1 控訴の趣旨
  (1) 原判決を取り消す。
  (2) 控訴人らと被控訴人との間において,控訴人らが,それぞれ,その所属する学校の入学式,卒業式に参列するに際し,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務のないことを確認する。
  (3) 訴訟費用は第1,第2審とも被控訴人の負担とする。
 2 控訴の趣旨に対する答弁
  (1) 本件各控訴をいずれも棄却する。
  (2) 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第2 事案の概要
 1 事案の要旨
  (1) 控訴人らは,神奈川県立高等学校及び神奈川県立特別支援学校に勤務する教諭,実習助手,事務職員,技能職員及び非常勤の嘱託員(以下,併せて「教職員」という。)である。神奈川県教育委員会(以下「県教委」という。)は,同教育長名で,平成16年11月30日,県立学校の各校長に対し,「入学式及び卒業式における国旗の掲揚及び国歌の斉唱の指導の徹底について(通知)」(甲1,乙2。以下「本件教育長通知」という。)を発して,県立学校の入学式及び卒業式において,国旗を式場正面に掲げるとともに国歌の斉唱は式次第に位置付け,斉唱時に教職員は起立して国歌を斉唱すること,国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり,教職員が本件教育長通知に基づく校長の職務命令に従わない場合や式を混乱させる等の妨害行動を行った場合には,服務上の責任を問い,厳正に対処していくことを教職員に周知することなどにより,各学校が入学式,卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通知した。
    本件は,控訴人らが,公法上の法律関係に関する確認の訴え(行政事件訴訟法4条後段)に基づき,国旗に向かって起立して国歌を斉唱することを強制されることは控訴人らの思想・良心の自由を侵害し,教育に対する不当な支配の禁止に反するなどと主張して,控訴人らが被控訴人に対し,県立学校の入学式,卒業式の式典において,国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務のないことの確認を求めた事案である。
  (2) 原審は,控訴人らがそれぞれその所属する学校の校長から,生徒に対して国歌斉唱の指導を行うため,又は式の円滑な進行のため,入学式及び卒業式において,式の参加者として式次第に従って国歌斉唱時に起立する旨の起立斉唱命令が発せられた場合には,これに基づき入学式及び卒業式に参列するに際して国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務を負うとして,控訴人らの請求をいずれも棄却した。
 2 争いのない事実等,争点及び当事者の主張は,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の1から3(原判決2ページ18行目から15ページ11行目まで)に記載のとおりであるからこれを引用する。ただし,原判決6ページ18行目の冒頭から25行目の末尾までを次のとおり改める。
  「(4) 県教委は,国歌斉唱時の教職員の不起立に対しては,粘り強く説得し,指導するという方針であり,県立学校の各校長は,本件教育長通知発令後に行われた入学式,卒業式の実施に際し国旗を掲揚し,国歌を斉唱する方針を採り,控訴人ら教職員に対し,本件教育長通知の内容を周知させた上,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱するよう指導しているが,これまで特定人を名宛人として文書でもって起立斉唱命令が発せられたことはない。また,本件教育長通知発令後,不起立を理由とする処分が行われたことはない。」
第3 当裁判所の判断
 1 控訴人らの本訴請求に係る訴えの適法性(裁判法3条1項にいう「法律上の争訟」を対象とするものか)について
  (1) 本件の事実関係の概要は以下のとおりである。
    平成11年3月に告示された高等学校学習指導要領(乙6)には,「第4章 特別活動」の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定され,同月に告示された盲学校,聾学校及び養護学校高等部学習指導要領(乙7)の「第4章 特別活動」においても,特別活動の目標,内容及び指導計画の作成と内容の取扱いについては,原則として高等学校学習指導要領第4章に示すものに準ずると規定されている。教育長は,平成16年11月30日,県立学校の各校長に対し,地方教育行政の組織及び運営に関する法律23条5号,17条1項に基づき,「入学式及び卒業式は儀式的行事であることを踏まえた形態とし,実施にあたっては教職員全員の業務分担を明確に定め,国旗は式場正面に掲げるとともに,国歌の斉唱は式次第に位置付け,斉唱時に教職員は起立し,厳粛かつ清新な雰囲気の中で式が行われるよう,改めて取組の徹底をお願いします。また,これまで一部の教職員による式に対する反対行動が見受けられたところですが,各学校においては,このようなことのないよう指導の徹底をお願いします。なお,教職員が校長の指示に従わない場合や,式を混乱させる等の妨害行動を行った場合には,県教育委員会としては,服務上の責任を問い,厳正に対処していく考えでありますので,適切な対応を併せてお願いします。」との内容の本件教育長通知を発し,以後毎年,入学式及び卒業式において,国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施することを内容とする本件教育長通知を発しているが,県教委は,国歌斉唱時の教職員の不起立に対しては粘り強く説得し,指導するとの方針を採っている。県立学校の各校長は,本件教育長通知を受けて,入学式及び卒業式に際して国旗を掲揚し,国歌を斉唱する方針を採り,控訴人ら教職員に対し,職員会議あるいは卒業式及び入学式等の打合せにおいて,本件教育長通知の写し等を配布するなどしてその内容を周知させて国家斉唱時に起立するよう指導するとともに,生徒に対する率先垂範指導を指示し,不起立の教職員に対し個別指導を行っているが,特定人を名宛人として国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱するよう職務命令として命じたことはなく,本件教育長通知発令後,不起立を理由とする処分の事例もない。
  (2) 控訴人らは,上記の事実関係の下において,公法上の法律関係に関する確認の訴え(行政事件訴訟法4条後段)として,「君が代」の「起立斉唱義務」がないことの確認を求め,① 入学式及び卒業式における「君が代」の起立斉唱について,本件教育長通知に基づく職務命令及び被控訴人の指導により思想良心の自由が侵害されること,② 被控訴人が行う不起立教職員の氏名収集によって,思想信条情報をその意に反して被控訴人に保有されること,③ 給与及び昇任昇格について,不起立・不斉唱を理由にマイナス評価をされること,④ 不起立・不斉唱による訓告懲戒処分のおそれがあることなど控訴人らの権利又は法律的地位に不安が現存するから,これらの不安を除去するため,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務のないことの確認を求める本件訴えには確認の利益があるとしてその適法性を主張する。
  (3) しかしながら,裁判所の権限は法律上の争訟を裁判することにあるところ(裁判所3条1項),ここに法律上の争訟とは当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する現実の紛争であって,かつそれが法令の適用によって終局的に解決できるものをいい,現実の紛争がいまだ存在しないにもかかわらず,抽象的に法令の効力を争うような訴えはこの要件を満たさないものと解される(最高裁昭和27年10月8日大法廷判決・民集6巻9号783頁,昭和28年11月17日第3小法廷判決・裁判集民事10号455頁,最高裁平成3年4月19日第2小法廷判決・民集45巻4号518頁等参照)。
    これを本件についてみると,控訴人らが問題とする本件教育長通知は,各学校長あてに入学式及び卒業式において,国旗を式場正面に掲げるとともに国歌の斉唱は式次第に位置づけ,斉唱時に教職員は起立して国歌を斉唱するよう指導を求めているというにとどまり,控訴人ら教職員との間には何ら具体的な権利義務ないし法律関係を生じさせているものではない。それゆえ,県教委は,国歌斉唱時の教職員の不起立に対しては粘り強く説得し,指導するという方針を採用しており,実際にもこれまで各校長から教職員らに対して職務命令が発せられたことはないし,また,上記式次第や説得,指導に従わなかったことを理由に懲戒処分をした事例はなく,起立,斉唱しなかった教職員らに対して,これまで訓告等の行政上の措置も採られていない。そうすると,控訴人らの訴えの趣旨を実質的に考察すれば,将来個別に発せられる可能性のある校長の具体的な職務命令に従わなかった場合に,懲戒その他の不利益処分が行なわれるのを防止するためにその前提である控訴人らの義務の不存在をあらかじめ確定しておこうということ(これは本件教育長通知の無効の確認を求めるものにほかならないものでもある。)になるところ,ここには何ら具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争が存しないのであり,このような訴えは法律上の争訟性を欠く不適法なものというべきである。
    以上のとおり,控訴人らの国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務のないことの確認を求める本件訴えは具体的事件としての法律上の争訟について提起されたものであると認めることができないから,控訴人らの本件請求に係る訴えはいずれも不適法なものとして却下を免れない。
    なお,仮に,本件教育長通知が控訴人ら教職員に対し上記の点で何らかの義務を措定するとした上で,本件訴えの適法性を確認の利益の観点から考察するとしても,上記事情に加え,仮に懲戒訓告等の措置を受けても,訓告は行政訴訟の対象となる不利益処分に当たらず,また,懲戒処分がされたとしても地方公務員法に基づき人事委員会に対する不服申立てが認められていることからすれば,控訴人らにおいて不利益処分を待って義務の存否を争うのでは回復し難い重大な損害を被るおそれがあるなどの特段の事情の存在を認めることができないのであるから,確認の利益を欠くことも明らかというべきであり(最高裁昭和47年11月30日第1小法廷判決・民集26巻9号1746頁参照),不適法な訴えであることに変わりはない。
 2 よって,控訴人らの訴えを適法なものとした上でその請求に理由がないとしてこれをいずれも棄却した原判決は相当でないからこれを取り消した上,控訴人らの請求に係る訴えはこれをいずれも却下することとし,主文のとおり判決する。
  東京高等裁判所民事第15民事部
    裁判長裁判官   藤村 啓
        裁判官   坂本宗一
        裁判官   大濱寿美
別紙
         代理人目録
訴訟代理人弁護士 大川隆司
同 神原 元
同 川口彩子
同 根本孔衛
同 篠原義仁
同 石井眞紀子
同 沢井功雄
同 岩村智文
同 西村隆雄
同 藤田温久
同 三嶋 健
同 山下芳織
同 渡辺登代美
同 穂積匡史
同 鈴木麻子
同 陶山和嘉子
同 稲生義隆
同 堤 浩一郎
同 畑谷嘉宏
同 児嶋初子
同 内田和利
同 高城昌宏
同 古川武志
同 山崎健一
同 栗山博史
同 井上 泰
同 彦坂敏之
同 工藤 昇
同 高橋瑞穗
同 畑山 穣
同 川又 昭
同 根岸義道
同 岩橋宣隆
同 小口千恵子
同 中村 宏
同 高橋 宏
同 関守 麻紀子
同 阪田勝彦
同 太田啓子
同 西村紀子
同 田渕大輔
同 近藤ちとせ
同 宋 惠燕
同 浅川壽一
同 長谷川 宰
同 野村正勝
同 中込泰子
同 山森良一
同 小池拓也
同 鈴木 健
同 小賀坂 徹
同 黒澤知弘
同 岡村共栄
同 岡村三穂
同 中込光一
同 呉東正彦
同 畑中優宏
同 伊藤幹郎
同 梅澤幸二郎
同 小島周一
同 芳野直子
同 杉本 朗
同 井上 啓
同 佐藤正知
同 金子祐子
同 海野宏行
同 折本和司
同 宮澤廣幸
同 斉藤秀樹
同 櫻井みぎわ
同 戸張雄哉
同 茆原正道
同 茆原洋子
同 岡本秀雄
同 星山輝男
同 本田敏幸
同 久保博道
同 佐藤昌樹
同 間部俊明
同 宮田 学
同 勝山勝弘
同 武井共夫
同 奥 祐介
同 大河内 秀明
同 滝本太郎
同 菅 智晴
同 井上 浩
同 本田正男
同 古澤眞尋
同 寺崎時史
同 野口 勇
同 千木良正
同 岡本充代
同 黒田和夫
同 岡部玲子
同 木村和夫
同 田中敬介
同 嶋崎 量
同 浜田 薫
同 小村陽子
同 岩橋宣隆


【最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁①】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 1 上告代理人尾山宏ほかの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について原審の適法に確定した事実関係の下において,本件職務命令が憲法19条に違反するものでないことは,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号3頁,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号14頁,最高裁平成22年(行ツ)第372号同23年6月21日第三小法廷判決・裁判所時報1534号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
 2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見に賛成する立場からこれに付加する私の意見は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷
 判決において私の補足意見として述べたとおりである。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分については理由があるので,原判決を破棄して原審に差し戻すべきであると考える。その理由は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見の中で述べたとおりである。
  最高裁判所第一小法廷
    裁判長裁判官  横田尤孝
        裁判官  宮川光治
        裁判官  櫻井龍子
        裁判官  金築誠志
        裁判官  白木 勇


【最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁②】

       主   文

 上告人Aの上告を却下する。
 その余の上告人らの上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 第1 上告人ら(上告人Aを除く。)の上告について
 1 上告人ら(上告人Aを除く。)の上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 原審の適法に確定した事実関係の下において,本件職務命令が憲法19条に違反するものでないことは,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号3頁,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号14頁,最高裁平成22年(行ツ)第372号同23年6月21日第三小法廷判決・裁判所時報1534号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
 2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 第2 上告人Aの上告理由について
 上告人Aは上告理由を記載した書面を提出しないから,同上告人の上告は,不適法として却下することとする。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見に賛成する立場からこれに付加する私の意見は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決において私の補足意見として述べたとおりである。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分については理由があるので,原判決を破棄して原審に差し戻すべきであると考える。その理由は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見の中で述べたところと同旨である。
  最高裁判所第一小法廷
    裁判長裁判官  白木 勇
        裁判官  宮川光治
        裁判官  櫻井龍子
        裁判官  金築誠志
        裁判官  横田尤孝


【最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁③】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 1 上告人らの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について原審の適法に確定した事実関係の下において,本件職務命令が憲法19条に違反するものでないことは,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号3頁,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号14頁,最高裁平成22年(行ツ)第372号同23年6月21日第三小法廷判決・裁判所時報1534号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
 2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見に賛成する立場からこれに付加する私の意見は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決において私の補足意見として述べたとおりである。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分については理由があるので,原判決を破棄して原審に差し戻すべきであると考える。その理由は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見の中で述べたところと同旨である。
  最高裁判所第一小法廷
    裁判長裁判官  白木 勇
       裁判官  宮川光治
       裁判官  櫻井龍子
       裁判官  金築誠志
       裁判官  横田尤孝



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