2026-12-31(Thu)

【高校入試】入試問題・解説目次

中3生の皆様,お世話になっております。例の解説書ですが,完成が入試直前になってしまいそうですので,解説を書き次第,暫定的にこちらのブログに投稿していきます。投稿した記事は,このページから飛べるように,下にリンクを貼っていきます。お手数おかけしますが,当分の間,こちらでご確認ください。全体が完成したら,紙媒体で皆様に配布しようと思います。

∞∞∞高校入試問題・解説目次∞∞∞
(最終更新日時:H28.8.16 19:11 都立立川高平成20年度第3問追加)

《国公立》
【東京都(共通)】
 ◎英語(平28~平9の第1問はリスニング問題のため省略)
 ・平成23年度
  =第2問第3問第4問
 ・平成22年度
  =第2問第3問第4問
 ・平成19年度
  =第2問第3問第4問

【東京都(グループ)】
◎英語
 ○都立立川高校
  ・平成20年度
   =第1問第2問第3問

以上
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2017-10-20(Fri)

【ロー過去】中大ロー平成29年刑法

だいぶ間が空きましたが,ロー入試の再現を……。

もう1年経ってしまいましたが,微かな需要のために……。

苦手な刑法ですが……。

Ⅲ 刑 法

 次の【事例】を読み,下記の【設問】に答えなさい。解答用紙は,表面(30行)のみを使用すること。

【事例】
 X警察署X派出所勤務の警察官甲は,深夜,担当区域のパトロールに出たが,やがて,A道路舗装会社の工事用資材置き場がある道路に進入していく小型トラックを認めた。当時,X警察署管内では,工事用資材置き場から資材が盗まれる窃盗事件が多発していたことから,甲は,窃盗犯のトラックではないかと考え,後を追い掛けたところ,間もなく資材置き場の入り口前で小型トラックが停止し,運転席から乙が下りてくるのを現認した。実は,乙は運送会社の勤務を終え,自宅に向かっているところであったが,エンジンの調子が悪いのか,運転中異音がしたため,エンジンルームを点検しようと思い立ち,街路灯がある比較的明るい場所で車を停めたもので,それが偶々A道路舗装会社の工事用資材置き場前だっただけのことであった。下車した乙は,エンジンルームを見ようと車の前に回ったが,甲にはこれがいかにも資材置き場の入口から中をのぞき込んで,そこに置かれている資材を物色し始めているように見えた。加えて,深夜という時間帯や乙の服装が黒ずくめだったこともあって,甲は,頭から乙を多発している資材泥棒の犯人であると決め付け,現行犯逮捕の要件はまだないということが一瞬頭をかすめたものの,功名心から,この際資材置き場に侵入する前に捕まえてしまえという気になり,いきなり走り出して乙に駆け寄ると,その背後から両手を広げて飛びつき,乙を組み伏せて逮捕しようとした。乙は,人が走ってくる音に気付いて振り返り,警察官の制服を着た甲が自分の方に向かってくるのを認めたが,その直後甲に急に飛びかかられたため,驚くとともに,振り向きざま思わず右手で甲を強く突き飛ばした。乙は空手を嗜んでおり,右手の突き出しは,いわゆる掌底突き(手のひらの手首に近い部分で相手を突く技)であったため,その強さは半端なものではなく,そのため,甲はもんどり打って後ろに倒れ,路面に頭をしたたかに打ち付けて脳震盪を起こし,搬送先の救急病院で気がつくまで,約1時間にわたって気を失ってしまった。

【設問】
 甲及び乙の罪責について論じなさい。

(120点)


≪再現答案≫
第1.甲の罪責について
 1.甲が,乙に向けて飛びつき,組み伏せて逮捕しようとした行為について,逮捕罪(220条)が成立しないか。
 2.「逮捕」とは,人の身体を拘束し,場所的移動の自由に制約を加える行為をいう。そして,人の身体に対する拘束は,それが短時間であったとしても,その間の被害者の場所的移動の自由を制限するものであるから,一瞬でも人の身体を拘束すれば,同罪は既遂に達すると考える。甲は,乙に飛びつき,乙によって攻撃をされるまでの間乙の身体を拘束していたと考えられるから,甲の上記行為は「逮捕」にあたる。また,同条にいう「不法」とは,注意的文言にすぎず,構成要件とはならない。甲は,乙を捕まえてしまえという意図で上記行為に出ているから,構成要件的故意も認められる。したがって,甲の上記行為は,逮捕罪の構成要件に該当する。
 3.甲は,乙が資材泥棒の犯人であると考えて,これを逮捕しようとしていることから,正当行為(35条)として違法性が阻却されるとも思えるが,上記行為は,未だ現行犯逮捕の要件を満たしていないため,正当行為にあたらない。したがって,違法性は阻却されない。加えて,甲は,現行犯逮捕の要件がまだないと認識しているから,責任も阻却されない。
 4.以上から,甲の上記行為に逮捕罪が成立する。
第2.乙の罪責について
 1.乙が,甲に対して,掌底突きをした行為について,傷害罪(204条)が成立しないか。
 2.「傷害」とは,人の生理的機能に障害を加え,または,人の健康状態を不良に変更することをいう。空手に嗜んだ者が,本来人に対して攻撃を仕掛けるものである空手技を素人相手に行えば,高確率で決まり,相手の生理的機能に障害を加える危険性が十分に認められる。そして,甲は乙の上記行為によって,脳震盪を起こしており,実際に生理的機能に障害が生じている。したがって,乙の上記行為は,「傷害」にあたる。乙は,甲を認識した上で,これを思わず右手で殴っている。反射的とはいえ,そのような行為に出ることを認識しているといえるから,構成要件的故意も認められる。したがって,乙の上記行為は,傷害罪の構成要件を満たす。
 3.しかし,乙は,甲から飛び掛られたことから,それを避けようとして上記行為に出ている。そこで,正当防衛(36条1項)が成立し,違法性が阻却されないか。
 「急迫」とは,法益侵害の現実的危険性が現に存し,または間近に押し迫っていることをいう。「不正」とは,違法と同義である。「やむを得ず」とは,自己の防衛行為が相当性を保っていることをいう。また,主観的正当化要素として防衛の意思が必要であり,その内容は,急迫不正の侵害を避けようとする単純な心理状態をいう。これを本件についてみると,乙は,甲によって,自己の身体の自由が侵害されるおそれがあり,「急迫」性がある。また,甲の逮捕行為は,上記のように,違法性を阻却する事由がないから,「不正」である。そして,乙は,「自己…の権利」である身体の自由を守ろうとしている。これについて,乙は,反射的に上記行為に出たことからすれば,積極的に甲を加害しようとするといった意思ではなく,単純に自己を防衛する心理状態であったといえる。したがって防衛の意思も認められる。さらに,乙の掌底突きは,その強さが半端ではなかったのであるが,このような緊急状態の下で,自己の力を調節している暇はなく,本件のような状況の下でも未だ相当性は失われないというべきである。したがって,甲の上記行為には正当防衛が成立し,違法性が阻却される。
 4.以上から,乙の上記行為については,犯罪不成立となる。
以上


最初に問題を見たときの感想は,うーんなんだこれは,という感じでした。

見たことない問題だけど,何を論じてほしいかはわからなくはない,

だけどそれが合ってるのかも自信ないと困惑を極めていました。

とりあえず,甲から検討していくわけですが,

甲は飛びついて逮捕しようとしているけど,結局身体拘束に至ってないから,

逮捕未遂かなぁと考え,六法をめくったら,

逮捕罪には未遂規定がないことを知り,10秒くらいかたまりました。

(逮捕未遂がないだと……!?じゃあこれ何罪検討するんだ……)と,

本当にこんな心情になりました。

あとから周囲の人に聞くと,暴行罪にした人がほとんどでしたが,

なぜか当時の私には暴行罪の発想がありませんでした。

そうなってくると,私には逮捕罪を推し進めるしかありませんでした。

同時に,刑訴のやらかしもあるから(後述),いよいよ落ちたぞと覚悟しました。

ただ,冷静に考えたら,絶対この問題のメインは乙の罪責だから,

乙で頑張ればいいやと思い直し,どう考えても逮捕罪が成立しない本問で,

軽く逮捕罪を成立させて終わりました。

とにかく,甲をさっさと終わらせようという気持ちから,

違法性・責任のところはすごくあっさり論じるにとどめました。

乙の罪責については,

まぁ,人並みには書けたかな……書けてるといいな,くらいです。

構成要件該当性の検討で,順番がごちゃごちゃして読みづらくなってしまったのは,

反省点だと思います。

あとは,正当防衛の検討もごちゃごちゃしていて,

全体的にごちゃごちゃの答案ができました。

当時の心理状態が強く反映された劣った答案といえよう。

周りには,正当防衛については,相当性できって,

過剰防衛に流した人も結構いました。

私は,答案構成時点で少し迷いましたが,

この状況で乙に前科つけるのかわいそすぎだろという

完全な私情のもと相当性を肯定しました。

評価次第で変わるでしょうし,どっちでもいいと思いますが。

ちなみに,乙の罪責で公務執行妨害罪を検討している方も,結構いました。

私も,本番で少し思いましたが,行数足りないし,

どうせ否定されるから書かなくていいやと思い,書きませんでした。

とりあえず,中大の刑法は,

定義をしっかり書くだけで,合格ラインに乗るんだと思います。

罪責を間違えてもなんとかなるというのは,私の答案によって証明されました。

その問題でもっとも求められている論点さえ外さなければ大きなミスにはならないでしょう。

刑法と刑訴の失敗を通じて,私が言いたいことは,

1科目や2科目失敗したところで,まだまだ挽回のチャンスはあるから,

心を揺さぶられずに,他の科目に専念してほしいということです。

そうすれば,一度は消えかかった全免の希望であっても,

取り戻すことができると思います。

以上
2017-07-05(Wed)

最判平成24年12月7日刑集66巻12号1337頁-堀越事件

◎最判平成24年12月7日刑集66巻12号1337頁

       主   文

 本件上告を棄却する。

       理   由

 1 検察官の上告趣意のうち,憲法21条1項,31条の解釈の誤りをいう点について
 (1) 原判決及び記録によれば,本件の事実関係は,次のとおりである。
 ア 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,社会保険庁東京社会保険事務局目黒社会保険事務所に年金審査官として勤務していた厚生労働事務官であるが,平成15年11月9日施行の第43回衆議院議員総選挙に際し,日本共産党を支持する目的をもって,第1 同年10月19日午後0時3分頃から同日午後0時33分頃までの間,東京都中央区(以下省略)所在のB不動産ほか12か所に同党の機関紙であるしんぶん赤旗2003年10月号外(『いよいよ総選挙』で始まるもの)及び同党を支持する政治的目的を有する無署名の文書である東京民報2003年10月号外を配布し,第2 同月25日午前10時11分頃から同日午前10時15分頃までの間,同区(以下省略)所在のC方ほか55か所に前記しんぶん赤旗2003年10月号外及び前記東京民報2003年10月号外を配布し,第3 同年11月3日午前10時6分頃から同日午前10時18分頃までの間,同区(以下省略)所在のD方ほか56か所に同党の機関紙であるしんぶん赤旗2003年10月号外(『憲法問題特集』で始まるもの)及びしんぶん赤旗2003年11月号外を配布した。」というものであり,これが国家公務員法(以下「本法」という。)110条1項19号(平成19年法律第108号による改正前のもの),102条1項,人事院規則14-7(政治的行為)(以下「本規則」という。)6項7号,13号(5項3号)(以下,これらの規定を合わせて「本件罰則規定」という。)に当たるとして起訴された。
 イ 被告人が上記公訴事実記載の機関紙等の配布行為(以下「本件配布行為」という。)を行ったことは,証拠上明らかである。
 ウ 被告人は,本件当時,目黒社会保険事務所の国民年金の資格に関する事務等を取り扱う国民年金業務課で,相談室付係長として相談業務を担当していた。その具体的な業務は,来庁した1日当たり20人ないし25人程度の利用者からの年金の受給の可否や年金の請求,年金の見込額等に関する相談を受け,これに対し,コンピューターに保管されている当該利用者の年金に関する記録を調査した上,その情報に基づいて回答し,必要な手続をとるよう促すというものであった。そして,社会保険事務所の業務については,全ての部局の業務遂行の要件や手続が法令により詳細に定められていた上,相談業務に対する回答はコンピューターからの情報に基づくものであるため,被告人の担当業務は,全く裁量の余地のないものであった。さらに,被告人には,年金支給の可否を決定したり,支給される年金額等を変更したりする権限はなく,保険料の徴収等の手続に関与することもなく,社会保険の相談に関する業務を統括管理していた副長の指導の下で,専門職として,相談業務を担当していただけで,人事や監督に関する権限も与えられていなかった
 (2) 第1審判決は,本件罰則規定は憲法21条1項,31条等に違反せず合憲であるとし,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に当たるとして,被告人を有罪と認め,被告人を罰金10万円,執行猶予2年に処した。
 (3) 原判決は,本件配布行為は,裁量の余地のない職務を担当する,地方出先機関の管理職でもない被告人が,休日に,勤務先やその職務と関わりなく,勤務先の所在地や管轄区域から離れた自己の居住地の周辺で,公務員であることを明らかにせず,無言で,他人の居宅や事務所等の郵便受けに政党の機関紙や政治的文書を配布したことにとどまるものであると認定した上で,本件配布行為が本件罰則規定の保護法益である国の行政の中立的運営及びこれに対する国民の信頼の確保を侵害すべき危険性は,抽象的なものを含めて,全く肯認できないから,本件配布行為に対して本件罰則規定を適用することは,国家公務員の政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度を超えた制約を加え,これを処罰の対象とするものといわざるを得ず,憲法21条1項及び31条に違反するとして,第1審判決を破棄し,被告人を無罪とした。
 (4) 所論は,原判決は,憲法21条1項,31条の解釈を誤ったものであると主張する。
 ア そこで検討するに,本法102条1項は,「職員は,政党又は政治的目的のために,寄附金その他の利益を求め,若しくは受領し,又は何らの方法を以てするを問わず,これらの行為に関与し,あるいは選挙権の行使を除く外,人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定しているところ,同項は,行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することをその趣旨とするものと解される。すなわち,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,国民の信託に基づく国政の運営のために行われる公務は,国民の一部でなく,その全体の利益のために行われるべきものであることが要請されている。その中で,国の行政機関における公務は,憲法の定める我が国の統治機構の仕組みの下で,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策を忠実に遂行するため,国民全体に対する奉仕を旨として,政治的に中立に運営されるべきものといえる。そして,このような行政の中立的運営が確保されるためには,公務員が,政治的に公正かつ中立的な立場に立って職務の遂行に当たることが必要となるものである。このように,本法102条1項は,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することを目的とするものと解される。
 他方,国民は,憲法上,表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており,この精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であることに鑑みると,上記の目的に基づく法令による公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである
 このような本法102条1項の文言,趣旨,目的や規制される政治活動の自由の重要性に加え,同項の規定が刑罰法規の構成要件となることを考慮すると,同項にいう「政治的行為」とは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが,観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指し,同項はそのような行為の類型の具体的な定めを人事院規則に委任したものと解するのが相当である。そして,その委任に基づいて定められた本規則も,このような同項の委任の範囲内において,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる行為の類型を規定したものと解すべきである。上記のような本法の委任の趣旨及び本規則の性格に照らすと,本件罰則規定に係る本規則6項7号,13号(5項3号)については,それぞれが定める行為類型に文言上該当する行為であって,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを当該各号の禁止の対象となる政治的行為と規定したものと解するのが相当である。このような行為は,それが一公務員のものであっても,行政の組織的な運営の性質等に鑑みると,当該公務員の職務権限の行使ないし指揮命令や指導監督等を通じてその属する行政組織の職務の遂行や組織の運営に影響が及び,行政の中立的運営に影響を及ぼすものというべきであり,また,こうした影響は,勤務外の行為であっても,事情によってはその政治的傾向が職務内容に現れる蓋然性が高まることなどによって生じ得るものというべきである。
 そして,上記のような規制の目的やその対象となる政治的行為の内容等に鑑みると,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは,当該公務員の地位,その職務の内容や権限等,当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。具体的には,当該公務員につき,指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務の遂行に一定の影響を及ぼし得る地位(管理職的地位)の有無,職務の内容や権限における裁量の有無,当該行為につき,勤務時間の内外,国ないし職場の施設の利用の有無,公務員の地位の利用の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無等が考慮の対象となるものと解される。

【法令審査】
 イ そこで,進んで本件罰則規定が憲法21条1項,31条に違反するかを検討する。この点については,本件罰則規定による政治的行為に対する規制が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかによることになるが,これは,本件罰則規定の目的のために規制が必要とされる程度と,規制される自由の内容及び性質,具体的な規制の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁等)。そこで,まず,本件罰則規定の目的は,前記のとおり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することにあるところ,これは,議会制民主主義に基づく統治機構の仕組みを定める憲法の要請にかなう国民全体の重要な利益というべきであり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為を禁止することは,国民全体の上記利益の保護のためであって,その規制の目的は合理的であり正当なものといえる。他方,本件罰則規定により禁止されるのは,民主主義社会において重要な意義を有する表現の自由としての政治活動の自由ではあるものの,前記アのとおり,禁止の対象とされるものは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為に限られ,このようなおそれが認められない政治的行為や本規則が規定する行為類型以外の政治的行為が禁止されるものではないから,その制限は必要やむを得ない限度にとどまり,前記の目的を達成するために必要かつ合理的な範囲のものというべきである。そして,上記の解釈の下における本件罰則規定は,不明確なものとも,過度に広汎な規制であるともいえないと解される。なお,このような禁止行為に対しては,服務規律違反を理由とする懲戒処分のみではなく,刑罰を科すことをも制度として予定されているが,これは,国民全体の上記利益を損なう影響の重大性等に鑑みて禁止行為の内容,態様等が懲戒処分等では対応しきれない場合も想定されるためであり,あり得べき対応というべきであって,刑罰を含む規制であることをもって直ちに必要かつ合理的なものであることが否定されるものではない
 以上の諸点に鑑みれば,本件罰則規定は憲法21条1項,31条に違反するものではないというべきであり,このように解することができることは,当裁判所の判例(最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁,最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁,最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁,最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁,最高裁平成10年(分ク)第1号同年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁)の趣旨に徴して明らかである。

【適用審査】
 ウ 次に,本件配布行為が本件罰則規定の構成要件に該当するかを検討するに,本件配布行為が本規則6項7号,13号(5項3号)が定める行為類型に文言上該当する行為であることは明らかであるが,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものかどうかについて,前記諸般の事情を総合して判断する。
 前記のとおり,被告人は,社会保険事務所に年金審査官として勤務する事務官であり,管理職的地位にはなく,その職務の内容や権限も,来庁した利用者からの年金の受給の可否や年金の請求,年金の見込額等に関する相談を受け,これに対し,コンピューターに保管されている当該利用者の年金に関する記録を調査した上,その情報に基づいて回答し,必要な手続をとるよう促すという,裁量の余地のないものであった。そして,本件配布行為は,勤務時間外である休日に,国ないし職場の施設を利用せずに,公務員としての地位を利用することなく行われたものである上,公務員により組織される団体の活動としての性格もなく公務員であることを明らかにすることなく,無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって,公務員による行為と認識し得る態様でもなかったものである。これらの事情によれば,本件配布行為は,管理職的地位になく,その職務の内容や権限に裁量の余地のない公務員によって,職務と全く無関係に,公務員により組織される団体の活動としての性格もなく行われたものであり,公務員による行為と認識し得る態様で行われたものでもないから,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものとはいえない。そうすると,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に該当しないというべきである。
 エ 以上のとおりであり,被告人を無罪とした原判決は結論において相当である。なお,原判決は,本件罰則規定を被告人に適用することが憲法21条1項,31条に違反するとしているが,そもそも本件配布行為は本件罰則規定の解釈上その構成要件に該当しないためその適用がないと解すべきであって,上記憲法の各規定によってその適用が制限されるものではないと解されるから,原判決中その旨を説示する部分は相当ではないが,それが判決に影響を及ぼすものでないことは明らかである。論旨は採用することができない。
 2 検察官の上告趣意のうち,判例違反をいう点について
 所論引用の判例(前掲最高裁昭和49年11月6日大法廷判決)の事案は,特定の地区の労働組合協議会事務局長である郵便局職員が,同労働組合協議会の決定に従って選挙用ポスターの掲示や配布をしたというものであるところ,これは,上記労働組合協議会の構成員である職員団体の活動の一環として行われ,公務員により組織される団体の活動としての性格を有するものであり,勤務時間外の行為であっても,その行為の態様からみて当該地区において公務員が特定の政党の候補者を国政選挙において積極的に支援する行為であることが一般人に容易に認識され得るようなものであった。これらの事情によれば,当該公務員が管理職的地位になく,その職務の内容や権限に裁量の余地がなく,当該行為が勤務時間外に,国ないし職場の施設を利用せず,公務員の地位を利用することなく行われたことなどの事情を考慮しても,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものであったということができ,行政の中立的運営の確保とこれに対する国民の信頼に影響を及ぼすものであった
 したがって,上記判例は,このような文書の掲示又は配布の事案についてのものであり,判例違反の主張は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切ではなく,所論は刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 3 よって,刑訴法408条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官千葉勝美の補足意見,裁判官須藤正彦の意見がある。

>>>裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見の採る法解釈等に関し,以下の点について,私見を補足しておきたい。
 1 最高裁昭和49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁(いわゆる猿払事件大法廷判決)との整合性について
 (1) 猿払事件大法廷判決の法令解釈の理解等
 猿払事件大法廷判決は,国家公務員の政治的行為に関し本件罰則規定の合憲性と適用の有無を判示した直接の先例となるものである。そこでは,特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の掲示又は配布をしたという行為について,本件罰則規定に違反し,これに刑罰を適用することは,たとえその掲示又は配布が,非管理職の現業公務員でその職務内容が機械的労務の提供にとどまるものにより,勤務時間外に,国の施設を利用することなく,職務を利用せず又はその公正を害する意図なく,かつ,労働組合活動の一環として行われた場合であっても憲法に違反しない,としており,本件罰則規定の禁止する「政治的行為」に限定を付さないという法令解釈を示しているようにも読めなくはない。しかしながら,判決による司法判断は,全て具体的な事実を前提にしてそれに法を適用して事件を処理するために,更にはそれに必要な限度で法令解釈を展開するものであり,常に採用する法理論ないし解釈の全体像を示しているとは限らない。上記の政治的行為に関する判示部分も,飽くまでも当該事案を前提とするものである。すなわち,当該事案は,郵便局に勤務する管理職の地位にはない郵政事務官で,地区労働組合協議会事務局長を務めていた者が,衆議院議員選挙に際し,協議会の機関決定に従い,協議会を支持基盤とする特定政党を支持する目的をもって,同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を自ら公営掲示場に掲示し,また,その頃4回にわたり,合計184枚のポスターの掲示を他に依頼して配布したというものである。このような行為の性質・態様等については,勤務時間外に国の施設を利用せずに行われた行為が中心であるとはいえ,当該公務員の所属組織による活動の一環として当該組織の機関決定に基づいて行われ,当該地区において公務員が特定の政党の候補者の当選に向けて積極的に支援する行為であることが外形上一般人にも容易に認識されるものであるから,当該公務員の地位・権限や職務内容,勤務時間の内外を問うまでもなく,実質的にみて「公務員の職務の遂行の中立性を損なうおそれがある行為」であると認められるものである。このような事案の特殊性を前提にすれば,当該ポスター掲示等の行為が本件罰則規定の禁止する政治的行為に該当することが明らかであるから,上記のような「おそれ」の有無等を特に吟味するまでもなく(「おそれ」は当然認められるとして)政治的行為該当性を肯定したものとみることができる。猿払事件大法廷判決を登載した最高裁判所刑集28巻9号393頁の判決要旨五においても,「本件の文書の掲示又は配布(判文参照)に」本件罰則規定を適用することは憲法21条,31条に違反しない,とまとめられているが,これは,判決が摘示した具体的な本件文書の掲示又は配布行為を対象にしており,当該事案を前提にした事例判断であることが明確にされているところである。そうすると,猿払事件大法廷判決の上記判示は,本件罰則規定自体の抽象的な法令解釈について述べたものではなく,当該事案に対する具体的な当てはめを述べたものであり,本件とは事案が異なる事件についてのものであって,本件罰則規定の法令解釈において本件多数意見と猿払事件大法廷判決の判示とが矛盾・抵触するようなものではないというべきである。
 (2) 猿払事件大法廷判決の合憲性審査基準の評価
 なお,猿払事件大法廷判決は,本件罰則規定の合憲性の審査において,公務員の職種・職務権限,勤務時間の内外,国の施設の利用の有無等を区別せずその政治的行為を規制することについて,規制目的と手段との合理的関連性を認めることができるなどとしてその合憲性を肯定できるとしている。この判示部分の評価については,いわゆる表現の自由の優越的地位を前提とし,当該政治的行為によりいかなる弊害が生ずるかを利益較量するという「厳格な合憲性の審査基準」ではなく,より緩やかな「合理的関連性の基準」によったものであると説くものもある。しかしながら,近年の最高裁大法廷の判例においては,基本的人権を規制する規定等の合憲性を審査するに当たっては,多くの場合,それを明示するかどうかは別にして,一定の利益を確保しようとする目的のために制限が必要とされる程度と,制限される自由の内容及び性質,これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を具体的に比較衡量するという「利益較量」の判断手法を採ってきており,その際の判断指標として,事案に応じて一定の厳格な基準(明白かつ現在の危険の原則,不明確ゆえに無効の原則,必要最小限度の原則,LRAの原則,目的・手段における必要かつ合理性の原則など)ないしはその精神を併せ考慮したものがみられる。もっとも,厳格な基準の活用については,アプリオリに,表現の自由の規制措置の合憲性の審査基準としてこれらの全部ないし一部が適用される旨を一般的に宣言するようなことをしないのはもちろん,例えば,「LRA」の原則などといった講学上の用語をそのまま用いることも少ない。また,これらの厳格な基準のどれを採用するかについては,規制される人権の性質,規制措置の内容及び態様等の具体的な事案に応じて,その処理に必要なものを適宜選択して適用するという態度を採っており,さらに,適用された厳格な基準の内容についても,事案に応じて,その内容を変容させあるいはその精神を反映させる限度にとどめるなどしており(例えば,最高裁昭和58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁(「よど号乗っ取り事件」新聞記事抹消事件)は,「明白かつ現在の危険」の原則そのものではなく,その基本精神を考慮して,障害発生につき「相当の蓋然性」の限度でこれを要求する判示をしている。),基準を定立して自らこれに縛られることなく,柔軟に対処しているのである(この点の詳細については,最高裁平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁(いわゆる成田新法事件)についての当職[当時は最高裁調査官]の最高裁判例解説民事篇・平成4年度235頁以下参照。)。
 この見解を踏まえると,猿払事件大法廷判決の上記判示は,当該事案については,公務員組織が党派性を持つに至り,それにより公務員の職務遂行の政治的中立性が損なわれるおそれがあり,これを対象とする本件罰則規定による禁止は,あえて厳格な審査基準を持ち出すまでもなく,その政治的中立性の確保という目的との間に合理的関連性がある以上,必要かつ合理的なものであり合憲であることは明らかであることから,当該事案における当該行為の性質・態様等に即して必要な限度での合憲の理由を説示したにとどめたものと解することができる(なお,判文中には,政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止されることにより失われる利益との均衡を検討することを要するといった利益較量論的な説示や,政治的行為の禁止が表現の自由に対する合理的でやむを得ない制限であると解されるといった説示も見られるなど,厳格な審査基準の採用をうかがわせるものがある。)。ちなみに,最高裁平成10年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁(裁判官分限事件)も,裁判所法52条1号の「積極的に政治運動をすること」の意味を十分に限定解釈した上で合憲性の審査をしており,厳格な基準によりそれを肯定したものというべきであるが,判文上は,その目的と禁止との間に合理的関連性があると説示するにとどめている。これも,それで足りることから同様の説示をしたものであろう。
 そうであれば,本件多数意見の判断の枠組み・合憲性の審査基準と猿払事件大法廷判決のそれとは,やはり矛盾・抵触するものでないというべきである。
 2 本件罰則規定の限定解釈の意義等
 本件罰則規定をみると,当該規定の文言に該当する国家公務員の政治的行為を文理上は限定することなく禁止する内容となっている。本件多数意見は,ここでいう「政治的行為」とは,当該規定の文言に該当する政治的行為であって,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指すという限定を付した解釈を示した。これは,いわゆる合憲限定解釈の手法,すなわち,規定の文理のままでは規制範囲が広すぎ,合憲性審査におけるいわゆる「厳格な基準」によれば必要最小限度を超えており,利益較量の結果違憲の疑いがあるため,その範囲を限定した上で結論として合憲とする手法を採用したというものではない
 そもそも,規制される政治的行為の範囲が広範であるため,これを合憲性が肯定され得るように限定するとしても,その仕方については,様々な内容のものが考えられる。これを,多数意見のような限定の仕方もあるが,そうではなく,より類型的に,「いわゆる管理職の地位を利用する形で行う政治的行為」と限定したり,「勤務時間中,国の施設を利用して行う行為」と限定したり,あるいは,「一定の組織の政治的な運動方針に賛同し,組織の一員としてそれに積極的に参加する形で行う政治的行為」と限定するなど,事柄の性質上様々な限定が考え得るところであろう。しかし,司法部としては,これらのうちどのような限定が適当なのかは基準が明らかでなく判断し難いところであり,また,可能な複数の限定の中から特定の限定を選び出すこと自体,一種の立法的作用であって,立法府の裁量,権限を侵害する面も生じかねない。加えて,次のような問題もある。
 国家公務員法は,専ら憲法73条4号にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものであり(国家公務員法1条2項),我が国の国家組織,統治機構を定める憲法の規定を踏まえ,その国家機構の担い手の在り方を定める基本法の一つである。本法102条1項は,その中にあって,公務員の服務についての定めとして,政治的行為の禁止を規定している。このような国家組織の一部ともいえる国家公務員の服務,権利義務等をどう定めるかは,国の統治システムの在り方を決めることでもあるから,憲法の委任を受けた国権の最高機関である国会としては,国家組織全体をどのようなものにするかについての基本理念を踏まえて対処すべき事柄であって,国家公務員法が基本法の一つであるというのも,その意味においてである。
 このような基本法についての合憲性審査において,その一部に憲法の趣旨にそぐわない面があり,全面的に合憲との判断をし難いと考えた場合に,司法部がそれを合憲とするために考え得る複数の限定方法から特定のものを選び出して限定解釈をすることは,全体を違憲とすることの混乱や影響の大きさを考慮してのことではあっても,やはり司法判断として異質な面があるといえよう。憲法が規定する国家の統治機構を踏まえて,その担い手である公務員の在り方について,一定の方針ないし思想を基に立法府が制定した基本法は,全体的に完結した体系として定められているものであって,服務についても,公務員が全体の奉仕者であることとの関連で,公務員の身分保障の在り方や政治的任用の有無,メリット制の適用等をも総合考慮した上での体系的な立法目的,意図の下に規制が定められているはずである。したがって,その一部だけを取り出して限定することによる悪影響や体系的な整合性の破綻の有無等について,慎重に検討する姿勢が必要とされるところである。
 本件においては,司法部が基本法である国家公務員法の規定をいわばオーバールールとして合憲限定解釈するよりも前に,まず対象となっている本件罰則規定について,憲法の趣旨を十分に踏まえた上で立法府の真に意図しているところは何か,規制の目的はどこにあるか,公務員制度の体系的な理念,思想はどのようなものか,憲法の趣旨に沿った国家公務員の服務の在り方をどう考えるのか等々を踏まえて,国家公務員法自体の条文の丁寧な解釈を試みるべきであり,その作業をした上で,具体的な合憲性の有無等の審査に進むべきものである(もっとも,このことは,司法部の違憲立法審査は常にあるいは本来慎重であるべきであるということを意味するものではない。国家の基本法については,いきなり法文の文理のみを前提に大上段な合憲,違憲の判断をするのではなく,法体系的な理念を踏まえ,当該条文の趣旨,意味,意図をまずよく検討して法解釈を行うべきであるということである。)。
 多数意見が,まず,本件罰則規定について,憲法の趣旨を踏まえ,行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持するという規定の目的を考慮した上で,慎重な解釈を行い,それが「公務員の職務遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる行為」を政治的行為として禁止していると解釈したのは,このような考え方に基づくものであり,基本法についての司法判断の基本的な姿勢ともいえる
 なお,付言すると,多数意見のような解釈適用の仕方は,米国連邦最高裁のブランダイス判事が,1936年のアシュワンダー対テネシー渓谷開発公社事件判決において,補足意見として掲げた憲法問題回避の準則であるいわゆるブランダイス・ルールの第4準則の「最高裁は,事件が処理可能な他の根拠が提出されているならば,訴訟記録によって憲法問題が適正に提出されていても,それの判断を下さないであろう。」,あるいは,第7準則の「連邦議会の制定法の有効性が問題とされたときは,合憲性について重大な疑念が提起されている場合でも,当最高裁は,その問題が回避できる当該法律の解釈が十分に可能か否かをまず確認することが基本的な原則である。」(以上のブランダイス・ルールの内容の記載は,渋谷秀樹「憲法判断の条件」講座憲法学6・141頁以下による。)という考え方とは似て非なるものである。ブランダイス・ルールは,周知のとおり,その後,Rescue Army v.Municipal Court of City of Los Angeles,331 U.S. 549(1947)の法廷意見において採用され米国連邦最高裁における判例法理となっているが,これは,司法の自己抑制の観点から憲法判断の回避の準則を定めたものである。しかし,本件の多数意見の採る限定的な解釈は,司法の自己抑制の観点からではなく,憲法判断に先立ち,国家の基本法である国家公務員法の解釈を,その文理のみによることなく,国家公務員法の構造,理念及び本件罰則規定の趣旨・目的等を総合考慮した上で行うという通常の法令解釈の手法によるものであるからである。
 3 本件における本件罰則規定の構成要件該当性の処理
 本件配布行為は,本件罰則規定に関する上記の法令解釈によれば,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められない以上,それだけで構成要件該当性が否定される。この点について,原審は,本件配布行為の内容等に鑑みて,本件罰則規定を適用することが違憲となるとして,被告人を無罪とすべきであるとしている。これは,本件のような政治的行為についてまで,刑罰による規制を及ぼすことの問題を考慮した上での判断であり,実質的には,本件の多数意見と同様に,当該公務員の職務の遂行の政治的中立性に与える影響が小さいことを実質的な根拠としていると解され,その苦心は理解できるところではある。しかしながら,表現の自由の規制立法の合憲性審査に際し,このような適用違憲の手法を採用することは,個々の事案や判断主体によって,違憲,合憲の結論が変わり得るものであるため,その規制範囲が曖昧となり,恣意的な適用のおそれも生じかねず,この手法では表現の自由に対する威嚇効果がなお大きく残ることになろう。個々の事案ごとの政治的行為の個別的な評価を超えて,本件罰則規定の一般的な法令解釈を行った上で,その構成要件該当性を否定することが必要であると考えるゆえんである。

>>>裁判官須藤正彦の意見は,次のとおりである。
 本件につき,私は,多数意見と結論を同じくするが,一般職の国家公務員の政治的行為の規制に関しその説くところとは異なる見解を有するので,以下この点につき述べておきたい。
 1 公務員の政治的行為の解釈について
 (1) 私もまた,多数意見と同様に,本法102条1項の政治的行為とは,国民の政治的活動の自由が民主主義社会を基礎付ける重要な権利であること,かつ,同項の規定が本件罰則規定の構成要件となることなどに鑑み,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる(観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして認められる)ものを指すと解するのが相当と考える。
 (2) すなわち,まず,公務員の政治的行為とその職務の遂行とは元来次元を異にする性質のものであり,例えば公務員が政党の党員となること自体では無論公務員の職務の遂行の政治的中立性が損なわれるとはいえない。公務員の政治的行為によってその職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれが生ずるのは,公務員の政治的行為と職務の遂行との間で一定の結び付き(牽連性)があるがゆえであり,しかもそのおそれが観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものとなるのは,公務員の政治的行為からうかがわれるその政治的傾向がその職務の遂行に反映する機序あるいはその蓋然性について合理的に説明できる結び付きが認められるからである。そうすると,公務員の職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれが実質的に生ずるとは,そのような結び付きが認められる場合を指すことになる。進んで,この点について敷えんして考察するに,以下のとおり,多数意見とはいささか異なるものとなる。
 2 勤務外の政治的行為
 (1) しかるところ,この「結び付き」について更に立ち入って考察すると,問題は,公務員の政治的行為がその行為や付随事情を通じて勤務外で行われたと評価される場合,つまり,勤務時間外で,国ないし職場の施設を利用せず,公務員の地位から離れて行動しているといえるような場合で,公務員が,いわば一私人,一市民として行動しているとみられるような場合である。その場合は,そこからうかがわれる公務員の政治的傾向が職務の遂行に反映される機序あるいは蓋然性について合理的に説明できる結び付きは認められないというべきである。
 (2) 確かに,このように勤務外であるにせよ,公務員が政治的行為を行えば,そのことによってその政治的傾向が顕在化し,それをしないことに比べ,職務の遂行の政治的中立性を損なう潜在的可能性が明らかになるとは一応いえよう。また,職務の遂行の政治的中立性に対する信頼も損なわれ得るであろう。しかしながら,公務員組織における各公務員の自律と自制の下では,公務員の職務権限の行使ないし指揮命令や指導監督等の職務の遂行に当たって,そのような政治的傾向を持ち込むことは通常考えられない。また,稀に,そのような公務員が職務の遂行にその政治的傾向を持ち込もうとすることがあり得るとしても,公務員組織においてそれを受け入れるような土壌があるようにも思われない。そうすると,公務員の政治的行為が勤務外で行われた場合は,職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれがあるとしても,そのおそれは甚だ漠としたものであり,観念的かつ抽象的なものにとどまるものであるといえる。
 結局,この場合は,当該公務員の管理職的地位の有無,職務の内容や権限における裁量の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無等にかかわらず――それらの事情は,公務員の職務の遂行の政治的中立性に対する国民の信頼を損なうなどの服務規律違反を理由とする懲戒処分の対象となるか否かの判断にとって重要な考慮要素であろうが――その政治的行為からうかがわれる政治的傾向がその職務の遂行に反映する機序あるいはその蓋然性について合理的に説明できる結び付きが認められず,公務員の政治的中立性が損なわれるおそれが実質的に生ずるとは認められないというべきである。この点,勤務外の政治的行為についても,事情によっては職務の遂行の政治的中立性を損なう実質的おそれが生じ得ることを認める多数意見とは見解を異にするところである。
 (3) ちなみに,念のためいえば,「勤務外」と「勤務時間外」とは意味を異にする。本規則4項は,本法又は本規則によって禁止又は制限される政治的行為は,「職員が勤務時間外において行う場合においても,適用される」と規定しているところであるが,これは,勤務時間外でも勤務外とは評価されず,上記の結び付きが認められる場合(例えば,勤務時間外に,国又は職場の施設を利用して政治的行為を行うような場合に認められ得よう。)にはその政治的行為が規制されることを規定したものと解される
 3 必要やむを得ない規制について
 (1) ところで,本法102条1項が政治的行為の自由を禁止することは,表現の自由の重大な制約となるものである。しかるところ,民主主義に立脚し,個人の尊厳(13条)を基本原理とする憲法は,思想及びその表現は人の人たるのゆえんを表すものであるがゆえに表現の自由を基本的人権の中で最も重要なものとして保障し(21条),かつ,このうち政治的行為の自由を特に保障しているものというべきである。そのことは,必然的に,異なった価値観ないしは政治思想,及びその発現としての政治的行為の共存を保障することを意味しているといってよいと思われる。そのことからすると,憲法は,自分にとって同意できない他人の政治思想に対して寛容で(時には敬意をさえ払う),かつ,それに基づく政治的行為の存在を基本的に認めないしは受忍すること,いわば「異見の尊重」をすることが望ましいとしているともいえよう。当然のことながら,本件で問題となっている一般職の公務員もまた,憲法上,公務員である前に国民の一人として政治に無縁でなく政治的な信念や意識を持ち得る以上,前述の意味での政治的行為の自由を享受してしかるべきであり,したがって,憲法は,公務員が多元的な価値観ないしは政治思想を有すること,及びその発現として政治的行為をすることを基本的に保障しているものというべきである。
 (2) 以上の表現の自由を尊重すべきものとする点は多数意見と特に異なるところはないと思われ,また,同意見が述べるとおり,本法102条1項の規制は,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することを目的とするものであるが,公務員の政治的行為の自由が上記のように憲法上重大な性質を有することに照らせば,その目的を達するための公務員の政治的行為の規制は必要やむを得ない限度に限られるというべきである。そうすると,問題は,本法102条1項の政治的行為の解釈が前記のようなものであれば,このような必要やむを得ない規制となるかどうかである。
 そこで更に検討するに,まず,刑罰は国権の作用による最も峻厳な制裁で公務員の政治的行為の自由の規制の程度の最たるものであって,処罰の対象とすることは極力謙抑的,補充的であるべきことが求められることに鑑みれば,この公務員の政治的行為禁止違反という犯罪は,行政の中立的運営を保護法益とし,これに対する信頼自体は独立の保護法益とするものではなく,それのみが損なわれたにすぎない場合は行政内部での服務規律違反による懲戒処分をもって必要にして十分としてこれに委ねることとしたものと解し,加うるに,公務員の職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれが実質的に認められるときにその法益侵害の危険が生ずるとの考えのもとに,本法102条1項の政治的行為を上記のものと解することによって,処罰の対象は相当に限定されることになるのである。
 のみならず,そのおそれが実質的に生ずるとは,公務員の政治的行為からうかがわれる政治的傾向がその職務の遂行に反映する機序あるいはその蓋然性について合理的に説明できる結び付きが認められる場合を指し,しかも,勤務外の政治的行為にはその結び付きは認められないと解するのであるから,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる場合は一層限定されることになる。
 結局,以上の解釈によれば,本件罰則規定については,政党その他の政治的団体の機関紙たる新聞その他の刊行物の配布は,上記の要件及び範囲の下で大幅に限定されたもののみがその構成要件に該当するのであるから,目的を達するための必要やむを得ない規制であるということが可能であると思われる。
 (3) ところで,本法102条1項の政治的行為の上記の解釈は,憲法の趣旨の下での本件罰則規定の趣旨,目的に基づく厳格な構成要件解釈にほかならない。したがって,この解釈は,通常行われている法解釈にすぎないものではあるが,他面では,一つの限定的解釈といえなくもない。しかるところ,第1に,公務員の政治的行為の自由の刑罰の制裁による規制は,公務員の重要な基本的人権の大なる制約である以上,それは職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを指すと解するのは当然であり,したがって,規制の対象となるものとそうでないものとを明確に区別できないわけではないと思われる。第2に,そのようにおそれが実質的に認められるか否かということは,公務員の政治的行為からうかがわれる政治的傾向が職務の遂行に反映する機序あるいは蓋然性について合理的に説明できる結び付きがあるか否かということを指すのであり,そのような判断は一般の国民からみてさほど困難なことではない上,勤務外の政治的行為はそのような結び付きがないと解されるのであるから,規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめる相当に明確な指標の存在が認められ,したがって,一般の国民にとって具体的な場合に規制の対象となるかどうかを判断する基準を本件罰則規定から読み取ることができるといえる(最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁(札幌税関検査違憲訴訟事件)参照)。
 以上よりすると,本件罰則規定は,上記の厳格かつ限定的である解釈の限りで,憲法21条,31条に反しないというべきである。
 (4) もっとも,上記のような限定的解釈は,率直なところ,文理を相当に絞り込んだという面があることは否定できない。また,本法102条1項及び本規則に対しては,規制の対象たる公務員の政治的行為が文理上広汎かつ不明確であるがゆえに,当該公務員が文書の配布等の政治的行為を行う時点において刑罰による制裁を受けるのか否かを具体的に予測することが困難であるから,犯罪構成要件の明確性による保障機能を損ない,その結果,処罰の対象にならない文書の配布等の政治的行為も処罰の対象になるのではないかとの不安から,必要以上に自己規制するなどいわゆる萎縮的効果が生じるおそれがあるとの批判があるし,本件罰則規定が,懲戒処分を受けるべきものと犯罪として刑罰を科せられるべきものとを区別することなくその内容についての定めを人事院規則に委任していることは,犯罪の構成要件の規定を委任する部分に関する限り,憲法21条,31条等に違反し無効であるとする見解もある(最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁(猿払事件)における裁判官大隅健一郎ほかの4人の裁判官の反対意見参照)。このような批判の存在や,我が国の長い歴史を経ての国民の政治意識の変化に思いを致すと(なお,公務員の政治的行為の規制について,地方公務員法には刑罰規定はない。また,欧米諸国でも調査し得る範囲では刑罰規定は見受けられない。),本法102条1項及び本規則については,更なる明確化やあるべき規制範囲・制裁手段について立法的措置を含めて広く国民の間で一層の議論が行われてよいと思われる。
 4 結論
 被告人の本件配布行為は政治的傾向を有する行為ではあることは明らかであるが,勤務時間外である休日に,国ないし職場の施設を利用せず,かつ,公務員としての地位を利用することも,公務員であることを明らかにすることもなく,しかも,無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって,被告人は,いわば,一私人,一市民として行動しているとみられるから,それは勤務外のものであると評価される。そうすると,被告人の本件配布行為からうかがわれる政治的傾向が被告人の職務の遂行に反映する機序あるいは蓋然性について合理的に説明できる結び付きは認めることができず,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるとはいえないというべきである。したがって,被告人の管理職的地位の有無,その職務の内容や権限における裁量の有無等を検討するまでもなく,被告人の本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に該当しないというべきである。被告人を無罪とした原判決は,以上述べた理由からして,結論において相当である。
(裁判長裁判官 千葉勝美 裁判官 竹内行夫 裁判官 須藤正彦 裁判官 小貫芳信)



2017-06-25(Sun)

【ロー過去】中大ロー平成29年民法

続いて民法になります。

≪問題≫
Ⅱ 民 法

 次の【事実1】【事実2】【事実3】を読み,【設問1】【設問2】に答えなさい。

【事実1】2014年11月初旬,Aは東京近郊の田園地帯に所有する庭付き木造二階建て住宅(以下「甲建物」という。)を,都心から郊外への転居を希望していたBに,一切の家具調度品付き(目録あり)で賃貸し引き渡した。賃貸期間は2年,敷金は30万円,月額賃料は15万円であった。なお,甲建物は最近1年半ほど借り手がなく空き家であった。

【事実2】2015年1月中旬,BはガールフレンドCの歓心を買うため,甲建物内の家具調度品の一つであるA所有の装飾用置物(目録に記載あり,以下「乙置物」という。)を,自らが海外旅行先で見つけ購入した掘り出し物と偽り,旅行土産としてCに贈与し引き渡した。しばらくしてこの乙置物の贈与引渡しを知ったAは,同年2月下旬,Cに乙置物の返還又はその価格の返還を求めた。そのときAC間には次のようなやり取りがあった。
  A「それはBに預けてあった私の大事な品物だから返してほしい。」
  C「前はあなたの物でも,今はBからもらって私の物です。返す必要なんてありません。」
  A「一銭も身銭を切ることなく他人の物をわが物にして,これから先そのままで済むと思っているの。世間の常識や公平感は,そんな不当なこと決して許しませんよ。」
  C「あなたにそんな説教をされる覚えはありません。文句があるならBに言うべきでしょ。」

【事実3】2015年3月中旬,Bは実際に住んでみて甲建物が気に入ったので,これを4000万円でAから購入し,敷地所有者Lから借地権譲渡の承諾を受け,所有権移転登記も経由した。ところが,夏に近づき気温が上昇するにつれ,どこからともなく異臭がするようになった。同年7月下旬,たまりかねたBがその原因を業者に調べさせたところ,甲建物の屋根裏が野生のコウモリの巣になっており,その排泄物が異臭を放っていることが判明した。建物本体にまでこびりついた排泄物の厚さからして,コウモリがすみつき始めたのは遅くとも甲建物が空き家になった1年半前ころではないかと推測された。そこで,Bは屋根裏からの巣の一掃,屋根裏及びその周辺部分の消毒,脱臭,補修を業者に依頼し,工事代金として300万円の支出を余儀なくされた。同年10月上旬,BがAに対してこの工事代金相当額の支払いを請求したところ,BA間には次のようなやり取りがあった。
  B「コウモリが巣くっている家を売りつけるなんてひどいじゃないか。」
  A「この辺りじゃ屋根裏にコウモリがすんでいる家は珍しくないですよ。」
  B「周りと比べてもこの臭いはひどすぎる。とても住めたものじゃない。」
  A「今さら言いがかりをつけるのはやめてほしいですね。あなたも買う前にちょっと天井裏をのぞけば分かったはずでしょう。」


【設問1】上記【事実1】【事実2】につき,Aは法律上Cに対して乙置物の返還又はその価格の返還を請求できるかどうかを検討しなさい。【事実3】は無視すること。

【設問2】上記【事実1】【事実3】につき,Bは法律上Aに対して300万円の支払いを請求できるかどうかを検討しなさい。【事実2】は無視すること。

(120点)

中大の民法は,他の科目に比べて,明らかに事実が長いです。

使えそうな事情がまぁまぁあります。

一番差が出る科目なのではないかと,個人的には思っています。

民法で外さなければ,中大の合格はかなり近づくのではないでしょうか。

そんなことを言っていてあれなんですが,今年の民法は正直よく分かりませんでした。

特に【設問1】は問題の所在がいまいち掴みきれないところがあり,思考があやふやなところが答案に思いっきり反映されてしまいました。

【設問2】も整理しきれていない部分があり,全体としてダメダメな答案です。

≪再現答案≫

第1.設問1
 1⑴ Aは,Cに対し,所有権に基づく返還請求権として乙置物の引渡しを請求する。これが認められるためには,①Aが乙置物を所有すること,②Cが乙置物を占有することが必要である。本件では,①乙置物は,甲建物とともにBに引き渡された家具調度品の一部であり,Aの所有に属する。②Cは,Bから引渡しを受けたことにより,乙置物を占有している。したがって,上記請求は認められるようにも思える。
  ⑵ これに対して,Cは,自己は乙置物について,Bから贈与を受けたのであり,Aは乙置物について所有権を喪失したと反論する。
 しかし,Bは,乙置物について,Aからあくまで賃貸しているにすぎないため,乙置物の処分権限を有さない。したがって,Cは,無権利者からの贈与を受けたにすぎず,その効力をAに対して主張することはできない。
  ⑶ そこで,Cは,乙置物について,その所有権を即時取得したと反論する。即時取得(192条)が成立するためには,①取引行為,②平穏・公然,③善意,④無過失,⑤動産であること,⑥前主が無権利者であることが必要である。
 これを本件についてみると,①Cは,Bとの間で,乙置物について贈与契約(549条)を締結しており,無償契約であっても,取引の安全を保護する即時取得制度の趣旨は妥当するから,これは取引行為にあたる。②については,186条1項によって推定される。④についても,188条によって推定される。⑤乙置物は,動産である。⑥上記のように,Bは乙置物の処分権限を有しないから,無権利者である。それでは,④Cは,乙置物の処分権限がBにないことについて善意であったといえるか。乙置物は,AからBに引き渡された家具調度品の一部であって,目録に記載があるものである。そうすると,目録の記載をもって,Cは,乙置物がBの所有に属しないことを知り得るから,Cは善意ではないと考えることもできそうである。しかし,不動産における登記制度のような公示制度がない動産については,その権利関係の把握は,現実の占有状態によって判断するのが通常である。したがって,目録に記載があろうとも,その目録自体が誰からも認識しうる状態にあり,容易にこれを知り得たというような特段の事情がない限り,目録への記載のみをもって,取得者の悪意を推定することはできない。以上からすれば,Cは,Bが乙置物について処分権限を有しないことについて知り得た事情が特に存しない本件では,善意であるといえる。
 したがって,Cは,乙置物を即時取得する。
  ⑷ よって,Aの上記請求は認められない。
 2.そこで,Aは,Cに対して,乙置物が「盗品」にあたるとして,193条に基づく回復請求をすることが考えられる。しかし,AはBに対して乙置物を適法に賃貸している本件では,乙置物は「盗品」にあたらない。したがって,上記請求は認められない。
 3.そこで,Aは,Cに対し,不当利得(703条,704条)として,乙置物の時価相当額の返還を請求することが考えられる。しかし,Cは,Bとの贈与契約によって,乙置物を取得しているから,「法律上の原因」がある。したがって,上記請求も認められない。
第2.設問2
 1.Bは,Aに対し,瑕疵担保責任に基づく損害賠償請求(570条)として300万円の支払を請求することが考えられる。これは認められるか。
 2.「隠れた」とは,取引上要求される注意をもってしても発見することができないことをいう。「瑕疵」とは,取引上通常要求される性能・品質を欠いていることをいう。
 これを本件についてみると,まず,建物の売買においては,建物にコウモリが住み着いていないことが,通常の取引上は要求されると考えられる。たしかに,甲建物の周辺では,コウモリが住み着いていることも珍しくないことから,当該地区での取引上要求される性能・品質は保っているとも思えるが,これに伴う異臭が生じている本件では,それによって住環境が阻害され,住居としての甲建物の目的が達成されない状態にある。そうすると,やはり建物として通常要求される性能・品質を欠いているといわざるを得ない。したがって,甲建物には「瑕疵」がある。
 それでは,上記瑕疵は,「隠れ」ていたといえるか。この点,Aとしては,天井裏をのぞくことによって,これを発見することができたのであるから,取引上要求される注意をもってして発見できると主張すると考えられる。たしかに,天井裏は,通常,押し入れの奥に入ればのぞくことができ,その確認は容易であるといえる。しかし,実際の建物の売買がなされるときに,わざわざ押し入れに潜って天井裏まで確認することは,通常なされないと考えられる。また,本件売買がされたのは,3月中旬であり,未だ気温がそこまで高くない時期であるから,コウモリの住み着きによる異臭の発生もそれほど生じていないものと考えられる。そうすると,天井裏にコウモリが住み着いていることの方が珍しいことに鑑みれば,甲建物にコウモリが住み着いていることを発見することは容易であったとはいえない。以上から,甲建物にコウモリが住み着いていることについて,取引上要求される注意をもってしても発見することは困難であったといえる。したがって,上記瑕疵は,「隠れ」ていたといえる。
 3.よって,上記請求は認められる。
以 上

たたき台にしかならない答案です。

よく分からないけれど,あてはめに注力していた気がします。

諦めないで最後まで書ききればなんとかなるんじゃないでしょうか(適当)。

次回は,刑法です。

以上
2017-06-25(Sun)

【ロー過去】中大ロー平成29年憲法

中間試験を乗り越えることに失敗した管理人です。

今回から,数記事にわたって,私が受験したときの中大ローの問題と再現答案を掲載します。

中大は一応全免をとれましたので,こんな答案で全免がくるのかというのの一つの指標にしていただければと思います。

最初は憲法からです。

≪問題≫
Ⅰ 憲 法

 下記の問題に答えなさい。

 「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(以下「風営法」という。)は,「善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し,及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止するため,風俗営業……について,営業時間,営業区域等を制限し,及び年少者をこれらの営業所に立ち入らせること等を規制するとともに,風俗営業の健全化に資するため,その業務の適正化を促進する等の措置を講ずることを目的」(同法1条)として,「ナイトクラブその他の設備を設けて客にダンスをさせ,かつ客に飲食をさせる営業」を「風俗営業」とする(同法2条)とともに,風俗営業を営もうとする者は行政当局の許可を受けなければならない(同法3条)と定めていた。
 Xは,DJが大音量でかける音楽を聞きながら酒を飲んだり,音楽に合わせて踊ったりする(ディスコの形態の)いわゆる「クラブ」Afternoonを経営していたが,それが風営法の風俗営業に該当するとは思っていなかった。そのため,Xは,風営法3条の許可を得ることなく,自己の経営する「クラブ」Afternoonにおいて客にダンスをさせ,軽食や酒類を提供して飲食させたとして起訴された。
 ここに含まれる憲法上の問題点について論じなさい。ただし,風営法の規定の明確性については触れる必要はない。
 なお,風営法は,2015(平成27)年に改正され,客にダンスをさせること自体は規制の対象とはならなくなったが,解答にあたってはこの点を考慮する必要はない。

(120点)

あーあ,営業の自由かぁ,準備ちゃんとしてなかったなぁと思いながら,解き始めました。

中大は,22条関連と13条関連の問題がよく出ているような気がします。

それなのに,営業の自由を対策していなかったのはとても痛手でした。

とりあえず,薬事法判例あたりに触れていないとダメなんでしょうね。

≪再現答案≫
1.Xは,客にダンスをさせ,かつ客に飲食をさせる営業について,当局の許可を必要とする風営法2条及び3条は,Xの職業活動の自由を制約し,憲法22条1項に反し違憲であるとの主張を行う。
2.憲法22条1項は,職業選択の自由について保障している。職業を自由に選択できたのみで,それを自由に遂行することができなければ,無意味であるから,同条項は,職業活動の自由をも保障していると考える。
3.風営法は,風俗営業を営むに際して,行政当局の許可を必要としている。資本主義社会においては,いかなる形態の営業を行うかは,本来営業者が自由に決定することができるところ,許可制は,予め該当する形態の営業を禁止し,許可を受けることによってはじめて当該営業を行うことができるようにするものである。したがって,風営法の上記規定は,Xの職業活動の自由を制約するものである。
4⑴ 職業は,自己の生計を維持するうえで,必要不可欠な活動である。また,分業社会においては,社会の存続発展に寄与するものである。したがって,職業活動の自由は,権利として重要であるといえる。よって,これに対して制約を加える規定の合憲性は,厳しく審査されなければならない。
 許可制は,上記のように,職業活動の開始前に,当該活動を一律に禁止するものであり,その職業活動を許可がない限り一切行うことができなくするものであるから,事後的な制約と比しても,その制約の態様は強いといえる。また,本件におけるように,これに違反して風俗営業を行った者は,刑罰をもって処されることになるから,上記制約は刑罰の威嚇という強度の制裁をもって担保されているから,制約の強制力が強く,制約態様は強いといえる。したがって,このような制約の合憲性は,厳しく審査されなければならない。
 したがって,風営法の上記規定は,その目的が重要であり,当該目的を達成するための手段としてより制限的でないものがないといえない限り違憲である。
 ⑵ これに対して,検察側は,風営法の上記規定は,少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止するためになされるものであり(同法1条),精神的に未熟である青少年を保護する規律は,青少年の保障の程度が低下することから,違憲審査基準が低くなるとの反論が想定される(岐阜県青少年保護条例事件伊藤裁判官補足意見)。
 しかし,上記のような,営業者の生計の根本となる職業活動自体に対する制約の場合には,その者の生活がかかっているのであるから,容易に審査基準を低くするべきではない。したがって,風営法の上記規定は,X主張の基準によって審査されるべきである。
 ⑶ 風営法の目的は,善良な風俗等の維持及び少年の健全な育成を施す点にある。人が生活を送る上で,住環境やその周辺の環境を保全することは不可欠である。また,少年は精神的に未熟であることが多いから,少年の適正な育成は重点的に図らなければならない。したがって,上記目的は重要である。
 しかし,上記目的を達成するためであれば,行政当局が,適正に営業がなされていない店のみを対象として行政指導を行い,又は,経営者の教育を行うことも考えられる。このような手段によれば,許可制のような事前的一律の規制によらずとも,同様の成果をあげることができると考えられる。したがって,風営法の上記規定のうち許可制を定めた部分は,その手段が過剰であるといわざるをえない。
 したがって,風営法の上記規定は,当該目的を達成するためのより制限的でない手段が存するといえるから,Xの職業活動の自由を不当に侵害し,憲法22条1項に反し違憲である。
以 上


中大は,ご存知の通り,解答用紙が30行ですが,憲法は表裏あるので60行分書けます。

ただ,民法・刑法と併せて150分ですので,憲法にそこまで時間をかけたくありません。

そうすると,上の再現答案くらいの分量で十分なのではないかと思います(なお内容)。

伊藤正巳の補足意見については,後から見返したら間違った引用な気もしてきているので,下手に冒険しない方がいいかもしれません。

次回は,民法の再現答案を載せようと思います。

以上
2017-06-25(Sun)

最判平成15年7月3日判時1835号72頁

最判平成15年7月3日判時1835号72頁

【事実】
 ⑴ 上告人は,訴外ナノマイザー株式会社に対する債権を担保するために,物上保証人A外2名所有の本件各不動産につき,被担保債権の極度額を8000万円とする本件根抵当権の設定を受け,既に登記されていた株式会社群馬銀行の抵当権,根抵当権の外,大和銀企業投資株式会社の根抵当権に次いで,その旨の登記を経由した。
 ⑵ 上告人は,横浜地方裁判所小田原支部に対し,本件各不動産を目的とする本件根抵当権の実行としての競売を申し立て,平成13年6月19日,競売開始決定を得た。その際に提出された申立書には,「担保権」として極度額を8000万円とする本件根抵当権の表示に加えて,「被担保債権及び請求債権」として「元金 6000万円 但し,債権者が債務者に対し,平成6年11月15日付(金銭消費貸借契約)に基づいて貸付けた元金」と記載され,利息,損害金の記載はなかった
 ⑶ 本件各不動産につき代金を2億5222万2229円とする売却許可決定がされ,代金が納付された。上記裁判所は,民事執行規則60条に従い,債権元本,利息その他の附帯債権等の額を記載した計算書を提出するよう催告し,上告人は,平成14年1月18日,執行費用の額のほか「元金現在額 60,000,000円,利息現在額 3,470,795円,損害金現在額 50,123,835円」と記載した債権計算書を提出した
 ⑷ 平成14年2月14日の配当期日において,上記裁判所は,上告人に優先する債権者に配当した後の金銭から申立書に記載された6000万円を上告人に配当し,その残金6724万2654円を上告人の後順位者である被上告人に配当する旨の配当表を作成した
 ⑸ 上告人は,極度額の範囲内で利息,損害金の内金2000万円への配当を求めて配当異議を申し立てた

最判平成15年7月3日判時1835号72頁関係者図

【争点】
 根抵当権に基づく不動産競売の申立債権者がその申立書に被担保債権及び請求債権として金銭消費貸借契約に基づく貸金元金の全額を記載したが,利息・損害金の記載をせず,その申立てについての不動産競売開始決定においても同様に被担保債権及び請求債権として利息・損害金請求権の表示がされなかった場合において,申立債権者が債権計算書提出期間内に利息・損害金の金額を記載した債権計算書を提出したとき,申立書に表示した根抵当権の極度額の範囲内において利息・損害金債権について配当を受けることができるかが争点である。

【当事者の主張】
≪第1審≫
 ⑴原告の主張
  ア 原告が本件競売事件の債務者に対して有する債権は,貸付金元本6000万円のほか,前記の債権計算書に記載したとおり,平成13年11月28日までの利息及び損害金合計5385万3630円であり,これらの債権が極度額8000万円の根抵当権によって担保されていた。
  イ 原告は,根抵当権の被担保債権元本の全額である6000万円について不動産競売を申し立てたのであり,元本の一部について競売を申し立てたのではなく,また,民法374条によって満期となった最後の2年分の利息・損害金については後順位抵当権者に優先して弁済を受ける権利を有しているから,極度額の範囲内の金額については,利息・損害金請求権について配当を受けることができるというべきである。
 ⑵被告の主張
  ア 原告が被担保債権及び請求債権として元本6000万円と特定・明示して競売を申し立てたのであるから,この申立ては,それ以上でもそれ以下の申立てでもない。
  イ 競売申立債権者が申立て後に請求債権を拡張することは許されない。申立時に元本債権のみを請求債権としたにもかかわらず,後日に何ら具体的主張のない利息・損害金まで請求債権に含むと主張することは,明らかに不当である。

≪原審≫
4 控訴人の当審における主張
 根抵当権者による不動産競売の代価の配当につき,先順位者が全部の弁済を受けなかった場合には,後順位者は代位権を取得しないとの判例(大判明治41・2・26民録14・130)及び次順位抵当権者の代位権は,先順位抵当権者が全部の弁済を受けた時に発生するとの判例(大判大正11・12・28民集1・865)があり,これらの判例によれば,控訴人が有する根抵当権極度額8000万円によって,控訴人が貸付金元金6000万円及び利息・損害金の内金2000万円の合計8000万円の全部弁済を受けたときに次順位根抵当権者である被控訴人に代位権が発生し,弁済を受けることができる。
 しかるに,原判決は,控訴人は,本件競売事件の申立書において,債務者に対する貸付債権のうち元金債権6000万円について根抵当権の実行を求めたのみであり,利息債権及び損害金債権については根抵当権の実行を求めなかったのであるから,配当手続に至って利息債権及び損害金債権に対する配当を求めることは許されないと認定し,根抵当権の実行を元本債権と利息損害金債権に区分する実行が存するかのように認定しているが,上記判例は,先順位抵当権者が全部の弁済を受けたときに次順位抵当権者の権利が発生するとしており,原判決は,明らかに法律の解釈を誤り,判例に反するものであり,取消しを免れない。
5 控訴人の当審における主張に対する被控訴人の反論
 本件の争点は,要するに,担保権実行としての競売申立債権者は,申立後に請求債権を拡張することが許されるか否かである。この点については,判例・通説とも拡張は許されないとしている。
 控訴人は,後順位抵当権者の代位権に関する判例を引用して,その主張を裏付けようとしているが,本件の争点とは直接関係のない判例であって,主張自体失当である。

【判示】
 ⑴ 民事執行規則170条2号,4号の規定の趣旨が競売手続の安定した遂行にあることは,原審の判断⑴の指摘するとおりである。また,被担保債権の一部のみの実行を申し立てた者は,当該手続において申立てに係る債権の拡張を制限されてもやむを得ないということができる。しかし,この結論は,当該申立債権者の選択を信頼した競売手続の関係者に対する禁反言の要請から生ずるものであって,上記各号の規定が被担保債権の一部実行の場合における残部の優先弁済請求権の喪失という実体法上の効果を定めるものではない
 ⑵ 不動産を目的とする担保権の実行としての競売の手続は,所定の文書(民事執行法181条1項)が提出されたときに開始し,当事者の申立てに係る事実を前提として進められるものであるから,執行裁判所においては,民事執行規則170条2号,4号の規定に従った記載がされるとの信頼の下に,申立書の記載に従って手続を進行させることが円滑な売却手続の実現に資するものということができる。
 ⑶ しかし,抵当権の被担保債権の一部のみのためにする担保権の実行としての競売においては,売却により抵当権は消滅し,当該抵当権者は残部の被担保債権に対する優先弁済請求権を喪失することとなり,その効果は当該手続における配当にとどまらないから,被担保債権の一部実行を申し立てる意思はなく,錯誤,誤記等に基づき競売申立書に被担保債権の一部の記載をしなかった場合にまで,一律に真実の権利主張を禁ずることが,前記の禁反言からの当然の帰結ということはできず,民事執行規則170条2号,4号の規定が予定するところということもできない
 ⑷ したがって,訴訟手続である配当異議の訴えにおいて,競売申立書における被担保債権の記載が錯誤,誤記等に基づくものであること及び真実の被担保債権の額が立証されたときは,真実の権利関係に即した配当表への変更を求めることができるものと解すべきである。
 ⑸ 本件においては,上告人が提出した競売申立書には本件根抵当権の元本債権の全額が記載されながら附帯債権が存する旨の記載がなかったというのであるが,この記載から,直ちに,上告人が附帯債権についての優先弁済請求権を放棄し,元本についてのみの実行の意思を表示したものと認めるには足りない。

【参照条文】
民事執行法
(配当異議の訴え等)
第90条 配当異議の申出をした債権者及び執行力のある債務名義の正本を有しない債権者に対し配当異議の申出をした債務者は,配当異議の訴えを提起しなければならない。
2 前項の訴えは,執行裁判所が管轄する。
4 第1項の訴えの判決においては,配当表を変更し,又は新たな配当表の調製のために,配当表を取り消さなければならない。
5 執行力のある債務名義の正本を有する債権者に対し配当異議の申出をした債務者は,請求異議の訴え又は民事訴訟法第117条第1項 の訴えを提起しなければならない。
(不動産担保権の実行の開始)
第181条 不動産担保権の実行は,次に掲げる文書が提出されたときに限り,開始する。
一 担保権の存在を証する確定判決若しくは家事事件手続法第75条の審判又はこれらと同一の効力を有するものの謄本
三 担保権の登記(仮登記を除く。)に関する登記事項証明書
(不動産執行の規定の準用)
第188条 第44条の規定は不動産担保権の実行について,前章第2節第1款第2目(第81条を除く。)の規定は担保不動産競売について,同款第3目の規定は担保不動産収益執行について準用する。

民事執行規則
(計算書の提出の催告)
第60条 配当期日等が定められたときは,裁判所書記官は,各債権者に対し,その債権の元本及び配当期日等までの利息その他の附帯の債権の額並びに執行費用の額を記載した計算書を1週間以内に執行裁判所に提出するよう催告しなければならない。
(担保権の実行の申立書の記載事項)
第170条 担保権の実行(法第193条第1項後段の規定による担保権の行使を含む。次条及び第172条において同じ。)の申立書には,次に掲げる事項を記載しなければならない。
二 担保権及び被担保債権の表示
四 被担保債権の一部について担保権の実行又は行使をするときは,その旨及びその範囲
(不動産執行の規定の準用)
第173条 前章第2節第1款第1目の規定(次に掲げる規定を除く。)は,担保不動産競売について準用する。
一 第23条中執行力のある債務名義の正本に係る部分

※事実の詳細※
争いのない事実等(証拠等の摘示のないものは争いがない。)
 ⑴ 原告(旧商号・白水化学工業株式会社,平成11年4月1日変更)を申立債権者,ナノマイザー株式会社を債務者,不動産所有者をA,B及びCの3名とする本件競売事件において,平成14年2月14日,別紙配当表(以下「本件配当表」という。)が作成された。
 被告は,原告より後順位の抵当権者として,本件配当表記載のとおり配当されるものとされた。
 原告は,被告に対する配当金額のうち2000万円についてこれが原告に配当されるべきであるとして異議を述べた。
 ⑵ 原告は,本件競売事件の申立書において,担保権及び被担保債権を次のとおり表示し,その旨の競売開始決定がされた。なお,登記簿はは下記アの記載がある。
  ア 担保権
   ⑴平成6年11月15日設定(物件1~5)
 平成7年3月29日変更(物件1~5)
 平成7年3月29日追加設定(物件6)の根抵当権
 極度額   8000万円
 債権の範囲 証書貸付取引,手形債権,小切手債権
   ⑵登記 横浜地方法務局平塚出張所
 主登記  平成6年11月15日受付第30777号(物件1~5)
 平成7年3月29日受付第8164号(物件6)
 付記登記 平成7年3月29日受付第8163号(物件1~5)
  イ 被担保債権及び請求債権
 元金 6000万円
 但し,債権者が債務者に対し平成6年11月15日付(金銭消費貸借契約)に基づいて貸付けた元金
 ⑶原告は,平成14年1月18日,次の内容の債権計算書を提出した。
  ア 債権額合計 1億1385万3630円
  イ 債権発生の年月日及びその原因
 平成6.11.15寸金銭消費貸借
  ウ 元金現在額 60000000円
  エ 債務名義,仮差押命令又は担保権の表示
 平成6.11.15受付第30777号根抵当権
 平成7.3.29受付第8164号根抵当権
 平成7.3.29受付第8163号根抵当権変更
  オ 利息
 期間  平成6.11.15~7.12.10
 日数  391日
 利率  年5.4%
 現在額 3470795円
  力 損害金
 期間  平成7.12.11~13.11.28
 日数  5年353日
 利率  年14.0%
 現在額 50123835円
  キ 執行費用(合計259000円)の内訳
 不動産競売申立印紙代 3000円
 同予納郵券      16000円
 同登録免許税     240000円

横浜地小田原支判平成14年5月10日(第1審)

       主   文

1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。

       事実及び理由

第3 争点に対する判断
1 〈証拠略〉及び弁論の全趣旨によれば,原告が債務者ナノマイザー株式会社に対して前記の債権計算書に記載のとおりの債権を有していた事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。
2 しかし,原告は,本件競売事件の申立書において,債務者に対する貸付債権のうち元本債権6000万円について根抵当権の実行を求めたのであり,利息債権及び損害金債権については根抵当権の実行を求めなかったのであるから,配当手続に至って利息債権及び損害金債権に対する配当を求めることは許されないというべきである。なお,執行費用については,手続費用として原告に配当がされている。
3 よって,原告の本件配当表に対する異議は理由がないから,本件請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
          裁判官 加藤謙一

東京高判平成14年8月28日(原審)

       主   文

1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は,控訴人の負担とする。

       事実及び理由

第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も,控訴人の本件請求は理由がなく,棄却すべきものと判断する。そのように判断する理由は,下記2に記載のとおり付加するもののほか,原判決の「事実及び理由」欄第3の1及び2に記載のとおりであるから,これを引用する。
2 不動産競売の申立書には,被担保債権及び請求債権の表示を記載しなけれはならず,かつ,競売申立債権者が被担保債権の一部について担保権の実行又は行使をするときは,その旨及びその範囲をも記載しなけれはならない(民事執行規則170条2号,4号)。これらの規定の趣旨は,被担保債権額が,登録免許税の額の算定基準となることはもとより,いわゆる過剰競売や無剰余取消しの判断基準となっており(民事執行法61条ただし書,63条,73条等参照),被担保債権が不動産競売申立ての段階の後(例えば配当手続の段階)に至り拡張等により変更されると,場合によっては当該競売手続の取消しが避けられなくなる事態を生じかねないなど,競売手続の安定性が害されるおそれがあるので,競売申立債権者に,競売申立ての段階で,被担保債権すなわち担保権の実行を求める請求債権の額(全額か,一部の特定された額か)を確定させようとする趣旨であると解される。これによれば,競売申立債権者が,自ら不動産競売申立書中に被担保債権及び請求債権の額を明記して競売申立てをし,これに基づく競売開始決定があった以上,以後その競売手続においてこれに拘束されることになったとしてもやむを得ないというべきであるし,他面において,競売申立債権者としては,自己の任意の選択により一旦被担保債権の一部について競売の申立てをした後,残余について担保権実行の必要が生じたような場合には,その競売手続中であればその配当要求の終期までに新たに拡張部分につき競売の申立てをすることもできないわけではなく,これによって当該競売手続中においても残余債権についての優先的な配当を受ける方途も残されており,上記のように競売申立ての段階で被担保債権及び請求債権の額を確定させても,必ずしも申立債権者に不都合ないし不利益を強いるものではないというべきである。
 以上に徴すると,競売申立債権者が競売申立書に記載した被担保債権及び請求債権の額を後の配当手続の段階に至ってから債権計算書等の記載をもって拡張することは,もはや全く許されないものと解するのが相当である。
 なお,この点に関し,控訴人が挙示する判例は,本件とは事案を異にするものであり,本件については,これらの判例は,適切ではない。
3 以上の認定及び判断によれば,本件配当表は適法であり,その変更を求める控訴人の本件請求は理由がなく,棄却を免れない。
第4 結論
 よって,控訴人の本件請求を棄却した原判決は正当であり,本件控訴は理由がないから,棄却することとし,控訴費用の負担につき,民事訴訟法67条1項,61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 雛形要松 裁判官 西謙二 山崎 勉)

本判決に対する評価

 【1】本判決は,民事執行規則170条2号,4号に関する原審の指摘を正当とし,真意に基づく一部実行の場合には優先弁済請求権の喪失を是認し,執行裁判所は同規則の規定に従った記載がされるとの信頼の下に,申立書の記載に従って手続を進行させること(拡張禁止説)を前提とした上,真意に基づかず錯誤,誤記により被担保債権の一部の記載が漏れた場合には,その権利主張を禁止することが禁反言の当然の帰結ということはでぎす,上記規則の予定するところでもないとした。
 権利者の申述への信頼を前提にした上で,その是正を許す場面としては,訴訟上の自白の取消しがあり,この場合には自白が錯誤に基づき,真実と異なることが要件とされる。本判決の指摘する申述の変更の要件は,自白の撤回の要件とも通ずるといえよう。もっとも,被担保債権の存否を確定することなく当事者から提出された資料(申立書,登記簿謄本,債権計算書)に基づき進行する執行裁判所での手続では,申立書の記載が失念,錯誤に基づくことや主張が真実であることの立証をさせることは困難である。他方,配当異議訴訟は,実体関係を立証して実体に即した配当表の是正を求める訴訟であるから,この手続で,錯誤,誤記に基づくこと及び真実の権利関係を立証させることは,訴訟の目的に合致する。
 本判決は,執行手続上の要請をも考慮して,拡張禁止説を是認し,その実務的メッセージ(申立書の記載を正確にさせ,登録免許税の回避を予防する)を維持すると共に,訴訟法上の自白の撤回に類似した和宇慶ンの下で配当異議訴訟における実体権の主張を肯定したものと評することができよう。(ジュリ1257号103頁)
 【2】執行手続上の要請と担保権の実体的効力との調整を図ったものということができる。従来の通説は,どちらかといえば,一律に請求債権の拡張は許されないとし,また,競売手続中における拡張の許否と配当異議の訴えにおけるそれとを区別することなく,拡張の許否を論ずる傾向にあったが,本判決は,これらの点について見直しを求めるものであり,執行実務に与える影響は大きいであろう。もっとも,申立債権者が,元金の一部であることを認識しながら,全部に対する配当を受けることはできないであろうと考えて,あえて元金の一部のみを請求債権とした場合や,根抵当権の被担保債権の全部でないことを認識しながら,その一部についてのみを請求債権とした場合にまで,「錯誤,誤記等に基づくものであること」という要件をクリアして請求債権を拡張し,元金の残部や他の被担保債権への配当を求めることができるかどうかは,必ずしも明らかではなく,これらの点については,今後も解釈が分かれる余地があると思われる。(判タ1154号227頁)
 【3】標題判決を踏まえると,請求拡張禁止の根拠としては,権利喪失的な理論構成はもはや採り得ず,禁反言を中心に据えるとともに,競売手続段階,特に売却実施後の配当手続においては競売手続の安定の要請も考慮すべきことになろう。登録免許税の租税回避防止については,本来は租税の制度設計で対処すべき問題であるので,競売手続上の解釈問題として正面から理由として取り上げることは躊躇されるが,少なくとも競売手続内での拡張を厳しく制限し,後の配当異議訴訟で解決すべきこととすれば,その訴訟提起の手続的負担から,副次的効果として目的を達することが可能となる。(民執百選(初版)199頁)
 【4】本件判決には疑問がある。本件判決では,「請求債権額拡張制限の根拠を信義則(禁反言)に求めた点」がまず問題と思われる。この帰結の前提は,民執規則170条2号,4号(現170条1項2号,4号)に関する理解である。つまり,本件判決は,この規定の趣旨を競売手続の安定に置きつつも,この規定が実体法上認められている担保権者の優先弁済権を喪失させるものではないとする。これは,担保権実行の基礎を「担保権に内在する換価権」とする限り,規則の規定により実体法上の権限を制限することはできないと考えたものと思われる。実体的権利実現の場である民事執行において実体的法秩序を尊重した点は正当であろう。問題は,その代わりに,拡張制限の根拠を信義則(禁反言)に求めた点である。関係人の利害調整がその背景に存在すると思われるが,「当該申立債権者の選択を信頼した競売手続の関係者に対する禁反言の要請」はそもそも想定できようか……。この要請は,処分権主義の帰結から当該担保権者の一部申立てが残部債権の優先弁済権の放棄の意思表示をも意味することを前提としよう……。しかし,後順位抵当権者がいない場合など,申立担保権者の意思解釈として残部債権の優先弁済権放棄まで読み込むことは無理があろう……。また,拡張否定説では配当要求終期までに残部債権の競売申立てもできるとするが,これでは信義則の基礎となる矛盾行為の存在,相手方の信頼とそれに基づく地位形成自体が成り立たない……。むしろ,民執規則の文言からは残部請求がありうるとするのが素直な読み方であろう。さらに,関係人の利害調整という観点からみた場合,競売申立てをした担保権者が,申立てをしたがゆえに,不利な取扱いを受けることも問題であろう。とくに,届出債権者が当初の届出額を事後計算書によって拡張することを認める点……は,申立担保権者とのバランスがとれない……。以上を勘案すると,信義則に基づく請求債権額拡張の制限は十分な説得力を有してこないように思われる。
 また,本件判決では信義則に拡張制限の基礎をおくことから,必然的に例外を認めることになる。注目すべきは,競売手続の配当段階と配当異議訴訟段階を明確に区分し,後者の段階で例外の判断をすることで手続の安定性と実体法秩序とのバランスをとった点である(加えて,訴訟手続による手続保障も考慮されている)。しかし,例外で挙げる誤記等は判決手続で判断する事柄であろうか。円滑な手続遂行に反してこよう。さらに,例外判断基準として自白撤回法理と類似の要件を挙げた点も問題である。この例外的処理は配当債権者間の相対的・実体的調整である配当異議訴訟とは相容れない基準でもある……。また,自白撤回法理同様,反真実の立証があれば錯誤を推認できるとすると,真実の被担保債権の額が立証されたならば請求債権額の拡張が認められることになるが,一部申立ての場合にかかる立証はさほど困難ではないであろう。このような解釈をとると,実質的には拡張肯定説に近づくことになる。拡張否定説が重視する手続の安定性・迅速性の観点とズレが生じるのである。なお,拡張否定説が重視する競売手続安定性の観点も説得的ではない。申立債権額は無剰余取消し禁止とは無関係であるし……,超過売却の関係でも債権額拡張の場合には関係はない……との指摘もある。確かに,執行手続の形式的,画一的基準による迅速かつ大量の事件処理の要請は重要であるが,実体法秩序との調整が十分ではない処理は問題である。
 さらに,配当異議の申出のない抵当権者の不当利得返還請求を認めた最判平成3・3・22(民集45巻3号322頁)との関係でも問題がある。本件判決により拡張が制限されても最終的には抵当権者の不当利得返還請求が認められる帰結(平成3年判決自体の帰結も問題と考えるが)は,競売手続の安定性の観点からも事案処理の落ち着きからも疑問となる。むしろ,競売手続内で債権額の拡張を認め,配当異議の申出のない抵当権者の不当利得返還請求を認めない方が競売手続の円滑な進行と安定に資するように思われる。(民執百選(2版)51頁)
 【5】本判決は,このような状況のもとにおいて,最高裁が,初めて,競売手続中においては,申立てにかかる債権を真実の被担保債権に拡張することは許されないが,配当異議の訴えにおいては,競売申立書における被担保債権の記載が錯誤,誤記等に基づくものであることおよび真実の被担保債権の額を主張立証することを要件として,申立債権を超える真実の被担保債権への配当を求めることができることを明らかにしたものであり,従来対立のあった争点について一応の解決を示したものとして,今後の実務に与える影響は大きいところがあると言うことができる。(金融法務事情1710号27頁)

参考判例

◎最判昭和47年6月30日民集26巻5号1111頁

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 上告代理人寺井俊正の上告理由第一点について。
 所論の点に関し、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、不動産の競売申立に際し、競売法二四条二項三号により申立債権の表示が必要とされるのは、被担保債権がいかなる債権であるかを明らかにするためであるから、その表示の程度は、これを特定しうる程度で足り、中立債権の額の表示は、債権額を限定する意義を有するものではなく、したがつて、被上告人は、その申立債権額に制限されることなく、これを超えて本件(一)ないし(四)の土地の競売代金から被上告人の被担保債権につき配当を受けることができる旨の原審の判断は正当として是認するに足り、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はないから、論旨は採用することができない。
 同第二点について。
 原判決に徴すれば、原審は、本件(一)ないし(六)の全物件について一括競売がなされた旨の上告人の主張事実は当事者間に争いがないが、しかし、一括して競売に付する旨の売却条件は、異なる債権者の先順位根抵当権の目的たる(五)、(六)の建物については効力を生ぜず、本件競売においては、本件(一)ないし(四)の土地についての一括競売と(五)、(六)の建物についての個別競売が併行して行なわれたものと解すべき旨の判断をしていることが明らかであり、右判断は、右の点に関し原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
 同第三点について。
 所論の点に関し、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、原審の判断は是認しえないものではなく、原判決に所論の違法はないから、論旨は採用することができない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官  村上朝一
            裁判官  色川幸太郎
            裁判官  岡原昌男
            裁判官  小川信雄


◎最判平成14年10月22日集民208号291頁

       主   文

1 原判決を破棄し,第1審判決を取り消す。
2 東京地方裁判所八王子支部平成10年(ケ)第1309号不動産競売事件において,同裁判所が平成12年5月22日に作成した配当表中,上告人の債権に対する「配当実施額等(円)」の欄に「2340万5040円」とあるのを「2542万4144円」に,被上告人の債権に対する同欄に「357万8754円」とあるのを「155万9650円」に変更する。
3 訴訟の総費用は,被上告人の負担とする。

       理   由

 上告代理人佐藤米生,同髙畑満,同神戸和子,同岡野和弘,同赤坂裕志の上告受理申立て理由について
1 原審が適法に確定した事実関係は,次のとおりである。
 ⑴ 上告人は,訴外古川商事株式会社に対する債権を担保するため,訴外A所有の第1審判決別紙物件目録1及び3記載の不動産(以下,同目録1記載の不動産を「甲」,同目録3記載の不動産を「丙」という。)並びに訴外B所有の同目録2記載の不動産(以下「乙」という。)の上に極度額1億3000万円の共同根抵当権を有していた。
 ⑵ 被上告人は,訴外ボスマン・ジャポン株式会社に対する債権を担保するため,乙及び訴外C所有の上記目録4記載の不動産の上に極度額2900万円の共同根抵当権を有していた。
 ⑶ 乙上の上告人と被上告人との根抵当権は,順位変更により同順位とされ,平成8年7月18日,その旨の登記が経由された。
 ⑷ 甲,乙,丙について⑴記載の上告人の根抵当権の実行として競売が開始され(東京地方裁判所八王子支部平成10年(ケ)第1309号不動産競売事件),平成12年5月22日,配当期日が指定された。
 なお,上告人の提出した競売申立書には,請求債権として,残元金5795万9070円及びこの金額に対する平成9年1月28日から支払済みまでの年14%の割合による損害金との記載に加え,同年2月17日の内入弁済金113万2739円に対する同年1月28日から同年2月17日まで21日間の年14%の割合による損害金(以下「確定損害金1」という。)として9123円とすべきところを912円,同年11月18日の内入弁済金8191円に対する同年1月28日から同年11月18日まで295日間の年14%の割合による損害金(以下「確定損害金2」という。)として926円とすべきところを92円との記載がされていたが,上告人の提出した債権計算書には,それぞれ正しい計算結果が記載されていた
 ⑸ 上記配当期日において,執行裁判所は,確定損害金1及び同2の金額を上告人が提出した競売申立書に記載された金額であるとして,上告人の被担保債権額を8488万1665円とし,その上で,代金額及び手続費用の額を甲,乙,丙の各最低売却価額に応じて割り付け,それぞれ割り付けられた代金額から手続費用の額を控除した金額(以下「不動産価額」という。甲については490万7199円,乙については816万7064円,丙については1390万9531円)に準じて上告人の上記被担保債権額の負担を甲,乙,丙に分け,上告人と被上告人との根抵当権が同順位である乙については,その不動産価額を上告人の被担保債権のうち乙の負担額と被上告人の被担保債権額との割合に従って案分し,上告人に対しては,甲及び丙の各不動産価額と乙の不動産価額のうち上告人への案分額458万8310円との合計2340万5040円を配当し,被上告人に対しては乙の不動産価額のうち被上告人への案分額357万8754円を配当する旨の配当表を作成した。
 ⑹ 上告人は,上記配当期日において,被上告人への配当額のうち201万9104円について配当異議の申出をした。
2 本件は,上告人が被上告人への配当額のうち異議に係る上記金額を上告人の配当に加えるべきであるとする配当異議の訴えである。
 上告人は,競売申立書の明白な誤記はその後に提出された債権計算書において訂正されているとし,また,本件においては,まず,乙の不動産価額を上告人と被上告人の各被担保債権額により案分すべきものであり,その上で,甲及び丙の各不動産価額及び乙の上記案分額に準じて上告人の被担保債権額の負担を甲,乙,丙に分けるべきであると主張した。
 この点につき,原審は,確定損害金1及び同2の誤記は,執行裁判所が計算違いをしたために生じたものではなく,上告人の計算違いにより,結果的に一部請求となったものであって,執行裁判所が明白な誤りを看過したものということはできないから,配当表の更正をすることは許されないとし,さらに,乙の不動産価額を上告人と被上告人に案分するに当たり執行裁判所が採用した計算方法については,執行裁判所が採用した見解は民法392条1項の文理に沿い,上告人の主張する見解にも欠点があり,両説の合理性を比較した結果によって一方の説である執行裁判所の見解を採用したことが違法となるものとまで認めることはできないとして,上告人の請求を棄却した第1審判決の結論を支持して,上告人の控訴を棄却した。
3 しかし,原審の上記判断は是認することができない。
 ⑴ 競売申立書に明白な誤記,計算違いがある場合には,その後の手続においてこれを是正することが許されるものと解すべきであり,これを一部請求の趣旨と解することは相当でない。本件では債権計算書においてその是正がされているところ,配当異議の訴えは実体法上の権利に基づき配当表の変更,取消しを求めるものであり(民事執行法90条4項),配当表を是正するためには,配当表の誤記が執行裁判所の責めに帰すべき事由により生じたことを要するものではない。そして,前記事実関係によれば,上告人の提出した競売申立書に記載された確定損害金1及び同2の金額には明白な計算違いがあり,正しい計算結果は上告人が提出した債権計算書に記載されたものであるから,上告人の被担保債権額は8489万0710円となる
 ⑵ 共同抵当とは債権者が同一の債権の担保として数個の不動産の上に抵当権を有する場合をいい(民法392条1項),各不動産上の抵当権はそれぞれ債権の全額を担保するものであるから,共同抵当権者は一部の不動産上の同順位抵当権者に対しても,その被担保債権全額を主張することができる。もっとも,債権者が任意の不動産の価額から被担保債権の全部又は一部の回収を図ることを許し,何らの調整を施さないときは,共同抵当の関係にある各抵当不動産上の後順位債権者等に不公平な結果をもたらすことになる。そこで,民法392条1項は,共同抵当の目的である複数の不動産の代価を同時に配当する場合には,共同抵当権者が優先弁済請求権を主張することのできる各不動産の価額(当該共同抵当権者が把握した担保価値)に準じて被担保債権の負担を分けることとしたものであり,この負担を分ける前提となる不動産の価額中には他の債権者が共同抵当権者に対し優先弁済請求権を主張することのできる不動産の価額(他の債権者が把握した担保価値)を含むものではない。
 そうすると,共同抵当の目的となった数個の不動産の代価を同時に配当すべき場合に,1個の不動産上にその共同抵当に係る抵当権と同順位の他の抵当権が存するときは,まず,当該1個の不動産の不動産価額を同順位の各抵当権の被担保債権額の割合に従って案分し,各抵当権により優先弁済請求権を主張することのできる不動産の価額(各抵当権者が把握した担保価値)を算定し,次に,民法392条1項に従い,共同抵当権者への案分額及びその余の不動産の価額に準じて共同抵当の被担保債権の負担を分けるべきものである。これと異なる原審の計算方法は,共同抵当の目的となる不動産上の同順位者に対して,共同抵当に係る被担保債権全額を主張することを認めず,共同抵当に係る数個の不動産の代価の同時配当における負担分割の基礎となる不動産の価額中に同順位者が優先弁済請求権を主張することができる金額(同順位者が把握した担保価値)を含ませる結果となるものであって,採用することができない。
4 以上によれば,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決は破棄を免れず,同旨の第1審判決は取り消すべきである。
 そして,上記説示したところによれば,上告人の被担保債権額を8489万0710円とし,まず乙の不動産価額816万7064円を上告人の上記被担保債権額と被上告人の被担保債権額2003万8071円とで案分し,本件事実関係の下においては,乙の不動産価額のうち上告人への案分額660万7414円,甲の不動産価額490万7199円及び丙の不動産価額1390万9531円に準じて上告人の被担保債権額の負担を分けるべきところ,上記各金額の合計額2542万4144円は上告人の被担保債権額に及ばないから,上記合計額を上告人に配当し,被上告人には乙の不動産価額のうち被上告人への案分額155万9650円を配当すべきことになる。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上田豊三 裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道 裁判官 濱田邦夫)


◎仙台高判平成4年3月17日金法1350号34頁

       主   文

1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。

       事   実

 控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め,被控訴人は主文同旨の判決を求めた。
 当事者双方の主張は,次のとおり付加するほか原判決記載のとおりであるから,これを引用する。
 (控訴人の補足的主張)
 仮に本件債権の実際の貸付日である債権発生日付が昭和59年4月5日であるとしても,以下の理由により,配当の段階でこれを訂正することは許されない。
1 競売申立書等記載の被担保債権は,競売申立てに係る費用の基準にとどまらず,過剰競売の禁止や無剰余競売禁止の際の判断基準になるものであって,この基準が配当の段階において,債権の範囲の訂正により容易に変遷するのであれば,競売手続におけるこれらの制度の趣旨を没却しかねないから,配当を準備するに当たっての一資料として軽視することは許されない。
2 競売申立債権者が後に請求債権を拡張することは許されないとするのが現在の通説であり,実務の取扱であるが,その根拠の一つとされている民事執行規則170条2号において「担保権及び被担保債権の表示」を,同4号において「被担保債権の一部について担保権の実行または行使をするときは,その旨及びその範囲」を競売申立書の記載事項と定めている趣旨は,申立債権者に申立段階での担保権実行の範囲を特定させる目的を有するものであるが,この債権の範囲の特定は,本件のような根抵当権において,その担保する複数の被担保債権のうちどの債権により競売申立てするかを特定し明示する趣旨を含むものであるから,同条は,申立債権の金額の拡張を禁止する趣旨のみならず,本件におけるような配当段階における債権の訂正を禁止する趣旨を含むものである。
3 一旦手続が開始された以上,特定された債権,さらに限定された債権金額を基準にして手続が進められ,債務者や後順位担保権者等他の債権者も,右債権を目安にして債権保全の措置を講ずるなどの行動を起こすのであるから,配当段階において請求債権の訂正を認めることは,手続の安定を著しく害するだけでなく,他の債権者や債務者との関係において,信義則ないし禁反言の原則に反する結果となり,請求債権の拡張と異なるところはないから,債権の訂正も認めるべきでない。申立書の記載が錯誤による誤記として安易に訂正を許すとすれば,過失のない他の関係者の犠牲の上に,過失により誤記したものを救済する結果となり不当である。
4 国税の滞納債権の場合,税務当局は,滞納者の財産を複数差押えても,競売の申立てに係る一件記録を検討し,当該不動産の競売による配当を十分受けられることが見込まれるときは,他の差押物件を解除しなければならない(国税徴収法48条)から,配当段階に至って,競売申立書または債権計算書の債権発生日付の記載の訂正が認められることになれば,税務当局は,当初見込んでいた配当を受けられないだけでなく,前記のように,他の財産保全の機会を失い,その上さらに,その間に解除した差押物件をも失うことになって,滞納債権を確保する手段を著しく阻害されることになる。このような不利益を落ち度ある申立人ではなく,過失の全くない国が負担しなければならないということは極めて不当である。
 ところで,競売申立債権者以外の届出債権者が故意,過失により不実の債権届出をした場合は損害賠償責任を負担するものとされている(民事執行法50条)。これとの均衡を考えると,債権を特定し,債権金額を限定する競売申立人はさらに強い責任を負担すべきであって,その責任の形態は,単に損害賠償責任にとどまらず,債権の訂正は原則的に許されないものとしなければならない。
5 競売申立書等の記載が真実に反する場合に,民事訴訟手続における自白の撤回に準じて訂正を認めることは適切でない。けだし,民事訴訟手続における自白の撤回の場合は,利害関係者が訴訟当事者だけであるし,ことの性質上,相手方当事者において,自白の内容が真実に反することを熟知している可能性が大であって,その意味で保護する利益が比較的小さいのに対し,本件のごとき競売手続においては,関係者が民事訴訟のように対立当事者に限らず,債務者や他の債権者等多数に及ぶとともに,これら関係者は申立書記載の内容が真実に反することを知り得る状況にないのであるから,競売申立書等記載の訂正が認められることにより被る不利益は,民事訴訟による自白の撤回の場合とは比較にならないからである。そもそも本件のように,最終段階において突然錯誤の主張をしている場合には,時期に遅れた攻撃防御方法の却下(民事訴訟法139条)の制限に服すると解するのが相当である。
6 仮に被控訴人の本件競売申立書及び債権計算書の債権発生日付の誤記が被控訴人担当者の錯誤に基づくものであり,かつ競売手続にも民事訴訟における自白の撤回の理論を準用すべきものとしても,手続の安定が強く求められる競売手続においては,その錯誤が重大な過失による場合には民法95条但書の趣旨により撤回は認められないというべきところ,右誤記は,被控訴人担当者の重大な過失によるものであるから,過失のない控訴人等他の関係者の負担において,その訂正が許されるべきでない。
 すなわち被控訴人は,不動産担保貸付等を営む金融業者であり,貸金債権回収は被控訴人の基本業務であるから,不動産競売申立書,債権計算書の作成提出等の重要な職務は,債権回収業務に精通し,不動産競売手続に十分な知識と経験を有する者に担当させるべきであり,社内組織としても,本店や上司による適切な管理システムを採用すべきであるのに,被控訴人はこれらの業務をいずれも怠った結果,競売申立書作成の段階において,大宮支店の担当者が本件債権が一つであるのに契約書が2通存在することを十分に認識していたにもかかわらず,右申立書の作成に当たる本店管理部に契約書が2通存在することを連絡せず,昭和59年12月27日付の契約書のみ送付し本店管理部に誤った記載をなさしめ,また担保物件たる本件不動産の登記簿謄本を閲読し八戸税務署の差押登記を確認しながら,その意味を理解せず,優先する債権についての知識もなく,本店に問い合わせることもしないで,その誤記を配当段階まで放置していたものである。また債権計算書の作成提出の段階においても,契約書の確認を怠り,漫然,貸金債権は昭和59年12月27日付のものと盲信し,登記簿謄本の八戸税務署の差押登記の確認をせず,また競売に関する一件記録を閲覧,謄写して内容を検討すらしなかったため,過誤を発見できなかったものであり,前記誤記は被控訴人担当者の重大な過失によるものというほかはない。

       理   由

 当裁判所も本件配当表を原判決のとおり変更するのが相当であると判断するものであり,その理由は,次のとおり付加訂正するほかは原判決の理由と同一であるから、これを引用する。
1 原判決3枚目表6行目の「証人」を「原審及び当審証人」と改め,「甲2」の次に「甲8」を加える。
2 同3枚目表11行目及び裏12行目の「証人」を「原審及び当審証人」と改める。
3 同4枚目表10行目の「あったこと」の次に「や訴外会社の商号変更後の契約書の方が正確との考え」を加え,同13行目の「証人菊地」を「原審及び当審証人菊地」と「証人平松」を「同平松」とそれぞれ改める。
4 同5枚目表3行目から同裏2行目までを次のとおり改める。
 「しかしながら,執行裁判所は,右配当段階において,債権者から提出された競売申立書,配当要求書,債権計算書等や,配当期日における債権者,債務者に対する審尋,当日即時に取調べができる書証によって,配当すべき債権者,配当額を認定し,配当表を作成して配当を実施するものとされているのであり,この配当表に不服がある場合は,異議を契機とする配当異議訴訟によって,最終的に右債権者及び配当額を確定すべきものとされているのである。
 したがって,競売申立書及び債権計算書は,執行裁判所が配当の準備をするに当たっての一資料となるに過ぎないものであって,その記載内容が執行裁判所を拘束することはなく,もとよりその記載内容如何によって実体的な権利関係が変更されるようなことはあり得ない
 そうすると,少なくとも異議を契機とする配当異議訴訟係属までは,申立債権者のなした競売申立書及び債権計算書の実体に符合しない債権発生日付の記載によって,他の債権者が確定的に有利ないし利益な地位を取得することはないというべきであるから,申立債権者が右訴訟係属の時点までに右債権発生日付の訂正をなしたとしても,他の債権者を害することは少なく,しかして必ずしも信義誠実ないし禁反言の原則に反するということもできないから,右訂正は許されるものというべきである。
 もっとも,配当表の作成によって,配当を受けるべき債権者,配当額が形式上確定され,この配当表の取り消し,変更を求めるには配当異議訴訟において異議事由を主張立証しなければならないこととされており,この配当表によって配当を受けるべきものとされた他の債権者もその限りにおいて利益を得ている点に鑑みると,申立債権者は,自白の撤回に準じて,競売申立書等の記載,したがってまたその記載を根拠としている配当表記載の発生日付が実体上存する債権と異なること,すなわち右記載が真実に反するとともに,その真実に反する記載が錯誤のためになされたことをも主張立証しなければ,その訂正は許されないと解するのが相当である。
 ところで,競売申立債権者が競売申立書に記載した請求債権を後に債権計算書等によって拡張することは許されないものと解されている。しかしながら,この場合は,申立段階において請求債権を表示し,請求債権の上限を自ら画した以上,処分権主義の帰結として以後その手続ではこれに拘束されることになってもやむを得ないなどの理由によるものであるところ,債権発生日付の記載は債権額の記載と異なって,単に請求債権がいかなる債権であるかを特定表示する一つの方法に過ぎないし,実体と符合しない債権発生日付の誤記の訂正は,処分権主義とは無縁である。したがって,債権発生日付の誤記の訂正を請求債権の拡張と同視することは相当でない。」
5 控訴人の補足的主張について
 ⑴ 主張1について
 租税の法定納期限前に設定された根抵当権であっても,滞納処分による差押通知当時存在した被担保債権の限度で租税債権に優先するに過ぎないから,競売申立書等の債権発生日付の記載も,控訴人主張のとおり過剰競売や無剰余競売の判断基準となることは否定できないが,担保権者や一般債権者の間では,債権発生日時の如何によって債権の優先順位が決せられることはないから,請求債権額に比し,右判断基準としての重要性は極めて少ない。したがって,債権発生日付が過剰競売等の判断基準として機能する場合があるからといって,請求債権の拡張と同視し,その訂正を許さないものとすることは相当でないというべきである。
 ⑵ 同2について
 本件においては,既に説示のとおり,実体上存在する昭和59年12月27日発生の債権を同年4月5日発生の債権に変更するというものではなく,競売申立書に被担保債権を表示するに当たって,昭和59年4月5日発生の債権の特定表示を誤り,その発生日付を同年12月27日と誤記したというものであって,事後的にその誤りを実体に符合するように是正しようとするものにほかならないから,右訂正を許しても,民事執行規則170条2号,4号の趣旨に反するものということはできない。
 ⑶ 同3について
 前記説示のように,担保権者や一般債権者の間では,債権発生日時の前後によって債権の優先関係が定まるわけではないから,担保権者や一般の債権者において,請求債権額のように債権発生日付を目安として行動するとは考えられず,その訂正によって担保権者や一般の債権者が損害を受けるような事態も殆どないと思われる。したがって,債権発生日付の訂正の場合は,この点からいっても,請求債権の拡張の場合に比して,信義則ないし禁反言の原則に背反するおそれは少ないというべきであって,過失のない他の関係者の犠牲の上に,誤記したものを救済するという結果を招くとは限らない。また前記説示のように,債権発生日付が過剰競売等の判断基準として機能する場合は少ないし,そもそも手続の安定は個別具体的に検討すべきところ,本件においては,債権発生日付の訂正によって手続が後戻りしたり取り消されたりすることはないと認められるから,右訂正によって手続の安定が著しく害されるということもできない。
 ⑷ 同4について
 控訴人主張のように,税務当局において,租税滞納処分につき,誤って記載された競売申立書又は債権計算書の債権発生日付を判断基準として超過差押えとなるため一部差押物件を解除した後,右債権発生日付が訂正されたため,当初見込んだ配当を受けられないだけでなく,他の財産保全の機会を失い,解除した差押物件をも失うこととなって損害を被った場合には,民法709条により,もしくは民事執行法50条の類推適用によって損害賠償請求できるものというべきである。したがって,右の点も,債権発生日付を実体に符合させるための訂正までも許さないとする根拠とはなし難い。控訴人は,損害賠償請求にとどまらず,原則的にその訂正を許さないものとしなければならないと主張するけれども,採用できない。
 ⑸ 同5について
 前記説示のように,配当すべき債権者及び配当額は,執行裁判所が競売申立書や債権計算書のみならず,配当期日における審尋等によって認定すべきものとされており,その結果作成された配当表の記載に異議がある場合は,異議を契機とする配当異議訴訟において,最終的に配当すべき債権者及び配当額を確定すべきものとされているのであるから,右競売申立書等に記載された実体に符合しない債権発生日付を実体に符合させるための訂正は,右配当異議訴訟の係属までは許されるというべきであるが,ただその誤記に基づいて配当表が作成された段階においては,自白の撤回の場合と同じくその誤記が錯誤に基づく場合に限定してその訂正を認めようとするものであるから,民事訴訟における自白の撤回の理論を競売手続に安易に準用しようとするものとの批判は当たらない。また配当表の記載に対する異議を通じて,錯誤を理由に債権発生日付の訂正を求めたとしても,時期に遅れたものといえないことは,右説示に照らして明らかである。
 ⑹ 同6について
 被控訴人の錯誤による債権発生日付の誤記が被控訴人担当者の重大な過失に基づく場合,右誤記の訂正は許されないと解すべきかどうか問題であるが,仮にこれを積極に解するとしても,本件においては,被控訴人に右重大な過失があったとは認めることができない。
 すなわち,被控訴人の担当者は,本件競売申立書作成の際,本件債権に関して作成されている2通の金銭消費貸借契約書について,昭和59年12月27日付の契約書は,単に債務者会社の商号が同年4月5日付契約書作成後に変更されたため新しい会社名義で書き改めたに過ぎないものであって,本件債権の発生日付は昭和59年4月5日が正しいにもかかわらず,右昭和59年12月27日付の契約書によって改めて金銭消費貸借契約を締結したものと誤信し,しかも同年12月20日に控訴人から国税の滞納処分による債務者会社所有の本件土地に対する差押通知を受け,また本件土地の登記簿謄本によって本件土地に右滞納処分による差押登記がなされていることを確認していながら,国税の法定納期限前に設定された根抵当権の被担保債権であっても,差押等の通知を受けた当時存した債権額を限度として優先するに過ぎないことを看過して,競売申立書に本件債権発生日付を昭和59年12月27日と記載したものであり,債権計算書も,漫然と右のとおり誤記された競売申立書に基づいて記載したものであることが認められる(〈書証番号略〉,原審及び当審証人菊地,同平松,弁論の全趣旨)から,被控訴人担当者に過失があったことは否定できないが,右のように租税との優先関係を看過したのは,被控訴人において金融業を営んでいたものの,当時の従業員に右優先関係についての知識が十分でなかったためであることが認められ(原審及び当審証人菊地。同平松),どの従業員にも右のような知識までも完全に周知させることは必ずしも容易なこととは思われないから,たまたま本件競売申立書作成に当たって担当者が右優先関係を看過したとしても,重大な過失があったと評するのは相当でない。また被控訴人担当者が,競売申立書や債権計算書の作成に当たって,その債権発生日付を昭和59年12月27日と誤記したのは,租税債権に対する根抵当権の優先限度に思い至らずに,右日付の契約書に「再締結した」旨の記載があったことや,債務者会社の商号が変更された以上そのためにわざわざ作成された契約書に従って債権発生日付を記載した方が良いと速断した結果であることが認められる(前同証拠)のであって,それも無理からぬ面があったというべきであるから,右誤記が重大な過失によるものとまでは認め難い。
 ⑺ 以上のとおりであって,控訴人の主張はいずれも理由がない。
 よって,原判決は相当であり,本件控訴は理由がないので,主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官石川良雄 裁判官山口 忍 裁判官佐々木寅男)
 別紙 根抵当権目録
1 極度額 6000万円
2 被担保債権 金銭消費貸借取引,手形割引取引,手形債権,保証取引,小切手債権,保証委託取引
3 債務者 十和田市大字相坂字高見133番地1 有限会社双葉商事
 別紙 債権目録
1 昭和59年12月27日付金銭消費貸借による貸付金3000万円の残元金1810万円
2 昭和60年2月4日付金銭消費貸借による貸付金85万円
3 昭和60年3月4日付金銭消費貸借による貸付金75万円の残元金35万円
4 1の残元金に対する昭和60年9月4日から,2の元金及び3の残元金に対する昭和60年9月3日から,いずれも支払ずみまで年30パーセントの割合による遅延損害金
 別紙 物件目録
 所在 青森県三戸郡階上村大字道仏字耳ケ吠
 地番 9番1
 地目 宅地
 地積 3122・14平方メートル


◎最判平成3年3月22日民集45巻3号322頁

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 上告代理人関口保太郎,同脇田眞憲,同幣原廣,同冨永敏文,同吉田淳一の上告理由について
 抵当権者は,不動産競売事件の配当期日において配当異議の申出をしなかつた場合であつても,債権又は優先権を有しないにもかかわらず配当を受けた債権者に対して,その者が配当を受けたことによつて自己が配当を受けることができなかつた金銭相当額の金員の返還を請求することができるものと解するのが相当である。けだし,抵当権者は抵当権の効力として抵当不動産の代金から優先弁済を受ける権利を有するのであるから,他の債権者が債権又は優先権を有しないにもかかわらず配当を受けたために,右優先弁済を受ける権利が害されたときは,右債権者は右抵当権者の取得すべき財産によつて利益を受け,右抵当権者に損失を及ぼしたものであり,配当期日において配当異議の申出がされることなく配当表が作成され,この配当表に従つて配当が実施された場合において,右配当の実施は係争配当金の帰属を確定するものではなく,したがつて,右利得に法律上の原因があるとすることはできないからである
 したがつて,これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ,原判決に所論の違法はない。論旨は,採用することができない。
 よつて,民訴法401条,95条,89条に従い,裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官  中島敏次郎
            裁判官  藤島 昭
            裁判官  香川保一
            裁判官  木崎良平

学説

1 拡張否定説
 【1】否定説は,請求債権額が超過売却(民執61条ただし書・73条)や無剰余取消し(民執63条)の判断の基準となっているので,拡張を許すと手続の安定が害されること,請求債権額を低くすることで登録免許税を免れるのは不当であること,他の債権者は申立債権者の請求債権額を基準に当該競売手続に参加するか否か,他の手続を選ぶかなどの決定をしているので,請求債権額の拡張は他の債権者との関係で信義則や禁反言の法理から許されないこと,執行手続においても申立主義・処分権主義が妥当し,申立債権者は自己の表示した請求債権額に拘束されること,などを根拠とする。(法教343号114頁)
 【2】拡張禁止説の論拠は,①競売申立書において被担保債権及びその一部のみにつき担保権の実行等をする旨の記載を求める民事執行規則170条2号・4号の規定は,その手続内において債権者の請求債権額を確定し,以後の拡張を認めない趣旨を規定したものと解すべきこと,②申立書において請求債権を一部に限定する旨を表示したことに対する他者の信頼を害することは信義則上許されないこと(禁反言),③競売申立書に記載された請求債権額は,いわゆる超過売却(民執73条)の成否の判断を左右するため,事後的な増額を許すと手続の不安定や手続不経済を生じること(一部の文献では,無剰余〔民執63条〕判断にも影響する旨を説くものがあるが,請求債権の額は無剰余の成否には関係がない),④(根)抵当権実行における請求債権額は,差押登記に要する登録免許税の算定の基礎となるため,申立て後の債権の拡張を認めると租税回避を実質的に容認することになること,⑤残部の被担保債権について請求の必要があるときには,競売の二重開始(民執47条)の申立てや配当要求ができるほか,仮に配当要求の終期を過ぎたとしても,申立てを一旦取り下げた上で再度請求債権を増額して競売を申し立てる方法もあるので,債権者に特段の不利益はないこと,というものである。(民執百選(初版)198頁)
 【3】拡張禁止説はほぼ次のように要約できる。被担保債権の一部を申立書に記載しないということは当該手続において配当請求権を主張しないとの意思表明であり,その債権額を前提とした手続において被担保債権の額の拡張を主張することは禁反言に触れ,特に申立書の記載の限度で売却した後に被担保債権の拡張を許すときは手続を混乱させる。また,拡張許容説によるときは,債権額を基準とする登録免許税(登録免許税法別表第一)の節約を奨励することになりかねない。そして,強制競売の場合には民事執行規則21条4号により申立て対象外の債権への配当を受けることができないのであるから,担保権実行について同規則170条4号で同様の規定をした趣旨は,同様の規律に服させることにあるものと解すべきである。(ジュリ1257号102頁)
 【4】⑴ 民事執行規則170条には,不動産競売の申立書の記載事項として,「担保権及び被担保債権の表示」(2号),「被担保債権の一部について担保権の実行又は行使をするときは,その旨及びその範囲」(4号)が定められている。請求債権額は,登録免許税の額の算定基準および過剰競売や無剰余取消しの判断基準となっており(民事執行法61条ただし書,63条,73条等),請求債権額が競売手続の後の段階に至り拡張されると,競売手続の取消しをしなければならなくなるなどの事態が発生するおそれがあって,競売手続の安定性が害されるおそれがある。そこで,民事執行規則170条2号・4号は,競売申立債権者が,競売申立ての段階で,担保権および被担保債権の表示に加え,被担保債権の一部について担保権の実行または行使をするときは,その旨およびその範囲を記載すべきことを要求し,担保権の実行をする請求債権およびその額を,申立ての通りに確定させ,限定させようとするものである。
 ⑵ 競売申立債権者は,自ら競売申立書において,被担保債権の一部について担保権の実行または行使をすることおよびその範囲などを明記して競売申立てをした以上,その後の競売手続においてこれに拘束されることになったとしてもやむを得ない。
 ⑶ 競売申立債権者は,自己の任意の選択によりいったん被担保債権の一部について競売の申立てをした後,残余についても担保権実行の必要が生じたようなときは,その競売手続中であればその配当要求の終期までに新たに拡張部分につき競売の申立てをすることができるから,不都合または不利益な結果とはならない。
 ⑷ 不動産を目的とする担保権の実行としての競売手続は,所定の文書(民事執行法181条1項)が提出されたときに開始し,当事者の申立てにかかる事実を前提として進められるから,競売申立書の記載に従って手続を進行させることが円滑で安定性のある売却手続の実現に資するものである。
 ⑸ したがって,被担保債権の一部について担保権の実行をする旨を申し立てた競売申立債権者は,当該競売手続において,申立てにかかる債権の拡張を制限されてもやむを得ないと言うべきである。競売手続において申立てにかかる債権の拡張を制限されるという結論は,競売申立債権者の選択を信頼した競売手続の関係者に対する禁反言の要請から生ずるものである。(金融法務事情1710号32頁)
2 拡張肯定説
 【1】肯定説は,担保権者は担保権の実体法上の効力として被担保債権の範囲内で優先的弁済を受けることができることを強調し,請求債権の記載は被担保債権の特定のために必要されているにすぎない,とする。(法教343号114頁)
 【2】拡張肯定説の論拠としては,①抵当権の実行によりその登記は全部抹消されるので,拡張の禁止は残部についての優先弁済権を失わせる結果となるが,最高裁規則の規定を根拠として実体的権利の喪失と同じ結果をもたらすのは解釈論として難があること,②申立て外の他の抵当権者は,債権届出に拘束されず配当段階で債権額を増額することができること,③民事執行法87条1項4号・85条2項によれば,担保権者は実体的な優先弁済権の効力の全体を享受できると解すべきであること,④(根)抵当権は被担保債権額や極度額が登記簿上明らかで,後順位担保権者や一般債権者は請求債権の上限を予め承知しているので,請求債権の拡張を認めても特段不利益とはいえないこと,⑤物件の売却価格が申立段階の予想より高額になった場合には拡張を認める必要性があること,が挙げられる(民執百選(初版)199頁)
 【3】拡張許容説は,強制競売の申立債権者が申立て・差押えの効果として配当を受けるのとは異なり,担保権者は実体法上の優先弁済請求権に基づき配当を受けるものである(民事執行規則21条4号と同規則170条4号とを同趣旨と解する理由はない)から,真意に基づく一部実行を除き,申立書の記載で担保権の優先弁済請求権を制限することはできないとする。(ジュリ1257号102頁)
 【4】⑴ 被担保債権額が登録免許税額の算定基準となっているが,それと担保権の優先弁済請求権という実体法上の権利の消長とは関係がなく,被担保債権額が登録免許税の算定基準となるから被担保債権額の拡張が許されないとはいえない。
 ⑵ 超過売却となる場合の取消し(民事執行法73条)は,申立てにかかる複数の不動産のうちの一部の売却により申立債権者の債権および執行費用の全部を弁済することができる場合に,全部についての売却を制限することを意味するところ,申立書記載の債権額を後に縮小する場合には超過売却の事態の発生が考えられるが,債権額を拡張する場合にはそのような事態の発生は考えられない。また,無剰余となる場合の取消し(民事執行法63条)は,申立債権者の債権に優先する債権等を弁済すると申立債権者の債権に配当する見込みがない場合を意味するが,無剰余にあたるか否かは申立債権者の債権に優先する債権の額によるのであって,申立債権者の債権額は無関係である。さらに,申立て債権者が申立ての後の段階に至って被担保債権額を拡張したとしても,競売手続が取り消される事態は考えられない。
 ⑶ 民事執行規則170条2号・4号は,申立書の記載事項を規定しているだけであり,その規定自体から申立書記載の債権額を限定するものとし,拡張を許さない趣旨と断定することは困難である。すなわち,担保権者は,実体法上の優先弁済請求権に基づき配当を受けるものであって,申立書に記載の被担保債権および請求債権の記載は,競売手続の基礎となる債権の表示に過ぎないものであるから,真意に基づく一部実行を除き,申立書の記載をもって担保権の優先弁済請求権を制限することは許されない。
 ⑷ 附帯債権については,具体的な金額未定のまま被担保債権として記載することが許されているし,配当前に被担保債権に対する一部弁済があった場合には被担保債権は減少する。また,根抵当権の実行の場合に,申立て時には未発生であった割引手形買戻請求権が競売手続進行中に発生するなどして被担保債権の範囲が広がったときや,求償債権を担保する抵当権について,事前求償権を請求債権として競売の申立てをした後,代位弁済し,事後求償権に切り替える場合などには,実務上,被担保債権の拡張が許されているし,申立債権者以外の他の抵当権者等の被担保債権額については,届出債権額の拡張も許されている。
 ⑸ 配当要求の終期までに新たに拡張部分につき競売の申立てをすることができるとしても,そのような手段が可能であることは,直ちに被担保債権額の拡張を禁止する根拠とはならない。
 ⑹ 競売手続の関係者は,申立債権者が一部実行をした後,残余の被担保債権について優先弁済請求権を行使しないとの前提で,何らかの法的処理を進めることは考えられない。すなわち,債務者とすれば,一部実行によって残余債権が消滅するわけではないし,後順位債権者とすれば,残余の被担保債権についての実行がないことを事実上期待することがあったとしても,被担保債権の全額について申立債権者が配当を受けることは覚悟しているはずであるから,その範囲内で権利行使される限り格別の不利益を被るわけではない。したがって,競売手続関係者に対する禁反言の要請は,被担保債権の拡張を禁止する根拠とはならない。
 ⑺ 申立書の記載自体から錯誤,誤記等によることが明らかな場合,配当異議の訴えによらなければ被担保債権額を是正することができないとするのは,手続の迅速な解決を阻害するものであり,是正を認めた上で,それを配当表に反映させるか否かは執行裁判所の裁量に任せ,これに不服のある者には配当異議の訴えによりその当否を争わせる方が円滑な売却手続の実現に資する。
 ⑻ 執行裁判所は,申立書,これに添付された担保権の登記のされている登記簿の謄本,配当要求書,債権届出書,債権計算書その他の資料に基づいて債権額を計算する方法で債権額を調査し,最終的に配当期日に配当表を作成する作業をしているから,競売手続が煩瑣となることを理由に,請求債権の拡張を否定することは許されない。(金融法務事情1710号31頁)



2017-06-12(Mon)

君が代判決系


【目次】
最判平成19年2月27日民集61巻1号291頁
最判平成23年5月30日民集65巻4号1780頁
最判平成23年6月6日民集65巻4号1855頁
最判平成23年6月14日民集65巻4号2148頁
最判平成23年6月21日判タ1354号51頁
最決平成23年6月21日
東京高判平成23年3月17日
最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁①
最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁②
最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁③

【最判平成19年2月27日民集61巻1号291頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 1 本件は,市立小学校の音楽専科の教諭である上告人が,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由に被上告人から戒告処分を受けたため,上記命令は憲法19条に違反し,上記処分は違法であるなどとして,被上告人に対し,上記処分の取消しを求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1)上告人は,平成11年4月1日から日野市立A小学校に音楽専科の教諭として勤務していた。
 (2)A小学校では,同7年3月以降,卒業式及び入学式において,音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきており,同校の校長(以下「校長」という。)は,同11年4月6日に行われる入学式(以下「本件入学式」という。)においても,式次第に「国歌斉唱」を入れて音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」を斉唱することとした。
 (3)同月5日,A小学校において本件入学式の最終打合せのための職員会議が開かれた際,上告人は,事前に校長から国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう言われたが,自分の思想,信条上,また音楽の教師としても,これを行うことはできない旨発言した。校長は,上告人に対し,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じたが,上告人は,これに応じない旨返答した。
 (4)校長は,同月6日午前8時20分過ぎころ,校長室において,上告人に対し,改めて,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じた(以下,校長の上記(3)及び(4)の命令を「本件職務命令」という。)が,上告人は,これに応じない旨返答した。
 (5)同日午前10時,本件入学式が開始された。司会者は,開式の言葉を述べ,続いて「国歌斉唱」と言ったが,上告人はピアノの椅子に座ったままであった。校長は,上告人がピアノを弾き始める様子がなかったことから,約5ないし10秒間待った後,あらかじめ用意しておいた「君が代」の録音テープにより伴奏を行うよう指示し,これによって国歌斉唱が行われた。
 (6)被上告人は,上告人に対し,同年6月11日付けで,上告人が本件職務命令に従わなかったことが地方公務員法32条及び33条に違反するとして,地方公務員法(平成11年法律第107号による改正前のもの)29条1項1号ないし3号に基づき,戒告処分をした。
 3 上告代理人吉峯啓晴ほかの上告理由第2のうち本件職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 (1)上告人は,「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており,これを公然と歌ったり,伴奏することはできない,また,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ,このような考えは,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできず,上告人に対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が,直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべきである。
 (2)他方において,本件職務命令当時,公立小学校における入学式や卒業式において,国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,特に,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといわざるを得ない。
 本件職務命令は,上記のように,公立小学校における儀式的行事において広く行われ,A小学校でも従前から入学式等において行われていた国歌斉唱に際し,音楽専科の教諭にそのピアノ伴奏を命ずるものであって,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。
 (3)さらに,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかんがみ,地方公務員法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し,同法32条は,上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定するところ,上告人は,A小学校の音楽専科の教諭であって,法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にあり,校長から同校の学校行事である入学式に関して本件職務命令を受けたものである。そして,学校教育法18条2号は,小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと。」を規定し,学校教育法(平成11年法律第87号による改正前のもの)20条,学校教育法施行規則(平成12年文部省令第53号による改正前のもの)25条に基づいて定められた小学校学習指導要領(平成元年文部省告示第24号)第4章第2D(1)は,学校行事のうち儀式的行事について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めるところ,同章第3の3は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは,これらの規定の趣旨にかなうものであり,A小学校では従来から入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきたことに照らしても,本件職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできないというべきである。
 (4)以上の諸点にかんがみると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である。
 なお,上告人は,雅楽を基本にしながらドイツ和声を付けているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想及び良心を有するとも主張するが,以上に説示したところによれば,上告人がこのような考えを有することから本件職務命令が憲法19条に反することとなるといえないことも明らかである。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁及び最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 4 その余の上告理由について
 論旨は,違憲及び理由の不備をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官藤田宙靖の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平の補足意見がある。

 >>>裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見にくみするものであるが,その理由とするところについては,以下のとおり若干の補足をする必要があると考える。
 1 学校の儀式的行事において国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,一般的には上告人の有する「君が代」に関する特定の歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものということはできず,国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする職務命令を発しても,その歴史観ないし世界観を否定することにはならないこと(理由3(1)),客観的に見ても,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,その伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することが困難であること(同3(2))は,多数意見のとおりである。
 しかし,本件の核心問題は,「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりであるとしても,上告人の場合はこれが当てはまらないと上告人自身が考える点にある。上告人の立場からすると,職務命令により入学式における「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,上告人の前記歴史観や世界観を否定されることであり,さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなるものではないかと思われる。
 この点,本件で問題とされているピアノ伴奏は,外形的な手足の作動だけでこれを行うことは困難であって,伴奏者が内面に有する音楽的な感覚・感情や知識・技能の働きを動員することによってはじめて演奏可能となり,意味のあるものになると考えられる。上告人のような信念を有する人々が学校の儀式的行事において信念に反して「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,演奏のために動員される上記のような音楽的な内心の働きと,そのような行動をすることに反発し演奏をしたくない,できればやめたいという心情との間に心理的な矛盾・葛藤を引き起こし,結果として伴奏者に精神的苦痛を与えることがあることも,容易に理解できることである。
 本件職務命令は,上告人に対し上述の意味で心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点で,同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ,ひいては思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。したがって,本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては,上告人が上記のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提として,これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷えんして述べる必要があると考える。
 2 上記の点について,多数意見が挙げる憲法15条2項(「全体の奉仕者」),地方公務員法30条(「全体の奉仕者」として「公共の利益」のために勤務),32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)等の規定と,上告人のような「君が代」斉唱に批判的な信念を持つ教師の思想・良心の自由との関係については,以下のとおり理解することができる。
 第1に,入学式におけるピアノ伴奏は,一方において演奏者の内心の自由たる「思想及び良心」の問題に深く関わる内面性を持つと同時に,他方で入学式の進行において参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する行為である。その内面性に着目すれば,演奏者の「思想及び良心の自由」の保障の対象に含まれ得るが,外部性に着目すれば学校行事の一環としての「君が代」斉唱をより円滑かつ効果的なものにするに必要な行為にほかならず,音楽専科の教諭の職務の一つとして校長の職務命令の対象となり得る性質のものである。
 このような両面性を持った行為が,「思想及び良心の自由」を理由にして,学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されたり,あるいは各教師の個人的な裁量にゆだねられたりするのでは,学校教育の均質性や組織としての学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こし,ひいては良質な教育活動の実現にも影響を与えかねない。
 なお,学校の教師は専門的な知識と技能を有し,高い見識を備えた専門性を有するものではあるが,個別具体的な教育活動がすべて教師の専門性に依拠して各教師の裁量にゆだねられるということでは,学校教育は成り立たない面がある。少なくとも,入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動(必ずしも参加者の画一的・一律の行動を要求するものではないが,少なくとも無秩序に流れることにより学校行事の意義を損ねることのない態様のものであること)が必要とされる面があって,学校行事に関する校長の教職員に対する職務命令を含む監督権もこの目的に資するところが大きい。
 第2に,入学式における「君が代」の斉唱については,学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが,他方で斉唱することに積極的な意義を見いだす人々の立場をも十分に尊重する必要がある。そのような多元的な価値の併存を可能とするような運営をすることが学校としては最も望ましいことであり,これが「全体の奉仕者」としての公務員の本質(憲法15条2項)にも合致し,また「公の性質」を有する学校における「全体の奉仕者」としての教員の在り方(平成18年法律第120号による全部改正前の教育基本法6条1項及び2項)にも調和するものであることは明らかである。
 他面において,学校行事としての教育活動を適時・適切に実践する必要上,上記のような多元性の尊重だけではこと足りず,学校としての統一的な意思決定と,その確実な遂行が必要な場合も少なくなく,この場合には,校長の監督権(学校教育法28条3項)や,公務員が上司の職務上の命令に従う義務(地方公務員法32条)の規定に基づく校長の指導力が重要な役割を果たすことになる。そこで,前記のような両面性を持った行為についても,行事の目的を達成するために必要な範囲内では,学校単位での統一性を重視し,校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。
 3 本件職務命令は,小学校における入学式に際し,その式典の一環として従前の例に従い「君が代」を斉唱することを学校の方針として決定し,これを実施するために発せられたものである。そして,入学式において,「君が代」を斉唱させることが義務的なものかどうかについてはともかく,少なくとも本件当時における市立小学校においては,学校現場の責任者である校長が最終的な裁量権を行使して斉唱を行うことを決定することまで否定することは,上記校長の権限との関係から見ても,困難である。そうしてみると,学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めたからには,これを効果的に実施するために音楽専科の教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択であり,その反面として,これに代わる措置としてのテープ演奏では,伴奏の必要性を十分に満たすものとはいえないことから,指示を受けた教諭が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務としてこれを行わせる形を採ることも,必要な措置として憲法上許されると解する。
 この場合,職務命令を受けた教諭の中には,上告人と同様な理由で伴奏することに消極的な信条・信念を持つ者がいることも想定されるところであるが,そうであるからといって思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することを許していては,職場の秩序が保持できないばかりか,子どもたちが入学式に参加し国歌を斉唱することを通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め,学習意欲を高めるための格好の機会を奪ったり損ねたりすることにもなり,結果的に集団活動を通じ子どもたちが修得すべき教育上の諸利益を害することとなる。
 入学式において「君が代」の斉唱を行うことに対する上告人の消極的な意見は,これが内面の信念にとどまる限り思想・良心の自由の観点から十分に保障されるべきものではあるが,この意見を他に押しつけたり,学校が組織として決定した斉唱を困難にさせたり,あるいは学校が定めた入学式の円滑な実施に支障を生じさせたりすることまでが認められるものではない。
 4 上告人は,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま,「君が代」を歌わせることは,教師としての職業的「思想・良心」に反するとも主張する。上告人の主張にかかる上記職業的な思想・良心も,それが内面における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが,学校教育の実践の場における問題としては,各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認められるにしても,すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく,それぞれの学校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い,総合的統一的に整然と実施されなければ,教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理である。殊に,入学式や卒業式等の行事は,通常教員が単独で担当する各クラス単位での授業と異なり,学校全体で実施するもので,その実施方法についても全校的に統一性をもって整然と実施される必要があり,本件職務命令もこの観点から事前にしかも複数回にわたって校長から上告人に発出されたものであった。
 したがって,A小学校において,入学式における国歌斉唱を行うことが組織として決定された後は,上記のような思想・良心を有する上告人もこれに協力する義務を負うに至ったというべきであり,本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した措置であって,これを違憲,違法とする理由は見いだし難い。

 >>>裁判官藤田宙靖の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告人に対し,その意に反して入学式における「君が代」斉唱のピアノ伴奏を命ずる校長の本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないとする多数意見に対しては,なお疑問を抱くものであって,にわかに賛成することはできない。その理由は,以下のとおりである。
 1 多数意見は,本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を,上告人の有する「歴史観ないし世界観」(すなわち,「君が代」が過去において果たして来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であるととらえ,このような理解を前提とした上で,本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,この歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできないとして,上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が,直ちに,上告人のこの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないとし,また,このようなピアノ伴奏を命じることが,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,特定の思想の有無について告白することを強要するものであるということはできないとする。これはすなわち,憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には(例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものということができよう。しかし,私には,まず,本件における真の問題は,校長の職務命令によってピアノの伴奏を命じることが,上告人に「『君が代』に対する否定的評価」それ自体を禁じたり,あるいは一定の「歴史観ないし世界観」の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるのではなく(上告人が,多数意見のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っていること自体は,既に本人自身が明らかにしていることである。そして,「踏み絵」の場合のように,このような告白をしたからといって,そのこと自体によって,処罰されたり懲戒されたりする恐れがあるわけではない。),むしろ,入学式においてピアノ伴奏をすることは,自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり,それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるように思われる。そうであるとすると,本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」としては,このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って,また,このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても,改めて検討する必要があるものといわなければならない。このことは,例えば,「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く,従って,例えばオリンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること自体については抵抗感が無くとも,一方で「君が代」に対する評価に関し国民の中に大きな分かれが現に存在する以上,公的儀式においてその斉唱を強制することについては,そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし,また現にこのような考え方を採る者も少なからず存在するということからも,いえるところである。この考え方は,それ自体,上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信念・信条そのものに対する直接的抑圧となることは,明白であるといわなければならない。そしてまた,こういった信念・信条が,例えば「およそ法秩序に従った行動をすべきではない」というような,国民一般に到底受け入れられないようなものであるのではなく,自由主義・個人主義の見地から,それなりに評価し得るものであることも,にわかに否定することはできない。本件における,上告人に対してピアノ伴奏を命じる職務命令と上告人の思想・良心の自由との関係については,こういった見地から更に慎重な検討が加えられるべきものと考える。
 2 多数意見は,また,本件職務命令が憲法19条に違反するものではないことの理由として,憲法15条2項及び地方公務員法30条,32条等の規定を引き合いに出し,現行法上,公務員には法令及び上司の命令に忠実に従う義務があることを挙げている。ところで,公務員が全体の奉仕者であることから,その基本的人権にそれなりの内在的制約が伴うこと自体は,いうまでもなくこれを否定することができないが,ただ,逆に,「全体の奉仕者」であるということからして当然に,公務員はその基本的人権につき如何なる制限をも甘受すべきである,といったレヴェルの一般論により,具体的なケースにおける権利制限の可否を決めることができないことも,また明らかである。本件の場合にも,ピアノ伴奏を命じる校長の職務命令によって達せられようとしている公共の利益の具体的な内容は何かが問われなければならず,そのような利益と上記に見たようなものとしての上告人の「思想及び良心」の保護の必要との間で,慎重な考量がなされなければならないものと考える。
 ところで,学校行政の究極的目的が「子供の教育を受ける利益の達成」でなければならないことは,自明の事柄であって,それ自体は極めて重要な公共の利益であるが,そのことから直接に,音楽教師に対し入学式において「君が代」のピアノ伴奏をすることを強制しなければならないという結論が導き出せるわけではない。本件の場合,「公共の利益の達成」は,いわば,「子供の教育を受ける利益の達成」という究極の(一般的・抽象的な)目的のために,「入学式における『君が代』斉唱の指導」という中間目的が(学習指導要領により)設定され,それを実現するために,いわば,「入学式進行における秩序・紀律」及び「(組織決定を遂行するための)校長の指揮権の確保」を具体的な目的とした「『君が代』のピアノ伴奏をすること」という職務命令が発せられるという構造によって行われることとされているのである。そして,仮に上記の中間目的が承認されたとしても,そのことが当然に「『君が代』のピアノ伴奏を強制すること」の不可欠性を導くものでもない。公務員の基本的人権の制約要因たり得る公共の福祉ないし公共の利益が認められるか否かについては,この重層構造のそれぞれの位相に対応して慎重に検討されるべきであると考えるのであって,本件の場合,何よりも,上記の①「入学式進行における秩序・紀律」及び②「校長の指揮権の確保」という具体的な目的との関係において考量されることが必要であるというべきである。このうち上記①については,本件の場合,上告人は,当日になって突如ピアノ伴奏を拒否したわけではなく,また実力をもって式進行を阻止しようとしていたものでもなく,ただ,以前から繰り返し述べていた希望のとおりの不作為を行おうとしていたものにすぎなかった。従って,校長は,このような不作為を充分に予測できたのであり,現にそのような事態に備えて用意しておいたテープによる伴奏が行われることによって,基本的には問題無く式は進行している。ただ,確かに,それ以外の曲については伴奏をする上告人が,「君が代」に限って伴奏しないということが,参列者に一種の違和感を与えるかもしれないことは,想定できないではないが,問題は,仮に,上記1において見たように,本件のピアノ伴奏拒否が,上告人の思想・良心の直接的な表現であるとして位置付けられるとしたとき,このような「違和感」が,これを制約するのに充分な公共の福祉ないし公共の利益であるといえるか否かにある(なお,仮にテープを用いた伴奏が吹奏楽等によるものであった場合,生のピアノ伴奏と比して,どちらがより厳粛・荘厳な印象を与えるものであるかには,にわかには判断できないものがあるように思われる。)。また,上記②については,仮にこういった目的のために校長が発した職務命令が,公務員の基本的人権を制限するような内容のものであるとき,人権の重みよりもなおこの意味での校長の指揮権行使の方が重要なのか,が問われなければならないことになる。原審は,「思想・良心の自由も,公教育に携わる教育公務員としての職務の公共性に由来する内在的制約を受けることからすれば,本件職務命令が,教育公務員である控訴人の思想・良心の自由を制約するものであっても,控訴人においてこれを受忍すべきものであり,受忍を強いられたからといってそのことが憲法19条に違反するとはいえない。」というのであるが,基本的人権の制約要因たる公共の利益の本件における上記具体的構造を充分に踏まえた上での議論であるようには思われない。また,原審及び多数意見は,本件職務命令は,教育公務員それも音楽専科の教諭である上告人に対し,学校行事におけるピアノ伴奏を命じるものであることを重視するものと思われるが,入学式におけるピアノ伴奏が,音楽担当の教諭の職務にとって少なくとも付随的な業務であることは否定できないにしても,他者をもって代えることのできない職務の中枢を成すものであるといえるか否かには,なお疑問が残るところであり(付随的な業務であるからこそ,本件の場合テープによる代替が可能であったのではないか,ともいえよう。ちなみに,上告人は,本来的な職務である音楽の授業においては,「君が代」を適切に教えていたことを主張している。),多数意見等の上記の思考は,余りにも観念的・抽象的に過ぎるもののように思われる。これは,基本的に「入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動が必要とされる」という理由から本件において上告人にピアノ伴奏を命じた校長の職務命令の合憲性を根拠付けようとする補足意見についても同様である。
 3 以上見たように,本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて,更に詳細な検討を加える必要があり,また,そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については,本件事案の内容に即した,より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。このような作業を行ない,その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につき改めて検討させるべく,原判決を破棄し,本件を原審に差し戻す必要があるものと考える。
 (裁判長裁判官・那須弘平,裁判官・上田豊三,裁判官・藤田宙靖,裁判官・堀籠幸男,裁判官・田原睦夫)



【最判平成23年5月30日民集65巻4号1780頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 第1 上告代理人津田玄児ほかの上告理由第2のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 1 本件は,都立高等学校の教諭であった上告人が,卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,その後,定年退職に先立ち申し込んだ非常勤の嘱託員及び常時勤務を要する職又は短時間勤務の職の採用選考において,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,上記不起立行為が職務命令違反等に当たることを理由に不合格とされたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上告人を不合格としたことは違法であるなどと主張して,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償等を求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)57条の2の規定に基づく高等学校学習指導要領(平成11年文部省告示第58号。平成21年文部科学省告示第38号による特例の適用前のもの。以下「高等学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。
 (2) 都教委の教育長は,平成15年10月23日付けで,都立高等学校等の各校長宛てに,「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台壇上正面に国旗を掲揚し,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
 (3) 上告人は,平成16年3月当時,都立A高等学校に勤務する教諭であったところ,同月1日,同校の校長から,本件通達を踏まえ,同月5日に行われる卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令(以下「本件職務命令」という。)を受けた。しかし,上告人は,本件職務命令に従わず,上記卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった。そのため,都教委は,同月31日,上告人に対し,上記不起立行為が職務命令に違反し,全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であるなどとし,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号に該当するとして,戒告処分をした。
 (4) 定年退職等により一旦退職した教職員等について,都教委は,特別職に属する非常勤の嘱託員(地方公務員法3条3項3号)として新たに任用する制度を実施するとともに,常時勤務を要する職(同法28条の4)又は短時間勤務の職(同法28条の5)として再任用する制度を実施している。
 上告人は,平成19年3月31日付けで定年退職するに先立ち,平成18年10月,上記各制度に係る採用選考の申込みをしたが,都教委は,上記不起立行為は職務命令違反等に当たる非違行為であることを理由として,いずれも不合格とした。
 3(1) 上告人は,卒業式における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について,日本の侵略戦争の歴史を学ぶ在日朝鮮人,在日中国人の生徒に対し,「日の丸」や「君が代」を卒業式に組み入れて強制することは,教師としての良心が許さないという考えを有している旨主張する。このような考えは,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人自身の歴史観ないし世界観から生ずる社会生活上ないし教育上の信念等ということができる
 しかしながら,本件職務命令当時,≪1≫公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,≪3≫そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって,上記の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。また,上記の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,本件職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると,本件職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
 (2) もっとも,上記の起立斉唱行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,その限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
 なお,上告人は,個人の歴史観ないし世界観との関係に加えて,学校の卒業式のような式典において一律の行動を強制されるべきではないという信条それ自体との関係でも個人の思想及び良心の自由が侵される旨主張するが,そのような信条との関係における制約の有無が問題となり得るとしても,それは,上記のような外部的行為が求められる場面においては,個人の歴史観ないし世界観との関係における間接的な制約の有無に包摂される事柄というべきであって,これとは別途の検討を要するものとは解されない。
 そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 (3) これを本件についてみるに,本件職務命令に係る起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人の歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人にとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為となるものである。この点に照らすと,本件職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法42条1号,36条1号,18条2号),同法43条及び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立高等学校の教諭である上告人は,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあるところ,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて,その勤務する当該学校の校長から学校行事である卒業式に関して本件職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,本件職務命令は,公立高等学校の教諭である上告人に対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い,かつ,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件職務命令については,前記のように外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 (4) 以上の諸点に鑑みると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官竹内行夫,同須藤正彦,同千葉勝美の各補足意見がある。

 >>>裁判官竹内行夫の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることを前提とした上で,このような制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が本件職務命令に認められるか否かの点について,これを肯定的に解するものとする法廷意見のアプローチ及び結論に賛同するものであるが,若干の意見を記しておきたい。
 1 間接的な制約の存在を前提とするアプローチ
 思想及び良心の自由は個人の内心の領域に係るものであり,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人のような個人の歴史観ないし世界観は,内心にとどまる限り,絶対的に自由であり法的に保護されなければならない。そして,一般的,客観的に見た場合には,卒業式における起立斉唱行為は儀礼的な所作であって,上記のような個人の歴史観等を否定するものではなく,また,そのような個人の歴史観等を直ちに露顕させるものであるとも解されないとしても,そのようないわば第三者的な見地だけから本件職務命令が思想及び良心の自由についての制約に当たらないとの結論に到達し得るものではない。思想及び良心の自由は本来個人の内心の領域に係るものであるから,当該本人自身において起立斉唱行為が敬意の表明の要素を含む点において自己の歴史観等に由来する行動と相反する外部的行為であるとして心理的矛盾や精神的な痛みを感じるのであれば,そのような状態は思想及び良心の自由についての制約の問題が事実上生じている状態であるといわざるを得ない。そして,そのような間接的な制約が許容されるか否か,許容される場合があるとすればなぜ許容されるかということについて,審査が行われなければならない(この点において,私はいわゆるピアノ伴奏事件判決(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁)における那須弘平裁判官の補足意見の基本的視点に共感するものである。)。
 2 外部的行動に対する規制
 個人の歴史観ないし世界観が,内心にとどまる限り,社会規範等と異なるところがあっても,その間の抵触が問題とされることはない。他方,人がその歴史観ないし世界観に基づいて行動する場合には,その外部的行動が社会による客観的評価の対象となり社会規範等に抵触することがあり得るのであり,そのような場面においては,外部的行動が社会規範等により制限されることがある。この場合において,制限の対象はあくまでも外部的行動であるが,そのような外部的行動に対する制限を介して,結果として,歴史観ないし世界観についての間接的な制約となることはあり得るところである。本件はそのようなケースであり,本件職務命令により制限の対象とされるのは,上告人の卒業式において起立斉唱をしないという行動であって,その歴史観ないし世界観ではない。
 このような場合に,表見的には外部的行動に対する制限であるが,実はその趣旨,目的が,個人に対して特定の歴史観等を強制したり,あるいは,歴史観等の告白を強制したりするものであると解される場合には,直ちに,思想及び良心の自由についての制約の問題が生ずることになるが,本件職務命令がそのようなものであるとは考えられない。
 なお,以上に述べたような外部的行動に対する制限を介しての間接的な制約となる面があると認められる場合においては,そのような外部的行動に対する制限について,個人の内心に関わりを持つものとして,思想及び良心の自由についての事実上の影響を最小限にとどめるように慎重な配慮がなされるべきことは当然であろう。
 また,本件のような思想及び良心の自由についての間接的な制約に関して,その必要性,合理性を審査するに当たっては,具体的な状況を踏まえて,特に慎重に較量した上での総合的判断が求められることはいうまでもない。このこととの関連で,一言触れておくと,思想信条等に由来する外部的行動について,当該行動と核となる思想信条等との間の関連性の程度には差異があるとの見方を採用した上で,本件上告人の起立斉唱行為の拒否は本人の歴史観等と不可分一体なものとまではいえないと解し,そのような解釈に立って合憲性の審査を進めるという見解があるが,そのようなアプローチは私の採るところではない。人の外部的行動が歴史観等に基づいたものである場合に,当該行動と歴史観等との関連性の程度というものはおよそ個人の内心の領域に属するものであり,外部の者が立ち入るべき領域ではないのみならず,そのような関連性の程度を量る基準を一般的,客観的に定めることもできない。あえてこれを量ろうとするならば,それは個人の内心に立ち入った恣意的な判断となる危険を免れないこととなろう。本件上告人があえて起立斉唱をしないという行動を採ったのは,それが自己の歴史観等に基づく行動と両立するものではないと確信しているからであると解されるのであり,私は,本件上告人の起立斉唱行為の拒否が,その内心の状態に照らして,上告人の歴史観等と不可分一体なものではないとの判断を下す何らの根拠も有していない。
 3 国旗,国歌に対する敬意
 法廷意見が本件職務命令による上告人に係る制約が許容され得るとした判断に賛同するに当たり,次の二つの点を特記しておきたい。
 第一は,国旗及び国歌に対する敬意に関することである。一般に,卒業式,国際スポーツ競技の開会式などの種々の行事や式典において国旗が掲揚されたり,国歌が演奏されたりするが,そのような際に,一般の人々の対応としては,通常,慣例上の儀礼的な所作としてごく自然に国旗や国歌に対する敬意の表明を示しているものと考えられる。そして,国際社会においては,他国の国旗,国歌に対する敬意の表明は国際常識,国際マナーとされ,これに反するような行動は国際礼譲の上で好ましくないこととされている。先年,ある外国における国際サッカー試合の前に慣例により「君が代」が演奏されたとき,その国の観客が起立をしなかったということがあり,これが国際マナーに反するとして我が国を含め国際世論から強く批判されたことがあったのは記憶に新しい。他の国の国旗,国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも,まず自分の国の国旗,国歌に対する敬意が必要であり,学校教育においてかかる点についての配慮がされることはいわば当然であると考える。
 第二に,上告人は教員であり,学校行事を含めて生徒を指導する義務を負う立場にあるという点が重要である。国旗,国歌に対する敬意や儀礼を生徒に指導する機会としては種々あるであろうが,卒業式や入学式などの学校行事は重要な機会である。そのような学校行事において,教員が起立斉唱行為を拒否する行動をとることは,国旗,国歌に対する敬意や儀礼について指導し,生徒の模範となるべき教員としての職務に抵触するものといわざるを得ないであろう。本件職務命令による上告人に係る制約の必要性,合理性を較量するに当たっては,このような観点も一つの事情として考慮される必要があると考える。

 >>>裁判官須藤正彦の補足意見は,次のとおりである。
 私は,法廷意見に同調するものであるが,その理由について以下のとおり補足する。
 1 基本的視点
 (1) 特定の思想の強制や禁止,特定の思想を理由とする不利益の付与は,憲法19条で保障された思想及び良心の自由を侵すものとして絶対に許されない。また,この趣旨から,特定の歴史観ないし世界観(以下「歴史観等」という。)又はその否定と不可分に結び付く行為の強制も,特定の思想又はその否定を外部に表明する行為であると評価される行動や特定の思想の有無についての告白の強制も,いずれも許されない(この点につき,最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁参照)。
 (2) この意味で,内心における思想及び良心の自由の保障は絶対であるが,特定の思想が内心にとどまらない場合は,外部的行動との関わりにおいて他の利益と抵触するため,それは常に絶対というわけではない面がある。例えば一夫多妻制や一妻多夫制が正しいとの歴史観等を有することは絶対に自由であるが,これに従って重婚に及んだ者は処罰される(刑法184条)。この場合,国家はその者の歴史観等に対する否定的評価を刑法に取り込んでいるとみることも可能であるように思われ,そうすると,その疑いもなく少数の者は外部的行為の介在によって思想及び良心の自由につきいわば直接的制約を受ける(以下では,このような直接的制約を「いわゆる直接的制約」と呼ぶことがある。)こととなるが,憲法19条は明らかに刑法184条を許容しているといえる。
 (3) 一般に,外部的行為を,社会一般の規範等が個人に要求する場合,それが元来ある歴史観等や信条などについて否定的評価をするものではなく,その趣旨,目的が別にあるにもかかわらず,ないしは,その外部的行為の要求が一般的,客観的にも歴史観等や信条などを否定するような意図を含んでいるとはみられないにもかかわらず,その外部的行為が,個人の歴史観等やそれに基づく信条などに由来する外部的行動と異なり,その者はそれには応じ難いというときがあり得る。この場合,外部的行為を要求することを通じて,結果として個人の思想及び良心の自由(内心の自由)についての制約を生じさせることになる。これは,前記のいわゆる直接的制約に対して,間接的制約と呼ぶことができるが,本件は主として社会一般の規範等に当たる本件職務命令による間接的制約の問題といえる。
 もっとも,このように一般的,客観的観点からは間接的制約と評価されても,それを受ける者にとっては,当該外部的行為を要求されることで,自己の歴史観等の核心部分を否定されたものと,あるいはその外部的行為を自己が否定する歴史観等を外部に表明する行為と評価されるものと受け止めて,精神的葛藤を生じることがある(直接的か間接的かという区別は,当人自身の主観としては無意味であろう。)。
 また,外部的行為の要求が一律に強制される場合,当該要求が一律に強制されるべきではないという信条を有する者にとっては,その信条の直接的な否定となり,これはそのような信条に係るいわば直接的制約ともいえる。その信条に賛否が分かれているような問題が含まれる場合は,特に精神的葛藤を避けられないのであるが,本件はその信条に係る制約の問題をも付随的に含む(以下では,このような信条に係る制約を「信条の制約」と呼ぶことがある。)。
 もとより,憲法における思想及び良心の自由の保障は,個人の尊厳の観点からして,あるいは,多様な思想,多元的な価値観の併存こそが民主主義社会成立のための前提基盤であるとの観点からして,まずもってその当人の主観を中心にして考えられるものであり,このような憲法的価値の性質からすると,間接的制約や信条の制約の場面でも,憲法19条の保障の趣旨は及ぶというべきである。思想及び良心の自由は,少数者のものであるとの理由で制限することは許されないものであり,多数者の恣意から少数者のそれを護ることが司法の役割でもある。思想及び良心の自由の保障が戦前に歩んだ苦難の歴史を踏まえて,諸外国の憲法とは異なり,独自に日本国憲法に規定されたという立法の経緯からしても,そのことは強調されるべきことであろう。
 (4) しかしながら,外部的行為が介在する場面での思想及び良心の自由の保障は,必ずしも絶対不可侵のものとしての意味のそれではない。けだし,社会一般の規範等に基づく外部的行為の要求が間接的制約を生ずるがゆえに絶対的に許されないのであれば,結局社会が成り立たなくなってしまうと思われ,憲法は社会が成り立たなくなってしまう事態まで求めるものとは思われないからである。したがって,このような外部的行為を介しての間接的制約の場面では,その規範等に間接的制約を許容し得る程度の必要性,合理性がある場合には,憲法自身が,それを内在的制約としてなお容認しているものとみるのが相当であると考える。信条の制約の場合も同様であり,その信条が歴史観等に由来するものであればそれとその信条とが不可分一体であるという意味において,また,それが単なる社会生活上の信条であれば正にそのことのゆえに,間接的制約に準じて,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性がある場合には,なお容認しているものと思われる(以下では,「間接的制約等」を間接的制約と信条の制約とを併せた意味で用いる。)。なお,この制約を許容し得る程度の必要性や合理性は飽くまで憲法論におけるそれである以上,その必要性,合理性の根拠はできるだけ憲法自体に求められるのが望ましいと思われる。同時に,必要性や合理性は広い意味に捉え得るので,特に外部的行為の方法,態様などの点に関しては,憲法論で捉えるよりも,裁量統制の観点から,当該外部的行為の拒否を理由とする不利益処分が裁量の範囲を逸脱するものとして違法と評価されるか否かとの判断方法で捉える方が適切であるという場合も現実には多いと思われ,その意味で一種の棲み分けがなされることになろう。もっとも,例えば,対象となる当人の歴史観等に係る間接的制約等が容易に予見される状況であるのに,これを最小限にとどめるような慎重な配慮を著しく欠くという場合や,違反に対する制裁が初めから過度に重いものしか定められていないような場合などは,憲法的価値そのものを否定するものとして,制約を許容し得る程度の必要性,合理性は認められないといえよう。
 (5) 上記の判断枠組みについていえば,それは,思想及び良心の自由が外部的行為の介在によって社会一般の規範等と抵触する場合の調整の在り方として,一般的,客観的な見地の下に,その規範等の趣旨,目的や思想及び良心の自由についての制約の有無に加え,制約の直接性,間接性,思想及び良心の核心部分との遠近,制約の程度等をも検討し,それらを前提とした上で,間接的制約等についての必要性,合理性を考量すべきものとする考え方である。これについては,思想及び良心の自由の保障が元来当人の主観を中心にして考えられることとの整合性が一見問題となるように思われないでないが,この判断は,飽くまで法的判断として主観を前提とした上での客観的な評価を行う作用であって,その判断方法自体は異とするに足りない。思想及び良心の自由につき,外部的行為の介在による規範等との抵触の場合の調整の在り方としては,前記のいわゆる直接的制約のような場合には,いわゆる厳格な基準などによるべきことと思われるが,間接的制約等の場合には,上記の判断枠組みは,必要性,合理性の考量が安易になされないことを必須の条件として,適切な方法と考える。この場合の制約は,憲法自身が容認する内在的制約であるが,憲法13条の公共の福祉による制約と趣旨において共通するといえよう。今後は,その必要性及び合理性の内容について深く掘り下げていくことが現実的であると思われる。
 2 本件の間接的制約該当性
 本件の起立斉唱行為は,一般的,客観的にみて,卒業式等の式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであるが,国旗,国歌への敬意の表明の要素を含むものであることから,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人の歴史観等に由来する外部的行動(国旗,国歌への敬意の表明の拒否)と矛盾抵触し,その歴史観等の核心部分を否定されるものと,あるいは自己が否定する歴史観等を外部に表明する行為と評価されるものと受け止められるであろうから,精神的葛藤を生じ,上告人の歴史観等に係る制約となる面があるところ,社会一般の規範等である本件職務命令は,後にも述べるが,特定の歴史観等は前提とせず,いわんやこれを否定するようなことは予定されておらず,一般にそのようにみられるものでもないから,上記の制約は,結果としての間接的制約となるものである。また,「日の丸」,「君が代」は賛否が分かれている問題を含むのであり,学校の卒業式における起立斉唱は本来一律の強制でなされるべきでなく,したがって起立斉唱してはならないという信条を有しているということで,その信条の制約ということも考えられる。そうすると,本件職務命令が憲法に違反するか否かは,これらの間接的制約等を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かによって定まることとなる。
 3 必要性及び合理性
 (1) まず,本件職務命令の趣旨,目的は,高校生徒が,起立斉唱という国旗,国歌への敬意の表明の要素を含む行為を契機として,日常の意識の中で自国のことに注意を向けるようにすることにあり,そのために,卒業式典という重要な儀式的行事の機会に指導者たる教員に,いわば率先垂範してこれを行わしめるものといえる。けだし,「日の丸」,「君が代」は国旗,国歌であるので(国旗及び国歌に関する法律。以下「国旗国歌法」という。),それが日本国(以下,適宜,「国」又は「自国」と称する。)をメッセージしているからである。
 制約を許容し得る程度の必要性,合理性の根拠はできれば憲法自体に求められることが望ましいという前述の視座から検討するに,我々は,「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持」(憲法前文)しなければならないが,益々国際化が進展している今日こそ,自国の伝統や文化に対して正しい理解をした上で,他国を尊重し,柔軟な国際協調の精神を培って国際社会の平和と発展に寄与することがあるべき姿であろう。教育基本法(平成18年法律第120号による改正前のもの。以下同じ。)1条は,教育は,「平和的な国家及び社会の形成者として」の国民育成を期して行わなければならないと規定し,学校教育法18条2号は,小学校教育の目標として,「郷土及び国家の現状について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと」と,同法36条1号及び42条1号は,それぞれ,中学校教育,高校教育の目標として,小学校,中学校の教育の基礎の上に,「国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと」,「国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」と規定しているところである。実際,高校生は,やがて,国の主権者としての権利を行使し社会的責務を負う立場になるのであり,また,自らの生活や人生を国によって規定されることは避けられない。公共の最たるものが国であり,国は何をする存在なのかを知り,国が自分のために何をしてくれるのかを問いかけることも,自分が国のために何をなし得るのかを問いかけることも,大切なことと思われる。そして,そのためには,自国の歴史の正と負の両面を虚心坦懐に直視しなければならない。そうすると,職務命令において,高校生徒に対していわば率先垂範的立場にある教員に日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機を与える行為を行わしめることは当然のことともいえる。他方,国民は普通教育を受けさせる義務(責務)を負うところ(憲法26条2項),上告人が従事していた高校教育も,その段階の一つである(学校教育法50条)。そして大切なことは,その義務(責務)を果たすことの前提として,国民は,教育を受ける権利を基本的人権として保障され(憲法26条1項),法律に定められた内容において普通教育,専門教育についての高校教育の提供を要求する権利を有するものである。そうすると,国民は,日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機を与える教育について,その提供を受ける権利を有するということができ,国はこれに対応してそのような教育の提供をする義務があるともいえるのであるから,教育関係者がその実践に及ぶことはその観点からしても当然のことといえる。さらに,都立高校の教諭たる上告人は,公務員として,また,教員として,「全体の奉仕者」であるところ(憲法15条2項,地方公務員法30条,教育基本法6条2項),平和的な国家及び社会の形成者として新しい世代を育成し,国民の教育を受ける権利を実現する上での上記の契機を与えるための教育は,国民全体の関心事でもあるから,そのような教育を行うことは,全体の奉仕者としての当然の責務であるともいえる。そうすると,特定の国家観を前提とせず,普通教育の従事者たる教員に,自国のことに注意を向けるための契機を与えようとする教育を行わしめることは,教育を受ける権利や全体の奉仕者という観点においても,憲法上の要請ということも可能である。
 以上のように,本件職務命令は,その趣旨,目的自体において,十分に必要性や合理性が認められるというべきである。
 (2) 上記の契機を与えるための教育の手段としては,様々なものがあり得るから,「日の丸」や「君が代」を用いてこれに対して敬意の表明の要素を含む行為をさせることは唯一の選択肢ではないものの,これらは,国旗,国歌として国を象徴するものであるがゆえに,直截で分かりやすく,これに敬意の表明の要素を含む行為をすることが,日常の意識の中で自国のことに注意を向ける契機となるものと思われる。教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の中であれば,他にも様々な方法が考えられるが,進行上のめり張り,厳粛性,統一性などが要求される卒業式などの全校的な統一的集団行事としての儀式的行事において,みるべき代替案あるいは拮抗する対案が提唱されていることもうかがわれない。のみならず,自国の国旗,国歌に敬意の表明の要素を含む行為をすることは,他国の国旗,国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為を行うことにつながり,他国の国旗,国歌を尊重することは他国を尊重することを含意すると思われるところ,さきに述べたところからして他国を尊重するように教育をすることは大切なことである。以上によれば,本件の卒業式において,「国」のことに注意を向ける契機を与えるための教育の手段として,「日の丸」や「君が代」を用い,教員をして,いわば率先垂範してこれに対する敬意の表明の要素を含む行為をさせることには,必要性及び合理性が認められるといえる。
 しかして,仮にこの「日の丸」,「君が代」が特定の歴史観等や反憲法的国家像を前提とするのであれば,本件のような職務命令は,公権力が思想教育ないしは特定の思想について一定の価値判断を教員に教え込ませようとするものとして許されないことになろうが,国旗国歌法上,国旗たる「日の丸」も国歌たる「君が代」も,特定の歴史観等や反憲法的国家像が前提とされているわけではないから,本件職務命令はそのような前提には立っていないというべきである。仮に,このような職務命令によって,実は一定の歴史観等を有する者の思想を抑圧することを狙っているというのであるならば,公権力が特定の思想を禁止するものであって,前記のとおり憲法19条に直接反するものとして許されないことになろうが,本件職務命令はそのような意図を有しているものとも認められない。
 もっとも,「日の丸」,「君が代」については,かねて国民の間に少なからぬ議論のあるところであり,様々な考え方があるのも現実である。「日の丸」,「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人の歴史観等からすれば,「日の丸」,「君が代」がメッセージしているのは,その過去の「国」であるということなのであろう。しかし,他方において,それは,負の歴史をも踏まえた上での現在の「国」,つまり,国民主権主義,基本的人権尊重主義,平和主義といった基本原理を有する日本国憲法の秩序の下にある国である,あるいはそのような国であるべきだとの考え方もあり得るところであろう。むしろ,一般的には,「日の丸」,「君が代」がメッセージしているのは,特定の国家像などが前提とされていない国であり,したがって,本件におけるような卒業式典における起立斉唱も,慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものと捉えられるといえる。
 (3) 以上のとおり,本件職務命令は,その趣旨,目的において,必要性,合理性の根拠を憲法上に求めることができる。ところで,間接的制約等を許容し得る程度の必要性,合理性が認められるためには,進んで具体的な方法,態様においても,必要性,合理性が要求されるものであるので(その方法,態様自体が憲法的価値そのものを否定するものであれば,必要性,合理性を認めることができない。),この観点から更に考察するに,起立斉唱という方法は,国旗,国歌への敬意の表明の要素を含む行為としては,唯一の選択肢ではないであろうが,それが直截的であり,これに代替し又は拮抗する方法は容易に見いだし難いように思われ,この方法を採ることには必要性,合理性が認められる。また,卒業式典は,全校的な統一的集団行事であり,教育的観点から重要な儀式的行事として位置付けられるという性格からして,厳粛かつ効果的に執り行われるべきことが要求されるので,会場の雰囲気を損なってその円滑な進行に水を差したり,生徒をして日常の意識の中で自国に注意を向ける契機を与えるという教育の効果を一部減殺するなどの事態を招かないようにするために,いわば率先垂範的な立場にある教員に一律に強制し,そのための制裁手段としての懲戒処分(過度に重いものしか定められていないというものではない。)を設けるという方法を採ることも必要性,合理性が認められるというべきである。そして,本件職務命令の対象たる起立斉唱の形式,内容,進行方法,所要時間,頻度等をみても,起立斉唱に付加して,例えば,国家への忠誠文言の朗誦とか,愛国心を謳った誓約書への署名などの行為を求めるものではなく,しかも,短時間で終了し,日を置かずして反復されるようなものでもなく,その結果,慣例上の儀礼的な所作の域にとどまるといえる。また,上記の点よりすると,本件職務命令は,少なくとも,その間接的制約等を最小限にとどめるような慎重な配慮を著しく欠いているとはいえない。そうすると,本件職務命令は,その態様においても,必要性,合理性が認められる(これらの方法,態様自体は憲法的価値そのものを否定するものとも思われない。)。
 (4) ところで,上告人が起立斉唱拒否行為(不起立)を行うことは,「日の丸」,「君が代」にまつわる前記歴史観等が正しいとの強い確信を基にして,起立斉唱はなすべきではないとする信条を,結果的にであるにせよ,表示することになる一面も否定できない。自己の良心に忠実かつ真摯な態度との側面もあるといい得るし,上告人がそのような歴史観等や信条を有するのは絶対に自由であるが,他方で,上告人の歴史観等とは異なる考え方などもあり得ると思われる。高校生活の目標は,歴史認識を含め,物事には多様な考え方,正反対の見方があることを知り,自主独立の精神の下に自分自身の価値観,人格を形成させ,主体的に判断する能力を身に付けることであり,教育はそれを支援することであろう。ところが,卒業式という学校にとって最も重要でしかもやや劇的な場面で,上告人が,そのことを特に意図するものではないにせよ,強固な信条を表示するのであれば,それは,結局,対立する考え方を公平かつ平等に紹介するというよりも,自己が絶対視した価値観を一方的に教育の場に持ち込むということになろう。その結果,担任クラス,担当教科,クラブ活動などで緊密な信頼関係で結ばれている生徒らを中心に,上記の考え方が一義的に正しいものとして受け取られるなどで強い影響力,支配力を及ぼすことにもなり得ると思われる。しかし,高校生徒の側では,学校や教員を選択する自由も乏しく,また,大学生などとは異なり,一般に教員の教授内容について批判する能力がいまだ十分備わっているとはいい難いことに照らすと,それは,高校生徒の自由な思想の形成を損なうことになりはしないかと懸念されるのである。上告人は,地方公務員として全体の奉仕者であり(憲法15条2項,地方公務員法30条),かつ法律で定める学校の教員として全体の奉仕者であって(教育基本法6条2項),そのことからすると,公立学校の教員として生徒への教育において公正中立でなければならないと思われるが,それに反することになるようにも思われるのである。また,国民の教育(普通教育)を受ける権利は特定の価値観ではなく,国民が一般に共通に願う基礎的かつ均質な内容の教育の提供を要求できる権利であろう。そのような意味においては,憲法上の疑念も生ずるところである。職務命令による要求が一律であることには,上記の点からも必要性,合理性が基礎付けられよう。
 (5) なお,前記のような歴史観等とは離れて,単に一律の強制で起立斉唱するというような方法で行うべきではないという社会生活上の信条もあり得るところである。上告人は,卒業式は生徒と教師が作り上げるべきであり,他者から一律に強制されるべきではない旨の主張をしているところであり,本件職務命令はこのような信条の制約である旨を主張するものとも理解し得る。もとより,そのように考えることは全く自由であるし,また,起立斉唱を強制されることにより,精神的葛藤を生じるであろう。この信条の制約の場合,間接的制約の場合と同様にその制約を許容し得る程度の必要性,合理性があるかどうかという判断枠組みがなお用いられるべきであるということは,既に述べたとおりであるが,その比較考量においては,前記の歴史観等に係る間接的制約の場合と異なり,特段の事情がある場合は別として,その許容性が一般に容易に肯定されるであろう。もちろん,思想内容に立ち入ってその価値の軽重について外から序列を付けることは適切でないとしても,そのような社会生活上の信条は歴史観等の核心部分からやや隔たるといえるし,また,その種の社会生活上の信条は甚だ広範にわたるのであって,特に公教育にあっては,自己の社会生活上の信条に反するからという一事で,一般に拒否する自由が認められれば,公教育(特に普通教育)そのものが成り立たなくなり得るし,教育公務員が全体の奉仕者であることと端的に矛盾することになると思われるからである。本件の社会生活上の信条に関しては,特段の事情は認められず,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められるといえよう。
 (6) なお念のために付言すれば,以上は飽くまで憲法論であって,職務命令違反を理由とする不利益処分に係る裁量論の領域で,日常の意識の中で国のことに注意を向ける契機を与えるために,起立斉唱がどれほど必要なのか,卒業式はその性格からしてそれを行う機会としてふさわしいのかなどの方法論や,不起立によってどのような影響が生じその程度はいかほどか,不利益処分を行うこととその程度は行き過ぎではないかといった点を考量した上で,当該処分の適法性を基礎付ける必要性,合理性を欠くがゆえに,当該処分が裁量の範囲を逸脱するとして違法となるということはあり得る。
 このことに関連して更にいえば,最も肝腎なことは,物理的,形式的に画一化された教育ではなく,熱意と意欲に満ちた教師により,しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が,教育現場を疑心暗鬼とさせ,無用な混乱を生じさせ,教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば,かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。その意味で,強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。のみならず,卒業式などの儀式的行事において,「日の丸」,「君が代」の起立斉唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると,たとえ,裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。

 >>>裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。
 私は,法廷意見に補足して,本件職務命令に対する合憲性審査の視点について,また,本件のような国旗及び国歌をめぐる教育現場での対立の解消に向けて,私見を述べておきたい。
 1 本件職務命令に対する合憲性審査の視点について
 (1) 憲法19条が保障する「思想及び良心の自由」の意味については,広く人の内心の活動全般をいうとする見解がある。そこでは,各人のライフスタイル,社会生活上の考えや嗜好,常識的な物事の是非の判断や好悪の感情まで広く含まれることになろう。もちろん,このような内心の活動が社会生活において一般に尊重されるべきものであることは了解できるところではあるが,これにも憲法19条の保障が及ぶとなると,これに反する行為を求めることは個人の思想及び良心の自由の制約になり,許されないということになる。しかしながら,これでは自分が嫌だと考えていることは強制されることはないということになり,社会秩序が成り立たなくなることにもなりかねない。したがって,ここでは,基本的には,信仰に準ずる確固たる世界観,主義,思想等,個人の人格形成の核心を成す内心の活動をいうものと解すべきであろう。本件の上告人についていえば,「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人自身の歴史観ないし世界観(以下「上告人の歴史観等」という。)がこれに当たるであろう。そして,このような思想及び良心の自由は,内心の領域の問題であるので,外部からこれを直接制約することを許さない絶対的な人権であるとされている。これを直接制約する行為というのは,性質上余り想定し難いところではあるが,例を挙げれば,個人の思想を強制的に変えさせるために思想教育を行うことなどがあろう。
 このように,個人の思想及び良心の自由としての歴史観ないし世界観は,内心の領域の問題ではあるが,現実には,それにとどまらず,歴史観等に根ざす様々な外部的な行動となって現れるところである。その中には,各人の歴史観等とは切り離すことができない不可分一体の関係にあるものがあり,これも歴史観等とともに憲法上の保障の対象となり,これを直接的に制約しあるいはこれに直接反する行為を命ずること(例えば,本件では上告人の歴史観等を否定しあるいはこれに直接反する見解の表明行為に参加することを命ずることなど)も,同様に憲法19条により禁止されると解してよいであろう。
 そうすると,この歴史観等及びこれと不可分一体の行動(以下これらを「核となる思想信条等」という。)が憲法19条による直接的,絶対的な保障の対象となるのである。
 (2) 次に,核となる思想信条等に由来するものではあるが,それと不可分一体とまではいえない種々の考えないし行動というものが現実にはあり(以下,これが外部に現れることから「外部的行動」という。),これが他の規範との関係で,何らかの形で制限されあるいはこれに反する行為を命ぜられることがあろう。このような制限をする行為(以下「制限的行為」という。)がどのような場合に許されるのかが次に問題になる。
 本件において,上告人の起立斉唱行為の拒否という外部的行動は,特に在日朝鮮人・在日中国人の生徒に対し,「日の丸」・「君が代」を卒業式に組み入れて強制するべきでないと考え,教師の信念として起立斉唱行為を拒否する考えないし行動であるところ,これは,上告人の「日の丸」・「君が代」に関する歴史観等そのもの,あるいはそれと不可分一体のものとまではいえないが,それに由来するものである(仮に,これも不可分一体であるとなると,それはおよそ制限を許さない不可侵なものということになるものと考える。)。他方,本件職務命令は外部的行動に反する制限的行為となるから,その許否が検討されることになる。
 (3) 一般に,核となる思想信条等に由来する外部的行動には様々なものがあるが,本人にとっては,そのような外部的行動も,すべて核となる思想信条等と不可分一体であると考え,信じていることが多いであろう。そのような主観的な考え等も一般に十分に尊重しなければならないものであり,この内心の領域に踏み込んで,その当否,評価等をすべきでないことは当然である。もっとも,憲法19条にいう思想及び良心の自由の保障の範囲をどのように考えるかに際しては,このような外部的行動を憲法論的な観点から客観的,一般的に捉え,核となる思想信条等との間でどの程度の関連性があるのかを検討する必要があるというべきである。これが客観的,一般的に見て不可分一体なものであれば,もはや外部的行動というよりも核となる思想信条等に属し,前述のとおり,憲法19条の直接的,絶対的な保障の対象となるが,そこまでのものでないものもあり,その意味で関連性の程度には差異が認められることになる。これを概念的に説明すれば,この外部的行動(核となる思想信条等に属するものを除いたもの)は,いわば,核となる思想信条等が絶対的保障を受ける核心部分とすれば,それの外側に存在する同心円の中に位置し,核心部分との遠近によって,関連性の程度に差異が生ずるという性質のものである。そして,この外部的行動は,内側の同心円に属するもの(核となる思想信条等)ではないので,憲法19条の保障の対象そのものではなく,その制限をおよそ許さないというものではない。また,それについて制限的行為の許容性・合憲性の審査については,精神的自由としての基本的人権を制約する行為の合憲性の審査基準であるいわゆる「厳格な基準」による必要もない。しかしながら,この外部的行動は核となる思想信条等との関連性が存在するのであるから,制限的行為によりその間接的な制約となる面が生ずるのであって,制限的行為の許容性等については,これを正当化し得る必要性,合理性がなければならないというべきである。さらに,当該外部的行動が核心部分に近くなり関連性が強くなるほど間接的な制約の程度も強くなる関係にあるので,制限的行為に求められる必要性,合理性の程度は,それに応じて高度なもの,厳しいものが求められる。他方,核心部分から遠く関連性が強くないものについては,要求される必要性,合理性の程度は前者の場合よりは緩やかに解することになる。そして,このような必要性,合理性の程度等の判断に際しては,制限される外部的行動の内容及び性質並びに当該制限的行為の態様等の諸事情を勘案した上で,核となる思想信条等についての間接的な制約となる面がどの程度あるのか,制限的行為の目的・内容,それにより得られる利益がどのようなものか等を,比較考量の観点から検討し判断していくことになる。
 なお,さきに述べたように,このような比較考量は,本人の内心の領域に立ち入って,本人が主観的に思想として確信しているものについて思想としての濃淡を付けたり,ランク付けしたりするものではなく,飽くまでも外部的行動が核となる思想信条等とどの程度の関連性が認められるかという憲法論的観点からの客観的,一般的な判断に基づくものにとどまるものである。例を挙げれば,最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁における事案のように,本件の上告人と同様の歴史観等(核となる思想信条等)を有する市立小学校のピアノ教師が,自己の信念として卒業式等で「君が代」のピアノ伴奏をすべきではないとし,それを拒否するという外部的行動と,本件の起立斉唱行為の拒否という外部的行動を比べると,各人の内心における信念としては,いずれも各人の歴史観等と不可分一体のものと考えているものと思われ,そのこと自体は,十分に尊重に値するが,核となる思想信条等としての歴史観等との憲法論的な観点からの客観的,一般的な関連性については,本件起立斉唱行為の拒否の方が,後述のとおり,「日の丸」・「君が代」に対する敬意の表明という要素が含まれている行為を拒否するという意味合いを有することなどからみて,関連性がより強くなるものということになろう。
 (4) 本件の上告人の上記の「日の丸」等に関する外部的行動(起立斉唱行為の拒否)は,上告人の歴史観等(核となる思想信条等)に由来するものであるが,上記(3)で述べた趣旨において,それとの関連性は強いが不可分一体とまではいえないというべきである(なお,この外部的行動は,上告人の内心において,起立斉唱行為をすべきでないし,しないという強い信念となっているとしても,この内心の信念と起立斉唱行為の拒否とは表裏の関係にあり,前者は不可侵の領域で後者は外部的な事象,というように両者を分けて憲法上の意味を考えることはできないところであると考える。)。
 また,上告人は,儀式的行事において行われる「日の丸」・「君が代」に係る起立斉唱行為のように,公的な式典において本人が意図せぬ一定の行為を他の公的機関から強制されるのは自己の信念に反し苦痛であるという趣旨の主張もしているが,これは,いわゆる反強制的信条(前記最高裁判決における藤田裁判官の反対意見参照)というべきものの一つであろう。このような反強制的信条は,それが,上告人の個人的な卒業式の在り方についての観念や,そもそも教育の場で教師として一定の行動を他から強制されることへの強い嫌悪感ないし否定的な心情のようなものである場合もあろう。そうであれば,これらは,前記のとおり,個人の内心の活動に属する問題であり,一教師としてあるいは個人としての立場から尊重され得る事柄ではあるが,憲法上の絶対的な保障の対象となる思想及び良心の自由の領域そのものの問題ではない。もっとも,このような観念等は,上告人の歴史観等の核となる思想信条等と関連性があり,それに由来するものであると解する余地がある。その場合には,上告人の起立斉唱行為の拒否という外部的行動と同じ観点から制約の許容性が検討され,その結果,同様の判断となるのである。
 (5) ところで,本件職務命令が求める起立斉唱行為は,国旗・国歌である「日の丸」・「君が代」に対し多かれ少なかれ敬意を表する意味合いが含まれており,その点において,本件職務命令は,上告人の歴史観等それ自体を否定するような直接的な制約となるものとはいえないが,その間接的な制約となる面があり,また,その限りにおいて上告人の上記の反強制的信条ともそごする可能性があるものである。しかしながら,法廷意見の述べるとおり,起立斉唱行為は,学校行事における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有し,外部から見ても上告人の歴史観等自体を否定するような思想の表明として認識されるものではなく,他方,起立斉唱行為の教育現場における意義等は十分認められるのであって,本件職務命令は,憲法上これを許容し得る程度の必要性,合理性が認められるものと解される。
 2 本件のような国旗及び国歌をめぐる教育現場での対立の解消に向けて
 (1) 職務命令として起立斉唱行為を命ずることが違憲・無効とはいえない以上,これに従わない教員が懲戒処分を受けるのは,それが過大なものであったり手続的な瑕疵があった場合等でない限り,正当・適法なものである。しかしながら,教員としては,起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため,司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが,必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない。
 (2) 一般に,国旗及び国歌は,国家を象徴するものとして,国際的礼譲の対象とされ,また,式典等の場における儀礼の対象とされる。我が国では,以前は慣習により,平成11年以降は法律により,「日の丸」を国旗と定め,「君が代」を国歌と定めている。入学式や卒業式のような学校の式典においては,当然のことながら,国旗及び国歌がその意義にふさわしい儀礼をもって尊重されるのが望まれるところである。しかしながら,我が国においては,「日の丸」・「君が代」がそのような取扱いを受けることについて,歴史的な経緯等から様々な考えが存在するのが現実である。
 国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって,国民が心から敬愛するものであってこそ,国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである。そうすると,この問題についての最終解決としては,国旗及び国歌が,強制的にではなく,自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要であるということを付言しておきたい。
(裁判長裁判官 須藤正彦 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫 裁判官 千葉勝美)


【最判平成23年6月6日民集65巻4号1855頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

第1 上告代理人尾山宏ほかの上告理由第1点のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
1 本件は,都立高等学校の教職員であった上告人らが,卒業式等の式典における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,その後,退職に先立ち申し込んだ非常勤の嘱託員の採用選考において,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,上記不起立行為が職務命令違反等に当たることを理由に不合格とされたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上告人らを不合格としたことは違法であるなどと主張して,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めている事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)57条の2の規定に基づく高等学校学習指導要領(平成11年文部省告示第58号。平成21年文部科学省告示第38号による特例の適用前のもの。以下「高等学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。
(2) 都教委の教育長は,平成15年10月23日付けで,都立高等学校等の各校長宛てに,「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台壇上正面に国旗を掲揚し,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
(3) 第1審判決添付別紙一覧表「職務命令の日」欄記載の日の当時,X1を除く上告人らは同表「学校名」欄記載の各都立高等学校に勤務する教員であり,X1は都立A高等学校に勤務する学校司書であったところ,上告人らは,それぞれ,同表「校長」欄記載の各校長から,本件通達を踏まえ,同表「行事」欄記載の卒業式又は創立記念式典に際し,平成15年11月5日から同17年3月7日にかけての同表「職務命令の日」欄記載の日に,同表「職務命令の内容」欄記載のとおり上記各式典の国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の各職務命令(以下「本件各職務命令」という。)を受けた。しかし,上告人らは,本件各職務命令に従わず,上記各式典における国歌斉唱の際に起立しなかった。
(4) 都教委は,平成16年2月17日にX1及びX2に対し,同年3月31日にX3,X4,X5,X6,X7,X8,X9,X10及びX11に対し,同17年3月31日にX12に対し,上記卒業式又は創立記念式典における上記不起立行為は地方公務員法32条及び33条に違反するとして,それぞれ戒告処分をし,また,同16年及び同17年の各3月31日にX13に対し,同様の理由で,戒告処分等をした。
(5) 定年退職等により一旦退職した教職員等について,都教委は,特別職に属する非常勤の嘱託員(地方公務員法3条3項3号)として新たに任用する制度を実施している。
 X3,X4,X5及びX6は平成17年3月31日付けで定年退職し,X7は同日付けで定年前に勧奨退職したところ,同上告人らは,これに先立ち,平成16年10月ころ又は同17年1月ころ,上記制度に係る平成16年度東京都公立学校再雇用職員(教育職員)の採用選考の申込みをしたが,都教委は,上記不起立行為は職務命令違反等に当たる非違行為であり,東京都公立学校再雇用職員設置要綱が選考要件として掲げる「正規職員を退職・・する前の勤務成績が良好であること」の要件を欠くとして,いずれも不合格とした。
 また,X8,X9,X2,X10,X12,X11及びX1は平成18年3月31日付けで定年退職し,X13は同日付けで定年前に勧奨退職したところ,同上告人らは,これに先立ち,平成17年10月ころ又は同18年1月ころ,上記制度に係る平成17年度東京都公立学校再雇用職員(教育職員)の採用選考の申込みをしたが,都教委は,同様の理由で,いずれも不合格とした。
(6) 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する前提として,大別して,① 戦前の日本の軍国主義やアジア諸国への侵略戦争とこれに加功した「日の丸」や「君が代」に対する反省に立ち,平和を志向するという考え,② 国民主権,平等主義等の理念から天皇という特定個人又は国家神道の象徴を賛美することに反対するという考え,③ 個人の尊重の理念から,多様な価値観を認めない一律強制や国家主権に反対するという考え,④ 教育の自主性を尊重し,教え子たちを戦場に送り出してしまった戦前教育と同様に教育現場に画一的統制や過剰な国家の関与を持ち込むことに反対するという教育者としての考え,⑤ これまで人権の尊重や自主的思考及び自主的判断の大切さを強調する教育実践を続けてきたことと矛盾する行動はできないという教育者としての考え,⑥ 多様な国籍,民族,信仰,家庭的背景等から生まれた生徒の信仰や思想を守らなければならないという教育者としての考え等を有している。
3(1) 上記のような考えは,「日の丸」や「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができるところ,上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,「日の丸」や「君が代」に尊重の意を表するものであって,上告人らの考えとは根本的に相容れないものであるから,このような考えを有する上告人らに対して職務命令によってこれを強制することは,個人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反する旨主張する。
 しかしながら,本件各職務命令の発出当時,≪1≫公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,≪3≫そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人らの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,上告人らに対して上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。また,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定の思想又はこれに反対する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,本件各職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反対する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると,本件各職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
(2) もっとも,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い
 そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,社会一般の規範等と抵触する場面において,当該外部的行動に対する制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限によってもたらされる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなる限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,これによってもたらされる上記の制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 これを本件についてみるに,本件各職務命令に係る国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むことから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法42条1号,36条1号,18条2号),同法43条及び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立高等学校の教職員である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである
 これらの点に照らすと,公立高等学校の教職員である上告人らに対して当該学校の卒業式や創立記念式典という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
(3) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 多数意見に賛成する立場から,若干の意見を付加しておきたい。
1 本件において,まず問題になるのは,思想及び良心の自由を侵害する強制があったというためには,一般的,客観的に侵害と評価される行為の強制でなければならないか,それとも,本人の主観において,思想・良心と行為との関連性があり,強制されることに精神的苦痛を感じる場合であれば足りるかという点である。一般的,客観的には,特定の思想,信条等を否定するものとは認められない言動が,一部の人にとっては,その思想,経験等から,本人らの思想等の否定を意味したり,精神的苦痛を与える行為となることは,間々あるが,思想,信条等は,人によって様々であり,それに対してどのような外部的行動が否定的意味を持ち,その人に対し精神的苦痛を与えるかも,人によって違いがあり得るから,仮にこれらの点に関する決定を当該思想等の保有者の主観的判断に委ねるとすれば,そうした主観的判断に基づいて,社会的に必要とされる多くの行為が思想及び良心の自由を侵害するものとして制限を受けたり,他の者の表現の自由を著しく制限することになりかねない。こうした事態は,法の客観性を阻害するものというべきであろう。
 したがって,内心の思想・良心と外部的行動との関連性,すなわち,特定の外部的行動を強制することがその人の内心の思想・良心の表明を強いたり,否定したりすることになるかどうかについては,当該外部的行動が一般的,客観的に意味するところに従って判断すべきであると考える。権利の「侵害」があるかどうかを判断する場合に,こうした一般的,客観的評価に従うという考え方は,法的判断としては,通常のことであると思われる。所論は,本人の内心において,「真摯な」関連性があれば足りる旨主張するが,この見解は,本人の主観的判断に委ねてしまうという問題点を,少しも解決していないといわざるを得ない。
 また,所論は,一般性,客観性を要求することは,少数者の思想・信条を保護しないことになるとも主張するが,ここでの問題は,どのような行為の強制を「侵害」と考えるかの問題であって,どのような思想・信条を保護するかの問題ではない。
2 職務命令をもって起立斉唱を命ずることは,一般的,客観的見地から,上告人らの歴史観,世界観等に関わる思想及び良心の自由を侵害するものではないが,起立斉唱行為が,国旗・国歌に対する敬意の表明という要素を含んでおり,その限りにおいて,本件各職務命令が,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面を有すること,しかし,起立斉唱行為の性質,本件各職務命令の目的,内容,制約の態様等を総合的に較量すれば,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められることは,多数意見の判示するとおりである。ここで,私が,念のため強調しておきたいのは,上告人らは,教職員であって,法令やそれに基づく職務命令に従って学校行事を含む教育活動に従事する義務を負っている者であることが,こうした制約を正当化し得る重要な要素になっているという点である。この点で,児童・生徒に対し,不利益処分の制裁をもって起立斉唱行為を強制する場合とは,憲法上の評価において,基本的に異なると考えられる。もっとも,教職員に対する職務命令に起因する対立であっても,これが教育環境の悪化を招くなどした場合には,児童・生徒も影響を受けざるを得ないであろう。そうした観点からも,全ての教育関係者の慎重かつ賢明な配慮が必要とされることはいうまでもない。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 本件は少数者の思想及び良心の自由に深く関わる問題であると思われる。憲法は個人の多様な思想及び生き方を尊重し,我が国社会が寛容な開かれた社会であることをその理念としている。そして,憲法は少数者の思想及び良心を多数者のそれと等しく尊重し,その思想及び良心の核心に反する行為を行うことを強制することは許容していないと考えられる。このような視点で本件を検討すると,私は多数意見に同意することはできない。まず,1において私の反対意見の要諦を述べ,2以下においてそれを敷衍する。
1 国旗に対する敬礼や国歌を斉唱する行為は,私もその一員であるところの多くの人々にとっては心情から自然に,自発的に行う行為であり,式典における起立斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。しかし,そうではない人々が我が国には相当数存在している。それらの人々は「日の丸」や「君が代」を軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルであるとみなし,平和主義や国民主権とは相容れないと考えている。そうした思いはそれらの人々の心に深く在り,人格的アイデンティティをも形成し,思想及び良心として昇華されている。少数ではあっても,そうした人々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけているとみることができる。
 上告人らが起立斉唱行為を拒否する前提として有している考えについては原審の適法に確定した事実関係の概要中において6点に要約されている。多数意見も,この考えは,「『日の丸』や『君が代』が過去の我が国において果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる」としており,多数意見は上告人らが有している考えが思想及び良心の内容となっていること,ないしこれらと関連するものであることは承認しているものと思われる。
 上告人らが起立斉唱しないのは,式典において「日の丸」や「君が代」に関わる自らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念を表明しようとする意図からではないであろう。その理由は,第1に,上告人らにとって「日の丸」に向かって起立し「君が代」を斉唱する行為は,慣例上の儀礼的な所作ではなく,上告人ら自身の歴史観ないし世界観等にとって譲れない一線を越える行動であり,上告人らの思想及び良心の核心を動揺させるからであると思われる。第2に,これまで人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として,その魂というべき教育上の信念を否定することになると考えたからであると思われる。そのように真摯なものであれば,本件各職務命令に服することなく起立せず斉唱しないという行為は上告人らの思想及び良心の核心の表出であるとみることができ,少なくともこれと密接に関連しているとみることができる。
 上告人らは東京都立高等学校の教職員であるところ,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するということもあり得るであろう。その場合は,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。しかし,それ以上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては(式典もその一つであるといえる。),自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められるということはないというべきである。なお,音楽教師が式典において「君が代」斉唱のピアノ伴奏を求められる場合に関しても同様に考えることができる。
 国旗及び国歌に関する法律の制定に関しては,国論は分かれていたが,政府の国会答弁では,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加えるものではないことが示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものとして成立したものといえるであろう。しかしながら,本件通達は,校長の職務命令に従わない場合は服務上の責任を問うとして,都立高等学校の教職員に対し,式典において指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを求めており,その意図するところは,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する否定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制しようとすることにあるとみることができる。本件各職務命令はこうした本件通達に基づいている。
 本件各職務命令は,直接には,上告人らに対し前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を持つことを禁止したり,これに反対する思想等を持つことを強制したりするものではないので,一見明白に憲法19条に違反するとはいえない。しかしながら,上告人らの不起立不斉唱という外部的行動は上告人らの思想及び良心の核心の表出であるか,少なくともこれと密接に関連している可能性があるので,これを許容せず上告人らに起立斉唱行為を命ずる本件各職務命令は憲法審査の対象となる。そして,上告人らの行動が式典において前記歴史観等を積極的に表明する意図を持ってなされたものでない限りは,その審査はいわゆる厳格な基準によって本件事案の内容に即して具体的になされるべきであると思われる。本件は,原判決を破棄し差し戻すことを相当とする。
2 上告人らの主張の中心は,起立斉唱行為を強制されることは上告人らの有する歴史観ないし世界観及び教育上の信念を否定することと結び付いており,上告人らの思想及び良心を直接に侵害するものであるというにあると理解できるところ,多数意見は,式典において国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為は慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,その性質の点から見て,上告人らの有する歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではないとしている。多数意見は,式典における起立斉唱行為を,一般的,客観的な視点で,いわば多数者の視点でそのようなものであると評価しているとみることができる。およそ精神的自由権に関する問題を,一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当でないと思われる。なお,多数意見が指摘するとおり式典において国旗の掲揚と国歌の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であるが,少数者の人権の問題であるという視点からは,そのことは本件合憲性の判断にはいささかも関係しない。
 前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する者でも,その内面における深さの程度は様々であろう。割り切って起立し斉唱する者もいるであろう。面従腹背する者もいるであろう。起立はするが,声を出して斉唱しないという者もいよう(なお,本件各職務命令では起立と斉唱は一体であり,これを分けて考える意味はない。不起立行為は視覚的に明瞭であるだけに,行為者にとっては内心の動揺は大きいとみることもできる。他方,職務命令を発する側にとっても斉唱よりもむしろ起立させることが重要であると考えているように思われる。)。しかし,思想及び良心として深く根付き,人格的アイデンティティそのものとなっており,深刻に悩んだ結果として,あるいは信念として,そのように行動することを潔しとしなかった場合,そういった人達の心情や行動を一般的ではないからとして,過小評価することは相当でないと思われる。
3 本件では,上告人らが抱いている歴史観ないし世界観及び教育上の信念が真摯なものであり,思想及び良心として昇華していると評価し得るものであるかについて,また,上告人らの不起立不斉唱行為が上告人らの思想及び良心の核心と少なくとも密接に関連する真摯なものであるかについて(不利益処分を受容する覚悟での行動であることを考えるとおおむね疑問はないと思われるが),本件各職務命令によって上告人らの内面において現実に生じた矛盾,葛藤,精神的苦痛等を踏まえ,まず,審査が行われる必要がある。
 こうした真摯性に関する審査が肯定されれば,これを制約する本件各職務命令について,後述のとおりいわゆる厳格な基準によって本件事案の内容に即して具体的に合憲性審査を行うこととなる。
4 平成11年8月に公布,施行された国旗及び国歌に関する法律は僅か2条の定義法にすぎないが,この制定に関しては,国論は分かれた。政府の国会答弁では,繰り返し,国旗の掲揚及び国歌の斉唱に関し義務付けを行うことは考えていないこと,学校行事の式典における不起立不斉唱の自由を否定するものではないこと,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加えるものではないこと等が示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものとして成立したものといえるであろう。その限りにおいて,同法は,憲法と適合する。
 これより先,平成11年3月告示の高等学校学習指導要領は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定しているが,この規定を高等学校の教職員に対し起立斉唱行為を職務命令として強制することの根拠とするのは無理であろう。そもそも,学習指導要領は,教育の機会均等を確保し全国的に一定の水準を維持するという目的のための大綱的基準であり,教師による創造的かつ弾力的な教育や地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分にあるものであって(最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参照),学習指導要領のこのような性格にも照らすと,上記根拠となるものではないことは明白であると思われる。
 国旗及び国歌に関する法律施行後,東京都立高等学校において,少なからぬ学校の校長は内心の自由告知(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に不起立不斉唱行為があったとしても支障なく進行していた。
 こうした事態を,本件通達は一変させた。本件通達が何を企図したものかに関しては記録中の東京都関連の各会議議事録等の証拠によれば歴然としているように思われるが,原判決はこれを認定していない。しかし,原判決認定の事実によっても,都教委は教職員に起立斉唱させるために職務命令についてその出し方を含め細かな指示をしていること,内心の自由を説明しないことを求めていること,形から入り形に心を入れればよい,形式的であっても立てば一歩前進だなどと説明していること,不起立行為を把握するための方法等について入念な指導をしていること,不起立行為等があった場合,速やかに東京都人事部に電話で連絡するとともに事故報告書を提出することを求めていること等の事実が認められるのであり,卒業式等にはそれぞれ職員を派遣し式の状況を監視していることや,その後の戒告処分の状況をみると,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができると思われる。本件通達は校長に対して発せられたものではあるが,本件各職務命令は本件通達に基づいているのであり,上告人らが,本件各職務命令が上告人らの有する前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念に対し否定的評価をしているものと受け止めるのは自然なことであると思われる。
 本件各職務命令の合憲性の判断に当たっては,本件通達やこれに基づく本件各職務命令をめぐる諸事情を的確に把握することが不可欠であると考えられる。
5 本件各職務命令の合憲性の判断に関しては,いわゆる厳格な基準により,本件事案の内容に即して,具体的に,目的・手段・目的と手段との関係をそれぞれ審査することとなる。目的は真にやむを得ない利益であるか,手段は必要最小限度の制限であるか,関係は必要不可欠であるかということをみていくこととなる。結局,具体的目的である「教育上の特に重要な節目となる儀式的行事」における「生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ること」が真にやむを得ない利益といい得るか,不起立不斉唱行為がその目的にとって実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白で,害悪が極めて重大であるか(式典が妨害され,運営上重大な支障をもたらすか)を検討することになる。その上で,本件各職務命令がそれを避けるために必要不可欠であるか,より制限的でない他の選び得る手段が存在するか(受付を担当させる等,会場の外における役割を与え,不起立不斉唱行為を回避させることができないか)を検討することとなろう。
6 以上,原判決を破棄し,第1に前記3の真摯性,第2に前記5の本件各職務命令の憲法適合性に関し,改めて検討させるため,本件を原審に差し戻すことを相当とする。
(裁判長裁判官 白木勇 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官 横田尤孝)


【最判平成23年6月14日民集65巻4号2148頁】

       主   文

 本件上告のうち,東京都人事委員会がした裁決の取消請求に関する部分を却下し,その余の部分を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 第1 上告代理人飯田美弥子ほかの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 1 本件は,東京都八王子市又は町田市の市立中学校の教諭であった上告人らが,卒業式又は入学式において国旗掲揚の下で国歌斉唱の際に起立して斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,事情聴取をされ,戒告処分を受け,服務事故再発防止研修を受講させられるとともに,東京都人事委員会から,上記戒告処分の取消しを求める審査請求を棄却する旨の裁決を受けたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上記事情聴取,戒告処分,服務事故再発防止研修及び裁決は違法であるなどと主張して,被上告人に対し,上記戒告処分及び裁決の各取消し並びに国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)38条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)54条の2の規定に基づく中学校学習指導要領(平成10年文部省告示第176号。平成20年文部科学省告示第99号による特例の適用前のもの。以下「中学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。
 (2) 八王子市教育委員会の教育長は,平成15年9月22日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「卒業式及び入学式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱について(通達)」(以下「本件八王子市通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台正面中央に国旗を掲揚し,全員が起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
 町田市教育委員会の教育長は,同年10月29日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「入学式,卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件町田市通達」といい,本件八王子市通達と併せて「本件各通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,上記①及び②と同様の事項(ただし,所定の実施指針には,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することも含まれていた。)等を通達するものであった。
 (3) X1は,平成16年3月当時,町田市立A中学校に勤務する教諭であったところ,同月15日,同校の校長から,本件町田市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を,同校長の命を受けた教頭から文書で受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 X2は,平成15年9月ないし同16年3月当時,八王子市立B中学校に勤務する教諭であったところ,同15年9月3日,同16年1月14日及び同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 X3は,平成16年3月ないし同年4月当時,同市立C中学校に勤務する教諭であったところ,同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成16年度入学式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた(以下,上告人らに対するこれらの職務命令を併せて「本件各職務命令」という。)。しかし,X3は,同上告人に対する上記職務命令に従わず,同年4月7日に行われた同校の入学式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 (4) X1は,平成16年3月24日に約20分間,X2は,同月25日に約1時間,X3は,同年4月16日に約10分間,それぞれ都教委から上記不起立行為に関する事情聴取を受けた。
 (5) 都教委は,上記不起立行為がそれぞれ職務命令違反に当たり,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号に該当するとして,平成16年4月6日,X1及びX2に対し,同年5月25日,X3に対し,それぞれ戒告処分をした。また,都教委は,同年8月,上記戒告処分を受けたことを理由として,上告人らにそれぞれ服務事故再発防止研修を受講させた。
 (6) X1及びX2は,平成16年5月31日,X3は,同年7月22日,それぞれ東京都人事委員会に対し,上記戒告処分の取消しを求めて審査請求をしたが,同19年4月26日,同人事委員会から,いずれもこれを棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受けた。
 3(1)ア 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について,天皇主権と統帥権が暴威を振るい,侵略戦争と植民地支配によって内外に多大な惨禍をもたらした歴史的事実から,「君が代」や「日の丸」に対し,戦前の軍国主義と天皇主義を象徴するという否定的評価を有しているので,「君が代」や「日の丸」に対する尊崇,敬意の念の表明にほかならない国歌斉唱の際の起立斉唱行為をすることはできない旨主張する。
 上記のような考えは,我が国において「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義や国家体制等との関係で果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる。
 イ しかしながら,本件各職務命令当時,公立中学校における卒業式等の式典において,≪1≫国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であり,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上記の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものということはできない。したがって,上告人らに対して学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,直ちに上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできないというべきである。
 ウ また,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況は上記イのとおりであり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作として外部から認識されるものというべきであって,それ自体が特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である。なお,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるともいえる。
 したがって,本件各職務命令は,上告人らに対して,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものともいえない
 エ そうすると,本件各職務命令は,上記イ及びウの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
 (2) もっとも,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり,そのように外部から認識されるものであるということができる(なお,例えば音楽専科の教諭が上記国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする行為であれば,音楽専科の教諭としての教科指導に準ずる性質を有するものであって,敬意の表明としての要素の希薄な行為であり,そのように外部から認識されるものであるといえる。)。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,それが心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼすものと考えられるのであって,これを求められる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
 (3)ア そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 イ これを本件についてみるに,本件職務命令に係る国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含み,そのように外部から認識されるものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となり,心理的葛藤を生じさせるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての前記(2)の間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,中学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法36条1号,18条2号),同法38条及び学校教育法施行規則54条の2の規定に基づき中学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた中学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立中学校の教諭である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,中学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件各通達を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,公立中学校の教諭である上告人らに対して当該学校の卒業式又は入学式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,中学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 (4) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 なお,上告人らは本件上告のうち本件裁決の取消請求に関する部分について上告理由を記載した書面を提出しないから,本件上告のうち同部分を却下することとする。
 よって,裁判官田原睦夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同岡部喜代子,同大谷剛彦の各補足意見がある。

 >>>裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
 1 私は,本件と関連する事柄が問題となった最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)において,ピアノ伴奏を命ずる校長の職務命令を合憲とする多数意見を支持する立場を採りつつ,補足意見の中で,同職務命令が音楽専科の教諭の有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を生じさせ,ひいては思想及び良心の自由についての制約の問題を生じさせる可能性があることを指摘した。本件においては教諭の起立斉唱が問題となっており,ピアノ伴奏とは異なる面もあるので,その点については後に詳述するが,上記補足意見で述べた基本的な考え方については,以下のとおり,これを維持するものである。
 (1) ピアノ伴奏事件判決の多数意見は,音楽専科の教諭が,市立小学校の入学式における国歌斉唱の際に,校長の職務命令により「君が代」のピアノ伴奏を行うことを命じられたことにつき,同職務命令が,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる同教諭の歴史観ないし世界観自体を直ちに否定するものとは認められず,同教諭が特定の思想を持つことを強制したりこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない旨判示している(理由3(1)及び(2))。これは,「君が代」の伴奏を命じる職務命令がそもそも憲法19条の保障する思想及び良心の自由についての制約に当たらないという見解を基本とするものであると解されるが,同判決では,さらに,職務命令が思想及び良心の自由についての制約に当たる可能性もあり得ることをも考慮して,憲法15条2項(公務員が全体の奉仕者である旨の規定),地方公務員法30条(同),32条(法令等に従い,上司の職務上の命令に忠実に従うべき旨の規定),学校教育法18条2号(当時。小学校教育の目標)及び小学校学習指導要領の趣旨をも検討し,職務命令がその規定の趣旨にかなうものであり,その目的及び内容において不合理であるとはいえない旨判示している(同3(3))。
 私の補足意見も,多数意見がこのような二段の構造を採っていることを前提として,多数意見の理由3(3)を補足し,ピアノ伴奏を命じる職務命令が憲法19条に違反するものではないことを述べたものである。
 (2) 私は,本件についても,結論としては,入学式及び卒業式等における上告人らに対する起立斉唱行為を命ずる職務命令は憲法19条に違反するとはいえないと考える。もっとも,ピアノ伴奏事件判決の事案が,音楽専科の教諭に対するピアノ伴奏を命じる職務命令を対象とするものであったのに対し,本件は一般の教諭に対する起立斉唱行為を命ずる職務命令の憲法適合性が問題になっている点で,ピアノ伴奏事件判決における理由3(3)の論点の重要性が増していると考えられる。以下,項を改めて,この点について敷えんして検討する。
 2(1) 入学式及び卒業式等の儀式において「君が代」のピアノ伴奏をする行為と起立斉唱をする行為との間には,以下のとおり,外形的相違を超えた相違点がある。
 ア ピアノ伴奏は,音楽専科の教諭が有する特殊な音楽的技能に依拠するところが大きく,他教科担当者が担当することは通常予定されていないことから,儀式実施のための職務命令も特定の1人の教諭を名宛人とすることになる。これに対し,「君が代」の起立斉唱は普通の歌唱能力さえあれば実行に困難はないため,職務命令という形式をとるか否かは別として,出席教諭全員に一律に要請されるのが一般的である。
 イ 職務行為として行う「君が代」のピアノ伴奏は,行為自体として特に国旗・国歌に対する敬意を表するという要素が強いわけではなく,他の参加者が「君が代」を適切に斉唱するために必要とされる補助的作業である。他方,起立斉唱は,その起立という行為態様及び「君が代」の言語的内容とも関連して,その行為自体が自らの敬意を表明する意味を有するとともに,公立学校の教諭として,参加生徒らに模範を示すという側面も持つ。
 ウ ピアノ伴奏は伴奏を行うか行わないかという単純な選択肢しかないが,起立斉唱については,起立して国旗に正対して斉唱する,起立斉唱はするが正対はしない,起立・正対はするが斉唱はしない,起立も斉唱もせずに式場に座ったままでいる等,多様な対応が想定できる。
 (2) 上記相違点を考慮すると,ピアノ伴奏の方が,起立斉唱よりも命令を受ける者の職務との関連性が強い一方で,思想及び良心の核心的部分又は周辺部への侵襲の程度は全くないか,あっても軽微なものにとどまり,職務命令の目的となる外形的行為としても単純で,それだけ職務命令の対象になじみやすいという評価が可能である。これに対し,起立斉唱は,命令を受ける者の職務との関連性がピアノ伴奏ほど単純・明白なものではなく,それが国旗・国歌に対する敬意の表明という意味を含むことも否定し難いことから,職務命令と思想及び良心の自由との関係もそれだけ複雑で法的に難しい問題を孕むものとなると考えられる。
 他方で,いずれも入学式等の儀式において公立学校の教諭としての職務の一つとして求められている行為であること,その職務として行う行為の中に,濃淡,直接・間接の差はあっても,一定の敬意表明の要素が含まれるか,少なくともそう解される可能性が存在することなど,重要な共通点も存在する。
 3(1) 公立中学校等の入学式及び卒業式等における国歌の斉唱に際し,教諭ないしその他の教員(以下単に「教員」という。)が起立斉唱する趣旨には,以下の二つのものが含まれると考えられる。
 ア 教員が,起立斉唱することによって,国旗及び国歌に対し,参加者の一員として自らの敬意を表明しあるいは礼譲の姿勢を示すこと。
 イ 教員が,起立斉唱することによって,生徒らの国旗及び国歌への敬意の表明ないし礼譲の姿勢を示すための模範となり,生徒らを指導すること。
 上記二つの趣旨のうち,どちらに重点が置かれるかは,起立斉唱する教員それぞれの考え方によって異なる(それ以外の趣旨が存在する可能性もある)。しかし,いずれにしても,起立斉唱に関わる問題を検討するについては,上記二つの趣旨のものが含まれることを前提にして検討する必要がある。そして,国歌斉唱に際し,校長が教員に対して起立斉唱を求める場合にも,上記で述べたことを当然の前提とするものであり,この点については,教員に対し職務命令を発して起立斉唱を求める場合と,教員に自発的に起立斉唱することを要請する場合とで特に差異がないと考えられる。
 (2) 校長の職務命令ないし要請に従わず,入学式ないし卒業式等において起立斉唱をしない教員の行動に対する評価についても,上記(1)で述べたことを前提とすることが必要であると考える。すなわち,これらの教員は,上記起立斉唱の二つの趣旨のいずれか一方ないし双方について否定的な意見を有し,校長の職務命令ないし要請等に従うことがその思想ないし良心に由来する行動と両立しないと考えるからこそ,起立斉唱をしないという選択をするものと理解できる。
 このうち,敬意の表明に関する点は,正に個人としての思想及び良心の自由に関する問題であって,多数意見の理由第1,3(2)及び(3)で詳しく論じられているとおり,これが上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに制約の態様等を総合的に較量すれば,その必要性及び合理性が認められるということになる。
 (3) 他方で,入学式ないし卒業式等における国歌斉唱に際し,生徒らに対し模範を示し指導することに関する点は,個人としての思想及び良心の自由というよりも,教師ないし教育者の在り方に関わる,いわば教師という専門的職業における思想・良心の問題とも考えられる。自らは国歌斉唱の際に起立して斉唱することに特に抵抗感はないが,多様な考え方を現に持ち,あるいはこれから持つに至るであろう生徒らに対し,一律に起立させ斉唱させることについては教師という専門的職業に携わる者として賛同できないという思想ないし教育上の意見がその典型例である。しかし,この職業上の思想・良心は,教育の在り方や教育の方法に関するものである点で,教員という職業と密接な関係を有し,これに随伴するものであることから,公共の利益等により外部的な制約を受けざるを得ない点においては,個人としての思想及び良心の自由よりも一層その度合いが強いと考えられる。したがって,生徒らに対して模範を示して指導するという点からも,制約の必要性と合理性は是認できるというべきである。
 (4) 国歌斉唱に際しての起立と斉唱とを区別し,後者については,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者にとっては,その歴史観や世界観と対立する行為であることを理由として,音楽専科以外の教員について,斉唱することまでは職務上期待されていないとする反対意見には賛成し難い。私は,学校が,組織として入学式ないし卒業式等において国歌を斉唱することを決定したからには,これを効果的に実施するために,教員が自ら起立斉唱して模範を示し,これによって生徒らに対する指導の徹底を図るという選択肢も十分にあり得るところである,と考える。本件において各校長が発した職務命令が憲法19条に違反するか否かを検討するについては,このような視点を欠かすことはできない。
 また,学校教育においては,教室における各教科の学習が教育活動の中核となるのは当然であるが,入学式や卒業式等,教室外での儀式等も極めて重要な教育活動であって,これが,その性質上,校長を中心として学校全体で統一のとれた形で実施されなければならず,これに各教員が協力する職務上の義務があることは論をまたない。教室における授業の際には,授業の内容及び進め方等について,一定の範囲で,担当教員の裁量に委ねられる部分があるが,これはその担当する教科に関する限りのものであって,入学式や卒業式等の学校全体の行事については前述のとおり校長を中心として組織的・統一的に実施することが必要であり,各教員の上記裁量権等によって影響を受けるものではないことも多言を要しないところであろう。
 4 国歌斉唱をめぐる以上の検討結果によれば,上告人らが起立斉唱の職務命令を受けることは当然にあり得るところであって,この点については多数意見が詳しく判示するとおりである。これによって,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となることがあるとしても,これは,入学式ないし卒業式等という学校教育にとって重要な教育活動を効果的に実施し,その成果を教育の受け手である生徒らに十分に享受させるという公共の利益に沿うものである。その目的と効果とを比較考量しても,その制約に合理性がないとはいえず,上告人らはこれを甘受すべきものであると考える。

 >>>裁判官岡部喜代子の補足意見は,次のとおりである。
 多数意見の述べるとおり,起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いものであり,思想及び良心の自由が憲法上の保障であるところからすると,その命令が憲法に違反するとまではいえないとしても,その命令の不履行に対して不利益処分を課すに当たっては慎重な衡量が求められるというべきである。その命令の不履行としての不起立が個人の思想及び良心に由来する真摯なものであって,その命令に従って起立することが当該個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある場合には,①当該命令の必要性の程度,②不履行の程度,態様,③不履行による損害など影響の程度,④代替措置の有無と適否,⑤課せられた不利益の程度とその影響など諸般の事情を勘案した結果,当該不利益処分を課すことが裁量権の逸脱又は濫用に該当する場合があり得るというべきである。本件においてはその旨の主張はなされていないので,付言するにとどめる。

 >>>裁判官大谷剛彦の補足意見は,次のとおりである。
 1 本件は,東京都内の市立の中学校の教諭らが,卒業式又は入学式における国歌斉唱の際の不起立行為が職務命令に反するなどとして戒告処分を受けたため,職務命令が憲法19条に違反するなどとしてその処分の取消し等を求める訴訟であり,私を含め多数意見は職務命令が憲法に違反しないとして都教委の処分を是認している。
 ところで,当第三小法廷は,東京都内の市立の小学校の音楽専科の教諭が,入学式における国歌斉唱の際のピアノ伴奏を命ずる職務命令に応じなかったことを理由に戒告処分を受け,その処分の取消しを求めた事案について,平成19年2月27日判決において,その職務命令が憲法19条に違反しないとし,都教委の処分を是認した(最高裁平成16年(行ツ)第328号,戒告処分取消請求事件。以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)。
 私は,ピアノ伴奏事件判決に関わってはいないものの,事案は類似するが異なる面も持つ本件の判決に当たり,私なりに当小法廷のピアノ伴奏事件判決を理解し,事案の相違と結論を導く理由の異同に焦点を当てて意見を補足したい。
 なお,本件訴訟は,教諭らが校長からの国歌斉唱の際の起立斉唱行為の職務命令に反して起立しなかったことが処分の対象とされた事案におけるその処分の取消し等を求める訴訟であり,以下本件の職務命令はこの起立斉唱行為の職務命令をいうが,処分の対象との関係では斉唱の際の起立を命ずる点を中心に論ずることとなる。
 2(1) ピアノ伴奏事件判決における職務命令の憲法判断の枠組みは,改めて要約すると,まず,「君が代」に対する教諭の持つ否定的な評価は,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる教諭自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができるとした上,① 第1に,しかしながら,ピアノ伴奏の拒否は,当該教諭にとってはその歴史観ないし世界観に基づく一つの選択であろうが,一般的には,この歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものではなく,ピアノ伴奏を求める職務命令が直ちにそれ自体を否定するものということはできず,② 第2に,他方において,客観的に見て,ピアノ伴奏をするという行為自体は音楽専科の教諭にとって通常想定され期待されるものであり,伴奏を行う教諭が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,ピアノ伴奏の職務命令は,音楽専科の教諭に特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,③ 第3に,公立学校教諭の地方公務員としての全体の奉仕者性や,学校教育法に基づく学習指導要領において入学式等で国歌を斉唱するよう指導すると定めていることから,ピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことはこれらの規定の趣旨にかなっており,その職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできず,以上の諸点にかんがみると,職務命令は,当該教諭の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である,としている。
 (2) この多数意見について,反対意見の立場にあった藤田宙靖裁判官は,「憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には(例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものということができよう。」と評している。
 ピアノ伴奏の拒否が,音楽専科の教諭にとって歴史観ないし世界観からの派生的ないし付随的行為というかどうかはともかく,私も,この多数意見は,憲法19条による思想及び良心の自由として絶対的保障の対象となる内心の中核ないし核心に歴史観ないし世界観を据え,ピアノ伴奏拒否の行為はこのような中核としての歴史観ないし世界観から由来する(又は歴史観ないし世界観に由来する「君が代」の否定的評価から更に由来する)行動として捉えていると理解される。
 このような内心の中核としての歴史観ないし世界観とそれに由来する外部的行動との関係に関し,ある外部的行動を求めること(又は制限すること)が,当該個人の内心の中核としての歴史観ないし世界観に働きかけ,その否定や侵襲になるか否かについて,多数意見は次のような判断の枠組みを設けていると理解される。
 第1に,ある外部的行動を求めることが,直接的に内心の中核に働きかけ,その否定になるか否かについて,両者が不可分に結び付いているか否かを判断要素とする。たとえば,特定の思想教育を施すことなどが典型となろう。
 第2に,直接的な内心の中核への働きかけではなくとも,内心の中核に由来する行動と反する外部的行動を求めるような場合に関し,その求めに応じ,又は拒む行動が外部においてどのように評価されるかを介して内心の中核へ働きかけ,その否定につながることがあり得るところ,その点では,求められる外部的行動が特定の思想を有することの表明と評価されるかどうかを判断要素としている。
 これが特定の思想の表明と評価されるならば,思想及び良心を「持つ」自由とともに憲法上保障の対象とされる思想及び良心を「告白(暴露)」しない自由を直接的に否定することになろう。
 ところで,個人の内心の思想及び良心は多種多様であり,また個人の置かれた立場も多様である。ある外部的行動を求める目的や場面も多様である。一般的,客観的には求められる外部的行動が内心の思想と不可分に結び付くものではなく,また特定の思想の表明と評価されるものではなく,したがって直ちに内心の中核の否定にはならないと考えられても,(内心の思想に由来する行動と反する)外部的行動を求められた個人によっては,特に外部的な評価との関係で,内心の中核たる歴史観ないし世界観に由来する様々な内心の主張,意見,評価,感情などと抵触が生じ,これが心理的葛藤となって,ひいては内心の中核へ影響を及ぼすことがあり得よう(ピアノ伴奏事件判決における那須弘平裁判官の補足意見参照)。このような内心領域は,憲法19条の絶対的な保障の対象とはなり得なくとも,例えば求められる外部的行動の目的,内容から,これを求めることの合理性が乏しいような場合は,同条の保障の趣旨が及んでその制約が許容されなくなることも考えられよう。
 ピアノ伴奏事件判決は第3として,このような観点も踏まえて求められる外部的行動の目的,内容を検討し,そこに不合理はないと判断した上,第1,第2,第3を総合考慮し,ピアノ伴奏の職務命令は音楽専科の教諭の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するものとはいえない,としたものと考えられる。
 3 私は,ピアノ伴奏事件判決のこの判断の枠組みは,基本的に合理性を有すると考える。
 (1) そこで,ピアノ伴奏事件判決の判断枠組みに沿って,国歌斉唱の際の音楽専科の教諭のピアノ伴奏拒否と本件の教諭らの不起立行為とを対照しながら,内心の中核とこれに由来する外部的行動の関係,求められる外部的行動と内心の中核への働きかけの関係を見ていきたい。
 まず,内心の中核となる歴史観ないし世界観については,音楽専科の教諭と本件の教諭らとは共通のものを持つと理解される。
 次に,ピアノ伴奏事件判決における第1の点,求められる外部的行動が,内心の中核と不可分に結び付くか否かに関しては,多数意見の判示のとおり,本件の国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的には式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を持ち,このような点からは内心の中核と不可分に結び付くものではないと考えられ,したがって,この点で直ちに個人の歴史観ないし世界観を否定するものではないといえる。
 次に第2の点,求められる行為の外部における評価を介しての働きかけ,すなわち特定の思想の表明との関係についても,やはり国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的には式典における慣例上の儀礼的な所作として外部からも認識されているところであるから,本件で求められる起立行為は特定の思想の表明とは認識され難いのであって,直ちに歴史観ないし世界観を「持つ」自由を否定したり,「告白(暴露)」を強要するものではないといえよう。
 (2) ここまでの第1のテスト,第2のテストでは,ピアノ伴奏を命ずる職務命令とその拒否,及び本件の起立斉唱行為の職務命令と不起立とは,ほぼ同様の判定がなされるところであるが,両者は,教諭らの持つ歴史観ないし世界観との関係では次の点で異なる面を有するに至るといわざるを得ない。
 一点は,国歌斉唱の際の起立行為は,国歌を歌う者の国家に対する敬意という要素を含む点である。もとより起立は,例えば合唱の際に起立して歌うのはマナーという面もあるが,客観的に見ても,敬礼や辞儀には至らぬとも対象への敬意という要素を持ち合わせるといわざるを得ないと考えられる。本件の教諭らの歴史観ないし世界観に由来する「君が代」への否定的評価とは相容れない面を持つことになろう。かたやピアノ伴奏は国歌に限らず斉唱の際の補助行為として常に求められる行為であり,客観的にみて,対象への敬意という要素は希薄である。
 もう一点は,小学校の音楽専科の教諭にとってピアノ伴奏は本人の奉ずる職務行為そのものであり,学校行事において本来求められなくとも当然に従事すべき事柄であるのに対し,中学校の一般教諭の場合,学校行事に参加し,式次第に従うのは広く教諭の職務に含まれる面もあるが,なお国歌斉唱の際の起立行為は必ずしも当然に職務行為に含まれるといえないところもあり,本件の教諭らの「君が代」への否定的評価と相容れない行動を職務命令により求められるという面がある。
 そうすると,国歌斉唱の際の起立行為を求める職務命令にあえて従わず,不起立のまま座していることは,「君が代」への否定的な評価を持つことの外部への表明との評価をされかねない。また,そのような「君が代」への否定的評価を持つ者にとって国歌斉唱の際の起立行為は,自らの奉ずる職務行為であるとして,信念と切り離して割り切ることもできないところもある。
 このような点からすると,ピアノ伴奏行為を求められる場合とは事情が異なり,国歌斉唱の際の起立行為を求められることは,その求めに従うにしても拒否するにしても,この敬意という要素を含むがゆえに,本人に心理的葛藤を生じさせ,ひいては内心の中核の歴史観ないし世界観へ影響を及ぼし,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いといえよう。本件の多数意見の第1,3(2)はその趣旨を述べるものであり,私も賛同するところである。
 4 以上のように本件の国歌斉唱の際の起立行為を命ずる職務命令は,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるが,憲法19条との関係で,なおその制約が許容される場合があるか,その判断基準などについては,多数意見の第1,3(3)において詳しく説示されているとおりと考える。
 結局,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容,制約の態様等を総合的に較量して,職務命令に制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められるか否かという観点から判断されることになる。
 この点は,ピアノ伴奏事件判決の第3の点と重なる面を持つが,ピアノ伴奏の場合は,思想及び良心の自由についての間接的な制約の面には触れず,それゆえに求められる行動が合理性に乏しい場合に憲法19条の趣旨が及んでその制約が許容されなくなるかという観点からの職務命令の不合理性の検討といえよう。一方,本件の不起立の場合は,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面を有する職務命令について,なお憲法上許容できる場合のその許容性の判断となるから,職務命令が目的及び内容において不合理ではないということでは足りず,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められなければならないということになろう。
 なお,本件の多数意見は,平成11年に「君が代」が国歌として法定されたことも職務行為の必要性,合理性の一つの事情として掲げている。ピアノ伴奏事件判決は,国歌として法定される以前の行為に関するものである一方,本件の不起立は,国歌として法定された後に生じた事件である。国歌としての法定は,国歌斉唱の強制を肯定するものではなく,それ自体で職務命令の必要性を導くものではないが,その目的,内容の必要性,合理性を検討する際の一事情として考慮することは認められよう。
 5 本件は,公立学校教諭らの卒業式又は入学式における国歌斉唱の際の職務命令違反としての不起立行為を捉えた懲戒処分の取消し等を求める訴訟であり,多数意見はこの事案に即し,上告の論旨に応えて憲法19条に係る合憲性について判断を示したものであり,私は当第三小法廷のピアノ伴奏事件判決との対比に焦点を当てて意見を補足した。
 学校儀式における国歌斉唱の意義,公立学校教諭の公務員としての責務,これらと個人の内心としての「君が代」についての評価,教諭としての信念等との関係について憲法問題は判示のとおりであるが,このような法的な解決もさることながら,儀式における国歌斉唱などは,国歌への敬愛や斉唱の意義の理解に基づき自然に,また自発的になされることこそ望ましいに違いない。国の次代を担う生徒への学校教育の場であればなおさらであろう。過度の不利益処分をもってする強制や,他方で殊更に示威的な拒否行動があって教育関係者間に対立が深まれば,教育現場は混乱し,生徒への悪影響もまた懸念されよう。全体で行う学校行事における国歌斉唱の在るべき姿への理解も要するであろうし,また一方で個人の内心の思想信条に関わりを持つ事柄として慎重な配慮も要するであろう。教育関係者の相互の理解と慎重な対応が期待されるところである。

 >>>裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見が本件上告のうち,東京都人事委員会がした裁決の取消請求に関する部分を却下するとの点については異論はない。しかし,多数意見が,本件各職務命令は上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるとして,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当であるとして,上告人らのその余の上告を棄却するとする点については,以下に述べるとおり,賛成し難く,本件は更に審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのが相当であると考える。
 第1 本件各職務命令と憲法19条との関係について
 1 本件各職務命令の内容
 上告人らに対して各学校長からなされた本件各職務命令の内容は,入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に「起立して斉唱すること」というものである(多数意見は,本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」を命ずる旨の職務命令として,起立行為と斉唱行為とを一括りにしているが,私は,次項以下に述べるとおり,本件各職務命令と憲法19条との関係を検討するに当たっては,「起立行為」と「斉唱行為」とを分けてそれぞれにつき検討すべきものと考えるので,多数意見のように本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」として一括りにして論ずるのは相当ではないと考える。)。なお,多数意見にても指摘されているとおり,本件町田市通達には「教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」も含まれていたが,X1に対する職務命令には,「国旗に向かって」の部分は含まれていない。
 この「起立して斉唱すること」という本件各職務命令の内容をなす「起立行為」と「斉唱行為」とは,社会的事実としてはそれぞれ別個の行為であるが,原判決の認定した事実関係によれば,本件各職務命令は,それら二つの行為を一体として命じているように見える。
 しかし,上記のとおり起立行為と斉唱行為とは別個の行為であって,国歌斉唱時に「起立すること」(以下「起立命令」という。)と「斉唱すること」(以下「斉唱命令」という。)の二つの職務命令が同時に発令されたものであると解することもできる。
 そして,本件各職務命令に違反する行為としては,①起立も斉唱もしない行為,②起立はするが斉唱しない行為(これには,口を開けて唱っている恰好はするが,実際には唱わない行為も含まれる。),③起立はしないが斉唱する行為,がそれぞれあり得るところ,本件の各懲戒処分(以下「本件各懲戒処分」という。)では,上告人らが本件各職務命令に反して国歌斉唱時に起立しなかった点のみが処分理由として取り上げられ,上告人らが国歌を斉唱したか否かという点は,記録によっても,本件各懲戒処分手続の過程において,事実認定もなされていないのである。
 そこで以下では,本件各職務命令を「起立命令」部分と「斉唱命令」部分とに分けて,その憲法19条との関係について検討するとともに,本件各職務命令における両命令の関係について見てみることとする。
 2 起立命令について
 私は,多数意見が述べるとおり,公立中学校における儀式的行事である卒業式等の式典における,国歌斉唱の際の教職員等の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上告人らの主張する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものではなく,したがって,上告人らに対して,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際に起立を求めることを内容とする職務命令を発することは,直ちに上告人らの歴史観ないし世界観を否定するものではないと考える。
 また,「起立命令」に限っていえば,多数意見が述べるとおり,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,なお,若干の疑念は存するものの,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性を有することを肯認できると考える。
 しかし,後に検討する本件各職務命令における起立命令と斉唱命令との関係からすれば,本件各職務命令の内容をなす起立命令の点のみを捉えて,その憲法19条との関係を論議することは相当ではなく,本件各職務命令の他の内容をなす斉唱命令との関係を踏まえて論ずべきものと考える。
 3 斉唱命令について
 (1) 斉唱命令と内心の核心的部分に対する侵害
 国歌斉唱は,今日,各種の公的式典の際に広く行われており,かかる式典の参加者が国歌斉唱をなすこと自体が,斉唱者の思想,信条の告白という意義まで有するものでないことは,前項で述べた起立の場合と同様である。また,多数意見が指摘するように,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典において国歌斉唱が広く行われていたことが認められる。
 しかし,「斉唱」は,斉唱者が積極的に声を出して「唱う」ものであるから,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者にとっては,その歴史観,世界観と真っ向から対立する行為をなすことに他ならず,同人らにとっては,各種の公的式典への参加に伴う儀礼的行為と評価することができないものであるといわざるを得ない。
 また,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱時に「斉唱」することは,その職務上当然に期待されている行為であると解することもできないものである。なお,多数意見の指摘するとおり,学習指導要領では,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めているが,その故をもって,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,入学式や卒業式における国歌斉唱時に,自ら国歌を「唱う」こと迄が職務上求められているということはできない。
 以上の点よりすれば,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者に対し,国歌を「唱う」ことを職務命令をもって強制することは,それらの者の思想,信条に係る内心の核心的部分を侵害するものであると評価され得るということができる。
 (2) 斉唱命令と内心の核心的部分の外縁との関係
 憲法19条が保障する思想及び良心の自由には,内心の核心的部分を形成する思想や信条に反する行為を強制されない自由が含まれることは当然である。
 また,それには,自らの思想,信条に反する行為を他者に求めることを強制されない自由も含まれると解すべきものと思われる。そして,その延長として,第三者が他者に対して,その思想,信条に反する行為を強制的に求めることは許されるべきではなく,その求めている行為が自らの思想,信条と一致するか否かにかかわらず,その強制的行為に加担する行為(加担すると外部から捉えられる行為を含む。)はしないとする強い考え,あるいは信条を有することがあり得る。
 上記のような強い考え,あるいは信条は,憲法19条が保障する思想,信条に係る内心の核心的部分そのものを形成するものではないが,その外縁を形成するものとして位置付けることができるのであり,かかる強い考え,あるいは信条を抱く者における,その確信の内容を含む,上記外縁におけるその位置付けの如何によっては,憲法19条の保障の範囲に含まれることもあり得るということができると考える(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)における藤田宙靖裁判官の反対意見参照)。
 ところで本件では,「斉唱命令」と憲法19条との関係が問われているのであり,(1)で論じたとおり,「斉唱命令」は上告人らの内心の核心的部分を侵害するものと評価し得るものと考えるが,仮に,本件各職務命令の対象者が,国歌については価値中立的な見解を有していても,国歌の法的評価を巡り学説や世論が対立している下で(国旗及び国歌に関する法律の制定過程における国会での議論の際の関係大臣等の答弁等から明らかなとおり,同法は慣習であるものを法文化したものにすぎず,また,同法の制定によって,国旗国歌を強制するものではないとされている。),公的機関が一定の価値観を強制することは許されないとの信条を有している場合には,かかる信条も思想及び良心の自由の外縁を成すものとして憲法19条の保障の範囲に含まれ得ると考える。
 4 本件各職務命令と起立命令,斉唱命令との関係
 1に述べたとおり,本件各職務命令は,「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令が同時に発令され,本件各懲戒処分では,「斉唱命令」違反の点は一切問われていないことからして,そのうちの「起立命令」違反のみを捉えてなされたものと解し得る余地が一応存する。
 しかし,原判決が認定する本件各職務命令が発令されるに至った経緯からすると,本件各職務命令は「起立して斉唱すること」を不可分一体の行為と捉えて発せられたものであることがうかがわれ,また,上告人らもそのようなものとして捉えていたものと推認される。
 そして,上告人らにとっては,2,3において検討したとおり,上告人らの思想,信条に係る内心の核心的部分との関係においては,「起立命令」と「斉唱命令」とは明らかに異なった位置を占めると解されるところ,本件各職務命令が,上記のとおり「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして発せられたものであると上告人らが解しているときに,その命令を受けた上告人らとしては,「斉唱命令」に服することによる上告人らの信条に係る内心の核心的部分に対する侵害を回避すべく,その職務命令の一部を構成する起立を命ずる部分についても従わなかったと解し得る余地がある(本件では,上告人らが,国歌を「斉唱」する行為につき如何なる考えを抱いていたか,国歌斉唱の際の起立行為と斉唱行為との関係をどのように関係付けていたかについて,原審までに審理が尽くされていない。)。
 また,仮に本件各職務命令が「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令を合体して発令されたものであり,二つの職務命令を別々に評価することが論理的に可能であるとしても,本件各職務命令が発令された経緯からして,上告人らが本件各職務命令が「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして命じたものと捉えたとしても無理からぬものがあり,本件上告人らとの関係において,本件各職務命令違反の有無の検討に当たって,本件各職務命令を「起立命令」と「斉唱命令」とに分けることは相当ではないといわなければならない。
 5 小括
 以上検討したとおり,本件各職務命令は,「起立して斉唱すること」を一体不可分のものとして発せられたものと解されるところ,上告人らの主張する歴史観ないし世界観に基づく信条との関係においては,本件各職務命令のうち「起立」を求める部分については,その職務命令の合理性を肯認することができるが,「斉唱」を求める部分については上告人らの信条に係る内心の核心的部分を侵害し,あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分を侵害する可能性が存するものであるといわざるを得ない。
 本件において,上告人らが本件各職務命令にかかわらず,入学式又は卒業式の国歌斉唱の際に起立しないという行為(不作為)を行った理由が,国歌斉唱行為により上告人らの信条に係る内心の核心的部分(あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分)に対する侵害を回避する趣旨でなされたものであるとするならば,かかる行為(不作為)の,憲法19条により保障される思想及び良心の自由を守るための行為としての相当性の有無が問われることとなる。
 しかし,原審までの審理においては,「起立命令」,「斉唱命令」と上告人らの主張する信条との関係につきそれぞれを分けて検討することはなく,殊に「斉唱命令」と上告人らの信条との関係について殆ど審理されていないのであり,また,本件各職務命令と「起立命令」,「斉唱命令」との関係や,「斉唱命令」に従わないこと(不作為)と「起立命令」との関係,更には,上告人らの主張する信条に係る内心の核心的部分(あるいはその外縁部分)の侵害を回避するための行為として,上告人らとして如何なる行為(不作為)をなすことが許されるのかについての審理は,全くなされていないといわざるを得ない。
 第2 本件における職務命令とピアノ伴奏事件判決における職務命令との関係について
 私は,本件に係る先例としてしばしば論議される,市立小学校の校長が音楽専科の教諭に対し,入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを命じた職務命令が憲法19条に違反するか否かが問われた前記ピアノ伴奏事件判決において,同職務命令は憲法に違反するものではないとした多数意見に同調しているところから,同事件の多数意見につき私が理解するところと,本件における私の反対意見との関係につき,以下に両事件の相違点を踏まえて,若干の説明をすることとする。
 1 ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者
 ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者は,公立小学校の音楽専科の教諭である。小学校における音楽専科の教諭は,音楽を学習する各クラスの児童に対して専科として音楽の授業を行うほか,クラブ活動の指導や,学校行事として行われる入学式,卒業式,運動会,音楽会等の諸行事において,ピアノの伴奏をなし,あるいは,歌唱の指導を行うこと等が求められる。音楽専科の教諭に対して各クラスに対する音楽の授業以外に,学校の行事等に関連して音楽専科の教諭としての技能の行使が求められる上記の職務の内容は,小学校における教育課程の一環として行われるものである以上,それらの職務の遂行は音楽専科の教諭としての本来的な職務に含まれると解される。したがって,同事件において,校長が音楽専科の教諭である同事件の上告人に対して,入学式において参列者一同による歌唱の際にその伴奏を命じることは,音楽専科の教諭としてなすべき当然の職務の遂行を命じるものにすぎない。
 2 音楽専科の教諭の職務
 同事件の論点は,ピアノ伴奏の対象が「君が代」であり,同事件の上告人が「君が代」を唱ったり,ピアノ伴奏したりすることが,同上告人の思想及び良心の自由を侵害するとの理由でそのピアノ伴奏を拒否することができるかという点であった。
 ところで,公立小学校の音楽専科の教諭は,小学校の教科書に採択されている曲目はもちろんのこと,教科書に採択されていなくとも,一般に公立小学校において諸行事の施行等の際に演奏がなされ又は歌唱される曲目について,そのピアノ演奏やピアノ伴奏をなすことは,通常の職務の範囲に属するものといえる。そして,音楽専科の教諭が,その行事の式次第においてかかる曲目の歌唱をなすことが定められた場合に,そのピアノ伴奏を求められれば,それをなすべきものであり,そのピアノ伴奏につき職務命令まで発令された場合には,その命令に従うべき義務を負うものというべきものである。
 3 音楽専科の教諭と思想及び良心の自由
 ピアノ伴奏事件判決において,同事件の上告人は,「君が代」を公然と唱ったり,ピアノ伴奏することは,同上告人の歴史観ないし世界観に反し,そのピアノ伴奏をなすことは同上告人の思想及び良心の自由を侵害するものである旨主張したが,同判決の多数意見が述べるとおり,公立小学校における入学式や卒業式において国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭として通常想定され,期待される行為であって,その伴奏行為自体が当該教諭が特定の思想を有することを外部に表明する行為であると評価され得る類のものではなく,殊に職務上の命令に従ってなされる場合には,当該教諭が特定の思想を有することの外部への表明と評価することは困難なものであり,したがって,かかる伴奏行為については,憲法19条により保障されるべき行為であるとはいえないものというべきである。
 また,公立小学校の音楽専科の教諭は,前記のとおり,教科書に採択され,あるいは,一般に小学校の行事等で広く演奏され,又は唱われている曲目については,たとえその音曲の演奏をなすことが音楽家としての信条に反し,そのピアノ演奏をなすこと自体が心理的苦痛を伴うものであったとしても,そのピアノ演奏は職務としての演奏であって芸術としての演奏ではないから,その演奏行為をもって,当該教諭の思想及び良心の自由についての制約に当たるものと評価されるべきものではなく,したがって,憲法19条により保障される範囲に含まれるとはいえないのである。
 4 本件とピアノ伴奏事件判決との相違点
 ピアノ伴奏事件判決は,上記のとおり公立小学校の音楽専科の教諭に対し,本来の職務に属するピアノ伴奏をなすことを求めて職務命令が発せられたものであるのに対し,本件各職務命令は,入学式や卒業式に出席するという公立中学校の教諭としての本来の職務を滞りなく遂行しようとしていた上告人らに対して,更にその職務に付随して発せられた命令であり,その職務命令に服従しない行為と憲法19条による保障との関係が問われている点において,事情を大きく異にするのである。
 第3 裁量権の濫用について
 本件では,論旨においては,専ら本件各職務命令の合憲性の有無のみが主張の対象とされ,本件における各学校長が本件各職務命令を発令したことが学校長に認められる裁量権の濫用に当たるか否か,また,都教委が上告人らに対してなした本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かという点は論旨に含まれていない。
 もっとも,本件においては,本件各職務命令と上告人らの思想及び良心の自由との関係が問われているのであるから,本件各職務命令が憲法19条との関係においてその合憲性が肯定される場合であっても,同条との関係において本件各職務命令及び本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かが問題となり得るのであって,本件においては,かかる観点からの検討を加える余地も存したのではないかと考えるので,それ自体が法令違反の有無として当審の審判の対象となるものではないものの,以下その点について若干付言する。
 1 職務命令の発令と裁量権の濫用
 公立中学校の校長が,その学校に所属する教諭や職員に対して,学校教育法等の法令に基づいて職務命令を発することができる場合において,その職務命令には,その内容に応じて質的に様々の段階のものがある。例えば,学校における校務運営上教職員が職務命令に従って行為することが不可欠であり,その違反は校務運営に著しい支障を来すところから,その違反に対しては,懲戒処分による制裁をもって臨まざるを得ない性質を有するものから,その職務命令に係る対象行為それ自体の校務運営上の重要性や必要性の程度,あるいはその行為を職務命令の相手方自身によって遂行させる必要性の有無等からすれば,通常は指導としてなされ,また,それをもって足りるものであるが,指導に代えて職務命令を発令しても違法とはいえない程度にとどまるものまで様々のものがあり得る。
 そして,公立中学校の校長が,通常は相手方に対する指導をもって対応すれば足りる行為につき職務命令を発令したときには,裁量権の濫用が問題となり得る。殊に,職務命令の対象とされる行為が,その相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,職務命令を発令すること自体,より慎重になされるべきである。
 2 職務命令違反と制裁
 公立中学校の校長が,学校における校務運営上発令することができる職務命令のうち,通常は,教職員に対する指導をもって十分に対応することができるものの,職務命令を発令しても違法ではないという程度の職務命令に対する違反行為については,その違反の内容がその質において著しく到底座視するに耐えないものであるとか,その違反行為の結果,校務運営に相当程度の支障を生じさせるものであるなどの事情が認められない限り,かかる職務命令に違反したとの一事をもって懲戒処分をなすことは,原則として裁量権の濫用に当たるものといえよう。殊に,職務命令の対象行為が,職務命令を発する相手方の思想及び良心の自由に関わる場合には,なおさらであろう。
 次に,その職務命令を発令することは適法であり,その発令の必要性が肯定される場合であっても,その職務命令の内容が相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,懲戒処分の発令はより慎重になされるべきであり,かかる場合に職務命令の必要性やその程度,職務命令違反者が違反行為をなすに至った理由,その違反の態様,程度,その違反がもたらした影響等を考慮することなく,職務命令に違反したことのみを理由として懲戒処分をなすことは,裁量権の濫用が問われ得るといえよう。
 ところで,本件各職務命令との関係についていえば,第1にて検討したとおり,本件各職務命令は起立行為と斉唱行為とを不可分一体のものとしてなされており,斉唱行為を命じる点は,上告人らの思想,信条に関わるところから,裁量権の濫用以前の問題である。しかし,その点は別として,多数意見の立場に立ってみるに,本件各職務命令のうち国歌斉唱時における「起立命令」のみを取り上げれば,入学式あるいは卒業式の式典の進行を,あらかじめ定められた式次第に従い秩序立って運営することを目的とするものであると解され,かかる行事が,式次第に従って秩序立って進行が保たれることが望ましいことであり,その必要性,相当性が認められる。しかし,式典の進行に係る秩序が完全に保持されることがなくとも,その秩序が大きく乱されない限り,通常は,校務運営に支障を来すものとはいえないものであり,他方,上告人らがその職務命令に反する行為をなすに至った理由が,上告人らの思想及び良心の自由に関わるものであることからすれば,懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かにつき判断するには,上告人らの職務命令違反行為の具体的態様如何という質の問題とともに,その職務命令違反によって校務運営に如何なる支障を来したかという結果の重大性の有無が問われるべきものと考える。
 第4 結論
 以上第1において詳述したとおり,原審は,本件各職務命令が入学式又は卒業式等の式典における国歌斉唱の際に「起立すること」と「斉唱すること」を不可分一体のものとして命じているものであるか否か,また,国歌の「斉唱命令」が上告人らの信条に係る内心の核心的部分と直接対峙し,侵害し得る関係に立つものであるのか否か,あるいは内心の核心的部分との直接対峙関係には立たないものの,その核心的部分に近接する外縁を成し,その侵害は,なお憲法19条によって保障されるべき範囲に属するといえるか否かという諸点について審理し,判断をなすべきところ,かかる諸点について十分な審理を尽くすことなく判決をなすに至ったものといわざるを得ない。
 よって,本件は,原判決を破棄の上,更に上記諸点について審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのを相当と思料する次第である。
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 那須弘平 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)


【最判平成23年6月21日判タ1354号51頁】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 第1 上告代理人外山佳昌,同山田延廣,同藤井裕の上告理由第4の1について
 1 本件は,広島県立学校の教職員であった上告人ら(X1,X2,X3及びX4については,訴訟承継前の第1審原告Aを指す。後記3(2)を除き,以下同じ。)が,卒業式又は入学式において国旗掲揚の下で国歌斉唱の際に起立すること(以下「起立行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,被上告人から戒告処分を受けたため,上記職務命令は憲法19条に違反するなどと主張して,被上告人に対し,上記戒告処分の取消しを求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの)57条の2の規定に基づく高等学校学習指導要領(平成11年文部省告示第58号。平成21年文部科学省告示第38号による特例の適用前のもの。以下「高等学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを「国旗国歌条項」という。)。また,学校教育法(平成18年法律第80号による改正前のもの)73条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第5号による改正前のもの)73条の10の規定に基づく「盲学校,聾学校及び養護学校高等部学習指導要領」(平成11年文部省告示第62号。平成19年文部科学省告示第46号による改正前のもの。以下「高等部学習指導要領」という。)第4章は,「特別活動の目標,内容及び指導計画の作成と内容の取扱いについては,高等学校学習指導要領第4章に示すものに準ずる」と定めている。
 (2) 被上告人の教育部長は,平成12年12月26日付けで,広島県立学校の各校長宛てに,「卒業式及び入学式における国旗及び国歌に係る指導について(通知)」を発した。その内容は,上記各校長に対し,卒業式及び入学式において学習指導要領に基づき国旗掲揚及び国歌斉唱を整然と実施することなどを求めるものであった。また,被上告人は,同日に開かれた臨時県立学校長会議において,上記各校長に対し,学校の卒業式等の式典に関し,① 国旗は,式場内において,出席者の目に自然に留まるように掲揚すること,② 式次第に国歌斉唱を位置付け,国歌斉唱に際しては教職員は起立することなどを求めた(以下,上記通知とこの求めを併せて「本件通知等」という。)。
 (3) 第1審判決添付別表1ないし4の「日時」欄記載の日の当時,X5は同別表1「当時の所属校」欄記載の広島県立高等学校に勤務する養護教諭であり,X6,X7,X8及びX9並びに第1審原告Aは同欄ないし同別表3「当時の所属校」欄記載の各広島県立高等学校に勤務する実習助手であり(なお,同第1審原告は,第1審係属中の平成18年▲月▲日に死亡し,X1,X2,X3及びX4がその地位を承継した。),その余の上告人らは上記各別表「当時の所属校」欄記載の各広島県立の高等学校ないしろう学校(以下「高等学校等」という。)に勤務する教諭であったところ,上告人らは,それぞれ,同各別表「校長」欄記載の各校長から,本件通知等を踏まえ,同別表1記載の上告人らは平成13年度入学式(上記ろう学校については同年度高等部入学式)に際し,同別表2記載の上告人らは同年度卒業式に際し,同別表3記載の上告人らは同14年度入学式に際し,同別表4記載の上告人は同15年度卒業式に際し,平成13年4月3日から同16年3月1日にかけての同各別表「日時」欄記載の日に,同各別表「発言内容」欄記載のとおり,上記卒業式又は入学式における国歌斉唱の際に起立行為を命ずる旨の各職務命令(以下「本件各職務命令」という。)を受けた。しかし,上告人らは,本件各職務命令に従わず,上記卒業式又は入学式における国歌斉唱の際に起立しなかった。
 (4) 被上告人は,平成13年5月11日付けで上記別表1記載の上告人らに対し,同14年3月28日付けで上記別表2記載の上告人らに対し,同年5月10日付けで上記別表3記載の上告人らに対し,同16年3月30日付けで上記別表4記載の上告人に対し,上記卒業式又は入学式における上記不起立行為は地方公務員法32条及び33条に違反し,同法29条1号,2号及び3号に該当するとして,それぞれ戒告処分をした。
 3(1)ア 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為を拒否する理由について,① 「君が代」が天皇制を讃えるための歌であり,大日本帝国が他国を侵略するに当たり超国家主義の思想を徹底させる必要から学校教育を通じて普及させられたものであるという歴史観,② 「君が代」は皇国史観又は身分差別につながるものとして現行憲法下では排斥される必要があるという思想を有している旨主張する。
 上記のような考えは,我が国において「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義や皇国史観等との関係で果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる
 イ しかしながら,本件各職務命令当時,≪1≫公立高等学校等における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であり,≪2≫学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上記の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものということはできない。したがって,上告人らに対して学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,直ちに上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできないというべきである。
 ウ また,本件各職務命令当時,公立高等学校等の卒業式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況は上記イのとおりであり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作として外部から認識されるものというべきであって,それ自体が特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である。なお,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるともいえる。
 したがって,本件各職務命令は,上告人らに対して,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものともいえず,生徒に対して一方的な理想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない
 エ そうすると,本件各職務命令は,上記イ及びウの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
 (2) もっとも,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり,そのように外部から認識されるものであるということができる(なお,例えば音楽専科の教諭が上記国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする行為であれば,音楽専科の教諭としての教科指導に準ずる性質を有するものであって,敬意の表明としての要素の希薄な行為であり,そのように外部から認識されるものであるといえる。)。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,それが心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼすものと考えられるのであって,これを求められる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
 なお,上告人らは,学校の卒業式等のような式典において公的機関が参加者に一律の行動を強制することに対する否定的評価及びこのような行動に自分は参加してはならないという信条との関係でも個人の思想及び良心の自由が侵される旨主張するところ,この点も「君が代」に対する歴史観ないし世界観と密接に関連するものとして主張されているのであり,上記の式典において上記のような外部的行動を求められる場面における個人の思想及び良心の自由についての制約の有無は,これを求められる個人の歴史観ないし世界観との関係における間接的な制約の有無によって判断されるべき事柄であって,これとは別途の検討を要するものとは解されない。
 (3)ア そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
 イ これを本件についてみるに,本件各職務命令に係る国歌斉唱の際の起立行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含み,そのように外部から認識されるものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となり,心理的葛藤を生じさせるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての前記(2)の間接的な制約となる面があるものということができる。
 他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法(平成19年法律第96号による改正前のもの)42条1号,36条1号,18条2号),同法(同改正前のもの)43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの)57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり(高等部学習指導要領もこれに準ずるものとされている。),また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立高等学校等の教職員である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領ないし高等部学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通知等を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,公立高等学校等の教職員である上告人らに対して当該学校の卒業式又は入学式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
 以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 (4) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
 以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号登載予定,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 第2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官田原睦夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同岡部喜代子,同大谷剛彦の各補足意見がある。

 >>>裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
 1 私は,本件と論点の多くを共通にする,多数意見の引用する最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決(以下「起立斉唱東京事件判決」という。)において,補足意見を述べた。本件についても,同補足意見で示したところが基本的に当てはまると考えられるので,これを引用する。
 2 本件において,上告人らは,学校の卒業式等の式典において公的機関が参加者に一律の行動を強制することに対する否定的評価及びこのような行動に自分は参加してはならないという信条との関係でも上告人らの思想及び良心の自由が侵される旨主張している。この点についても,基本的に多数意見の理由第1,3(2)の判示するところが相当であると考えるが,事案に鑑み,補足して,生徒らとの関係における「一律の行動」の「強制」の意味等を中心に,以下のとおり私の見解を示しておきたい。
 (1) この問題については,まず,上告人らのいう参加者への「強制」とは何を指すのかということから検討を始めるのが適切であろう。原判決は,生徒を含む参加者に一律の行動の強制がされたと認められるかどうかにつき,要旨以下のとおり指摘している(事実及び理由第3,6(2)。ただし,生徒らの思想及び良心の自由の侵害の有無を検討する部分である。)。
 ア 被上告人が,各学校長を通じ,上告人らに対し,入学式及び卒業式の国歌斉唱時の起立を命じたのは,教職員が率先して起立することにより,儀式的行事における儀礼を示し,間接的に生徒に働きかける効果を期待したものである。
 イ 保護者や学校外の関係者も出席する儀式的行事の場面においては,生徒の内心に対する一定程度の働きかけを伴うことは不可避である。このような間接的な働きかけは,方法としても穏当なものであって,これを直ちに生徒に対する強制ということはできない。その際,一律に起立斉唱するよう号令をかけ,これとともに教職員が起立する場合であっても,この結論は変わらない。
 原審の上記の判断はまことに当を得たものであり,これによれば,生徒らとの関係では,「公的機関が参加者に一律の行動を強制する」という事実の存在自体が認められないことになる。そうすると,強制に対する「否定的評価」及び「このような行動に自分は参加してはならないという信条」に関する主張も,生徒らとの関係では,前提を欠くことになる。
 (2) もっとも,上告人らの主張の趣旨は,それが「強制」に当たるかどうかを問題にしているのではなく,生徒らに対し「一律の行動」を求めること自体を問題にしていると善解できないでもない。しかし,その場合には,生徒らに対し一律に起立斉唱を求めることが,なぜ上告人らの思想及び良心の自由を侵害することになるのか,更に踏み込んだ検討が必要となる。
 この点につき,上告人らは,上告理由書(5頁)において,「働きかけ」の状況・態様が,個々の生徒が自らの自由な意思決定に従って起立・不起立を選択する余地の存するものでない限りは「強制」に当たると主張し,また,参加者全員に対して一律に起立斉唱するよう教職員から号令がかけられるとともに,教職員らが全員一律に起立斉唱するという状況が作出されれば,個々の生徒・児童が自らの自由な意思に基づいて不起立を選択することも困難となるとも主張する。
 しかしながら,学校教育において生徒に一律の行動をとることを求める必要があることは,教室の内外を問わず,日常広く認められるところである。それだけでなく,程度の問題はあれ,集団行動への順応性を高めることを積極的に評価する面さえあることは,教育関係者だけでなく,社会一般に広く認識され,容認されてもいる。学校教育におけるこのような側面を直視することなくしては,学校教育そのものが成り立たないか,そうでなくても重要な部分に深刻な欠落が生じる懸念があることは否定し難い。そうすると,入学式及び卒業式等の式典において生徒らに一律の起立斉唱を求めても,これに応じない生徒らに対する懲罰等の不利益を伴う場合は別として,厳密な意味での強制に当たるともいえない本件のような場合に関する限り,教育上,特に禁止される違法・不当な性質のものと認めることもできない。したがって,この点について生徒らに対する「強制」を問題とする上告人らの主張には理由がないというべきである。
 (3) さらに,上告人らの主張は,儀式一般における「一律の行動」を問題とするのではなく,「君が代」の斉唱という,国民あるいは教育に携わる関係者の中で意見が大きく分かれる問題について,公立学校が参加者に対し「一律の行動」を求めることが公的機関としての中立性を害する可能性があることを問題とし,これに加担することが思想及び良心の自由に反する旨をいうものと理解する余地がないでもない。
 学校教育一般について,公的機関としての中立性の要請が働くことはあり得ることである。しかし,本件のように厳密な意味での「強制」には当たらないが,卒業式等の式典での慣例上の儀礼的な所作として生徒らに対して一律の行動を求める場合についてまで,公的機関としての中立性の要請が及ぶかどうか,あるいは及ぶとしてもこれに対抗して考慮されなければならない教育上の諸事情とのかね合いをどう判断すべきかについてはなお慎重な検討が必要であろう。上記(2)で述べたように,学校教育の本質から見て,生徒らに一律の行動をとることを求める必要性があることは否定できず,これを無視しては学校教育そのものが成り立たず,あるいは重要な部分に欠落が生じる懸念がある。この点を重要な要素の一つとして勘案すれば,公的機関としての中立性の問題を視野に入れても,なお上記(2)の結論は変わらないし,変えるべきでもないと考える。
 3 公立学校の教員が,入学式ないし卒業式等において起立斉唱する行為は,国旗・国歌に対する敬意の表明や礼譲の姿勢を示す趣旨にとどまらず,教員自らが起立斉唱することによって,生徒らに模範を示して指導する趣旨を含むものである。これが教員としての職務の一環である点については,起立斉唱東京事件判決の補足意見において指摘したとおりである。
 上告人らに起立斉唱を命じる職務命令が上告人らの思想及び良心の自由についての間接的にせよ制約となる面があるにしても,入学式ないし卒業式等という学校教育にとって重要な教育活動を効果的に実施し,その成果を教育の受け手である生徒らに十分に享受させるという公共の利益との比較考量の結果からすれば,その制約に合理性がないとはいえない。原審も同様の趣旨をいうものとして,是認できる。

 >>>裁判官岡部喜代子の補足意見は,次のとおりである。
 多数意見の述べるとおり,起立行為を命ずる旨の職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いものであり,思想及び良心の自由が憲法上の保障であるところからすると,その命令が憲法に違反するとまではいえないとしても,その命令の不履行に対して不利益処分を課すに当たっては慎重な衡量が求められるというべきである。その命令の不履行としての不起立が個人の思想及び良心に由来する真摯なものであって,その命令に従って起立することが当該個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある場合には,①当該命令の必要性の程度,②不履行の程度,態様,③不履行による損害など影響の程度,④代替措置の有無と適否,⑤課せられた不利益の程度とその影響など諸般の事情を勘案した結果,当該不利益処分を課すことが裁量権の逸脱又は濫用に該当する場合があり得るというべきである。本件においてはその旨の主張はなされていないので,付言するにとどめる。

 >>>裁判官大谷剛彦の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件各職務命令は,これによって求められる国歌斉唱の際の起立行為に敬意という要素が含まれるがゆえに,本人に心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼし,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いが,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるので,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと考えるものであり,その趣旨を述べる多数意見に賛同するものであるところ,本件については,市立小学校の音楽専科の教諭に対し入学式における国歌斉唱の際のピアノ伴奏を命ずる職務命令が憲法19条に違反しないとした当第三小法廷の判決(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁)の事案との異同に焦点を当てて意見を補足したい点がある。この点については,多数意見の引用する最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決における私の補足意見の中で述べたとおりであるので,これを引用する。

 >>>裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告人らのうち,単なる「起立命令」のみを受けた者らについては,多数意見に賛成し,その上告は棄却すべきものであると考えるが,上告人らのうち「起立斉唱命令」を受けた者らについては,原判決を破棄して原審において更に審議を尽くさせるべく原審に差し戻すべきものと考える。以下,その理由を述べる。
 1 起立命令について
 私は,公立高等学校等の校長が,入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に,その式に参列する教職員に対して,本件のような職務命令をもって起立行為を命ずることは,その教職員らの思想及び良心の自由を直ちに制約するものとはいえず,また,かかる命令は思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約等を総合的に較量すれば,なお若干の疑念は存するものの,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性を有することを肯認することができるとする多数意見の考え方に同調するものである。
 したがって,本件の各高等学校等の校長がなした,本件の各入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に起立行為を命じる旨の各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するものとはいえないと解するのが相当であると考える。
 2 起立斉唱命令について
 原審の確定した事実関係によれば,第1審判決添付別表1の番号14ないし23,28,同別表2の番号33,37,同別表3の番号欄空欄(亡A)の各上告人らに対しては,同上告人らの当時の所属校の校長は,本件の入学式又は卒業式において,国歌斉唱の際に起立して斉唱することを求めており,これは「起立して斉唱する行為」を命ずる旨の職務命令を発したものと解し得るところ,同職務命令は起立命令と斉唱命令とが截然と区別されておらず,不可分一体のものとしてなされたものと解し得る余地がある。
 私は,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者に対し,国歌を「唱う」ことを職務命令をもって強制することは,それらの者の思想・信条に係る内心の核心的部分を侵害するものであると評価され得るものであり,また,公的機関が思想・信条に関わる領域について一定の価値観を強制することは許されないとの信条を有している者においては,かかる信条も思想及び良心の自由の外縁を成すものとして憲法19条の保障の範囲に含まれると考えるものであるが,それらの点及び起立命令と斉唱命令との関係については,多数意見の引用する最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決の反対意見において詳述しているので,それをここに引用する。
 3 起立斉唱命令を受けた上告人らの不起立について
 上記上告人らに対してなされた国歌斉唱時に「起立して斉唱すること」との本件各職務命令が,起立行為と斉唱行為とを不可分一体のものとしてなされたものである場合には,上記反対意見にて述べたとおり,「斉唱を求める」部分については同上告人らの思想・信条に係る内心の核心的部分を侵害し,あるいは内心の核心的部分に近接する外縁部分を侵害する可能性があるものであるといわざるを得ない。
 同上告人らが本件各職務命令に従わず,国歌斉唱の際に起立しない行為(不作為)を行った理由が,国歌斉唱行為により同上告人らの思想・信条に係る内心の核心的部分(あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分)に対する侵害を回避する趣旨でなされたものであるとするならば,かかる行為(不作為)の,憲法19条により保障される思想及び良心の自由を守るための行為としての相当性の有無が問われることになる。
 また,上記「起立して斉唱すること」との本件各職務命令が,「起立命令」と「斉唱命令」とに分けることができ,両命令が併行してなされたものであるとしても,同上告人らが,両命令を不可分一体のものとして捉え,かつそのように解したことに不合理な点が存しないと認められる場合には,上記に述べたところがそのまま妥当するといえる。
 ところが,原審までの審理においては,同上告人らは,起立命令について,第1審判決添付別表1の番号21のX8が具体的に主張し一定の立証をなしている以外には,具体的な主張,立証がなされているとはいい難く,また,原判決はその点について判断していない。
 4 裁量権の濫用について
 私は,前記最高裁平成23年6月14日第三小法廷判決の反対意見において付言したとおり,思想及び良心の自由に関わる職務命令違反に対する懲戒処分の発令は,慎重になされるべきであり,具体的事案に応じてその濫用が問われ得る余地があることを指摘している。
 本件では,上告人らは,原審までは本件の各懲戒処分について裁量権の濫用を主張していたが,当審の論旨では主張していない。もっとも,起立斉唱命令を受けた上告人らについて,原審に差し戻して審理を尽くした上で,起立命令に従わなかった行為(不起立)が,憲法19条との関係でその侵害を回避する行為としての相当性が認められない場合であっても,なお同上告人らのその不起立の理由など具体的事情の如何によっては,裁量権の濫用が問われる余地があるといえよう。
 5 まとめ
 以上述べたとおり,本件上告人ら中,本件の各校長から起立斉唱の各職務命令を受けた2掲記の各上告人らについては,同上告人らが起立命令に従わなかった理由につき,原審にて更に審理を尽くさせるのが相当であると思料するので,同上告人らについては,原判決を破棄して差し戻すべきものというべきである。
(裁判長裁判官 大谷剛彦 裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫 裁判官 岡部喜代子 裁判官 寺田逸郎)


【最決平成23年6月21日】

 上記当事者間の東京高等裁判所平成21年(行コ)第284号国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件について,同裁判所が平成22年3月17日に言い渡した判決に対し,上告人兼申立人らから上告及び上告受理の申立てがあった。よって,当裁判所は,次のとおり決定する。

       主   文

 本件上告を棄却する。
 本件を上告審として受理しない。
 上告費用及び申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。

       理   由

 1 上告について
 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは,民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,本件上告理由は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
 2 上告受理申立てについて
 本件申立ての理由によれば,本件は,民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
  平成23年6月21日
  最高裁判所第三小法廷
    裁判長裁判官  那須弘平
        裁判官  田原睦夫
        裁判官  岡部喜代子
        裁判官  大谷剛彦
        裁判官  寺田逸郎

【東京高判平成23年3月17日】

       主   文

 原判決を取り消す。
 控訴人らの請求に係る訴えをいずれも却下する。
 訴訟費用は第1,第2審とも控訴人らの負担とする。

       事実及び理由

第1 当事者の求める裁判
 1 控訴の趣旨
  (1) 原判決を取り消す。
  (2) 控訴人らと被控訴人との間において,控訴人らが,それぞれ,その所属する学校の入学式,卒業式に参列するに際し,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務のないことを確認する。
  (3) 訴訟費用は第1,第2審とも被控訴人の負担とする。
 2 控訴の趣旨に対する答弁
  (1) 本件各控訴をいずれも棄却する。
  (2) 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第2 事案の概要
 1 事案の要旨
  (1) 控訴人らは,神奈川県立高等学校及び神奈川県立特別支援学校に勤務する教諭,実習助手,事務職員,技能職員及び非常勤の嘱託員(以下,併せて「教職員」という。)である。神奈川県教育委員会(以下「県教委」という。)は,同教育長名で,平成16年11月30日,県立学校の各校長に対し,「入学式及び卒業式における国旗の掲揚及び国歌の斉唱の指導の徹底について(通知)」(甲1,乙2。以下「本件教育長通知」という。)を発して,県立学校の入学式及び卒業式において,国旗を式場正面に掲げるとともに国歌の斉唱は式次第に位置付け,斉唱時に教職員は起立して国歌を斉唱すること,国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり,教職員が本件教育長通知に基づく校長の職務命令に従わない場合や式を混乱させる等の妨害行動を行った場合には,服務上の責任を問い,厳正に対処していくことを教職員に周知することなどにより,各学校が入学式,卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通知した。
    本件は,控訴人らが,公法上の法律関係に関する確認の訴え(行政事件訴訟法4条後段)に基づき,国旗に向かって起立して国歌を斉唱することを強制されることは控訴人らの思想・良心の自由を侵害し,教育に対する不当な支配の禁止に反するなどと主張して,控訴人らが被控訴人に対し,県立学校の入学式,卒業式の式典において,国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務のないことの確認を求めた事案である。
  (2) 原審は,控訴人らがそれぞれその所属する学校の校長から,生徒に対して国歌斉唱の指導を行うため,又は式の円滑な進行のため,入学式及び卒業式において,式の参加者として式次第に従って国歌斉唱時に起立する旨の起立斉唱命令が発せられた場合には,これに基づき入学式及び卒業式に参列するに際して国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務を負うとして,控訴人らの請求をいずれも棄却した。
 2 争いのない事実等,争点及び当事者の主張は,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の1から3(原判決2ページ18行目から15ページ11行目まで)に記載のとおりであるからこれを引用する。ただし,原判決6ページ18行目の冒頭から25行目の末尾までを次のとおり改める。
  「(4) 県教委は,国歌斉唱時の教職員の不起立に対しては,粘り強く説得し,指導するという方針であり,県立学校の各校長は,本件教育長通知発令後に行われた入学式,卒業式の実施に際し国旗を掲揚し,国歌を斉唱する方針を採り,控訴人ら教職員に対し,本件教育長通知の内容を周知させた上,国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱するよう指導しているが,これまで特定人を名宛人として文書でもって起立斉唱命令が発せられたことはない。また,本件教育長通知発令後,不起立を理由とする処分が行われたことはない。」
第3 当裁判所の判断
 1 控訴人らの本訴請求に係る訴えの適法性(裁判法3条1項にいう「法律上の争訟」を対象とするものか)について
  (1) 本件の事実関係の概要は以下のとおりである。
    平成11年3月に告示された高等学校学習指導要領(乙6)には,「第4章 特別活動」の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定され,同月に告示された盲学校,聾学校及び養護学校高等部学習指導要領(乙7)の「第4章 特別活動」においても,特別活動の目標,内容及び指導計画の作成と内容の取扱いについては,原則として高等学校学習指導要領第4章に示すものに準ずると規定されている。教育長は,平成16年11月30日,県立学校の各校長に対し,地方教育行政の組織及び運営に関する法律23条5号,17条1項に基づき,「入学式及び卒業式は儀式的行事であることを踏まえた形態とし,実施にあたっては教職員全員の業務分担を明確に定め,国旗は式場正面に掲げるとともに,国歌の斉唱は式次第に位置付け,斉唱時に教職員は起立し,厳粛かつ清新な雰囲気の中で式が行われるよう,改めて取組の徹底をお願いします。また,これまで一部の教職員による式に対する反対行動が見受けられたところですが,各学校においては,このようなことのないよう指導の徹底をお願いします。なお,教職員が校長の指示に従わない場合や,式を混乱させる等の妨害行動を行った場合には,県教育委員会としては,服務上の責任を問い,厳正に対処していく考えでありますので,適切な対応を併せてお願いします。」との内容の本件教育長通知を発し,以後毎年,入学式及び卒業式において,国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施することを内容とする本件教育長通知を発しているが,県教委は,国歌斉唱時の教職員の不起立に対しては粘り強く説得し,指導するとの方針を採っている。県立学校の各校長は,本件教育長通知を受けて,入学式及び卒業式に際して国旗を掲揚し,国歌を斉唱する方針を採り,控訴人ら教職員に対し,職員会議あるいは卒業式及び入学式等の打合せにおいて,本件教育長通知の写し等を配布するなどしてその内容を周知させて国家斉唱時に起立するよう指導するとともに,生徒に対する率先垂範指導を指示し,不起立の教職員に対し個別指導を行っているが,特定人を名宛人として国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱するよう職務命令として命じたことはなく,本件教育長通知発令後,不起立を理由とする処分の事例もない。
  (2) 控訴人らは,上記の事実関係の下において,公法上の法律関係に関する確認の訴え(行政事件訴訟法4条後段)として,「君が代」の「起立斉唱義務」がないことの確認を求め,① 入学式及び卒業式における「君が代」の起立斉唱について,本件教育長通知に基づく職務命令及び被控訴人の指導により思想良心の自由が侵害されること,② 被控訴人が行う不起立教職員の氏名収集によって,思想信条情報をその意に反して被控訴人に保有されること,③ 給与及び昇任昇格について,不起立・不斉唱を理由にマイナス評価をされること,④ 不起立・不斉唱による訓告懲戒処分のおそれがあることなど控訴人らの権利又は法律的地位に不安が現存するから,これらの不安を除去するため,国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務のないことの確認を求める本件訴えには確認の利益があるとしてその適法性を主張する。
  (3) しかしながら,裁判所の権限は法律上の争訟を裁判することにあるところ(裁判所3条1項),ここに法律上の争訟とは当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する現実の紛争であって,かつそれが法令の適用によって終局的に解決できるものをいい,現実の紛争がいまだ存在しないにもかかわらず,抽象的に法令の効力を争うような訴えはこの要件を満たさないものと解される(最高裁昭和27年10月8日大法廷判決・民集6巻9号783頁,昭和28年11月17日第3小法廷判決・裁判集民事10号455頁,最高裁平成3年4月19日第2小法廷判決・民集45巻4号518頁等参照)。
    これを本件についてみると,控訴人らが問題とする本件教育長通知は,各学校長あてに入学式及び卒業式において,国旗を式場正面に掲げるとともに国歌の斉唱は式次第に位置づけ,斉唱時に教職員は起立して国歌を斉唱するよう指導を求めているというにとどまり,控訴人ら教職員との間には何ら具体的な権利義務ないし法律関係を生じさせているものではない。それゆえ,県教委は,国歌斉唱時の教職員の不起立に対しては粘り強く説得し,指導するという方針を採用しており,実際にもこれまで各校長から教職員らに対して職務命令が発せられたことはないし,また,上記式次第や説得,指導に従わなかったことを理由に懲戒処分をした事例はなく,起立,斉唱しなかった教職員らに対して,これまで訓告等の行政上の措置も採られていない。そうすると,控訴人らの訴えの趣旨を実質的に考察すれば,将来個別に発せられる可能性のある校長の具体的な職務命令に従わなかった場合に,懲戒その他の不利益処分が行なわれるのを防止するためにその前提である控訴人らの義務の不存在をあらかじめ確定しておこうということ(これは本件教育長通知の無効の確認を求めるものにほかならないものでもある。)になるところ,ここには何ら具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争が存しないのであり,このような訴えは法律上の争訟性を欠く不適法なものというべきである。
    以上のとおり,控訴人らの国歌斉唱時に国旗に向かって起立し国歌を唱和する義務のないことの確認を求める本件訴えは具体的事件としての法律上の争訟について提起されたものであると認めることができないから,控訴人らの本件請求に係る訴えはいずれも不適法なものとして却下を免れない。
    なお,仮に,本件教育長通知が控訴人ら教職員に対し上記の点で何らかの義務を措定するとした上で,本件訴えの適法性を確認の利益の観点から考察するとしても,上記事情に加え,仮に懲戒訓告等の措置を受けても,訓告は行政訴訟の対象となる不利益処分に当たらず,また,懲戒処分がされたとしても地方公務員法に基づき人事委員会に対する不服申立てが認められていることからすれば,控訴人らにおいて不利益処分を待って義務の存否を争うのでは回復し難い重大な損害を被るおそれがあるなどの特段の事情の存在を認めることができないのであるから,確認の利益を欠くことも明らかというべきであり(最高裁昭和47年11月30日第1小法廷判決・民集26巻9号1746頁参照),不適法な訴えであることに変わりはない。
 2 よって,控訴人らの訴えを適法なものとした上でその請求に理由がないとしてこれをいずれも棄却した原判決は相当でないからこれを取り消した上,控訴人らの請求に係る訴えはこれをいずれも却下することとし,主文のとおり判決する。
  東京高等裁判所民事第15民事部
    裁判長裁判官   藤村 啓
        裁判官   坂本宗一
        裁判官   大濱寿美
別紙
         代理人目録
訴訟代理人弁護士 大川隆司
同 神原 元
同 川口彩子
同 根本孔衛
同 篠原義仁
同 石井眞紀子
同 沢井功雄
同 岩村智文
同 西村隆雄
同 藤田温久
同 三嶋 健
同 山下芳織
同 渡辺登代美
同 穂積匡史
同 鈴木麻子
同 陶山和嘉子
同 稲生義隆
同 堤 浩一郎
同 畑谷嘉宏
同 児嶋初子
同 内田和利
同 高城昌宏
同 古川武志
同 山崎健一
同 栗山博史
同 井上 泰
同 彦坂敏之
同 工藤 昇
同 高橋瑞穗
同 畑山 穣
同 川又 昭
同 根岸義道
同 岩橋宣隆
同 小口千恵子
同 中村 宏
同 高橋 宏
同 関守 麻紀子
同 阪田勝彦
同 太田啓子
同 西村紀子
同 田渕大輔
同 近藤ちとせ
同 宋 惠燕
同 浅川壽一
同 長谷川 宰
同 野村正勝
同 中込泰子
同 山森良一
同 小池拓也
同 鈴木 健
同 小賀坂 徹
同 黒澤知弘
同 岡村共栄
同 岡村三穂
同 中込光一
同 呉東正彦
同 畑中優宏
同 伊藤幹郎
同 梅澤幸二郎
同 小島周一
同 芳野直子
同 杉本 朗
同 井上 啓
同 佐藤正知
同 金子祐子
同 海野宏行
同 折本和司
同 宮澤廣幸
同 斉藤秀樹
同 櫻井みぎわ
同 戸張雄哉
同 茆原正道
同 茆原洋子
同 岡本秀雄
同 星山輝男
同 本田敏幸
同 久保博道
同 佐藤昌樹
同 間部俊明
同 宮田 学
同 勝山勝弘
同 武井共夫
同 奥 祐介
同 大河内 秀明
同 滝本太郎
同 菅 智晴
同 井上 浩
同 本田正男
同 古澤眞尋
同 寺崎時史
同 野口 勇
同 千木良正
同 岡本充代
同 黒田和夫
同 岡部玲子
同 木村和夫
同 田中敬介
同 嶋崎 量
同 浜田 薫
同 小村陽子
同 岩橋宣隆


【最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁①】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 1 上告代理人尾山宏ほかの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について原審の適法に確定した事実関係の下において,本件職務命令が憲法19条に違反するものでないことは,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号3頁,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号14頁,最高裁平成22年(行ツ)第372号同23年6月21日第三小法廷判決・裁判所時報1534号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
 2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見に賛成する立場からこれに付加する私の意見は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷
 判決において私の補足意見として述べたとおりである。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分については理由があるので,原判決を破棄して原審に差し戻すべきであると考える。その理由は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見の中で述べたとおりである。
  最高裁判所第一小法廷
    裁判長裁判官  横田尤孝
        裁判官  宮川光治
        裁判官  櫻井龍子
        裁判官  金築誠志
        裁判官  白木 勇


【最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁②】

       主   文

 上告人Aの上告を却下する。
 その余の上告人らの上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 第1 上告人ら(上告人Aを除く。)の上告について
 1 上告人ら(上告人Aを除く。)の上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について
 原審の適法に確定した事実関係の下において,本件職務命令が憲法19条に違反するものでないことは,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号3頁,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号14頁,最高裁平成22年(行ツ)第372号同23年6月21日第三小法廷判決・裁判所時報1534号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
 2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 第2 上告人Aの上告理由について
 上告人Aは上告理由を記載した書面を提出しないから,同上告人の上告は,不適法として却下することとする。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見に賛成する立場からこれに付加する私の意見は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決において私の補足意見として述べたとおりである。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分については理由があるので,原判決を破棄して原審に差し戻すべきであると考える。その理由は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見の中で述べたところと同旨である。
  最高裁判所第一小法廷
    裁判長裁判官  白木 勇
        裁判官  宮川光治
        裁判官  櫻井龍子
        裁判官  金築誠志
        裁判官  横田尤孝


【最判平成23年7月14日ジュリ1452号98頁③】

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 1 上告人らの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分について原審の適法に確定した事実関係の下において,本件職務命令が憲法19条に違反するものでないことは,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである(最高裁平成22年(オ)第951号同23年6月6日第一小法廷判決・裁判所時報1533号3頁,最高裁平成22年(行ツ)第54号同23年5月30日第二小法廷判決・裁判所時報1532号2頁,最高裁平成22年(行ツ)第314号同23年6月14日第三小法廷判決・裁判所時報1533号14頁,最高裁平成22年(行ツ)第372号同23年6月21日第三小法廷判決・裁判所時報1534号登載予定参照)。所論の点に関する原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
 2 その余の上告理由について
 論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
 よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 >>>裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。
 本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見に賛成する立場からこれに付加する私の意見は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決において私の補足意見として述べたとおりである。

 >>>裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
 私は,上告理由のうち職務命令の憲法19条違反をいう部分については理由があるので,原判決を破棄して原審に差し戻すべきであると考える。その理由は,多数意見の引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見の中で述べたところと同旨である。
  最高裁判所第一小法廷
    裁判長裁判官  白木 勇
       裁判官  宮川光治
       裁判官  櫻井龍子
       裁判官  金築誠志
       裁判官  横田尤孝



2017-06-07(Wed)

最判平成27年12月16日民集69巻8号2427頁

【最判平成27年12月16日民集69巻8号2427頁】

       主  文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

       理  由
 上告代理人作花知志の上告理由について
第1 事案の概要等
1 本件は,上告人が,女性について6箇月の再婚禁止期間を定める民法733条1項の規定(以下「本件規定」という。)は憲法14条1項及び24条2項に違反すると主張し,本件規定を改廃する立法措置をとらなかった立法不作為(以下「本件立法不作為」という。)の違法を理由に,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求める事案である。
 原審の適法に確定した事実関係によれば,上告人は,平成20年3月▲▲日に前夫と離婚をし,同年10月▲▲日に後夫と再婚をしたが,同再婚は,本件規定があるために望んだ時期から遅れて成立したものであったというのである。上告人は,これにより被った精神的損害等の賠償として,被上告人に対し,165万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めている。
2 原審において,上告人は,本件規定が合理的な根拠なく女性を差別的に取り扱うものであるから憲法14条1項及び24条2項に違反し,本件立法不作為は国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受ける旨を主張した。その趣旨は,次のようなものと解される。
 本件規定は,道徳的な理由に基づいて寡婦に対し一定の服喪を強制するという不当な趣旨を含むものである。また,本件規定の立法目的が父性の推定の重複を回避することにあるとしても,DNA検査等によって父子関係を確定することが容易になっているなどの近年の状況に鑑みれば,父を定めることを目的とする訴え(民法773条)の適用対象を広げることなどによって子の父を確定することでも足りるはずであり,あえて再婚禁止期間を設けて女性の婚姻の自由を制約することに合理性は認められない。
 また,民法772条は,婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消等の日から300日以内に生まれた子を当該婚姻に係る夫の子と推定していることから,前婚の解消等の日から300日以内で,かつ,後婚の成立から200日の経過後に子が生まれる事態を避ければ父性の推定の重複を回避することができる。そのためには,100日の再婚禁止期間を設ければ足りるから,少なくとも,本件規定のうち100日を超えて再婚禁止期間を設ける部分(以下「100日超過部分」という。)は,女性に対し婚姻の自由の過剰な制約を課すものであり,合理性がない。
3 これに対し,原判決は,本件規定の立法目的は父性の推定の重複を回避し,父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解されるところ,その立法目的には合理性があり,これを達成するために再婚禁止期間を具体的にどの程度の期間とするかは,上記立法目的と女性の婚姻の自由との調整を図りつつ国会において決定されるべき問題であるから,これを6箇月とした本件規定が直ちに過剰な制約であるとはいえず,本件立法不作為は国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではないと判断して,上告人の請求を棄却すべきものとした。
 所論は,要するに,原判決には憲法14条1項及び24条2項の解釈の誤りがあるというものである。
第2 本件規定の憲法適合性について
1 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。そして,本件規定は,女性についてのみ前婚の解消又は取消しの日から6箇月の再婚禁止期間を定めており,これによって,再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別しているから,このような区別をすることが事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法14条1項に違反することになると解するのが相当である。
 ところで,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである。したがって,その内容の詳細については,憲法が一義的に定めるのではなく,法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられる。憲法24条2項は,このような観点から,婚姻及び家族に関する事項について,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。また,同条1項は,「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しており,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。婚姻は,これにより,配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか,近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも,国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると,上記のような婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる。
 そうすると,婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である
 そこで,本件においては,上記の考え方に基づき,本件規定が再婚をする際の要件に関し男女の区別をしていることにつき,そのような区別をすることの立法目的に合理的な根拠があり,かつ,その区別の具体的内容が上記の立法目的との関連において合理性を有するものであるかどうかという観点から憲法適合性の審査を行うのが相当である。以下,このような観点から検討する。
2 本件規定の立法目的について
 昭和22年法律第222号による民法の一部改正(以下「昭和22年民法改正」という。)により,旧民法(昭和22年民法改正前の明治31年法律第9号をいう。以下同じ。)における婚姻及び家族に関する規定は,憲法24条2項で婚姻及び家族に関する事項について法律が個人の尊厳及び両性の本質的平等に立脚して制定されるべきことが示されたことに伴って大幅に変更され,憲法の趣旨に沿わない「家」制度が廃止されるとともに,上記の立法上の指針に沿うように,妻の無能力の規定の廃止など夫婦の平等を図り,父母が対等な立場から共同で親権を行使することを認めるなどの内容に改められた。
 その中で,女性についてのみ再婚禁止期間を定めた旧民法767条1項の「女ハ前婚ノ解消又ハ取消ノ日ヨリ六个月ヲ経過シタル後ニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得ス」との規定及び同条2項の「女カ前婚ノ解消又ハ取消ノ前ヨリ懐胎シタル場合ニ於テハ其分娩ノ日ヨリ前項ノ規定ヲ適用セス」との規定は,父性の推定に関する旧民法820条1項の「妻カ婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子ト推定ス」との規定及び同条2項の「婚姻成立ノ日ヨリ二百日後又ハ婚姻ノ解消若クハ取消ノ日ヨリ三百日内ニ生レタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」との規定と共に,現行の民法にそのまま引き継がれた。
 現行の民法は,嫡出親子関係について,妻が婚姻中に懐胎した子を夫の子と推定し(民法772条1項),夫において子が嫡出であることを否認するためには嫡出否認の訴えによらなければならず(同法775条),この訴えは夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない(同法777条)と規定して,父性の推定の仕組みを設けており,これによって法律上の父子関係を早期に定めることが可能となっている。しかるところ,上記の仕組みの下において,女性が前婚の解消等の日から間もなく再婚をし,子を出産した場合においては,その子の父が前夫であるか後夫であるかが直ちに定まらない事態が生じ得るのであって,そのために父子関係をめぐる紛争が生ずるとすれば,そのことが子の利益に反するものであることはいうまでもない。
 民法733条2項は,女性が前婚の解消等の前から懐胎していた場合には,その出産の日から本件規定の適用がない旨を規定して,再婚後に前夫の子との推定が働く子が生まれない場合を再婚禁止の除外事由として定めており,また,同法773条は,本件規定に違反して再婚をした女性が出産した場合において,同法772条の父性の推定の規定によりその子の父を定めることができないときは裁判所がこれを定めることを規定して,父性の推定が重複した場合の父子関係確定のための手続を設けている。これらの民法の規定は,本件規定が父性の推定の重複を避けるために規定されたものであることを前提にしたものと解される。
 以上のような立法の経緯及び嫡出親子関係等に関する民法の規定中における本件規定の位置付けからすると,本件規定の立法目的は,女性の再婚後に生まれた子につき父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解するのが相当であり(最高裁平成4年(オ)第255号同7年12月5日第三小法廷判決・裁判集民事177号243頁(以下「平成7年判決」という。)参照),父子関係が早期に明確となることの重要性に鑑みると,このような立法目的には合理性を認めることができる
 これに対し,仮に父性の推定が重複しても,父を定めることを目的とする訴え(民法773条)の適用対象を広げることにより,子の父を確定することは容易にできるから,必ずしも女性に対する再婚の禁止によって父性の推定の重複を回避する必要性はないという指摘があるところである。
 確かに,近年の医療や科学技術の発達により,DNA検査技術が進歩し,安価に,身体に対する侵襲を伴うこともなく,極めて高い確率で生物学上の親子関係を肯定し,又は否定することができるようになったことは公知の事実である。
 しかし,そのように父子関係の確定を科学的な判定に委ねることとする場合には,父性の推定が重複する期間内に生まれた子は,一定の裁判手続等を経るまで法律上の父が未定の子として取り扱わざるを得ず,その手続を経なければ法律上の父を確定できない状態に置かれることになる。生まれてくる子にとって,法律上の父を確定できない状態が一定期間継続することにより種々の影響が生じ得ることを考慮すれば,子の利益の観点から,上記のような法律上の父を確定するための裁判手続等を経るまでもなく,そもそも父性の推定が重複することを回避するための制度を維持することに合理性が認められるというべきである。
3 そうすると,次に,女性についてのみ6箇月の再婚禁止期間を設けている本件規定が立法目的との関連において上記の趣旨にかなう合理性を有すると評価できるものであるか否かが問題となる。以下,この点につき検討する。
 上記のとおり,本件規定の立法目的は,父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解されるところ,民法772条2項は,「婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。」と規定して,出産の時期から逆算して懐胎の時期を推定し,その結果婚姻中に懐胎したものと推定される子について,同条1項が「妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。」と規定している。そうすると,女性の再婚後に生まれる子については,計算上100日の再婚禁止期間を設けることによって,父性の推定の重複が回避されることになる。夫婦間の子が嫡出子となることは婚姻による重要な効果であるところ,嫡出子について出産の時期を起点とする明確で画一的な基準から父性を推定し,父子関係を早期に定めて子の身分関係の法的安定を図る仕組みが設けられた趣旨に鑑みれば,父性の推定の重複を避けるため上記の100日について一律に女性の再婚を制約することは,婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものではなく,上記立法目的との関連において合理性を有するものということができる。
 よって,本件規定のうち100日の再婚禁止期間を設ける部分は,憲法14条1項にも,憲法24条2項にも違反するものではない。
 これに対し,本件規定のうち100日超過部分については,民法772条の定める父性の推定の重複を回避するために必要な期間ということはできない。旧民法767条1項において再婚禁止期間が6箇月と定められたことの根拠について,旧民法起草時の立案担当者の説明等からすると,その当時は,専門家でも懐胎後6箇月程度経たないと懐胎の有無を確定することが困難であり,父子関係を確定するための医療や科学技術も未発達であった状況の下において,再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けようとしたものであったことがうかがわれる。また,諸外国の法律において10箇月の再婚禁止期間を定める例がみられたという事情も影響している可能性がある。上記のような旧民法起草時における諸事情に鑑みると,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けることが父子関係をめぐる紛争を未然に防止することにつながるという考え方にも理解し得る面があり,このような考え方に基づき再婚禁止期間を6箇月と定めたことが不合理であったとはいい難い。このことは,再婚禁止期間の規定が旧民法から現行の民法に引き継がれた後においても同様であり,その当時においては,国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものであったとまでいうことはできない。
 しかし,その後,医療や科学技術が発達した今日においては,上記のような各観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けることを正当化することは困難になったといわざるを得ない。
 加えて,昭和22年民法改正以降,我が国においては,社会状況及び経済状況の変化に伴い婚姻及び家族の実態が変化し,特に平成期に入った後においては,晩婚化が進む一方で,離婚件数及び再婚件数が増加するなど,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情も認めることができる。また,かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が徐々にこれを廃止する立法をする傾向にあり,ドイツにおいては1998年(平成10年)施行の「親子法改革法」により,フランスにおいては2005年(平成17年)施行の「離婚に関する2004年5月26日の法律」により,いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており,世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。それぞれの国において婚姻の解消や父子関係の確定等に係る制度が異なるものである以上,その一部である再婚禁止期間に係る諸外国の立法の動向は,我が国における再婚禁止期間の制度の評価に直ちに影響を及ぼすものとはいえないが,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっていることを示す事情の一つとなり得るものである。
 そして,上記のとおり,婚姻をするについての自由が憲法24条1項の規定の趣旨に照らし十分尊重されるべきものであることや妻が婚姻前から懐胎していた子を産むことは再婚の場合に限られないことをも考慮すれば,再婚の場合に限って,前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間を超えて婚姻を禁止する期間を設けることを正当化することは困難である。他にこれを正当化し得る根拠を見いだすこともできないことからすれば,本件規定のうち100日超過部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとなっているというべきである。
 以上を総合すると,本件規定のうち100日超過部分は,遅くとも上告人が前婚を解消した日から100日を経過した時点までには,婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものとして,その立法目的との関連において合理性を欠くものになっていたと解される。
 以上の次第で,本件規定のうち100日超過部分が憲法24条2項にいう両性の本質的平等に立脚したものでなくなっていたことも明らかであり,上記当時において,同部分は,憲法14条1項に違反するとともに,憲法24条2項にも違反するに至っていたというべきである。
第3 本件立法不作為の国家賠償法上の違法性の有無について
1 国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ,国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり,立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして,上記行動についての評価は原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって,仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。
 もっとも,法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては,国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして,例外的に,その立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁,最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号,同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。
2 そこで,本件立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるか否かについて検討する。
 本件規定は,前記のとおり,昭和22年民法改正当時においては100日超過部分を含め一定の合理性を有していたと考えられるものであるが,その後の我が国における医療や科学技術の発達及び社会状況の変化等に伴い,再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,父性の判定に誤りが生ずる事態を減らすという観点からは,本件規定のうち100日超過部分についてその合理性を説明することが困難になったものということができる。
 平成7年には,当裁判所第三小法廷が,再婚禁止期間を廃止し又は短縮しない国会の立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるかが争われた事案において,国会が民法733条を改廃しなかったことにつき直ちにその立法不作為が違法となる例外的な場合に当たると解する余地のないことは明らかであるとの判断を示していた(平成7年判決)。これを受けた国会議員としては,平成7年判決が同条を違憲とは判示していないことから,本件規定を改廃するか否かについては,平成7年の時点においても,基本的に立法政策に委ねるのが相当であるとする司法判断が示されたと受け止めたとしてもやむを得ないということができる。
 また,平成6年に法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づくものとして法務省民事局参事官室により公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」及びこれを更に検討した上で平成8年に法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」においては,再婚禁止期間を100日に短縮するという本件規定の改正案が示されていたが,同改正案は,現行の嫡出推定の制度の範囲内で禁止期間の短縮を図るもの等の説明が付され,100日超過部分が違憲であることを前提とした議論がされた結果作成されたものとはうかがわれない。
 婚姻及び家族に関する事項については,その具体的な制度の構築が第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねられる事柄であることに照らせば,平成7年判決がされた後も,本件規定のうち100日超過部分については違憲の問題が生ずるとの司法判断がされてこなかった状況の下において,我が国における医療や科学技術の発達及び社会状況の変化等に伴い,平成20年当時において,本件規定のうち100日超過部分が憲法14条1項及び24条2項に違反するものとなっていたことが,国会にとって明白であったということは困難である。
3 以上によれば,上記当時においては本件規定のうち100日超過部分が憲法に違反するものとなってはいたものの,これを国家賠償法1条1項の適用の観点からみた場合には,憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。したがって,本件立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではないというべきである。
第4 結論
 以上のとおりであるから,上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断は,結論において是認することができる。
 よって,裁判官山浦善樹の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官櫻井龍子,同千葉勝美,同大谷剛彦,同小貫芳信,同山本庸幸,同大谷直人の補足意見,裁判官千葉勝美,同木内道祥の各補足意見,裁判官鬼丸かおるの意見がある。



2017-06-07(Wed)

最判平成27年12月16日民集69巻8号2586頁

【最判平成27年12月16日民集69巻8号2586頁】

       主  文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理  由
 上告代理人榊原富士子ほかの上告理由について
第1 事案の概要
1 本件は,上告人らが,夫婦が婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称すると定める民法750条の規定(以下「本件規定」という。)は憲法13条,14条1項,24条1項及び2項等に違反すると主張し,本件規定を改廃する立法措置をとらないという立法不作為の違法を理由に,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) 上告人X1(氏)x1(名)(戸籍上の氏名は「Ax1」である。)は,Aaとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X1」を使用している。
(2) 上告人X2x2と上告人X3x3は,婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,協議上の離婚をした。同上告人らは,その後,再度婚姻届を提出したが,婚姻後の氏の選択がされていないとして不受理とされた。
(3) 上告人X4x4(戸籍上の氏名は「Bx4」である。)は,Bbとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X4」を使用している。
(4) 上告人X5x5(戸籍上の氏名は「Cx5」である。)は,Ccとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X5」を使用している。
第2 上告理由のうち本件規定が憲法13条に違反する旨をいう部分について
1 論旨は,本件規定が,憲法上の権利として保障される人格権の一内容である「氏の変更を強制されない自由」を不当に侵害し,憲法13条に違反する旨をいうものである。
2(1) 氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成するものというべきである(最高裁昭和58年(オ)第1311号同63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)。
(2) しかし,氏は,婚姻及び家族に関する法制度の一部として法律がその具体的な内容を規律しているものであるから,氏に関する上記人格権の内容も,憲法上一義的に捉えられるべきものではなく,憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法制度をまって初めて具体的に捉えられるものである。
 したがって,具体的な法制度を離れて,氏が変更されること自体を捉えて直ちに人格権を侵害し,違憲であるか否かを論ずることは相当ではない。
(3) そこで,民法における氏に関する規定を通覧すると,人は,出生の際に,嫡出である子については父母の氏を,嫡出でない子については母の氏を称することによって氏を取得し(民法790条),婚姻の際に,夫婦の一方は,他方の氏を称することによって氏が改められ(本件規定),離婚や婚姻の取消しの際に,婚姻によって氏を改めた者は婚姻前の氏に復する(同法767条1項,771条,749条)等と規定されている。また,養子は,縁組の際に,養親の氏を称することによって氏が改められ(同法810条),離縁や縁組の取消しによって縁組前の氏に復する(同法816条1項,808条2項)等と規定されている。
 これらの規定は,氏の性質に関し,氏に,名と同様に個人の呼称としての意義があるものの,名とは切り離された存在として,夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより,社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。そして,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから,このように個人の呼称の一部である氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。
(4) 本件で問題となっているのは,婚姻という身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って夫婦の一方が氏を改めるという場面であって,自らの意思に関わりなく氏を改めることが強制されるというものではない。
 氏は,個人の呼称としての意義があり,名とあいまって社会的に個人を他人から識別し特定する機能を有するものであることからすれば,自らの意思のみによって自由に定めたり,又は改めたりすることを認めることは本来の性質に沿わないものであり,一定の統一された基準に従って定められ,又は改められるとすることが不自然な取扱いとはいえないところ,上記のように,氏に,名とは切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば,氏が,親子関係など一定の身分関係を反映し,婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは,その性質上予定されているといえる。
(5) 以上のような現行の法制度の下における氏の性質等に鑑みると,婚姻の際に「氏の変更を強制されない自由」が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。本件規定は,憲法13条に違反するものではない。
3 もっとも,上記のように,氏が,名とあいまって,個人を他人から識別し特定する機能を有するほか,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格を一体として示すものでもあることから,氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,従前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害される不利益や,個人の信用,評価,名誉感情等にも影響が及ぶという不利益が生じたりすることがあることは否定できず,特に,近年,晩婚化が進み,婚姻前の氏を使用する中で社会的な地位や業績が築かれる期間が長くなっていることから,婚姻に伴い氏を改めることにより不利益を被る者が増加してきていることは容易にうかがえるところである。
 これらの婚姻前に築いた個人の信用,評価,名誉感情等を婚姻後も維持する利益等は,憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえないものの,後記のとおり,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき人格的利益であるとはいえるのであり,憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。
第3 上告理由のうち本件規定が憲法14条1項に違反する旨をいう部分について
1 論旨は,本件規定が,96%以上の夫婦において夫の氏を選択するという性差別を発生させ,ほとんど女性のみに不利益を負わせる効果を有する規定であるから,憲法14条1項に違反する旨をいうものである。
2 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
 そこで検討すると,本件規定は,夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており,夫婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって,その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない。我が国において,夫婦となろうとする者の間の個々の協議の結果として夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めることが認められるとしても,それが,本件規定の在り方自体から生じた結果であるということはできない
 したがって,本件規定は,憲法14条1項に違反するものではない。
3 もっとも,氏の選択に関し,これまでは夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている状況にあることに鑑みると,この現状が,夫婦となろうとする者双方の真に自由な選択の結果によるものかについて留意が求められるところであり,仮に,社会に存する差別的な意識や慣習による影響があるのであれば,その影響を排除して夫婦間に実質的な平等が保たれるように図ることは,憲法14条1項の趣旨に沿うものであるといえる。そして,この点は,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき事項の一つというべきであり,後記の憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たっても留意すべきものと考えられる。
第4 上告理由のうち本件規定が憲法24条に違反する旨をいう部分について1 論旨は,本件規定が,夫婦となろうとする者の一方が氏を改めることを婚姻届出の要件とすることで,実質的に婚姻の自由を侵害するものであり,また,国会の立法裁量の存在を考慮したとしても,本件規定が個人の尊厳を侵害するものとして,憲法24条に違反する旨をいうものである。
2(1) 憲法24条は,1項において「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しているところ,これは,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。
 本件規定は,婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり,婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではない。仮に,婚姻及び家族に関する法制度の内容に意に沿わないところがあることを理由として婚姻をしないことを選択した者がいるとしても,これをもって,直ちに上記法制度を定めた法律が婚姻をすることについて憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない。ある法制度の内容により婚姻をすることが事実上制約されることになっていることについては,婚姻及び家族に関する法制度の内容を定めるに当たっての国会の立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。
(2) 憲法24条は,2項において「配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定している。
 婚姻及び家族に関する事項は,関連する法制度においてその具体的内容が定められていくものであることから,当該法制度の制度設計が重要な意味を持つものであるところ,憲法24条2項は,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,同条1項も前提としつつ,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。
 そして,憲法24条が,本質的に様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請,指針を明示していることからすると,その要請,指針は,単に,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害するものでなく,かつ,両性の形式的な平等が保たれた内容の法律が制定されればそれで足りるというものではないのであって,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと,両性の実質的な平等が保たれるように図ること,婚姻制度の内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり,この点でも立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる。
3(1) 他方で,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断によって定められるべきものである。特に,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益や実質的平等は,その内容として多様なものが考えられ,それらの実現の在り方は,その時々における社会的条件,国民生活の状況,家族の在り方等との関係において決められるべきものである。
(2) そうすると,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害して憲法13条に違反する立法措置や不合理な差別を定めて憲法14条1項に違反する立法措置を講じてはならないことは当然であるとはいえ,憲法24条の要請,指針に応えて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定が上記(1)のとおり国会の多方面にわたる検討と判断に委ねられているものであることからすれば,婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法13条,14条1項に違反しない場合に,更に憲法24条にも適合するものとして是認されるか否かは,当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し,当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である。
4 以上の観点から,本件規定の憲法24条適合性について検討する。
(1)ア 婚姻に伴い夫婦が同一の氏を称する夫婦同氏制は,旧民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の施行された明治31年に我が国の法制度として採用され,我が国の社会に定着してきたものである。前記のとおり,氏は,家族の呼称としての意義があるところ,現行の民法の下においても,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ,その呼称を一つに定めることには合理性が認められる。
 そして,夫婦が同一の氏を称することは,上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを,対外的に公示し,識別する機能を有している。特に,婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ,嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。また,家族を構成する個人が,同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できるところである。さらに,夫婦同氏制の下においては,子の立場として,いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすいといえる。
 加えて,前記のとおり,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではなく,夫婦がいずれの氏を称するかは,夫婦となろうとする者の間の協議による自由な選択に委ねられている。
イ これに対して,夫婦同氏制の下においては,婚姻に伴い,夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ,婚姻によって氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用,評価,名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。そして,氏の選択に関し,夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば,妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために,あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。
 しかし,夫婦同氏制は,婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく,近時,婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ,上記の不利益は,このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。
ウ 以上の点を総合的に考慮すると,本件規定の採用した夫婦同氏制が,夫婦が別の氏を称することを認めないものであるとしても,上記のような状況の下で直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって,本件規定は,憲法24条に違反するものではない。
(2) なお,論旨には,夫婦同氏制を規制と捉えた上,これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば,夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ,上記(1)の判断は,そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。上記のとおり,夫婦同氏制の採用については,嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく,この点の状況に関する判断を含め,この種の制度の在り方は,国会で論ぜられ,判断されるべき事柄にほかならないというべきである。
第5 その余の上告理由について
 論旨は,憲法98条2項違反及び理由の不備をいうが,その実質は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
第6 結論
 以上によれば,本件規定を改廃する立法措置をとらない立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。上告人らの請求を棄却すべきものとした原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
 よって,裁判官山浦善樹の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官寺田逸郎の補足意見,裁判官櫻井龍子,同岡部喜代子,同鬼丸かおる,同木内道祥の各意見がある。

2017-06-06(Tue)

最判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁


【最判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁】

       主  文
 原判決を破棄する。
 被上告人の控訴を棄却する。
 控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

       理  由
 上告代理人近藤博徳ほかの上告理由について

1 事案の概要
 本件は,法律上の婚姻関係にない日本国民である父とフィリピン共和国籍を有する母との間に本邦において出生した上告人らが,出生後父から認知を受けたことを理由として平成17年に法務大臣あてに国籍取得届を提出したところ,国籍取得の条件を備えておらず,日本国籍を取得していないものとされたことから,被上告人に対し,日本国籍を有することの確認を求めている事案である。
2 国籍法2条1号,3条について
 国籍法2条1号は,子は出生の時に父又は母が日本国民であるときに日本国民とする旨を規定して,日本国籍の生来的取得について,いわゆる父母両系血統主義によることを定めている。したがって,子が出生の時に日本国民である父又は母との間に法律上の親子関係を有するときは,生来的に日本国籍を取得することになる。
 国籍法3条1項は,「父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で20歳未満のもの(日本国民であった者を除く。)は,認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であった場合において,その父又は母が現に日本国民であるとき,又はその死亡の時に日本国民であったときは,法務大臣に届け出ることによって,日本の国籍を取得することができる。」と規定し,同条2項は,「前項の規定による届出をした者は,その届出の時に日本の国籍を取得する。」と規定している。同条1項は,父又は母が認知をした場合について規定しているが,日本国民である母の非嫡出子は,出生により母との間に法律上の親子関係が生ずると解され,また,日本国民である父が胎児認知した子は,出生時に父との間に法律上の親子関係が生ずることとなり,それぞれ同法2条1号により生来的に日本国籍を取得することから,同法3条1項は,実際上は,法律上の婚姻関係にない日本国民であ
る父と日本国民でない母との間に出生した子で,父から胎児認知を受けていないものに限り適用されることになる。
3 原判決等
 上告人らは,国籍法3条1項のうち,日本国民である父の非嫡出子について父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことを日本国籍取得の要件とした部分が憲法14条1項に違反するとして,上告人らが法務大臣あてに国籍取得届を提出したことにより日本国籍を取得した旨を主張した。
 これに対し,原判決は,仮に国籍法3条1項のうち上記の要件を定めた部分のみが憲法14条1項に違反し,無効であったとしても,そのことから,日本国民である父の非嫡出子が認知と届出のみによって日本国籍を取得し得るものと解することは,法解釈の名の下に,実質的に国籍法に定めのない国籍取得の要件を創設するものにほかならず,裁判所がこのような立法作用を行うことは違憲立法審査権の限界を逸脱するものであって許されないし,また,国籍法3条1項の趣旨からすると,上記の要件を定めた部分が憲法14条1項に違反して無効であるとすれば,国籍法3条1項全体が無効となると解するのが相当であり,その場合,出生後に日本国民である父から認知されたにとどまる子が日本国籍を取得する制度が創設されるわけではないから,憲法14条1項に違反することにより国籍法3条1項の規定の一部又は全部が無効であったとしても,上告人らは法務大臣に対する届出により日本国籍を取得することはできないとして,上告人らの請求を棄却した。
4 国籍法3条1項による国籍取得の区別の憲法適合性について
 所論は,国籍法3条1項の規定が,日本国民である父の非嫡出子について,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した者に限り日本国籍の取得を認めていることによって,同じく日本国民である父から認知された子でありながら父母が法律上の婚姻をしていない非嫡出子は,その余の同項所定の要件を満たしても日本国籍を取得することができないという区別(以下「本件区別」という。)が生じており,このことが憲法14条1項に違反するとした上で,国籍法3条1項の規定のうち本件区別を生じさせた部分のみが違憲無効であるとし,上告人らには同項のその余の規定に基づいて日本国籍の取得が認められるべきである旨をいうものである。そこで,以下,これらの点について検討を加えることとする。
(1) 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
 憲法10条は,「日本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と規定し,これを受けて,国籍法は,日本国籍の得喪に関する要件を規定している。憲法10条の規定は,国籍は国家の構成員としての資格であり,国籍の得喪に関する要件を定めるに当たってはそれぞれの国の歴史的事情,伝統,政治的,社会的及び経済的環境等,種々の要因を考慮する必要があることから,これをどのように定めるかについて,立法府の裁量判断にゆだねる趣旨のものであると解される。しかしながら,このようにして定められた日本国籍の取得に関する法律の要件によって生じた区別が,合理的理由のない差別的取扱いとなるときは,憲法14条1項違反の問題を生ずることはいうまでもない。すなわち,立法府に与えられた上記のような裁量権を考慮しても,なおそのような区別をすることの立法目的に合理的な根拠が認められない場合,又はその具体的な区別と上記の立法目的との間に合理的関連性が認められない場合には,当該区別は,合理的な理由のない差別として,同項に違反するものと解されることになる。
 日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。
(2)ア 国籍法3条の規定する届出による国籍取得の制度は,法律上の婚姻関係にない日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した子について,父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得すること(以下「準正」という。)のほか同条1項の定める一定の要件を満たした場合に限り,法務大臣への届出によって日本国籍の取得を認めるものであり,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した嫡出子が生来的に日本国籍を取得することとの均衡を図ることによって,同法の基本的な原則である血統主義を補完するものとして,昭和59年法律第45号による国籍法の改正において新たに設けられたものである。
 そして,国籍法3条1項は,日本国民である父が日本国民でない母との間の子を出生後に認知しただけでは日本国籍の取得を認めず,準正のあった場合に限り日本国籍を取得させることとしており,これによって本件区別が生じている。このような規定が設けられた主な理由は,日本国民である父が出生後に認知した子については,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得することによって,日本国民である父との生活の一体化が生じ,家族生活を通じた我が国社会との密接な結び付きが生ずることから,日本国籍の取得を認めることが相当であるという点にあるものと解される。また,上記国籍法改正の当時には,父母両系血統主義を採用する国には,自国民である父の子について認知だけでなく準正のあった場合に限り自国籍の取得を認める国が多かったことも,本件区別が合理的なものとして設けられた理由であると解される。
イ 日本国民を血統上の親として出生した子であっても,日本国籍を生来的に取得しなかった場合には,その後の生活を通じて国籍国である外国との密接な結び付きを生じさせている可能性があるから,国籍法3条1項は,同法の基本的な原則である血統主義を基調としつつ,日本国民との法律上の親子関係の存在に加え我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を設けて,これらを満たす場合に限り出生後における日本国籍の取得を認めることとしたものと解される。このような目的を達成するため準正その他の要件が設けられ,これにより本件区別が生じたのであるが,本件区別を生じさせた上記の立法目的自体には,合理的な根拠があるというべきである。
 また,国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては,日本国民である父と日本国民でない母との間の子について,父母が法律上の婚姻をしたことをもって日本国民である父との家族生活を通じた我が国との密接な結び付きの存在を示すものとみることには相応の理由があったものとみられ,当時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても,同項の規定が認知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには,上記の立法目的との間に一定の合理的関連性があったものということができる。
ウ しかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており,今日では,出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど,家族生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている。このような社会通念及び社会的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ,両親の一方のみが日本国民である場合には,同居の有無など家族生活の実態においても,法律上の婚姻やそれを背景とした親子関係の在り方についての認識においても,両親が日本国民である場合と比べてより複雑多様な面があり,その子と我が国との結び付きの強弱を両親が法律上の婚姻をしているか否かをもって直ちに測ることはできない。これらのことを考慮すれば,日本国民である父が日本国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって,初めて子に日本国籍を与えるに足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは,今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。
 また,諸外国においては,非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向にあることがうかがわれ,我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する。さらに,国籍法3条1項の規定が設けられた後,自国民である父の非嫡出子について準正を国籍取得の要件としていた多くの国において,今日までに,認知等により自国民との父子関係の成立が認められた場合にはそれだけで自国籍の取得を認める旨の法改正が行われている。
 以上のような我が国を取り巻く国内的,国際的な社会的環境等の変化に照らしてみると,準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことについて,前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなっているというべきである。
エ 一方,国籍法は,前記のとおり,父母両系血統主義を採用し,日本国民である父又は母との法律上の親子関係があることをもって我が国との密接な結び付きがあるものとして日本国籍を付与するという立場に立って,出生の時に父又は母のいずれかが日本国民であるときには子が日本国籍を取得するものとしている(2条1号)。その結果,日本国民である父又は母の嫡出子として出生した子はもとより,日本国民である父から胎児認知された非嫡出子及び日本国民である母の非嫡出子も,生来的に日本国籍を取得することとなるところ,同じく日本国民を血統上の親として出生し,法律上の親子関係を生じた子であるにもかかわらず,日本国民である父から出生後に認知された子のうち準正により嫡出子たる身分を取得しないものに限っては,生来的に日本国籍を取得しないのみならず,同法3条1項所定の届出により日本国籍を取得することもできないことになる。このような区別の結果,日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子のみが,日本国籍の取得について著しい差別的取扱いを受けているものといわざるを得ない。
 日本国籍の取得が,前記のとおり,我が国において基本的人権の保障等を受ける上で重大な意味を持つものであることにかんがみれば,以上のような差別的取扱いによって子の被る不利益は看過し難いものというべきであり,このような差別的取扱いについては,前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだし難いといわざるを得ない。とりわけ,日本国民である父から胎児認知された子と出生後に認知された子との間においては,日本国民である父との家族生活を通じた我が国社会との結び付きの程度に一般的な差異が存するとは考え難く,日本国籍の取得に関して上記の区別を設けることの合理性を我が国社会との結び付きの程度という観点から説明することは困難である。また,父母両系血統主義を採用する国籍法の下で,日本国民である母の非嫡出子が出生により日本国籍を取得するにもかかわらず,日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子が届出による日本国籍の取得すら認められないことには,両性の平等という観点からみてその基本的立場に沿わないところがあるというべきである。
オ 上記ウ,エで説示した事情を併せ考慮するならば,国籍法が,同じく日本国民との間に法律上の親子関係を生じた子であるにもかかわらず,上記のような非嫡出子についてのみ,父母の婚姻という,子にはどうすることもできない父母の身分行為が行われない限り,生来的にも届出によっても日本国籍の取得を認めないとしている点は,今日においては,立法府に与えられた裁量権を考慮しても,我が国との密接な結び付きを有する者に限り日本国籍を付与するという立法目的との合理的関連性の認められる範囲を著しく超える手段を採用しているものというほかなく,その結果,不合理な差別を生じさせているものといわざるを得ない。
カ 確かに,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し,父から出生後に認知された子についても,国籍法8条1号所定の簡易帰化により日本国籍を取得するみちが開かれている。しかしながら,帰化は法務大臣の裁量行為であり,同号所定の条件を満たす者であっても当然に日本国籍を取得するわけではないから,これを届出による日本国籍の取得に代わるものとみることにより,本件区別が前記立法目的との間の合理的関連性を欠くものでないということはできない。
 なお,日本国民である父の認知によって準正を待たずに日本国籍の取得を認めた場合に,国籍取得のための仮装認知がされるおそれがあるから,このような仮装行為による国籍取得を防止する必要があるということも,本件区別が設けられた理由の一つであると解される。しかし,そのようなおそれがあるとしても,父母の婚姻により子が嫡出子たる身分を取得することを日本国籍取得の要件とすることが,仮装行為による国籍取得の防止の要請との間において必ずしも合理的関連性を有するものとはいい難く,上記オの結論を覆す理由とすることは困難である。
(3) 以上によれば,本件区別については,これを生じさせた立法目的自体に合理的な根拠は認められるものの,立法目的との間における合理的関連性は,我が国の内外における社会的環境の変化等によって失われており,今日において,国籍法3条1項の規定は,日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課するものとなっているというべきである。しかも,本件区別については,前記(2)エで説示した他の区別も存在しており,日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子に対して,日本国籍の取得において著しく不利益な差別的取扱いを生じさせているといわざるを得ず,国籍取得の要件を定めるに当たって立法府に与えられた裁量権を考慮しても,この結果について,上記の立法目的との間において合理的関連性があるものということはもはやできない。
 そうすると,本件区別は,遅くとも上告人らが法務大臣あてに国籍取得届を提出した当時には,立法府に与えられた裁量権を考慮してもなおその立法目的との間において合理的関連性を欠くものとなっていたと解される。
 したがって,上記時点において,本件区別は合理的な理由のない差別となっていたといわざるを得ず,国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは,憲法14条1項に違反するものであったというべきである。
5 本件区別による違憲の状態を前提として上告人らに日本国籍の取得を認めることの可否
(1) 以上のとおり,国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは,遅くとも上記時点以降において憲法14条1項に違反するといわざるを得ないが,国籍法3条1項が日本国籍の取得について過剰な要件を課したことにより本件区別が生じたからといって,本件区別による違憲の状態を解消するために同項の規定自体を全部無効として,準正のあった子(以下「準正子」という。)の届出による日本国籍の取得をもすべて否定することは,血統主義を補完するために出生後の国籍取得の制度を設けた同法の趣旨を没却するものであり,立法者の合理的意思として想定し難いものであって,採り得ない解釈であるといわざるを得ない。そうすると,準正子について届出による日本国籍の取得を認める同項の存在を前提として,本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り,本件区別による違憲の状態を是正する必要があることになる。
(2) このような見地に立って是正の方法を検討すると,憲法14条1項に基づく平等取扱いの要請と国籍法の採用した基本的な原則である父母両系血統主義とを踏まえれば,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し,父から出生後に認知されたにとどまる子についても,血統主義を基調として出生後における日本国籍の取得を認めた同法3条1項の規定の趣旨・内容を等しく及ぼすほかはない。すなわち,このような子についても,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことという部分を除いた同項所定の要件が満たされる場合に,届出により日本国籍を取得することが認められるものとすることによって,同項及び同法の合憲的で合理的な解釈が可能となるものということができ,この解釈は,本件区別による不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開くという観点からも,相当性を有するものというべきである。
 そして,上記の解釈は,本件区別に係る違憲の瑕疵を是正するため,国籍法3条1項につき,同項を全体として無効とすることなく,過剰な要件を設けることにより本件区別を生じさせている部分のみを除いて合理的に解釈したものであって,その結果も,準正子と同様の要件による日本国籍の取得を認めるにとどまるものである。この解釈は,日本国民との法律上の親子関係の存在という血統主義の要請を満たすとともに,父が現に日本国民であることなど我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を満たす場合に出生後における日本国籍の取得を認めるものとして,同項の規定の趣旨及び目的に沿うものであり,この解釈をもって,裁判所が法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって国会の本来的な機能である立法作用を行うものとして許されないと評価することは,国籍取得の要件に関する他の立法上の合理的な選択肢の存在の可能性を考慮したとしても,当を得ないものというべきである。
 したがって,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し,父から出生後に認知された子は,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の要件が満たされるときは,同項に基づいて日本国籍を取得することが認められるというべきである。
(3) 原審の適法に確定した事実によれば,上告人らは,上記の解釈の下で国籍法3条1項の規定する日本国籍取得の要件をいずれも満たしていることが認められる。上告人らの国籍取得届が,被上告人が主張する父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという要件を満たす旨の記載を欠き,また,同要件を証する添付書類の添付を欠くものであったことは,同項所定の届出としての効力を左右するものではない。そうすると,上告人らは,法務大臣あての国籍取得届を提出したことによって,同項の規定により日本国籍を取得したものと解するのが相当である。
6 結論
 以上のとおり,上告人らは,国籍法3条1項の規定により日本国籍を取得したものと認められるところ,これと異なる見解の下に上告人らの請求を棄却した原審の判断は,憲法14条1項及び81条並びに国籍法の解釈を誤ったものである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,上告人らの請求には理由があり,これらを認容した第1審判決は正当ということができるから,被上告人の控訴を棄却すべきである。
 よって,裁判官横尾和子,同津野修,同古田佑紀の反対意見,裁判官甲斐中辰夫,同堀籠幸男の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官泉徳治,同今井功,同那須弘平,同涌井紀夫,同田原睦夫,同近藤崇晴の各補足意見,裁判官藤田宙靖の意見がある。

裁判官泉徳治の補足意見は,次のとおりである。
1 国籍法3条1項は,日本国民の子のうち同法2条の適用対象とならないものに対する日本国籍の付与について,「父母の婚姻」を要件とすることにより,父に生後認知され「父母の婚姻」がない非嫡出子を付与の対象から排除している。これは,日本国籍の付与に関し,非嫡出子であるという社会的身分と,日本国民である親が父であるという親の性別により,父に生後認知された非嫡出子を差別するものである。
 この差別は,差別の対象となる権益が日本国籍という基本的な法的地位であり,差別の理由が憲法14条1項に差別禁止事由として掲げられている社会的身分及び性別であるから,それが同項に違反しないというためには,強度の正当化事由が必要であって,国籍法3条1項の立法目的が国にとり重要なものであり,この立法目的と,「父母の婚姻」により嫡出子たる身分を取得することを要求するという手段との間に,事実上の実質的関連性が存することが必要である。
2 国籍法3条1項の立法目的は,父母両系血統主義に基づき,日本国民の子で同法2条の適用対象とならないものに対し,日本社会との密接な結合関係を有することを条件として,日本国籍を付与しようとすることにあり,この立法目的自体は正当なものということができる。
3 国籍法3条1項は,上記の立法目的を実現する手段として,「父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子」に限って日本国籍を付与することを規定し,父に生後認知された非嫡出子を付与の対象から排除している。
 しかし,「父母の婚姻」は,子や日本国民である父の1人の意思では実現することができない要件であり,日本国民を父に持ちながら自己又は父の意思のみでは日本国籍を取得することができない子を作り出すものである。一方,日本国民である父に生後認知された非嫡出子は,「父母の婚姻」により嫡出子たる身分を取得していなくても,父との間で法律上の親子関係を有し,互いに扶養の義務を負う関係にあって,日本社会との結合関係を現に有するものである。上記非嫡出子の日本社会との結合関係の密接さは,国籍法2条の適用対象となっている日本国民である母の非嫡出子や日本国民である父に胎児認知された非嫡出子のそれと,それ程変わるものではない。また,父母が内縁関係にあり,あるいは事実上父の監護を受けている場合においては,父に生後認知された非嫡出子の日本社会との結合関係が嫡出子のそれに実質的に劣るものということは困難である。そして,上記非嫡出子は,父の認知を契機として,日本社会との結合関係を発展させる可能性を潜在的に有しているのである。家族関係が多様化しつつある現在の日本において,上記非嫡出子の日本社会との結合関係が,「父母の婚姻」がない限り希薄であるとするのは,型にはまった画一的な見方といわざるを得ない。
 したがって,前記の立法目的と,日本国民である父に生後認知された子のうち「父母の婚姻」により嫡出子たる身分を取得したものに限って日本国籍を付与することとした手段との間には,事実上の実質的関連性があるとはいい難い。
 結局,国籍法3条1項が日本国籍の付与につき非嫡出子という社会的身分及び親の性別により設けた差別は,強度の正当化事由を有するものということはできず,憲法14条1項の規定に違反するといわざるを得ない。
4 そして,上告人らに対しては,国籍法3条1項から「父母の婚姻」の部分を除いたその余の規定の適用により,日本国籍が付与されるべきであると考える。
 国籍法3条1項の主旨は日本国民の子で同法2条の適用対象とならないものに対し日本国籍を付与することにあり,「父母の婚姻」はそのための一条件にすぎないから,その部分が違憲であるとしても,上記主旨はできる限り生かすのが,立法意思に沿うものというべきである。また,上記のような国籍法3条1項の適用は,「すべての児童は,国籍を取得する権利を有する」ことを規定した市民的及び政治的権利に関する国際規約24条3項や児童の権利に関する条約7条1項の趣旨にも適合するものである。
 ただし,上記のような国籍法3条1項の適用は,国会の立法意思として,「父母の婚姻」の部分を除いたままでは同項を存続させないであろうというがい然性が明白である場合には,許されないと解される。国籍法3条1項から「父母の婚姻」の部分を除くことに代わる選択肢として,まず,同条全体を廃止することが考えられるが,この選択肢は,日本国民である父に生後認知された非嫡出子を現行法以上に差別するものであり,すべての児童が出生や父母の性別により差別されないことを規定した市民的及び政治的権利に関する国際規約24条及び児童の権利に関する条約2条を遵守すべき日本の国会が,この選択肢を採用することは考えられない。次に,国籍法2条の適用対象となっている日本国民である母の非嫡出子及び胎児認知された非嫡出子についても,「父母の婚姻」という要件を新たに課するという選択肢が考えられるが,この選択肢は,非嫡出子一般をその出生により不当に差別するもので,憲法の平等原則に違反するから,国会がこの選択肢を採用することも考えられない。さらに,「日本で生まれたこと」,「一定期間以上日本に住所を有すること」,「日本国民と生計を一にすること」など,日本社会との密接な結合関係を証するための新たな要件を課するという選択肢が考えられるが,この選択肢は,基本的に法律上の親子関係により日本社会との結合関係を判断するという国籍法の血統主義とは別の観点から要件を付加するもので,国会がこの選択肢を採用するがい然性が高いということもできない。結局,国会の立法意思として,「父母の婚姻」の部分を除いては国籍法3条1項をそのまま存続させないであろうというがい然性が明白であるということはできず,「父母の婚姻」の部分を除いて同項を適用し,日本国民である父が生後認知した非嫡出子に日本国籍を付与する方が,立法意思にかなうものと解される。
 もとより,国会が,将来において,国籍法3条1項を憲法に適合する方法で改正することは,その立法裁量に属するところであるが,それまでの間は,「父母の婚姻」の部分を除いて同項を適用すべきである。
 また,「父母の婚姻」の部分を除いて国籍法3条1項の規定を適用することは,憲法の平等原則の下で同項を解釈し適用するものであって,司法が新たな立法を行うものではなく,司法の役割として当然に許されるところである。
5 多数意見は,前記差別について,立法目的と手段との間の関連性の点から違憲と解するものであって,基本的な判断の枠組みを共通にするものであり,また,国籍法3条1項の上告人らに対する適用についても,前記4と同じ趣旨を述べるものであるから,多数意見に同調する。

裁判官今井功の補足意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見に同調するものであるが,判示5の点(本件上告人らに日本国籍の取得を認めることの可否)についての反対意見にかんがみ,法律の規定の一部が違憲である場合の司法救済の在り方について,私の意見を補足して述べておきたい。
1 反対意見は,日本国民である父から出生後認知された者のうち,準正子に届出による日本国籍(以下単に「国籍」という。)の取得を認め,そうでない者(以下「非準正子」という。)についてはこれを認める立法をしていないこと(立法不存在ないし立法不作為)が憲法14条1項に違反するとしても,非準正子にも国籍取得を認めることは,国籍法の定めていない国籍付与要件を判決によって創設するもので,司法権の範囲を逸脱し,許されないとするものである。
2 裁判所に違憲立法審査権が与えられた趣旨は,違憲の法律を無効とすることによって,国民の権利利益を擁護すること,すなわち,違憲の法律によりその権利利益を侵害されている者の救済を図ることにある。無効とされる法律の規定が,国民に刑罰を科し,あるいは国民の権利利益をはく奪するものである場合には,基本的に,その規定の効力がないものとして,これを適用しないというだけであるから,特段の問題はない。
 問題となるのは,本件のようにその法律の規定が国民に権利利益を与える場合である。この場合には,その規定全体を無効とすると,権利利益を与える根拠がなくなって,問題となっている権利利益を与えられないことになる。このように解釈すべき場合もあろう。しかし,国民に権利利益を与える規定が,権利利益を与える要件として,A,Bの二つの要件を定め,この両要件を満たす者に限り,権利利益を与える(反対解釈によりA要件のみを満たす者には権利利益を与えない。)と定めている場合において,権利利益を与える要件としてA要件の外にB要件を要求することが平等原則に反し,違憲であると判断されたときに,A要件のみを備える者にも当該権利利益を与えることができるのかが,ここでの問題である。このような場合には,その法律全体の仕組み,当該規定が違憲とされた理由,結果の妥当性等を考慮して,B要件の定めのみが無効である(すなわちB要件の定めがないもの)とし,その結果,A要件のみを満たした者についても,その規定の定める権利利益を与えることになると解することも,法律の合憲的な解釈として十分可能であると考える。
3 国籍法は,父母両系血統主義を採用し,その上に立って,国籍の取得の方法として,①出生による当然の取得(2条),②届出による取得(3条)及び③帰化による取得(4条から9条まで)の三つの方法を定めている。
 そして,2条による当然の取得については,出生の時に法律上の父又は母が日本国民であるという要件を備える子は,当然に国籍を取得することを規定している。次に,3条の届出による取得については,2条の補完規定として,血統上の父は日本国民であるが,非嫡出子として出生し,その後父から認知された子について,準正子に限り国籍取得が認められるとし,非準正子には国籍取得を認めていない。さらに,4条から9条までにおいては,2条及び3条により国籍取得の認められない者について帰化(法務大臣の許可)により国籍取得を認めることとしている。
 このような国籍法の定める国籍取得の仕組みを見ると,同法は,法的な意味での日本国民の血統が認められる場合,すなわち法律上の父又は母が日本国民である場合には,国籍取得を認めることを大原則とし,2条はこの原則を無条件で貫き,3条においては,これに父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことという要件(以下「準正要件」という。)を付加しているということができる。このような国籍法の仕組みからすれば,3条は,血統主義の原則を認めつつ,準正要件を備えない者を除外した規定といわざるを得ない。この点について,反対意見は,3条1項は出生後に日本国民である父から認知された子のうち準正子のみに届出による国籍取得を認めたにすぎず,非準正子の国籍取得については単にこれを認める規定を設けていないという立法不作為の状態が存在するにすぎない旨いうが,国会が同項の規定を設けて準正子のみに届出による国籍取得を認めることとしたことにより,反面において,非準正子にはこれを認めないこととする積極的な立法裁量権を行使したことは明らかである。そして,3条1項が準正子と非準正子とを差別していることが平等原則に反し違憲であるとした場合には,非準正子も,準正子と同様に,国籍取得を認められるべきであるとすることも,上記2のように法律の合憲的な解釈として十分成り立ち得る。
 このように考えれば,多数意見は,裁判所が違憲立法審査権を行使して国籍法3条1項を憲法に適合するように解釈した結果,非準正子についても準正子と同様に同項により国籍取得を認められるべきであるとするものであって,同法の定める要件を超えて新たな立法をしたとの非難は当たらない。現行国籍法の下における準正子と非準正子との間の平等原則に違反する差別状態を裁判所が解釈によって解消するには,準正子に与えられた効果を否定するか,非準正子に準正子と同様の効果を与えるしかない。前者の解釈が,その結果の妥当性は別として,立法権を侵害するものではないことには異論はないであろう。これと同様に,後者の解釈を採ることも許容されるというべきである。
 私は,以上のような理由により,国籍法3条1項を憲法に適合するように解釈した結果,同項は,日本国民である父から出生後に認知された子は,届出により国籍を取得することができることを認めたものと解するのが相当であり,このように解しても立法権を侵害するものではないと考える。
4 反対意見によれば,同じく日本国民である父から認知された子であるにもかかわらず,準正子は国籍を取得できるのに,非準正子は司法救済を求めたとしても国籍を取得できないという平等原則に反する違憲の状態が依然として続くことになる。
 反対意見は,違憲の状態が続くことになっても,立法がない限り,やむを得ないとするものと考えられる。反対意見がそのように解する理由は,憲法10条が「日本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と規定し,いかなる者に国籍を与えるかは国会が立法によって定める事柄であり,国籍法が非準正子に国籍取得を認める規定を設けていない以上,準正子と非準正子との差別が平等原則に反し違憲であっても,非準正子について国籍取得を認めることは,裁判所が新たな立法をすることになり,許されないというものと理解される。
 しかし,どのような要件があれば国籍を与えるかについて国会がその裁量により立法を行うことが原則であることは当然であるけれども,国会がその裁量権を行使して行った立法の合憲性について審査を行うのは裁判所の責務である。国籍法3条1項は,国会がその裁量権を行使して行った立法であり,これに対して,裁判所は,同項の規定が準正子と非準正子との間に合理的でない差別を生じさせており,平等原則に反し違憲と判断したのである。この場合に,違憲の法律により本来ならば与えられるべき保護を受けることができない者に対し,その保護を与えることは,裁判所の責務であって,立法権を侵害するものではなく,司法権の範囲を超えるものとはいえない。
5 非準正子についても国籍を付与するということになれば,国会において,国籍付与の要件として,準正要件に代えて例えば日本国内における一定期間の居住等の他の要件を定めることもできたのに,その裁量権を奪うことになるとする議論もあり得ないではない。そうであっても,裁判所がそのような要件を定めていない国籍法3条1項の合憲的解釈として,非準正子について国籍取得を認めたからといって,今後,国会がその裁量権を行使して,日本国民を父とする生後認知子の国籍取得につき,準正要件に代えて,憲法に適合する要件を定める新たな立法をすることが何ら妨げられるものでないことは,いうまでもないところであり,上記のような解釈を採ることが国会の立法裁量権を奪うことになるものではない。
 裁判官那須弘平,同涌井紀夫は,裁判官今井功の補足意見に同調する。

 裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見に賛成するものであるが,国籍の取得と教育を受ける権利等との関係及び胎児認知を受けた者と生後に認知を受けた者との区別の問題に関し,以下のとおり補足意見を述べる。
1 国籍は,国家の構成員たることを意味するものであり,日本国籍を有する者は,我が国に居住する自由を有するとともに,憲法の保障する基本的人権を享受し,職業を自由に選択し,参政権を行使し,また,法律が国民に認めた各種の権利を行使することができる。
 出生又は認知と届出により日本国籍を取得し得るか否かは,国民に認められたそれらの権利を当然に取得し,行使することができるか否かにかかわるものであり,その対象者の人権に直接かかわる事柄である。
 認知と届出による国籍の取得は,20歳未満の者において認められており(国籍法3条1項),また,実際にその取得の可否が問題となる対象者のほとんどは,本件同様,未就学児又は学齢児童・生徒である。したがって,それら対象者においては,国籍の取得により認められる参政権や職業選択の自由よりも,教育を受ける権利や社会保障を受ける権利の行使の可否がより重要である。
 憲法26条は,1項で国民の教育を受ける権利を定め,2項でその裏面として保護者にその子女に対して普通教育を受けさせる義務を定めるとともに,義務教育はこれを無償とする,と定める。そして,この憲法の規定を受けて教育基本法は,国民に,その保護する子に普通教育を受けさせる義務を定め,国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料を徴収しない,と規定する(旧教育基本法4条,教育基本法5条1項,4項)。また,学校教育法は,保護者に,その子女に対する小学校,中学校への就学義務を定める(平成19年法律第96号による改正前の学校教育法22条,39条,同改正後の学校教育法16条,17条)。そして,学校教育法施行令は,この就学義務を履行させるための事務として,市町村の教育委員会は,当該市町村の住民基本台帳に基づいて,当該市町村の区域内に住所を有する学齢児童及び学齢生徒について学齢簿を編製し,就学予定者の保護者に対し,翌学年の初めから2月前までに小学校又は中学校の入学期日を通知しなければならない(学校教育法施行令1条,5条)等,様々な規定を設けている。これらの規定は,子女の保護者の義務の視点から定められているが,それは,憲法26条1項の定める当該子女の教育を受ける権利を具現化したものであり,当該子女は,無償で義務教育を受ける権利を有しているのである。ところが,日本国民以外の子女に対しては,それらの規定は適用されず,運用上,市町村の教育委員会が就学を希望する外国人に対し,その就学を許可するとの取扱いがなされているにすぎない。
 また,社会保障の関係では,生活保護法の適用に関して,日本国民は,要保護者たり得る(生活保護法2条)が,外国人は同法の適用を受けることができず,行政実務において生活保護に準じて運用されているにすぎないのである。
 このように,現行法上,本件上告人らのような子女においては,日本国籍を取得することができるか否かにより,教育や社会保障の側面において,その権利を享受できるか否かという点で,大きな差異が存するのである。
2 そこで,日本国民である父と日本国民でない母との間で出生し,出生後父から認知をされた子(以下「生後認知子」という。)の国籍取得につき,その父と母が婚姻をして,当該生後認知子が準正子となった場合にのみ認め,それ以外の場合に認めない国籍法3条1項の規定の生後認知子と準正子との取扱いの区別,また,日本国民たる父が胎児認知した場合に当該胎児認知子は当然に国籍を取得する(国籍法2条1号)ことと生後認知子との区別の合理性が,憲法14条1項に適合するか否かの観点から問題となる。
 多数意見は,国籍法3条1項が生後認知子のうち準正子と非準正子を区別することが憲法14条1項に違反するものとし,国籍法3条1項のうち「父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した」という部分を除いた同項所定の要件が満たされるときは日本国籍を取得することが認められるとするが,その点については全く異論はない。
 それとともに,私は,生後認知子における準正子と非準正子との区別の問題と並んで,生後認知子と胎児認知子間の区別の問題も,憲法14条1項との関係で同様に重要であると考える。
 準正子となるか否かは,子の全く与り知らないところで定まるところ,その点においては,胎児認知子と生後認知子との関係についても同様である。しかし,準正の場合は,父母が婚姻するという法的な手続が経られている。ところが,胎児認知子と生後認知子との間では,父の認知時期が胎児時か出生後かという時期の違いがあるのみである。そして,多数意見4(2)エで指摘するとおり,胎児認知子と生後認知子との間においては,日本国民である父の家族生活を通じた我が国社会との結び付きの程度に一般的な差異が存するとは考え難く,日本国籍の取得に関して上記の区別を設けることの合理性を我が国社会との結び付きの程度という観点から説明することは困難である。かかる点からすれば,胎児認知子に当然に日本国籍の取得を認め,生後認知子には準正子となる以外に日本国籍の取得を認めない国籍法の定めは,憲法14条1項に違反するという結論が導かれ得る。
 そうして,国籍法3条1項自体を無効と解した上で,生後認知子については,民法の定める認知の遡及効(民法784条)が国籍の取得の場合にも及ぶと解することができるならば,生後認知子は,国籍法2条1号により出生時にさかのぼって国籍を取得することとなり,胎児認知子と生後認知子との区別を解消することができることとなる。しかし,このように認知の遡及効が国籍の取得にまで及ぶと解した場合には,認知前に既に我が国以外の国籍を取得していた生後認知子の意思と無関係に認知により当然に国籍を認めることの是非や二重国籍の問題が生じ,さらには遡及的に国籍を認めることに伴い様々な分野において法的問題等が生じるのであって,それらの諸点は,一義的な解決は困難であり,別途法律によって解決を図らざるを得ない事柄である。このように多くの法的な諸問題を生じるような解釈は,国籍法の解釈の枠を超えるものといわざるを得ないのであって,その点からしてかかる見解を採ることはできない。
 そうすると,多数意見のとおり国籍法3条1項を限定的に解釈し,20歳未満の生後認知子は,法務大臣に届け出ることによって日本国籍を取得することができると解することが,同法の全体の体系とも整合し,また,上告人ら及び上告人らと同様にその要件に該当する者の個別救済を図る上で,至当な解釈であると考える。
 なお,かかる結論を採る場合,胎児認知子は出生により当然に日本国籍を取得するのに対し,生後認知子が日本国籍を取得するには法務大臣への届出を要するという点において区別が存することになるが,生後認知子の場合,上記の二重国籍の問題等もあり,その国籍の取得を生後認知子(その親権者)の意思にゆだねて届出要件を課すという区別を設けることは,立法の合理的裁量の範囲内であって,憲法14条1項の問題が生じることはないものというべきである。

 裁判官近藤崇晴の補足意見は,次のとおりである。
 多数意見は,国籍法3条1項が本件区別を生じさせていることの違憲を宣言するにとどまらず,上告人らが日本国籍を取得したものとして,上告人らが日本国籍を有することを確認した第1審判決を支持し,これに対する控訴を棄却するものである。このように,国籍法3条1項の定める要件のうち父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分(準正要件)を除いた他の要件のみをもって国籍の取得を認めることについては,立法府が準正要件に代えて他の合理的な要件を選択する機会を奪うこととなり,立法府に与えられた立法政策上の裁量権を不当に制約するものであって許されないとの批判があり得る。私は,この点に関する今井裁判官の補足意見に全面的に賛同するとともに,多数意見の一員として,更に補足的に意見を述べておきたい。
 多数意見は,国籍法3条1項の定める要件のうち準正要件を除いた他の要件のみをもって国籍の取得を認めるのであるが,これはあくまでも現行の国籍法を憲法に適合するように解釈した結果なのであって,国籍法を改正することによって他の要件を付加することが憲法に違反するということを意味するものではない。立法政策上の判断によって準正要件に代わる他の要件を付加することは,それが憲法に適合している限り許されることは当然である。
 多数意見が説示するように,父母両系血統主義を基調としつつも,日本国民との法律上の親子関係の存在に加え,我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を設けて,これらを満たす場合に限り出生後における日本国籍の取得を認めることとするという立法目的自体には,合理的な根拠がある。ただ,その目的を達成するために準正を要件とすることは,もはや立法目的との間に合理的関連性を見いだすことができないとしたのである。したがって,国籍法を改正することによって我が国との密接な結び付きの指標となるべき他の要件を設けることは,それが立法目的との間に合理的関連性を有するのであれば,立法政策上の裁量権の行使として許されることになる。例えば,日本国民である父が出生後に認知したことに加えて,出生地が本邦内であること,あるいは本邦内において一定期間居住していることを国籍取得の要件とすることは,諸外国の立法例にも見られるところであり,政策上の当否の点は別として,将来に向けての選択肢にはなり得るところであろう。
 また,認知と届出のみを要件とすると,生物学上の父ではない日本国民によって日本国籍の取得を目的とする仮装認知(偽装認知)がされるおそれがあるとして,これが準正要件を設ける理由の一つとされることがあるが,そのようなおそれがあるとしても,これを防止する要請と準正要件を設けることとの間に合理的関連性があるといい難いことは,多数意見の説示するとおりである。しかし,例えば,仮装認知を防止するために,父として子を認知しようとする者とその子との間に生物学上の父子関係が存することが科学的に証明されることを国籍取得の要件として付加することは,これも政策上の当否の点は別として,将来に向けての選択肢になり得ないものではないであろう。
 このように,本判決の後に,立法府が立法政策上の裁量権を行使して,憲法に適合する範囲内で国籍法を改正し,準正要件に代わる新たな要件を設けることはあり得るところである。このような法改正が行われた場合には,その新たな要件を充足するかどうかにかかわらず非準正子である上告人らが日本国籍を取得しているものとされた本件と,その新たな要件の充足を要求される法改正後の非準正子との間に差異を生ずることになる。しかし,準正要件を除外した国籍法3条1項のその余の要件のみによっても,同項及び同法の合憲的で合理的な解釈が可能であることは多数意見の説示するとおりであるから,準正要件に代わる新たな要件を設けるという立法裁量権が行使されたかどうかによってそのような差異を生ずることは,異とするに足りないというべきである。

 裁判官藤田宙靖の意見は,次のとおりである。
1 私は,現行国籍法の下,日本国民である父と日本国民でない母との間に生まれた子の間で,同法3条1項が定める「父母の婚姻」という要件(準正要件)を満たすか否かの違いにより,日本国籍の取得に関し,憲法上是認し得ない差別が生じる結果となっていること,この差別は,国籍法の解釈に当たり同法3条1項の文言に厳格にとらわれることなく,同項は上記の準正要件を満たさない者(非準正子)についても適用さるべきものと合理的に解釈することによって解消することが可能であり,また本件においては,当裁判所としてそのような道を選択すべきであること等の点において,多数意見と結論を同じくするものであるが,現行法3条1項が何を定めており,上記のような合理的解釈とは正確にどのようなことを意味するのかという点の理解に関して,多数意見との間に考え方の違いがあることを否定できないので,その点につき意見を述べることとしたい。
2 現行国籍法の基本構造を見ると,子の国籍の取得については出生時において父又は母が日本国民であることを大原則とし(2条),日本国籍を有しない者が日本国籍を取得するのは帰化によることを原則とするが(4条),同法3条1項に定める一定の要件を満たした者については,特に届出という手続によって国籍を取得することができることとされているものというべきである。したがって,同項が準正要件を定めているのは,準正子でありかつ同項の定めるその他の要件を満たす者についてはこれを特に国籍取得の上で優遇する趣旨なのであって,殊更に非準正子を排除しようという趣旨ではない。言い換えれば,非準正子が届出という手続によって国籍を取得できないこととなっているのは,同項があるからではなく,同法2条及び4条の必然的結果というべきなのであって,同法3条1項の準正要件があるために憲法上看過し得ない差別が生じているのも,いわば,同項の反射的効果にすぎないというべきである。それ故また,同項に準正要件が置かれていることによって違憲の結果が生じているのは,多数意見がいうように同条が「過剰な」要件を設けているからではなく,むしろいわば「不十分な」要件しか置いていないからというべきなのであって,同項の合理的解釈によって違憲状態を解消しようとするならば,それは「過剰な」部分を除くことによってではなく,「不十分な」部分を補充することによってでなければならないのである。同項の立法趣旨,そして本件における違憲状態が何によって生じているかについての,上記に述べた考え方に関する限り,私は,多数意見よりはむしろ反対意見と共通する立場にあるものといわなければならない。
3 問題は,本件における違憲状態を解消するために,上記に見たような国籍法3条1項の拡張解釈を行うことが許されるか否かであって,この点に関し,このような立法府の不作為による違憲状態の解消は専ら新たな立法に委ねるべきであり,解釈によってこれを行うのは司法権の限界を超えるものであるという甲斐中裁判官,堀籠裁判官の反対意見には,十分傾聴に値するものがあると言わなければならない。それにもかかわらず,本件において私があえて拡張解釈の道を選択するのは,次のような理由による。
 一般に,立法府が違憲な不作為状態を続けているとき,その解消は第一次的に立法府の手に委ねられるべきであって,とりわけ本件におけるように,問題が,その性質上本来立法府の広範な裁量に委ねられるべき国籍取得の要件と手続に関するものであり,かつ,問題となる違憲が法の下の平等原則違反であるような場合には,司法権がその不作為に介入し得る余地は極めて限られているということ自体は否定できない。しかし,立法府が既に一定の立法政策に立った判断を下しており,また,その判断が示している基本的な方向に沿って考えるならば,未だ具体的な立法がされていない部分においても合理的な選択の余地は極めて限られていると考えられる場合において,著しく不合理な差別を受けている者を個別的な訴訟の範囲内で救済するために,立法府が既に示している基本的判断に抵触しない範囲で,司法権が現行法の合理的拡張解釈により違憲状態の解消を目指すことは,全く許されないことではないと考える。これを本件の具体的事情に照らして敷衍するならば,以下のとおりである。
 先に見たとおり,立法府は,既に,国籍法3条1項を置くことによって,出生時において日本国籍を得られなかった者であっても,日本国民である父親による生後認知を受けておりかつ父母が婚姻した者については,届出による国籍取得を認めることとしている。このこと自体は,何ら違憲問題を生じるものではなく,同項自体の効力については,全く問題が存在しないのであるから(因みに,多数意見は,同項が「過剰な」要件を設けていると考えることから,本件における違憲状態を理由に同項全体が違憲となる理論的可能性があるかのようにいうが,同項が設けられた趣旨についての上記の私の考え方からすれば,同項自体が違憲となる理論的可能性はおよそあり得ない。),法解釈としては,この条文の存在(立法者の判断)を前提としこれを活かす方向で考えるべきことは,当然である。他方で,立法府は,日本国民である父親による生後認知を受けているが非準正子である者についても,国籍取得につき,単純に一般の外国人と同様の手続を要求するのではなく,より簡易な手続によって日本国籍を取得する可能性を認めている(同法8条)。これらの規定の基盤に,少なくとも,日本国民の子である者の日本国籍取得については,国家の安全・秩序維持等の国家公益的見地からして問題がないと考えられる限り優遇措置を認めようとする政策判断が存在することは,否定し得ないところであろう。そして,多数意見も指摘するとおり,現行法上準正子と非準正子との間に設けられている上記のような手続上の優遇度の違いは,基本的に,前者には我が国との密接な結び付きが認められるのに対し,後者についてはそうは言えないから,との国家公益上の理由によるものと考えられるが,この理由には合理性がなく,したがってこの理由による区別は違憲であるというのが,ここでの出発点なのである。そうであるとすれば,同法3条1項の存在を前提とする以上,現に生じている違憲状態を解消するためには,非準正子についても準正子と同様の扱いとすることが,ごく自然な方法であるということができよう。そして,このような解決が現行国籍法の立法者意思に決定的に反するとみるだけの理由は存在しない。もっとも,立法政策としては,なお,非準正子の中でも特に我が国に一定期間居住している者に限りそれを認める(いわゆる「居住要件」の付加)といったような選択の余地がある,という反論が考えられるが,しかし,我が国との密接な結び付きという理由から準正子とそうでない者とを区別すること自体に合理性がない,という前提に立つ以上,何故に非準正子にのみ居住要件が必要なのか,という問題が再度生じることとなり,その合理的説明は困難であるように思われる。このような状況の下で,現に生じている違憲状態を解消するために,同項の対象には日本国民である父親による生後認知を受けた非準正子も含まれるという拡張解釈をすることが,立法者の合理的意思に抵触することになるとは,到底考えられない。
 他方で,本件上告人らについてみると,日本国籍を取得すること自体が憲法上直接に保障されているとは言えないものの,多数意見が述べるように,日本国籍は,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で極めて重要な意味を持つ法的地位であり,その意味において,基本権享受の重要な前提を成すものということができる。そして,上告人らが等しく日本国民の子でありながら,届出によってこうした法的地位を得ることができないでいるのは,ひとえに,国籍の取得の有無に関し現行法が行っている出生時を基準とする線引き及び父母の婚姻の有無による線引き,父母のいずれが日本国民であるかによって事実上生じる線引き等,本人の意思や努力の如何に関わりなく存在する様々の線引きが交錯する中で,その谷間に落ち込む結果となっているが故なのである。仮にこれらの線引きが,その一つ一つを取ってみた場合にはそれなりに立法政策上の合理性を持つものであったとしても,その交錯の上に上記のような境遇に置かれている者が個別的な訴訟事件を通して救済を求めている場合に,先に見たように,考え得る立法府の合理的意思をも忖度しつつ,法解釈の方法として一般的にはその可能性を否定されていない現行法規の拡張解釈という手法によってこれに応えることは,むしろ司法の責務というべきであって,立法権を簒奪する越権行為であるというには当たらないものと考える。なお,いうまでもないことながら,国籍法3条1項についての本件におけるこのような解釈が一般的法規範として定着することに,国家公益上の見地から著しい不都合が存するというのであれば,立法府としては,当裁判所が行う違憲判断に抵触しない範囲内で,これを修正する立法に直ちに着手することが可能なのであって,立法府と司法府との間での権能及び責務の合理的配分については,こういった総合的な視野の下に考察されるべきものと考える。

 裁判官横尾和子,同津野修,同古田佑紀の反対意見は,次のとおりである。
 私たちは,以下の理由により,国籍法が,出生後に認知を受けた子の国籍取得について,準正子に届出による取得を認め,非準正子は帰化によることとしていることは,立法政策の選択の範囲にとどまり,憲法14条1項に違反するものではなく,上告人らの請求を棄却した原審の判断は結論において正当であるから,上告を棄却すべきものと考える。
1 国籍の付与は,国家共同体の構成員の資格を定めるものであり,多数意見の摘示する諸事情など国家共同体との結び付きを考慮して決せられるものであって,国家共同体の最も基本的な作用であり,基本的な主権作用の一つといえる。このことからすれば,国籍付与の条件をどう定めるかは,明確な基準により,出生時において,一律,かつ,可能な限り単一に取得されるべきことなどの要請を害しない範囲で,広い立法裁量にゆだねられているというべきである。
 国籍が基本的人権の保障等を受ける上で重要な法的地位であるとしても,特定の国の国籍付与を権利として請求することは認められないのが原則であって,それによって上記裁量が左右されるものとはいえない。また,無国籍となるような場合は格別,いずれの国の保障を受けるか,例えば我が国の保障を受けるか,それとも他国の保障を受けるかということは,各国の主権にかかわることであり,法的な利益・不利益も,それぞれの国籍に応じて,居住国あるいは事柄によって相違し,時には反対にもなり得る相対的なものであることも考慮すべきである。
なお,いわゆる多重国籍は,国籍が出生時に一律に付与されることから不可避的に生じる事態であって,やむを得ないものとして例外的に容認されているものにとどまる。
 国籍法は,血統主義を基調としながらも,出生時において,血統のみならず,法的にも日本国民の子である者に対して,一律に国籍を付与する一方で,日本国民の血統に属する子が出生後に法的に日本国民の子となった場合には,出生後の生活状況が様々であることから,日本国民の子であることを超えた我が国社会との結び付きの有無,程度を具体的に考慮して国籍を付与するかどうかを決することとしていると解される。
 このような国籍法の体系から見れば,同法3条1項の規定は,国籍の当然取得の効果を認める面では同法2条の特別規定である一方,出生後の国籍取得という面では帰化の特別規定としての性質を持つものといえる。
2 多数意見は,出生後の国籍取得を我が国との具体的な結び付きを考慮して認めることには合理性があり,かつ,国籍法3条1項の立法当時は,準正子となることをもって密接な結び付きを認める指標とすることに合理性があったとしながらも,その後における家族生活や親子関係に関する意識の変化,非嫡出子の増加などの実態の変化,日本国民と外国人との間に生まれる子の増加,諸外国における法制の変化等の国際的動向などを理由として,立法目的との関連において準正子となったことを結び付きを認める指標とする合理性が失われたとする。
 しかしながら,家族生活や親子関係に関するある程度の意識の変化があることは事実としても,それがどのような内容,程度のものか,国民一般の意識として大きな変化があったかは,具体的に明らかとはいえない。
 実態の変化についても,家族の生活状況に顕著な変化があるとは思われないし,また,統計によれば,非嫡出子の出生数は,国籍法3条1項立法の翌年である昭和60年において1万4168人(1.0%),平成15年において2万1634人(1.9%)であり,日本国民を父とし,外国人を母とする子の出生数は,統計の得られる昭和62年において5538人,平成15年において1万2690人であり,増加はしているものの,その程度はわずかである。
 このように,約20年の間における非嫡出子の増加が上記の程度であることは,多数意見の指摘と異なり,少なくとも,子を含む場合の家族関係の在り方については,国民一般の意識に大きな変化がないことの証左と見ることも十分可能である。確かに,諸外国においては,西欧諸国を中心として,非準正子についても国籍取得を認める立法例が多くなったことは事実である。しかし,これらの諸国においては,その歴史的,地理的状況から国際結婚が多いようにうかがえ,かつ,欧州連合(EU)などの地域的な統合が推進,拡大されているなどの事情がある。また,非嫡出子の数も,30%を超える国が多数に上り,少ない国でも10%を超えているようにうかがわれるなど,我が国とは様々な面で社会の状況に大きな違いがある。なお,国籍法3条1項立法当時,これらの国の法制が立法政策としての相当性については参考とされたものの,憲法適合性を考える上で参考とされたようにはうかがえない。このようなことからすれば,これらの諸国の動向を直ちに我が国における憲法適合性の判断の考慮事情とすることは相当でないと考える。
 また,多数意見は,日本国民が母である非嫡出子の場合,あるいは胎児認知を受けた場合との差も指摘する。
 しかし,これらの場合は,出生時において法的に日本国民の子であることが確定しているのであって,その後の生活状況の相違が影響する余地がない一方,国籍は,出生時において,一律に付与される必要があることからすれば,これらの子にも国籍を付与することに合理性がある。実質的に見ても,非嫡出子は出生時において母の親権に服すること,胎児認知は任意認知に限られることなど,これらの場合は,強弱の違いはあっても,親と子の関係に関し,既に出生の時点で血統を超えた我が国社会との結び付きを認めることができる要素があるといえる。また,母が日本国民である場合との差は,出生時における子との種々のかかわり合いに関する父と母の違いから生じるもので,これを男女間における差別ととらえることは相当とは思われない。
3 一方,国籍法3条1項は,婚姻と出生の前後関係が異なる場合における国籍取得の均衡を図るとともに,親と生活関係を共にする未成年の嫡出子は親と同一の国籍に属することが望ましいという観点も考慮して立法されたものであり,その意味で出生時を基準とする血統主義を補完する措置とされるものであって,血統主義の徹底,拡充を図ることを目的とするものではない。そして,準正により父が子について親権者となり,監護,養育の権利,義務を有することになるなど,法律上もその関係が強固になること,届出のみにより国籍を付与する場合,その要件はできるだけ明確かつ一律であることが適当であること,届出による国籍取得は,外国籍からの離脱が条件とされていないこと,非準正子の場合は,我が国との結び付きの有無,程度が様々であるから,これを個別,具体的に判断する帰化制度によることが合理的で国籍法の体系に沿うものであるところ,帰化の条件が大幅に緩和されていることなどからすれば,認知を受けた場合全般ではなく,準正があった場合をもって届出により国籍取得を認めることとすることには十分合理性が認められるのであって,これらの点が多数意見指摘の事情によって変化したとはいえない。
 なお,多数意見は,帰化について,認知を受けた子に関しては帰化の条件が緩和されているとしても,帰化が法務大臣の裁量によるものであって,準正子と非準正子との差を合理的なものとするものではないとする。しかし,類型的に我が国社会との結び付きを認めることが困難な非準正子については,帰化によることが合理的なことは前記のとおりであるし,また,裁量行為であっても,国家機関として行うものである以上,制度の趣旨を踏まえた合理的なものでなければならず,司法による審査の対象ともなり得るものであり,その運用について考慮すべき点があるとしても,多数意見は,国籍法の体系及び簡易帰化の制度を余りにも軽視するものといわざるを得ない。
 以上からすれば,非準正子についても我が国との密接な結び付きを認めることが相当な場合を類型化して国籍取得を認めるなど,届出による国籍取得を認める範囲について考慮する余地があるとしても,国籍法が,準正子に届出による国籍の取得を認め,非準正子は帰化によることとしていることは,立法政策の選択の範囲にとどまり,憲法14条1項に違反するものではないと考える。
 もとより,私たちも,これらの子についても,必要に応じて,適切な保護等が与えられるべきことを否定するものではない。しかし,そのことと国籍をどのような条件で付与するかは,異なる問題である。
4 なお,仮に非準正子に届出による国籍の取得を認めないことが違憲であるとしても,上告を棄却すべきものと考える。その理由は,甲斐中裁判官,堀籠裁判官の反対意見とおおむね同旨であるが,以下の点を付加して述べておきたい。
 両裁判官指摘のとおり,非準正子が届出により国籍を取得することができないのは,これを認める規定がないからであって,国籍法3条1項の有無にかかわるものではない。同項は,認知を受けたことが前提となるものではあるが,その主体は嫡出子の身分を取得した子であり,その範囲を準正によりこれを取得した場合としているものである。
 多数意見は,国籍法が血統主義を基調とするもので,同項に関し,上記の前提があることを踏まえ,準正子に係る部分を除くことによって,認知を受けた子全般に同項の効果を及ぼそうとするもののようにうかがえる。しかし,準正子に係る部分を取り除けば,同項はおよそ意味不明の規定になるのであって,それは,単に文理上の問題ではなく,同項が専ら嫡出子の身分を取得した者についての規定であることからの帰結である。認知を受けたことが前提になるからといって,準正子に係る部分を取り除けば,同項の主体が認知を受けた子全般に拡大するということにはいかにも無理がある。また,そのような拡大をすることは,条文の用語や趣旨の解釈の域を越えて国籍を付与するものであることは明らかであり,どのように説明しようとも,国籍法が現に定めていない国籍付与を認めるものであって,実質的には立法措置であるといわざるを得ない。
 また,多数意見のような見解により国籍の取得を認めることは,長年にわたり,外国人として,外国で日本社会とは無縁に生活しているような場合でも,認知を受けた未成年者であれば,届出さえすれば国籍の取得を認めることとなるなど,我が国社会との密接な結び付きが認められないような場合にも,届出による国籍の取得を認めることとなる。届出の時に認知をした親が日本国民であることを要するとしても,親が日本国籍を失っている場合はまれであり,そのことをもって,日本国民の子であるということを超えて我が国との密接な結び付きがあるとするのは困難であって,実質は,日本国籍の取得を求める意思(15歳未満の場合は法定代理人の意思)のみで密接な結び付きを認めるものといわざるを得ない。
 このようなことは,国籍法3条1項の立法目的を大きく超えることとなるばかりでなく,出生後の国籍取得について我が国社会との密接な結び付きが認められることを考慮すべきものとしている国籍法の体系ともそごするものである。
 なお,国籍付与の在り方は,出入国管理や在留管理等に関しても,様々な面で大きな影響を及ぼすものであり,そのような点も含めた政策上の検討が必要な問題であることも考慮されるべきである。
仮に多数意見のような見解が許されるとすれば,創設的権利・利益付与規定について,条文の規定や法律の性質,体系のいかんにかかわらず,また,立法の趣旨,目的を超えて,裁判において,法律が対象としていない者に,広く権利,利益を付与することが可能となることになる。
 私たちは,本件のような場合についても,違憲立法審査権が及ぶことを否定するものではない。しかしながら,上記の諸点を考慮すれば,本件について,裁判により国籍を認めることは,司法権の限界との関係で問題があると考える。

 裁判官甲斐中辰夫,同堀籠幸男の反対意見は,次のとおりである。
 私たちは,本件上告を棄却すべきものと考えるが,その理由は次のとおりである。
1 国籍法は,憲法10条の規定を受け,どのような要件を満たす場合に,日本国籍を付与するかということを定めた創設的・授権的法律であり,国籍法の規定がなければ,どのような者が日本国民であるか定まらないのである。国籍法が日本国籍を付与するものとして規定している要件に該当しない場合は,日本国籍の取得との関係では,白紙の状態が存在するにすぎない。すなわち,日本国籍を付与する旨の規定を満たさない場合には,国籍法の規定との関係では,立法の不存在ないし立法不作為の状態が存在するにすぎないのである。このことは,国会が政策的見地から,国民に対し,一定の権利・利益を付与することとしている創設的・授権的な行政関係の法律の場合も,同様である。
2 国籍法2条1号によれば,日本国民たる父が胎児認知した子は,生来的に日本国籍を取得することとなる。また,同法は,3条1項において,父が日本国民である準正子は届出により日本国籍を取得する旨定める。しかし,出生後認知された者であって準正子に当たらない者(非準正子)については,同法は,届出により日本国籍を付与する旨の規定を置いていないのであるから,非準正子の届出による国籍取得との関係では,立法不存在ないし立法不作為の状態が存在するにすぎないというべきである。
3 国籍法が,準正子に対し,届出により国籍を付与するとしながら,立法不存在ないし立法不作為により非準正子に対し届出による国籍付与のみちを閉じているという区別(以下「本件区別」という。)は,3条1項が制定された当時においては合理的な根拠があり,憲法14条1項に違反するものではないが,遅くとも,上告人らが法務大臣あて国籍取得届を提出した当時には,合理的な理由のない差別となっており,本件区別は同項に違反するものであったと考える。その理由は,多数意見が4で述べるところと同様である。しかしながら,違憲となるのは,非準正子に届出により国籍を付与するという規定が存在しないという立法不作為の状態なのである。多数意見は,国籍法3条1項の規定自体が違憲であるとするものであるが,同規定は,準正子に届出により国籍を付与する旨の創設的・授権的規定であって,何ら憲法に違反するところはないと考える。多数意見は,同項の規定について,非準正子に対して日本国籍を届出によって付与しない趣旨を含む規定であり,その部分が違憲無効であるとしているものと解されるが,そのような解釈は,国籍法の創設的・授権的性質に反するものである上,結局は準正子を出生後認知された子と読み替えることとなるもので,法解釈としては限界を超えているといわざるを得ない。
 もっとも,特別規定や制限規定が違憲の場合には,その部分を無効として一般規定を適用することにより権利を付与することは法解釈として許されるといえよう。しかしながら,本件は,そのような場合に当たらないことは明らかである。国籍法は,多数意見が述べるように,原則として血統主義を採っているといえるが,徹底した血統主義を法定していると解することはできないのであるから,3条1項の規定について,出生後認知された子に対し届出による日本国籍を付与することを一般的に認めた上で,非準正子に対し,その取得を制限した規定と解することはできない。
 したがって,国籍法3条1項の規定の解釈から非準正子に届出による日本国籍の取得を認めることはできない。
4 以上のとおりであって,本件において憲法14条1項に違反することとなるのは,国籍法3条1項の規定自体ではなく,非準正子に届出により国籍を付与するという法が存在しないという立法不作為の状態であり,このことから,届出により国籍を取得するという法的地位が上告人らに発生しないことは明らかであるから,上告人らの請求を棄却した原判決は相当であり,本件上告は棄却すべきものと考える。
 なお,藤田裁判官は,非準正子に対し届出による国籍付与をしないという立法不作為が違憲であるとしており,この点で私たちと同一の立場に立つものである。しかし,さらに,国籍法3条1項の拡張解釈により権利付与を認めるべきであるとして,上告人らの請求を認容すべきものとしており,この見解は,傾聴に値すると考えるが,同項についてそのような解釈を採ることには直ちに賛成することはできない。
5 多数意見は,「本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り,本件区別による違憲状態を是正する必要がある」との前提に立っており,このような前提に立つのであれば,多数意見のような結論とならざるを得ないであろう。しかし,このような前提に立つこと自体が相当ではない。なぜなら,司法の使命は,中立の立場から客観的に法を解釈し適用することであり,本件における司法判断は,「本件区別により不合理な差別的取扱を受けている者の救済を図り,本件区別による違憲の状態を是正することが国籍法3条1項の解釈・適用により可能か」との観点から行うべきものであるからである。
6 日本国民たる要件は,法律により創設的・授権的に定められるものである。本件で問題となっている非準正子の届出による国籍取得については立法不存在の状態にあるから,これが違憲状態にあるとして,それを是正するためには,法の解釈・適用により行うことが可能でなければ,国会の立法措置により行うことが憲法の原則である(憲法10条,41条,99条)。また,立法上複数の合理的な選択肢がある場合,そのどれを選択するかは,国会の権限と責任において決められるべきであるが,本件においては,非準正子の届出による国籍取得の要件について,多数意見のような解釈により示された要件以外に「他の立法上の合理的な選択肢の存在の可能性」があるのであるから,その意味においても違憲状態の解消は国会にゆだねるべきであると考える。
7 そうすると,多数意見は,国籍法3条1項の規定自体が違憲であるとの同法の性質に反した法解釈に基づき,相当性を欠く前提を立てた上,上告人らの請求を認容するものであり,結局,法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって,実質的に司法による立法に等しいといわざるを得ず,賛成することはできない。
(裁判長裁判官 島田仁郎 裁判官 横尾和子 裁判官 藤田宙靖 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉徳治 裁判官 才口千晴 裁判官 津野修 裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 堀籠幸男 裁判官 古田佑紀 裁判官 那須弘平 裁判官 涌井紀夫 裁判官 田原睦夫 裁判官 近藤崇晴)



〔判断手法〕
「憲法14条1項は,……事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨」
「立法府に与えられた上記のような裁量権を考慮しても,
≪1≫なおそのような区別をすることの立法目的に合理的な根拠が認められない場合
又は
≪2≫その具体的な区別と上記の立法目的との間に合理的関連性が認められない場合
には,当該区別は,合理的な理由のない差別として,同項に違反するものと解されることになる。」

 ↑↑↑
「日本国籍は,
①我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。
一方,
②父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。
 ⇒ したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。」


〔あてはめ〕
≪1≫
「日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した嫡出子が生来的に日本国籍を取得することとの均衡を図ることによって,同法の基本的な原則である血統主義を補完するもの
「日本国民を血統上の親として出生した子であっても,日本国籍を生来的に取得しなかった場合には,その後の生活を通じて国籍国である外国との密接な結び付きを生じさせている可能性があるから,国籍法3条1項は,同法の基本的な原則である血統主義を基調としつつ,日本国民との法律上の親子関係の存在に加え我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を設けて,これらを満たす場合に限り出生後における日本国籍の取得を認めることとしたものと解される。……本件区別を生じさせた上記の立法目的自体には,合理的な根拠があるというべきである。」
 ⇒ ≪1≫クリア
 
≪2≫
区別(1)国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては,日本国民である父と日本国民でない母との間の子について,父母が法律上の婚姻をしたことをもって日本国民である父との家族生活を通じた我が国との密接な結び付きの存在を示すものとみることには相応の理由があったものとみられ,当時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても,同項の規定が認知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには,上記の立法目的との間に一定の合理的関連性があったものということができる。」
  ↓↓↓
「しかしながら,その後,
 (a) 我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており,今日では,出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど,家族生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている。……これらのことを考慮すれば,日本国民である父が日本国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって,初めて子に日本国籍を与えるに足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは,今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない
 (b) また,諸外国においては,非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向にあることがうかがわれ,我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する。さらに,国籍法3条1項の規定が設けられた後,自国民である父の非嫡出子について準正を国籍取得の要件としていた多くの国において,今日までに,認知等により自国民との父子関係の成立が認められた場合にはそれだけで自国籍の取得を認める旨の法改正が行われている。」
 ⇒ 「前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなっているというべきである。」
 
区別(2)「このような区別の結果,日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子のみが,日本国籍の取得について著しい差別的取扱いを受けているものといわざるを得ない。」
「日本国籍の取得が,前記のとおり,我が国において基本的人権の保障等を受ける上で重大な意味を持つものであることにかんがみれば,以上のような差別的取扱いによって子の被る不利益は看過し難いものというべきであり,
 ⇒ このような差別的取扱いについては,前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだし難いといわざるを得ない。」
 
「本件区別については,これを生じさせた立法目的自体に合理的な根拠は認められるものの,立法目的との間における合理的関連性は,我が国の内外における社会的環境の変化等によって失われており,今日において国籍法3条1項の規定は,日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課するものとなっているというべきである。」
 ⇒ 「本件区別は,遅くとも上告人らが法務大臣あてに国籍取得届を提出した当時には,立法府に与えられた裁量権を考慮してもなおその立法目的との間において合理的関連性を欠くものとなっていたと解される。」
 ⇒ ≪2≫クリアせず

〔結論〕
「上記時点において,本件区別は合理的な理由のない差別となっていたといわざるを得ず,国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは,憲法14条1項に違反するものであったというべきである。」
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